イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

リトルウィッチアカデミア:第2話『パピリオディア』感想

信じる心があなたの魔法!
ど真ん中から魔法と青春を扱うTRIGGERの新境地、二話目であります。
どっしりと腰を落とし魔法少女学園青春物語をやってくる姿勢と、アニメーション独特のスペクタクルを大事に盛り上げる気概は二話になっても衰えず、非常にベーシックかつ丁寧に話を進め、胸躍る冒険を作り上げてくれました。
舞台となる学園の日常、仲良し三人組とは違う立場のダイアナ、シャイニーシャリオの現在など、一話で少し語り足りなかった部分をちゃんと説明しつつ、魔法学校の素敵な日常をしっかり描写する。
タイプの違う主人公とライバルの運命の出会いを描き、そこで生まれる科学反応への期待をグンと高める。
二話目でやるべきことを完璧にこなしているのに、惰性や手抜きを一切感じない、素晴らしくフレッシュなお話だったと思います。

というわけで、ドタバタ転がりながら魔法の国までたどり着く勢いが、非常に気持ちよかった第1話。
それに比べると、じっくりと朝の風景を見せるアバンからして、落ち着きを感じる第2話です。
無論、パピリオディアの復活絡みでアクションなどもあるのですが、重くて速いストレートで視聴者を掴んだ所で、じっくりとフットワークを見せて足場を確認していく緩急の付け方。
非常に良いと思います。

アバンの丁寧な描写は様々な意味を含んでいて、アルクトゥルスの森での冒険を通じて三人組が仲良くなった様子とか、イニシエーションを経て日本にサヨナラしたアッコが新しく手に入れた『日常』とか、色んなものが見えてくるシーンでした。
『魔法学園』という異郷に心が踊っているのは、アッコだけではなく視聴者もまたそうなので、浮かれている様子をスーシィやロッテと対比しつつ、巧く感情をシンクロさせる見せ方でした。
アッコの幼さや劣等生具合、我が道を行きつつ優秀なスーシィ、万事控えめなロッテと、朝の風景をじっくり回しつつキャラの個性が見えて、ストイックな描き方が良かったです。
ケレンの効いた派手さを使いこなしつつも、地面に足の付いた成長物語がこの話の土台になると思うので、こういう何でもない風景をしっかり見せてくれると、作品を見ている側も居場所を見つけられる感じでうれしいですね。

ここで三人が見せた気の置けない関係性というのは、今回のエピソード、そしてお話全体を受け止める大切な足場になります。
普通人で日本人で異物なアッコは、オールドスクールな魔法学校の中では、常に試されバカにされる立場にいる。
その時もし孤独ならば、無神経に見えて結構ナーバスなアッコはすぐに期が滅入ってしまうと思うのですが、二人のルームメイトが支えてくれるのであれば、乗り越えるべき成長の試練になりえます。
ここら辺は、クライマックスで魔法を打つ時、アッコの背中を二人が支えていた描写からも感じられますね。

彼女らの関係が初対面から進展したのは、アッコの頭に生えた若葉からも良く感じられます。
ああいうイタズラを許し合える程度には三人は心を許し合っており、同時にスーシィが悪戯好きな小悪魔加減とか、あれだけのことをされても気づかないアッコのマヌケっぷりも見えてくる。
始末の仕方も、ダイアナが強力な魔力を持っていること、そういうケアを何の気なくやれる気持ちの良い子だと示すことが出来ていて、関係性と個性両方を、コメディの中で際立たせる運び方でした。
こういう見せ方は、授業の風景をテンポよく進めていく中でも、朝の風景でも感じられますね……スーシィのガスマスクとか、一人だけ毒ガス吸い込んで悦に入ってるところとか。

そしてその友情は、なんか大上段にどどんと構えて宣言するものではなく、時間と空間を共有し、当たり前の(でも魔法的に輝いている)『日常』を共に過ごす中で、自然と生まれてくるものです。
授業前の賑やかな支度の様子、そして三者三様に退屈している授業の様子をじっくり追いかけることで、彼女たちの関係がどれだけ力みのない、柔らかなものかが伝わってきます。
美術が非常に良いので、世界をじっくり魅せてくれても退屈ではないどころか、むしろ『もっと見せてくれよ!』って気になるのは強いですね。
まぁここら辺は、僕が『ここではないどこか』を描く童話や児童文学に、強い興奮を覚える性癖だから、ってのもあるんでしょうが。

