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イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ:第43話『たどりついた真意』感想

アニメ 鉄血のオルフェンズ

人間性の荒野に夕日が沈み、人は皆瞳を伏せて歩いていく、オルフェンズ第43話です。
謎めいた桜井ボイスで話を引っ張ってくれたマクギリスの過去が遂に明らかになり、鉄華団を巻き込んだ彼の行動の真意が明らかになるお話でした。
同時にヴィダールも仮面を外し、ガエリオ=ボードゥインとしてマクギリス=ファリドに決別を伝える展開に。
最下層民と貴族、『家族』を持たぬものと過剰に持つもの、狂った孤高と歪んだ博愛。
隣り合いながら背中合わせだった二人が、決定的に決別し、また一つ、世界の閉鎖性が加速していくお話でした。
ハイソな人たちのお話なんで、難しいことはよく分かんない(という方向を、自ら選び取った)鉄華団は完全に蚊帳の外でしたね。

というわけで、マッキーが鉄華団と同じ裸の少年であり、クソ以下の人生を押し付けてくる世界そのものに復讐せんと武器を取った、地獄の剣闘士であることが明らかになるお話でした。
性虐待を受け、物品のように買われて売られた過去は毎度のことながら悪趣味ですが、弾除けとホモの玩弄物どっちがマシかと問われれば、どっちも地獄としか答えようがなく、やっぱクソ以下のクソだなこの世界。
ライバルのような顔で登場したマクギリスが実は、完全に鉄華団の兄弟であったことを示すのに、尊厳を奪われていた時代の鉄華団ユニフォームである『半裸』で見せてくるのは、なかなか鋭い演出だったと思います。

鉄華団は世界全体のことに興味がなく、『家族』の外側を切り捨てて生きているので、ギャラルホルンの歪んだ支配システムにカウンターを当てるのは、マクギリスの仕事でした。
その原動力が何なのかは長いこと伏せ札だったわけですが、性玩具として自分を使い潰したクソ以下の世界、その支配者であるギャラルホルン上層部への復讐と、奪われず奪う立場への成り上がりが根本にあったと。
キラキラおめめの青年将校をひきつけた『腐敗の根絶』という題目を、完全に信じていないわけではないんでしょうが、やっぱ根っこの部分には猛烈なルサンチマンがあって、怨念の炎で世界を焼き尽くしたい虚無性が、マクギリスのエンジンなのでしょう。

どん底から大人たちを殴り飛ばし、パワーを略奪して奪われない立場になる。
少しの安心では満足できない。
世界はいつ俺たちを踏みつけにするか分からないから、頂点まで上り詰めないと安心できない。
オルガが『頭』となっている鉄華団と、走り抜けてクーデターまでたどり着いてしまったマクギリスは非常によく似ているわけですが、『とっとと上がって楽になりたい』オルガ達と、世界を焼き尽くしてなお満足できないマクギリスとは、目指す場所は正反対だったりします。

それは食事をしたり、酒を飲んだり騒いだり、女を知ったりという『家族』の小さな、つまらない幸せで繋がった鉄華団と、当の『家族』に内面を陵辱しつくされたマクギリスの、足場の違いなのでしょう。
マクギリスに帰るべき場所はなく、怒りを共有してくれる人もいない。
なまじっかどん底から一人引きずりあげられた分、回りにいるのは最初から奪い、愛され、痛みを知らない恵まれたものたちであり、カルタもガエリオもそりゃ、『家族』ではないわけです。(義父にして虐待者たるファリド公は言わずもがな)

そいつらのためだったら死んでもいい、クソ以下の世界でもそれだけは信じられる『家族』を持たないことがマクギリスの強さであり、虚無の根源もであるわけですが、では『家族』がいれば何もかもが癒やされるのか。
このお話の『家族』がとんでもなく閉鎖的で、『殺してもいいやつ』とそれ以外を切り分けることで成立する暴力の装置であることは、これまでも描写されてきました。
『家族』がいても、いなくても、人々の想像力は寸断され、階級は略奪によって維持され、みんなが少しでも幸せになるような光明はどこにもない世界の中では、マクギリスが『悪』で鉄華団が『善』というシンプルな構図は、成立しえません。
どっちに転がっていっても、地獄しか待ってはいないのです。


