読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

プリパラ:第133話『語尾の彼方』感想

アニメ プリパラ

『果て』を通り越し『彼方』へと続く、現在進行系のアイドル神話、トーナメント二戦目の第133話です。
あじみとひびきの関係に一応の決着が付いた(というか、力技で付けた)第87話"語尾の果て"を強く意識した回でしたが、過剰にシリアスにならず、というか普段以上にアクセルベタ踏みの爆笑回となりました。
たとえ圧倒的に顔がいい天才でも保護せず、従者と一緒に極限バカに追い込むプリパラの姿勢、ホント信頼できる。
同時に、あじみとひびきの拗れた関係を解消できるラストチャンスを見逃さず、万事円満の解決ではなく、欠点も含めた『らしさ』をお互い守ったまま一歩前進する終わりに導いたのは、流石の一言。
ひびき個人に切り込んでいく深さと、これまでの蓄積をしっかり描く横幅の広さが同居した、良いエピソードでした。


トーナメント二戦目、色んなキャラの総決算になる話数ということで、どう運んでくるか色々注目だった今回。
蓋を開けてみるとわりとひびきに寄らせた内容で、彼女の語尾コンプレックスを軽減(解消ではなく)、その原因となったあじみとの関係も改善させる、前向きな話になりました。
前回が『これまでやってきたこと』を大事に進めていったのに対し、今回は『これまでやれなかったこと』に踏み込んだ感じであり、一口に集大成と言っても色々な描き方があって、面白いですね。

このアニメは欠点や欠陥(と受け取られるもの)でも否定せず、強制的に変化させず、あくまで『らしさ』として肯定的に捉えてきました。
人間の根っこはそうそう簡単に変わらないし、『いい子』になることだけが価値のある行動ではないという反骨精神は、例えばドロシーがレギュラーメンバーにいる(そして愛されている)ことからもうかがい知れます。
同時に、そふぃが己の体質と向かい合いじっくり成長していったように、変化することもまた善いことなのだ、と描き続けているところが、プリパラの強いところでしょう。

ひびきもまた、見栄っ張りで傷つきやすくて、他人を簡単に否定し自尊心が高いという、かなり厄介な性格の持ち主。
おそらく最後の主役会である今回も、そんな彼女『らしさ』は変わりません。
愛する女たちに努力する姿は見せず、信頼する従者と二人、密室の中で特訓する姿。
それが原因でファルルにくじを引かれ、特訓が無駄になってしまっても、自分のプリンセスと見染めた女には一切強く出れない、王子様のペルソナ。
"愛ドルを取り戻せ!"の直撃を受けてぶっ倒れる繊細っぷり、二人のママに介護されまくりなナイーブさ。
今回のひびきは、最初から最後まで『らしい』なぁと思います。

彼女の尊大さは厄介ごとの種になるだけではなく、良いこともたくさん連れてきます。
"Mon chouchou"が始まる前の、会場全体を息一つで飲み込んでしまうカリスマ性は、くっそ捻くれた性格の裏側ですし、語尾にぶっ飛ばされても現場でライバルの顔を見ようとするステージへの愛情も、『高貴』できっちり固めたトリコロールのコンセプトの強さも、中心であるひびきの我の強さの反映といえます。
このアニメのあらゆるキャラがそうですが、長所と短所とは背中合わせであり、大事なのは欠点(と思えるもの)とどう付き合い、適切な距離を見つけていくか、ということなのです。


まほちゃんが性格極悪の顔だけいい女だったとしても、そこを飛び越えたところで彼女は愛されています。
ふわりとファルル、二人の女は彼女のプライドを大事にしつつ、その繊細さをケアし支えるために、ずっと側にいる。
そんな女たちの優しさをひびきは跳ね除けるわけではなく、語尾のない理想社会をふわりの故郷であるパルプスに重ねて幻視したり、非常に大きな存在として受け止めている。
ここに至るためまでには二期の色々があったし、ぶつかりあったからこそ生まれる信頼関係でもあると思います。

ステージを共にする戦友だけではなく、バックアップを担当する安藤が今回非常に大きな仕事をしていたのが印象的でした。
アホバカコントの相方を務めるだけではなく(いや、最高に面白かったんだけどさ)、ひびきが絶対に言えない本音を代弁し、あじみに伝える役目は安藤が担っていました。
ひびきの語尾コンプレックスは、低俗なものへの軽蔑という要素だけではなく、『金の切れ目が縁の切れ目』という現実の醜さを突きつけられ、心が弱りきっていたところであじみが無造作に踏み込んだ結果ではあるんですが、そこを扱うと時間マジで足りないからね。
あそこで大事なのは『あじみはひびきを傷つけている』という事実を投げかけることであり、その経緯を説明することではないと思うので、ざっくりと力強く、主が言えない本音を代弁した安藤は、いい仕事したと思います。

