イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

プリパラ:第132話『ロッキン・ガァジラ大決戦』感想

遂に始まったトーナメント! 一人の女の命がかかった戦いが熱く燃え上がる……とはいかない、プリパラ第132話です。
薄っすらとライバルチームの決勝勝ち上がりが見える中、ガァルマゲドンがどういう風に最後の見せ場(だろうもの)をやりきるかに注目していましたが、あえて特に大きな事件を起こさず、悪戯好きで元気で素直、いつものガァルマゲドンを見せるお話でした。
これまでのお話の中で積み上げたものを大事に、トーナメントを見守る視聴者の視座なんかも盛り込みながらしっかりまとめてくれて、とても良い仕上がりだったと思います。

というわけで、どちらかと言えばガァルマゲの描写が太かった今回。
敗者復活なしのトーナメント戦、見せ場の数から考えて、試合の敗者にスポットライトが当たるのは当然といえます。
とは言うものの、今回ガァルマゲは急に真面目になるでもなし、イタズラ大好きな等身大の子供らしさを前面に出し、仲良く楽しく悪ガキし続けます。
その飾らなさ、地面に足がついた人間らしさが彼女たちの魅力である以上、なにか新しい衝突を起こすよりも、いつもの様に楽しく暮らしている姿を写してくれたのは、むしろ嬉しいストイックさでした。

カードの導きのままに、子供だけが共有できる不思議な世界を守りながら、自由に好き勝手に生きる。
そういう気ままさに振り回されつつも、子供が子供であり続けられる優しさがプリパラにはあります。(同時に、『クソガキが暴れてウゼェ!』という率直な感想も、ちゃんと取り込んで表現してるわけですが)
ここら辺はらぁらが『みんなトモダチ、みんなアイドル』という作品のテーマ(強い言葉で言えば『綺麗事』)をしっかり背負い、先陣を切って話を牽引する『良い主人公』であり続けた結果、取りこぼしてしまった部分なのかもしれません。
大人の都合には従わない、とにかく楽しいことしかしない。
そういう無軌道な自由さもまた、らぁらとは別の形の『子供らしさ』であり、ガァルマゲが人気ユニットなのも、そういう自然さを買われてのことなのでしょう。

無論ガァルマゲは自分の楽しさだけを追求するわけではなく、素直で曇りのない純朴さという『子供らしさ』も持っています。
プリパラがあればこそ繋れた仲間の一人として、第46話でメインを張った二人(と一匹)、そしてガァルルの姉妹たるミニファルルが顔を見せ、ファンと向かい合うアイドルとして努力の方向性を変えていく展開は、とても良かったですね。
やっぱ過去エピソードの積み重ねが力になって、新しい挑戦に向き合う切っ掛けになる展開が入ると、集大成って感じがグッと強くなる。

そもそもドレパに仕掛けたイタズラ三昧も、格下に見られて傷ついたプライドが、自分たちに出来る戦略として選び取らせたものですし、実際ドロシーはペースを乱されて帰っちゃったわけだし、彼女らはいつだって『勝つ』『戦う』ことに真剣だったわけです。
イタズラもステージへの準備も、全てが曇りなく楽しくて、だからこそ大真面目に遊ぶ。
そんな三人のスタイルをしっかり理解し、久々に悪女の顔で遅延工作に出たネコねぇさんも、マネージャーとして保護者としていい動きでした。

三人の絆はやっぱ第105話"ガァルル、目覚めるでちゅー!!"でしっかり描き切られている感じがあり、それがより深まるような新しいベントは今回ありませんでした。
それは2ステージを尺に収めなければいけない事情もあるんでしょうが、むしろ不必要に積み上げることで過剰になることを嫌ったのかな、という気がしました。
実際、あのエピソードで描かれた以上の関係を今描け! と言われてもなかなか難しいわけで、それよりも『彼女たちはどういう子供なのか』をしっかり確認し、エピソードの積み重ねを思い出させる運び方を選んだのは、3年目の終りが見えているこのタイミングでは、非常に妙手だと思いました。

大方の予想通りガァルマゲドンは負けるわけですが、敗北の悔しさをしっかり描きつつ、そこから先に歩き直せる強さと前向きさを爽やかに描いたラストシーンも、本当に良かった。
あろまがあまり才能に恵まれず、『強い』存在ではないということは二期(第81話とか)で示された特質で、同時にそんな自分を認め、前に進み続ける不屈の闘志もまた、彼女たちの『らしさ』です。
ガァルルに至っては、アイドルを目指し挫折した負の想念の集積体であり、『弱い』自分と否応なく直面することが、彼女の物語だったとも言える。
必死に努力し、力を合わせても届かないものがある現実の中で、それでも負けたまま足を止めはしない彼女たちだからこそ、ガァルルとトモチケを交換した上で死を乗り越える奇跡も実現し得た。
負け自体はある程度以上既定路線だったとしても、そこに勝ち負けを超えた(というか『負け』の先にある)価値を乗せて終わらせてくれたのは、ガァルマゲドンの(おそらく)ラスト・メイン・エピソードとして、非常に優れた語り方だったと思います。