この穏やかな関係がスッと入ってくるのは、前回コカトリスと激しいチェイスを繰り広げる中で、各キャラクターの個性、彼らの関係構築が強めに叩きつけられたからでしょう。
アクションの中で一気に育まれる友情も、日常を共有する中で積み重なる思いも、両方本当のものであり、その緩急がお互いを引き立てるような上手い構成で、少女たちの友情が描かれています。
TRIGGERの強みを乗りこなしているのは、何もケレンの効いた作画シーンだけではない、ということです。


抑揚の効いた見せ方の巧さは、今回もう一人の主役ともいえるダイアナからも感じ取れます。
魔女界の血縁主義の権化であり、教師も上回る実力の持ち主、シャイニーシャリオは大嫌い(ということになっている)。
ドンガメ劣等生のシャニオタ・アッコとはきれいに正反対のキャラクターであり、一見類型的なライバルにも見えます。

しかしその描き方を追いかけてみると、周囲の連中のようにアッコの血統や能力をバカにすることはなく、かなり冷静に状況を見据えていることが分かります。
アタリがキツいだけで、ダイアナ自体はエリート意識に支配されているわけではないし、自分の実力に天狗になっているわけでもない。
サイドキックにギャーギャー騒がせて、『ライバル』のイメージを上手く膨らませつつ、ダイアナ自体の素直なキャラクター性は歪めていないのは、非常に上手いですね。
結果として一騒動起こしてしまった励起術式も、噂に聞いた(『過去だった憧れ』という意味では、アッコがシャイニーシャリオに抱く想いと同じ)記念樹が弱ってしまっている現状を、自力でどうにかしようと頑張った結果なわけです。

あそこで先生に相談するのではなく、自分の思いに素直に行動し、自力で結果を引き寄せてくるダイアナは、実は猪突猛進なアッコにそっくりです。
劣等生と、優等生。
気持ちを素直に口にできるアウトサイダーの子供と、家に縛られ大人を演じるインサイダー。
二人は正反対に見えますが、強い思いを留めておけない魂のスタイルは、双子かと思えるほどによく似ています。
つまり、対立するかのように見える二人の立ち位置にはちゃんと橋がかかっていて、今後融和の物語も書かれるのだろうな、と期待できるわけです。

ここら辺の予感は今回非常に丁寧に扱われていて、アウトサイダーであるアッコが読めなかった『正式な発音』を、インサイダーがるダイアナが己のアドバンテージを分け与える形で伝えているシーンに、強く象徴的です。
奇蹟の蝶を羽化させたのがアッコなので、一見彼女のアドバンテージが目立ちますが、しかしそれはダイアナが培ってきた知恵があってこそ、生まれた結果。
教師を上回る知恵は『キャンベディッシュ家1500年の伝統』に応えようという努力があって初めて、ダイアナのものになった力です。
『大人であれ』『名門に相応しい優等生でいろ』という抑圧は、ダイアナを縛る鎖であると同時にダイアナ『らしさ』を構成する、かけがえのないものでもあるわけです。
自由奔放な主人公を無条件に持ち上げるするのではなく、その出来ないっぷりを冷静に描きつつ、優等生の憂鬱と抑圧、そして抑圧故に手に入れたモノの価値も、しっかり切り取る。
そういう冷静かつ公平な描き方の奥に、お互いに足りない部分を見つめ、引き寄せられ、反発し、その先にお互いを見とめ高め合う未来の物語が、コンパクトかつ的確に素描されています。

ダイアナはまだ、周囲が押し付けてくる優等生(と、その立場にいるものが当然するべきと思われている、差別主義者)のロールを超越できません。
『奇蹟は私が起こしたんじゃなくて、あの劣等生の日本人がやったんです!』と、真実を口にし、今までの立場を乗り越える勇気はまだない、ということです。
しかし今回の描写でも、ダイアナがアッコの中に自分にない魅力を見つけていること、それを足場に前に進める子であることは、しっかり伝わってきました。