二期でラスボスを務める関係上、ひびきは『乗り越えるべき壁』として、悪い部分が多く描かれていました。
同時にプリパラに掛ける情熱とか、ファンの求めるイメージを演じきるプロ根性とか、馴れ合いを廃して高みを目指す理想の高さとか、良い部分もたくさんあった。
その善悪両面を巧く彫りきれないまま、二期はタイムアップを迎えてしまった感じが強かったわけですが、ボスの重荷をおろした三期では、彼女が持っている良い側面を、画面の真ん中に捉え、考えることが可能になった気がします。

『トモダチなんていらない』というひびきの気持ちは、『みんなトモダチ』というプリパラのテーゼと正面から対立します。
第114話を見ても判るように、二期のアレコレを経てなお結局、『トモダチなんていらない』というひびきの気持ち、トラウマ、『らしさ』は崩れなかったわけですが、しかし変化はしている。
今回ひびきに主役(とメイン・コメディエンヌ)を担当させ、彼女軸で話が進んでいく中切り取られた、彼女を愛し支える沢山の人々と、彼女『らしい』尖り方でそれを受け入れるひびきの姿は、彼女がどこにたどり着いて、どういう人間なのかよく見せてくれました。
人間の好みは激しいしアタリはキツいけど、なんだかんだ人間好きなのよね、まほちゃん。
逆にそういう子が『ボーカルドールになりたい。尸解仙したい』と言い出すまで追い込まれていた二期の状況が、どんだけヤバかったかってはなしになるんだけどさ。


そんなひびきに傷を負わせ、すれ違っていたあじみとの関係も、今回大きな変化を見せます。
あじみもまた善意の人で、そしてパワフルで、周囲を一切見ずに自分のセンスで爆走し、周りを引っ掻き回す『らしさ』を持っています。
それは半分くらい劇薬で、投入しすぎると話が道筋を見失ったりもするのですが、これも三期では出番を巧くコントロールして調整していたと思います。

あじみは童心を一切失わないまま年を取った、『子供のような大人』だと思います。(ひびきがシビアな現実を叩きつけられ、『大人になるしかなかった子供』なのとは面白い対比ですね)
第122話"姉妹でかしこまっ!"でらぁらに先生らしいことをしてた時、彼女は小学六年生と肩を並べ、想像の海を存分に泳ぐことでらぁらを導いた。
その発想力は彼女の『らしさ』であり、ひびきとはまた違う形で良い結果を産んで入るんですが、同時にそれが成立するのは彼女が周囲を一切見ず、他人の痛みに目をやろうとしないからです。

童心と背中合わせの無神経さを巧く制御できないことが、あじみの爆発力にも危険性にもつながっているわけですが、"語尾の果て"においてひびきとの関係を決着させる時、彼女は頭を打ってそれを喪失します。
偶然の事故で、一切自発的な決断がないまま、神様の助けを借りて配慮と共感、コミュニケーション可能な言語を手に入れたあじみは、自分の気持ちをひびきに伝え、関係は改善する。
しかしそれはあくまで一時のものであり、あじみは自分がひびきを傷つけていることに気付いていないし、自分の『らしさ』の危うい部分を変化させ、良い方向に舵を切り直そうとは思わない。

『果て』で描かれたのはそういう解決策であり、正直どうにも不十分だったわけですが、『彼方』を描く今回は大きく踏み込み、ひびきの痛み(を安藤が代弁することで)をあじみが把握します。
善人である彼女は、自分の『らしさ』がひびきを傷つけていること、もっと言えば過去のトラウマの根源になったことに想像が及ばなかったわけですが、今回ド直球で顔面に叩きつけた結果、それに直面せざるを得なくなる。
ギャグキャラだから、あじみだから、悪意がなかったからといって、人の痛みに目をつぶって自分の『らしさ』を振り回すのは良くないし、ときには荒療治でもそれを分かって貰う必要はある。
『果て』で取りこぼした問題に一足で踏み込み、解決を迫る大胆な一手です。

あじみは大きくショックを受けた後号泣し、謝罪する。
彼女はキチガイだけど心の優しい人で、くるくるちゃんのことだって大好きで、自分『らしい』方法がうまく行って仲良く出来ていると思いこんでいたけども、強く叩きつけられれれば、実はそうではなかったと認識もできる。
世界が崩れ落ちるくらいのショックを受けて、過去自分の世界を構築していた『らしさ』(それが『語尾』であるっていうのがプリパラですが)にしがみつくのではなく、言行を謝罪し、優しさで踏みにじっていたひびきの痛みに涙を流す。
上田麗奈渾身の号泣演技の助けも借りて、黄木あじみという人間がどういう人なのか、どう変わることが出来るのかをしっかり確認できる回だったと思います。