その地獄を少しでも塗り替えようと、幼いマクギリスが選んだロールモデルがアグニカ・カイエルです。
厄災戦を勝ち残り、MAを山ほどぶっ潰して文明を気付いた英雄の真実は、圧倒的な力で全てを塗りつぶし、己の望む世界を作り上げた野獣。
少なくともマクギリスはそう信じ、アグニカのように生きれば己の人生が充実しうる(少なくとも、奪われることはなくなる)と考えて、世界の果てまで来てしまったわけです。

全体の流れからは結構唐突だったMA戦は、ここらへんの価値判断を飲み込ませるためなのかな、と今回思いました。
ギャラルホルンが自分たちの権勢を維持するために美化した伝説の中身は、人間が人間たる由来をすべて捨て去り、殺すべき獣と同じ存在になることで勝利をもぎ取る、人倫の荒野でしかない。
勝利の代償として半身不随となり、少しだけ残っていた可能性も潰えてしまったミカの姿は、マクギリスが熱狂し共感したアグニカ・カイエルの『真実』と、強く重なり合っています。

マッキー的には、幼少期の地獄で歪な希望を与えてくれたアグニカの理念が歪められ、ギャラルホルンが合議制による権益収奪装置となってしまっている現状は、理念的にはなく皮膚感覚的に耐えられないのかもしれません。
鉄華団がお話の中で幾度も見せ、MA戦で極北にたどり着いた感じもあった、生き残るためのなりふり構わない、動物的闘争。
マクギリスにとってのアグニカの戦い、己が肯定するべき世界の姿はそこにこそあって、クソ以下の陰謀で弱者を踏みつけにし、血液を搾り取ってうまい汁で肥え太る現在の体制は、粟国かという個人的な理想への侮辱でもある。
そういう意味では、『アグニカ・カイエルの理想に立ち戻る』という題目には、案外血肉が通っているのかもしれません。

災厄戦において本当は何があったかは、さっぱり分かりません。
重要なのは、この世界の礎であるアグニカ・カイエルの伝説を、『力によって奪い、望みを叶える』物語だとマクギリスが読み解き、それを内部化して生き方を決めた、ということです。
それが真実であろうと幻影であろうと、マクギリスは己を救ってくれたパワーの物語に従って親を裏切り、親友を殺し、己を慕う女も殺した。
志を同じくすると思い込んでいる青年将校たちもバンバン使い潰すだろうし、鉄華団もまた、物語が始まったときの弾除け以下の扱いですりつぶしていくかもしれません。
これまでのお話の中で、多数の人が『己が正しいと思い込んだ物語』から一歩も出なかった基本線を、マクギリスもまたはみ出すことはないのです。


今回の描写で腑に落ちるところは幾つもあって、金髪美青年を(当のマクギリスの幻影を追いかけた結果とはいえ)部下として囲ってるカルタのことはどうあっても受け入れられないよなとか、大人の事情で性奴隷同然に差し出されたアルメイアには当然優しいよなとか、おんなじようにどん底から這い上がった少年剣闘士なら鉄華団にシンパシーも抱くよなとか、色々頷きました。
白い制服を身にまとい、与えられ、愛され、奪われない遠い立場にいる『的』だったはずのマクギリスは、狂った人食いネズミと同じ場所で生まれ、同じ痛みを感じ、同じやり方でのし上がってきた。

しかしだからといって、慰みや共感が彼らの間を繋ぐかというと、そんなことはない。
地理的に、時間的に共有することがない存在は、彼らにとっては『家族』ではないのです。
そういう想像力が持てるのは、社会的・経済的に恵まれたガエリオやクーデリアの特権であって、地べたを這いずり回りながら生まれ、育った下層民に、そんな高尚な器官は発生しない。
もし発生したとしても、サバラン兄さんやラフタや名瀬やビスケットのように、『マトモなやつ』から死んでいく。

そうやって逃げ道を焼き尽くして進んできたこのアニメ、マクギリスが主役の今回、鉄華団が完全に蚊帳の外なのは、むしろ必然であり誠実ですらあると思います。
だって、オルガはマッキーの理念や価値観を一切見ることなく、利害だけを通じあわせて手を結んできたし、マッキーもまた、ひっそりとした共感は持ちつつ、『家族』として体重を預ける付き合いは意識して避けてきた。
利害共同体・運命共同体になりつつも、オルガはマッキーが掲げる『大きな世界の革命』に一切実感はわかないし、興味もないことは、青年将校ともやりとりから透けて見えます。
『皆が笑える場所』は、今回シケ面で対応したおめめキラキラの人たち、彼らが背負う小難しい理屈を自分のものとして飲み込んで、自分の身の丈より大きなものに接触しなければたどり着けないはずなんですが、そこを目指すための分岐点は、物語的には遥か過去に遠ざかってしまっています。
『とっとと上がって楽になりたい』人と、『地獄の中で見た力の夢から抜け出れない人』は、そら同じ場所は見ないよね。