そんなわけで勝利したドレパですが、『強い』存在であるがゆえの驕りに切り込んでいった今回の描き方、非常に面白かったです。
櫓を組まれるとどうしても『お話の都合上、コイツは勝つだろ』みたいなスケベな読みをしてしまうものであり、作中の重要度からしてドレパ勝利、ガァルマゲ敗北のナメた視線を、僕も今回の試合には抱いていた。
こういう視聴者の感覚を『獅子搏兎』というシオンの言葉はしっかりすくい上げていたし、それでプライドを傷つけられるガァルマゲの描写も、巧くドレパの『強いがゆえの弱さ』を照らし出していました。

そもそも『みんなトモダチ』なプリパラでは、超ガツガツと勝敗を競い、誰が上だの誰が下だので傷つけ、傷つけられることはあまり肯定されません。
そこら辺のパフォーマンス最優先主義に、否定的に切り込んでいこうとしたのがセレパラ編であり、(始末が上手かったかどうかは横において)それ『だけ』に拘泥する視線は認められない。
しかしファンがいて『いいね!』があり、客観的な評価が存在する以上、『強い』『弱い』という軸は確実に存在しています。

ドレパは主役ユニットのライバルとして、三年間お話の真ん中にいる『強い』ユニットです。
そんな強さが油断を生み、ガァルマゲドン相手に真剣になれず、本番直前まで決め手を見つけられない展開を連れてくるのは、『強い』からこそ急所を抱えるという描写になっていて、なかなか面白かったです。
ガァルマゲが見せた『弱いがゆえの真摯さ』が欠けているから、今のドレパは『強いからこそ弱い』という対比の作り方が鋭い。

その上で、ガァルマゲが見せた新作メイキングドラマに即応し、それを上回る表現を現場で生み出してしまう『才能』の演出につなげているのは、勝ち負けの理由としてとても面白い。
ガァルマゲの『凡人ゆえの努力』の結晶と言える"シン・ガァジラ"を逆手に取って、自分たちの勝利を喧伝する新MDを、即座に作れてしまう『才能』。
勝負をつける以上、それを生み出すロジックというのは明瞭でなければいけないと思うのですが、もともと実力では勝っていて、だからこそ油断があり、それを乗り越えて自分たちの『才能』『強いからこそ強い部分』を確認してまとめるのは、クリアな作りだと思います。
後攻だからこそ撃てたカウンターだとも言えるし、ガァルマゲのパフォーマンスを見なければドレパの覚悟が固まることもなかったわけで、くじ運に大きく支えられた薄氷の勝利とも言えますか。

ドレパはシードなので、残るは(おそらく)ソラミとの決勝戦一つ。
その前哨戦として、がむしゃらに自分らしく挑んでくるガァルマゲに肉薄され、油断が消えたのは、良い地固めだった、ともいえます。
勝負である以上、そしてこれまでのプリパラ、これまでのドレッシングパフェを語り切るクライマックスである以上、真剣に挑んで欲しいと思うのは人情。
それを妨げる要素をこの試合で燃やし尽くせたのは、ガァルマゲに大きく感謝すべきところでしょう。


今回ガァルマゲが己の物語をしっかりまとめ上げたように、最後の戦いではドレパもまた、己を語りきらなければいけません。
渾身の"シン・ガァジラ"を逆手に取って切り落とした『才能』以外に、ドレパにはどんな『らしさ』があって、どんな強さと絆があるのか。
ドロシーの性格極悪っぷりは今週でも堪能できて面白かったわけですが、いまだ描かれていない要素が、この三年間にはたっぷりあります。

『負け』の意味も、『勝ち』の意味も、それを超えた場所を目指して走り続ける意味もしっかり書ききった今回の筆を見ていると、次に来る試合も鋭くまとめ上げてくれるだろうな、という期待が高まります。
物語全体のクライマックスになるだろう決勝戦の前に、まずはトリコロールVSうっちゃりビッグバンズ。
未だしこりを残しているあじみとひびきの関係性を描くためには、あえて新しい何かを起こさなかった今回とは別の角度から、お話を紡ぐ必要があると思います。
ある意味お話全体の落着よりも気になる、二人の関係性を度う描くのか。
来週が楽しみです。