そしてそれは、アッコがシャイニーシャリオに憧れて魔法学校にたどり着いたのと同じ、『あなただけの魔法』の物語なのです。
主人公とライバルが同じ魂の色をしていて、同じ形式のストーリーを自分なりに歩もうとしている。
そういう強靭な物語の骨格が、二話の段階でしっかり見えているのは、お話全体を信頼するのに十分な足場だと、僕は思いました。


ぶっちゃけ僕は、第2話でダイアナのことが凄く好きになってしまったのですが、アッコを構成する大事な要素であるシャイニーシャリオのことを、ダイアナは実は好きなんだろうな、と思います。
アルコルのぬいぐるみを手放さなかったアッコは、良い意味でも悪い意味でも『幼さ』や『無垢さ』を失っていないキャラクターで、その対比たるダイアナは、一足先に大人になってしまって、シャイニーシャリオを否定しています。
第2話でも奇跡を起こしたところを見るだに、この話がアッコが持つ『自分らしさ』が世界を変えていく物語であり、その変化を受け取って、アッコ自身も『自分らしさ』を変化させていく話なのだろうな、というのは良くわかります。
シャイニーシャリオへの思いを二人が共有しているのなら、それは非常に面白いことだし、正反対なのにそっくりな二人が、お互いの物語を積み上げていく足場にもなるでしょう。

この話が貪欲なのは、シャイニーシャリオへの幼稚な(しかしあまりに真実の)憧れを軸に二人を対比させるだけではなく、既に夢を終えてしまったアーシュラ先生の姿を、しっかり写し取っていることです。
今回の話は主にアッコとダイアナの出会いの物語なんですが、彼女たちが放散するシャイニーシャリオへの無垢なあこがれ(とその反転としての侮蔑)を浴びて、当惑するアーシュラ先生の姿も、しっかり挟み込まれています。
これはつまり、『そのうち、アーシュラ先生の終わった(つまり終わっていない)青春の物語もやるぞ!』という予告でしょう。

そういう期待が高まるのに十分な愛嬌が、今回のアーシュラ先生にはありました。
アッコの表情に特徴的ですが、作画力を活かして細かく芝居を付け、人間味と可愛気を出していく演出がこのアニメでは冴えています。
本を取り落としそうになった後のコミカルな芝居も非常に面白くて、かわいくて、アーシュラ先生を一発で好きになれる、良い見せ場でした。

そういう『動』のフックだけではなく、アッコとダイアナを静かに見守る表情も色彩豊かで、『静』のフックが強くありました。
決着を付けたはずの青春の残影が、少女の胸の中でまだ熱く燃えていて、前に進む猛烈なエネルギーになっていること。
それに当惑しつつも、特別レッスンを申し出るくらいにアッコのことをよく見ていて、『シャイニーシャリオ』から『アーシュラ先生』に姿を変えても、見守り導いてくれる『憧れの大人』であることには変わりがないこと。
騒動を外側から見守る『大人』な彼女を追いかけるカメラが非常に丁寧で、いろんなものを教えてくれるのが、本当に良かったです。


ライバルやメンターが光り輝いて見えるのも、話の主軸たる主人公が堂々と己を主張しているから。
授業にはさっぱりついていけないし、目の前の現実よりも頭の中の理想を追いかけちゃう夢想主義者だし、ちょっと追い込まれるとすぐウルウルしちゃう弱虫ちゃんだけども、話を背負う上で絶対に間違えてはいけない部分では、アッコは今回も完璧な立ち回りを見せていました。
シャイニーシャリオをダイアナに貶されても、世間の評判を気にせず、胸に宿った『あなただけの魔法』を押し出してくるところとか、『お前……お前マジ二億点!!』って感じでした。
主人公はやっぱ、お話のコアの部分を裏切ってはいかんわけですよ。
むしろ恥ずかしいぐらいにガンガンと、前面に出てグイグイ主張してくれるとマジ二億点なわけですよ。

アッコとダイアナを通して見えたもう一つの部分は、この話が暴力に対してかなり独特のスタンスを持っている、ということです。
第1話でシャイニーアークをコカトリスに対して撃たなかったこと、あくまで未来と運命を切り開くために力を使ったことからも分かりますが、直接的な暴力はこれまで、この話の問題を解決しません。
寄生虫=悪』と考え、持ち前のパワーをその排除のために使ったダイアナの前に、アッコが体を張って立ちふさがる一連の流れも、それを引き継いでいるといえます。
ダイアナが暴力を行使し他人を傷つけることに、自分自身も傷ついてしまう正しい、そして優しい感受性の持ち主であることを見せる意味合いもあるかな。

