イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

プリパラ:第130話『女神の想い、ママの誓い』感想

四年目の情報も出てきて更に渦を巻くプリパラ旋風、全ては熱いクライマックスへ! プリパラ第130話であります。
先週の、余韻たっぷりに母と子の時間を見せる展開を引き受けて、女神としてのジュリィが己のリソースを一気に吐き出し、神アイドルGP本戦に、そして死の運命に立ち向かうアイドルたちの勇気を加速させる展開でした。
最大級に重い『死』を叩きつけることで、道に迷っていたジャニスも一気に正道に引き戻し、全ての問題を一旦クリアにする、整理のエピソード。
それと同時に、神アイドルになることに看板以上の意味合いを持たせ、まさに命がけのレイスとして神GPの値段を押し上げる、見事な助走でもありました。

例によって例のごとく、いろんなことが起きている回ですが、主に分けて今回のお話は過去のリソースを整理することと、そのリソースを今後の展開に繋げること、過去と未来を繋げるお話だったといえます。
前半10分程度でジュルルとらぁらの関係公表、アイドルでも赤ん坊でもなく女神としての道をジュリィが選ぶ宣誓、ジャニスの強奪未遂と真実の把握、それを受けての己の死期の公表まで一気にやってしまうのは、お話が一気に進む急加速です。
が、ノンシュガーにお話の力点が移ったあたりからジュリィの『死』は常に匂わされてきたし、一見身勝手な立ち回りの奥に何かが隠されているという予感も、しっかり演出されてきました。
今回の圧縮された展開は、ラストクールに差し当たり大急ぎで流れを速めたわけではなく、本筋の合間に織り込まれていた予感をしっかりと拾い上げ、形と言葉を与える必然といえるでしょう。
逆にいうと、一気に状況が進む速度の快楽を、違和感抜きで飲み込めるように、事前の準備を計画的に成功させてきた、という感じかな。

今回のエピソードは色んな人の心が交錯する展開ですが、太い軸になっているのはジュリィとジャニス、そしてジュリィとらぁらだといえます。
運命のイタズラからノンシュガーと関わり合い、導き時に反発し合う中で、人間への愛着と感動を手に入れてきたジャニス。
その歩みは笑いと下世話さに満ちた身近なものであり、だからこそ彼女が感じた気持ちも、その綺麗さが上滑りすることなく、一個人(一女神、かな?)が心に刻んだ本物の感情だと、視聴者も納得することが出来ます。
積み上げた準備を活かすという意味では、今回のエピソード自体がそういう構図を持っているのですが、ジャニスが規律に支配された己を捨て、『みんな』の笑顔一つ一つを見守れる『本当の自分』に素直になる展開は、そこに至る階梯一つ一つを丁寧に積み上げたからこそ、強い説得力を持っています。

ジャニスが変わるにあたり、ノンシュガーとともに過ごした日常、彼女たちのパフォーマンスが大きな力を持っていることは、疑いようがありません。
しかし今回、規律と権力で強制的に状況を動かそうとするジャニスを捨て去り、より人間らしさを大事にできる女神へと生まれ変わる決定打になったのは、姉の真意を知ったことです。
ここら辺の手順を一気にショートカットするために、『タクトに接触すると、全ての情報がダウンロードされる』というSF的設定を活かしているのは、なかなか巧みですね。
思えば三期は、のんちゃんがクローズアップされる展開にしても、ジュルルという赤ん坊をらぁらが背負う展開にしても、『家族』が強い存在感を持っているシリーズと言えます。
規範への強すぎる意識を持ち、ともすればセレパラ再びともなりかねなかったジャニスが己を改める決定打になったのが、『姉』であるジュリィの『死』だというのは、ある種必然とも言えるでしょう。