あじみは味付けが強すぎて、ネタで笑い飛ばすシーンは爆発力があって無敵だけど、それを活かしたままシリアスなドラマを担当できないくらいでした。
暴走する『らしさ』の難しさはあじみと周囲の人々だけではなく、彼女を操る製作者側にとっても、相当な難題なのではないかと、二年間彼女を見ている中で僕は思っていた。
シリアスな展開で役目を果たさせるためには、頭を打って『らしさ』を喪失するしかなかった彼女が、心からの涙を流し、自分を保ったまま自分の決断で、ひびきへの謝罪というシリアスな、そして絶対必要な行動を取る。
ここにたどり着けたのは、あじみにとっても、ひびきにとっても、プリパラという作品にとっても、とても良かったと思います。

ここでひびきは『仲間』に見せていた受け入れの姿勢を『敵』にも延長して、あじみを許すことにする。
語尾は結局耐えられないけども、語尾という『らしさ』を捨ててまで歩み寄ろうとしたあじみの涙を受け取り、二期でゼロまで戻した関係を一歩進め、非常に薄い線で繋がった関係を認めます。
強い、それ故他人を傷つける自分『らしさ』を持っていて、それが魅力であり、人を引きつける力でもある。
そんな強い『らしさ』の鎧で視野を覆ってしまっているけども、その実優しくて、人を受け入れる余地が内面にしっかり開いている。
正反対に見えて、二人はよく似ているのかもしれません。


そのうえで、あじみは結局『語尾』に戻ってくる。
他人を傷つけると知っても、溢れ出る自分『らしさ』は止められるものではないし、それを抑圧して『良い子』になっても、実りある結末は生まれてこない。
生きていく上で『らしさ』はどうしても棘を生み出すけど、それを引っくるめて人間は他人を受け入れること、適切な距離を取ることが出来る。
そういうメッセージを、ツタンカーメンに扮しながら語尾を投げつけるあじみと、素知らぬ顔でヘッドフォンで遮断するひびきの共演から、僕は勝手に感じ取りました。

今回のお話は、あじみもひびきもあくまで『らしく』あり続けていて、しかし『らしさ』を少し緩めたり、変化させようと頑張ったりしています。
『らしさ』には固くて強い部分と、柔らかく変化できる部分が同居していて、それが危うさでもあり救いでもある。
二期の物語で『マイナスからゼロ』になった二人が、三期での語り直しを経て『ゼロからプラス』担った今回の物語の先、『彼方』のその先で、お互い『らしさ』を保ったままプラスが積み重なっていく未来を、今回のエピソードは幻視させてくれます。
それは小さな、しかし決定的な変化であって、自分を傷つけてくるあじみを無視するしかなかったひびきはあじみの顔を見るようになったし、自分がひびきを傷つけている事実に気づいたあじみも、くるくるちゃんを取り囲んで語尾を浴びせかけていた過去とは違う間合いを、此処から先は見つけられる。

『果て』にたどり着いても『彼方』があり、『彼方』の先にも人生が伸びているという絵の描き方は、慣れ親しんだプリパラに一つの幕が下りるこのタイミングだと、キャラクター個人を飛び越えシリーズ全体に及んでいる気もします。
OPやEDに漂う集大成感が『果て』にたどり着いた時、今僕らが見ている形でのプリパラは終わる。
それでもプリパラはアイドルタイムになって続いていくし、何よりスポットライトが当たらなくなったとしても、キャラクターたちの生活や変化は続いていく。
そういう生身の感触を、フィクションに対して抱けるということは、凄く特別で大事なことではないかな、と思います。
アイカツ無印が終わるときにもこういう気持ちになったので、よく己の道を走りきった超長期シリーズ特有の『アニメーションシリーズの身体感覚』みたいなものなのかもしれません。


とまれ、ひびき自身に強く焦点を当てることで、彼女がどういう人物であり、どういう変化を迎えられる人間なのかがしっかり見える回でした。
個人でとどまらず、必然的につながってしまった人々の描写もしっかり入れることで、よりひびきという人間が鮮明になっていくのが、豊かでよかったですね。
あじみも暴走する難しさを巧く制御され、人間的な地平が彼女の中にちゃんとあるのだと明言される形になって、大満足のエピソードでした。

前回のガァルマゲドンに引き続いて、『努力を凌駕する圧倒的な才能』が巧く表現され、勝ち負けに納得できる運びだったのも良かったです。
そこに残酷な線があることを、プリパラは結構何度も言ってきたし、嘘もつかないんだよね。
トリコロールは『圧倒的にスペシャルな感じ』が巧く演出されているユニットで、今回はそのゴージャスさを活かしたと思います。

一つの因縁にケリが付いたところで、今度は姉妹宿命の戦い。
のんちゃんは三年目を巧く牽引してくれた功労者なので、今回見せたような見事な話運びを捧げて、己を語りきってほしいものです。
ここでソラミが上がると、綺麗に三連戦になるんだな……ノンシュガー戦でらぁら、トリコロール戦でそふぃ、ドレッシングパフェ戦でみれいを、それぞれ総括する感じなのかなぁ。