あそこでダイアナが全ての蛹を殺してしまっていたら、120年に一度の奇跡は実現しなかったし、ダイアナが自分とは別の可能性に出会うこともなかった。
(ダイアナがシャイニーシャリオへのあこがれを隠しているとしたら、シャリオの縁者といえる蛹を殺すのは、過去の幼い自分を殺すことと同義であり、『魔法』を心から信じる幼さに肯定的なこのアニメにとって、それはかなり致命的な行動になりえます。アッコは蛹だけではなく、ダイアナが心のなかに隠している無垢な子供もまた、体を張って守ったわけです)
魔法の力は非常に強力で、鉛筆線がそのまま出てくるような撮影効果でその独自性を強調されるくらいのパワーなんだけども、何かをぶち壊しにする力として使っても、120点の真実にはたどり着けないわけです。

『たとえ自分が傷つくとしても、大切なものが損なわれるのを黙ってみていられない』というアッコの美点は、一話でロッテを助けた時と同じものですね。
それはシャイニーシャリオの幻影を未だに本気で信じている、夢と希望という幼い『魔法』を前に、ためらいなく踏み込めるアッコだからこそ、ノータイムでたどり着ける結論≒真実です。
幼さを肯定し真実を力に変えていくロジックの組み方こそが、キャラクターデザインや色彩や美術や小物以上に、このアニメが児童文学の精髄を正しく継承している証明だと言えるでしょう。

 

魔法物語として考えると、アッコのグリモワールが古臭い教科書ではなく、己の憧れと親愛がたっぷり詰まったTCGなのは、今風だし独特だし強さがあるしで、二億点の演出でした。
アッコは常に、アウトサイダーとして慣習にとらわれることなく真実を見つけるキャラであり、そんな彼女の魔法が『オモチャでしかない、シャイニーシャリオのカード』だというのは、非常に巧妙な逆説です。
そのカードが第1話で失われかけ、一見『なんでそんなものに固執するんだろう? 危ない目に合うほどのものなのかな?』と疑問に感じるアイテムなのも、話の連続性を活かした素晴らしい見せ方だと思います。
幼い憧れを守りたかったアッコの気持ちがあればこそ、今回魔法が発動できて奇跡が起こるという流れにすることで、アッコのメンタリティも、彼女が背負う物語のテーマも、圧倒的に間違ってないと見せることが出来るからね。

今後アッコは自分だけの魔法、自分だけの魔導書に導かれて、失敗や成功を繰り返しながら『自分らしさ』を見つけ、また変えていくでしょう。
そんな彼女の姿を見ることで、友人たちもまた変化したり、アッコを支えたりしてくれるでしょう。
その中心にあるのは表面的には魔法ですが、それが発動するときには常に、アッコの胸のときめき、幼い日に見た幻影への限りない憧れが輝いています。
ワンダー溢れる魔法表現で視聴者を楽しませつつも、魔法が心の力であることをけして忘れず、物語と感情のうねりの先に発動させている徹底も、すごく良いと思います。
今後物語が辿るだろうレールをしっかりと見せ、強い論理性と証明してくれたのは、アニメシリーズ全体を信頼するに足りる、強い足場だと思います。


というわけで、素晴らしい第2話でした。
魔法学園の弾むような日常風景、ルームメイト達の柔らかな友情、それとは違う、でも同じくらい尊いダイアナの精神。
主人公たるアッコの幼さと純粋さ、おまけにドジでダメダメな所もしっかり感じ取れ、いろんなものをたっぷり食べられるエピソードでした。

日常風景のしみじみした味わいあり、魔法が弾ける時の驚きと喜びあり、輝く日々のちょっとした陰りもしっかり描く。
ど真ん中に『魔法学園ストーリー』という芯がぶっとくあるおかげで、色んな表現がしっかりと立ち上り、とても楽しいお話になっていると思います。
この強靱で繊細でパワフルな物語が、どう転がっていくのか。
少女たちの魔法に満ちた青春が、どんな表情を見せてくれるのか。
リトルウィッチアカデミア、二話にしてマジで期待しかありません。