ジュリィの真実を知ることでジャニスが道を改める展開は、意識して演出されてきたジュリィの身勝手さを綺麗にひっくり返し、逆転の驚きでこれまでの描写の意味合いを変える、強いサスペンスに満ちています。
女神姉妹の印象は第117話、第118話、第124話、第127話と、飛び石のように連続するエピソードの中で巧妙に操作され、最初に感じた印象が綺麗に裏切られる物語的快楽を燃料にして進んできました。
これまでも、さんざんクソみたいな試練を与えてきたプリパラのシステムを維持するべく、次代の女神に最も大切な『みんなトモダチ、みんなアイドル!』を教育すること。
破天荒で身勝手に見える行動も実は全て、妹への愛情、そしてその妹がしがみついていた秩序と平和のために生まれてきたものだったわけです。
『より正しいプリパラのため』悪事に手を染めようとしていたジュリィは、その行動理念において、一見身勝手に見える姉に完全に上回れてしまっていた。
ならば確かに、膝を折って己の生き方を改める以外の道はありません。
そもそも、根本的に仲良し姉妹だしね、あの二人。

今回ひっくり返されているのは、姉妹の倫理的優越だけではなく、視聴者が物語全体を見据えていた読み自体も、そうだと思います。
大概の人(というか僕)はジャニスがラスボスになって、『みんなトモダチ、みんなアイドル』という理念を無視した理想郷を打ち立て、主人公たちがそこに立ち向かっていく展開を想定していたと思うし、そういう推測が湧き上がるように、描写も積み重ねられていた。
しかしそれは二期クライマックスで扱った(そして語りきれなかった)テーマを再演するに留まってしまうわけで、そこからさらに踏み込んだテーマを最後に据えなければ、三年間の物語をまとめ上げるには不足でしょう。
なので、ジャニスはこのタイミングで迷うことを辞め、姉の真心とノンシュガーとの絆を真正面から受け止め、より『自分らしい』自分になる。

ラスボスの窮屈な椅子から一気に降りることで、ジャニスが規律と愛両方を重んじられる自分に成長(もしくはそういう自分を再発見)して、彼女個人の問題解決に時間を使うのではなく、また別のテーマに取り組めるようになった。
今回ジャニスが果たしたのは、そういう仕事だと思います。
正しすぎて危うい堅物女神が、姉の遺志を受け止めて愛に眼を開き、新たな女神の責務を背負うに相応しい存在、ジュリィと同じくらい立派な女神になる物語が、ある意味今回終わったわけです。
そこを超えた先にある物語はこれから先語られ、より広く、より楽しく、より心動かされる物語になることを、今回見えた圧倒的な感情のうねりによって確信することが出来ました。


『家族』の一つの形、『姉妹』の物語はこうして一応の終わりを見たわけですが、『母娘』の物語は今まさに、熱く始まったばかりです。
ジャニスをある意味倫理的に『負かす』ことで、ジュリィは圧倒的な人格的優越を証明し、神の座に挑戦してくる人間(ボーカルドール含む!)を片っ端から『負け』させていきます。
いわゆる『大魔王に一回負けて、その圧倒的な力を確認し、しかし心折れずに再起を決意する』展開なわけですが、アイドルの実力でも暴力でもなく、優しさと知恵でぶん殴りまくるあたりが非常にプリパラらしい。
らぁらもまた、このタイミングでは娘の『死』を前に踵を返し地上に降りるわけですが、その闘志はけして死なない。

システムが生み出す理不尽な運命を前に、女神の責務と全てのアイドルの笑顔のために、ジュリィは死ぬ覚悟を決めました。
それは非常に悲壮であり高貴な覚悟であり、普段はアホばっかやってるアイドルたちもその崇高さに気圧され、丁寧に一人ひとりの人生(この作品がフィクションである以上、それはつまり、一話一話のエピソードにほかなりません)を見た別れのエールを受け入れるしかない。
しかし、真中らぁらはそれを受け入れられない。
小学六年生の真中らぁらは『大人』ではなく、(おそらくは永遠に)『子供』だからです。

ジュリィが別れ際、人間の娘として流した涙を一瞬で消し去る『大人』の対応をしたのに対し、らぁらは涙を流し続けたまま、『認めない』と吠えます。
神の責務がどうであろうとも、ジュリィ自身が定めた道でも、世界が決めた運命だとしても、娘の『死』を認めない猛烈なエゴイズム。
それもまた、圧倒的にパワーに満ちて崇高なものだということは、個人と社会について常に語ってきたプリパラにおいては、幾度も語られた重要なテーマです。

らぁらは今回、一回も娘を『ジュリィ』と呼んでいないわけですが、それは女神が果たした崇高な責務を認めないわけではなく、それを押し流すほどに猛烈な、個人的な愛情が彼女をして『ジュルル』と叫ばせている。
その独善的な身勝手が、世界を揺り動かし一つの目標に突き動かすほどに強烈であることは、下界に降りた後のアイドルたちが皆、神アイドルという高みに登った『後』の奇跡を求めたことからも明白です。
らぁらの熱に感染すればこそ、死の運命を物分りよく受け入れるのではなく、死の果てにある再生の奇跡を、愚かにも全てのアイドルたちが信じた。
その熱量こそが、今後神アイドルGPを描き、勝敗の中でアイドルの生き様を切り取る時、作品に正しさと熱い息吹を与えていくでしょう。
一種ノルマ的にこなして終わることも出来た神GPにジュリィの『死』を乗せ、奇跡を求めるアイドルたちの感情を乗せることで、一気に値段を跳ね上げる巧妙な操作が、そこにはあります。
そして、それで終わらないあまりにも真正な、つまりこれまで描かれてきたらぁら達とジュリィの凸凹子育て奮闘記を一切嘘にしない、強烈な熱も。

おしめを変え、メシを食わせ、ともに眠り、笑い、怒り、時にはエゴを暴走させて傷つけることもあった日々。
人間を超越した高い場所から、世界を敵に回しても経験したかった『人としての生』を僕らも共有すればこそ、ジュリィの女神としての判断を尊重しつつ、それをひっくり返して奇跡を求めるらぁらの願いは、僕らの願いにもなる。
物語の潮流と主人公の気持ち、それを見守り叩きつけられる視聴者の心が見事にシンクロし、作品に脳天まで没入できる、見事な運び方だと思います。

今回の流れがすごいなぁと思うのは、93話の時間を飛び越え、一期クライマックスでのユニコンの立場と、今のらぁらの立場がシンクロしたことです。
あの時らぁらはファルルが『死んだ』ことを理解せず、不可避の運命に対して奇跡を信じてあらがった。
あの場所で唯一『大人』だったユニコンは、愛ゆえのエゴを思い切り暴走させ、時に娘を傷つけつつも『死』から遠ざけ、叶わず『死』に娘を奪われ、『大人』であるが故に『死』を理解し、怒り、哀しみ、受け入れ、別れを告げようとした。
時間が過ぎてらぁらはジュルルと出会い、『母』になりました。
あの時は共有できなかった『母』の猛烈なエゴイズムを、『ジュリィ』とは絶対に呼ばない今回のらぁらは思考すら蹴っ飛ばして体現しているし、その上で『死』を認めないハードコアなスタンスには変わりがありません。

『みんなトモダチ、みんなアイドル』という綺麗事を一身に背負い、あまりに正しくあまりに幼かった真中らぁらは、ファルルの死も、ユニコンのエゴイズムも、ひびきの挫折と孤独も、多分本当には理解できなかった。
それでも奇跡をもぎ取り、世界を変えうるからこそ主人公なのだとしたら、らぁらはこれまでプリパラが長い間追い求めてきた『神アイドル』の地位に、おそらく上り詰めるでしょう。
しかしそうして手に入れた奇跡は、これまで二回あったクライマックスとはまた違った色合いを持っていて、『みんな』のためではなく、あまりにも個人的でそれ故圧倒的に激烈な『私』のための奇跡になる。
そのことがおそらく、最終的には『みんな』をより良い方向に導くうる、というのが、女の子の憧れをキラキラと輝かせ、抱腹絶倒のコメディを一切怠けなかった、そして人が人の間、『みんな』で生きていくことの意味合いをずっと考えてきたこのアニメには、相応しい結論のような気がします。

神が、世界が定めたとしても、喜びと哀しみに引き裂かれた一人間、『母』は『死』を認めない。
定かならぬ奇跡だけを信じて神GPに挑むらぁらの姿は、身勝手でありながら崇高でもあり、あまりに人間的だといえます。
奇跡が間に合わないかもしれないことは、一期クライマックスでらぁら達だけでは復活の秘跡がなし得なかったことからも、容易に推測できます。
その不確かな奇跡をいかにして掴み取るか、条理をひっくり返す説得力をどう積み上げるかが、今後展開される物語の中で、非常に重要になるでしょう。

 

『妹』と『母』、二人の太い柱で一気に物語を加速させた今回ですが、それ以外の『家族』にして『アイドル』達も掬いきっているところが、あまりにプリパラ的といえます。
女神が『みんな』のためにある公的存在である以上、そしてジュリィの愛が『みんな』に注がれたからこそ、人間に落ちて地上の生活を送った以上、『みんな』にしっかり言葉を残すことは、非常に大事だといえます。
これまで積み上げてきた個別のエピソードをしっかり拾い上げ、再チャレンジ組のドロシーやひびきにはちょっと棘のある交流したり、唯一明確に父的立場でジュルルを守ったシオンに『パパ』と呼びかけたり、ジャニスのために全てを捧げた共感を込めて、姉をしっかり守っているレオナに理解を示したり、いちいち完璧としか言いようがなかった……ありがとう福田さん……。

特にあじみの取り回しがまさに完璧で、二期では正直扱いきれない部分が目立った彼女の出番をしっかり抑圧し、『絵』というキャラの根幹にアクセスして暴走を抑え、最後に『女神』と『人』をめぐるこの物語をしっかり表現させて収める流れは凄まじかったです。
一年以上あじみという核弾頭に付き合って、ようやく創作者が制御方法を学び取った感じすらありますね……あそこらへんのやり取り、全部上田さんの一人芝居なんだよな……マジすげぇ。

ここであじみに的確なムーブをさせることで、今後GPが進み、個別の戦いが積み重なる中で、語りきれなかったあじみとひびきの関係性、あじみ自身のキャラクターの完成にも期待が高まるのは、非常に面白いですね。
二期においてあまりにも狂気的なあじみが、『まとも』にひびきと語り合うためには、頭をぶつけて『自分を失う』必要があったわけですが、『自分らしい自分であり続ける』ことを是としてきたプリパラにおいて、僕としてその決着には納得が行っていません。
今回見せた制御の巧さを活かせば、あじみがあじみらしくあったまま(つまり、狂的天才というキャラクターを失わないまま)ひびきと向かい合い、己の真心を受け止めてもらうことも可能かなぁ、と。

ジュリィの言葉を借りて、的確に各ユニットの物語を再確認したことで、GP各試合への準備もしっかり整ったと思います。
そふぃの天才性、どん底からてっぺんを目指すガァルマゲドン、ダークホース・うっちゃりビッグバン、トリコロールの圧倒的『強さ』の先、新星たるノンシュガーの境地。
描くべきものはたくさんあるし、これだけ的確に『我々は何を描いてきて、何を見せてきたのか』をまとめ上げてなお、話数にして10話程度残っています。


プリパラ最終クールは、確実にとんでもなく熱く、凄まじいほどに的確で、暴力的なまでに真実であるだろう。
そう確信させられる、情熱と理性の絡み合った見事なエピソードでした。
この話数でこのまとめ上げと盛り上げが来てしまうと、一体この先に何が続くか怪しくなるものですが、神GPが何を目指すのかが明瞭なので、迷うことはありません。

全てのアイドルは『死』の運命を克服し、愛するべきものを取り戻すために、高みを目指す。
神アイドルを目指し走る道のりの中で、本当の自分が磨きだされ、、真剣だからこそ生まれる絆がある。
プリパラがこれまで描いてきたことを、プリパラが一つの終りを迎えるこれからの話数、やりきる。
そういう宣言が、高らかになされた今、僕はとんでもなく来週からのプリパラが楽しみです。
凄いものが見れると、僕は思っています。