全く別のものを求めつつ、気づけば同じ船の上に乗ることになった、二人の裸の戦士たち。
『汚い大人』が略奪しているものを棍棒でどやしつけ、略奪して一花咲かせる望みを共有しつつ、彼らは全く別の存在であり、『家族』にはなりえない。
腐った秩序の意地を望む勢力との闘いがしばらくは続きそうですが、それを超えた後に何が起こるのか(そもそも、その対決を超えて何が残るのか)は、未だ無明の闇の中です。


もう一人の主人公としてマクギリスに対峙したガエリオは、ひどくマトモでした。
友情や理想を信じ、殺された者たちの無念を背負い、正義を成し遂げるために悪と退治する。
一瞬こっちに体重を預けたくなりますが、彼が足場を置いたラスタルがドルトコロニーの虐殺を仕込み、火星からたっぷりと収奪した『汚い大人』であることを思うと、やっぱどこにも足場なんて無いな、と思ってしまいます。

ガエリオは仮面を外してくれなかったマクギリスを詰りますが、ではガエリオは仮面を付けなければ生き残れなかったマクギリスの、無意識のうちに収奪し差別する構造について、想像を巡らせたのか。
ひどくマトモで、『人間として当たり前』の部分を多く残した人の良いガエリオですらも、社会階層と経済状況が生み出す断層を乗り越え、マクギリスの事情や痛み、トラウマに自分から乗り込もうという想像力は持ち得ない。
そこに思いを馳せないまま、現状維持、つまりは下から生き血を絞って上が潤うクソ以下の世界の存続を支持する立場を、彼は己で選び取った。

アインを、カルタを、父や妹といった『家族』を愛し愛される、恵まれたボードウィン特務三佐。
絶対に奪われることのない安全圏を、生まれという偶然的な絶対に守られて確保してきた存在しか、正義やら友情やらのキラキラした価値を実感できないあたり、ほんとキッツいなと思います。
『マトモ』でいることは人間全てに共通する普遍的な価値観(もしくは能力)ではなく、物質的・社会的に安全が保証され、他者から収奪した富で守られた階級だけに許された『贅沢』なのだという視点が、ガエリオ(とクーデリア)の描き方の中にはある。
ブエルに搭乗していないマクギリスを見逃し、愛だの理想だの、自分だけが背負った(と思いこんでいる)人間性の勝利のために状況を整える余裕もまた、機械の体を手に入れてなお失われなかったガエリオらしさだと言えましょう。

『贅沢としての人間性』を諦めてしまった人は、あんま顔面描写に恵まれないまま描写も薄く、主役のカッチョイイ見せ場の餌になる。
ツラの良い連中は『家族』限定で共感を活性化させますが、それは『殺していい奴』を他人に押し付ける高慢と常に背中合わせで、そこからはみ出たやつへの想像力は蒸発していて、『家族』と『家族』はお互いの顔を一切見ないまま殺し合う。
そういう生き方しかできない世界で、縁もゆかりもない遠い他人を思うのはむしろ罪悪であり、『マトモなやつ』から死んでいく。
リタイアできたタカキと、無力なクーデリアは少しは温情のある立場ですが、物語の中心からは遠ざけられ、世界を変化させうるパワーにはならない。
『マトモ』な価値観を背負っているように見えるガエリオが今回見せた、独善と歩み寄りのなさは僕にとって、『ぶっ殺されかけたし、大事なもの思いっきり踏みにじられてんだから当然じゃん』とは思いつつも、世界を支配するルールの乾燥加減をたっぷり教えてくれる、シビアな描写でした。

『家族』と認めた相手の中では、マトモな感情が稼働してるってのはエリオン陣営でも同じで、クソ以下のイオク様は部下にたっぷり慕われて書き取りしてるし、ジュリエッタも新しく『家族』になったヴィダールを心配している。
しかしそれは集団内部で自閉し、時に腐敗し内破しながら、他の『家族』を否定し顧みない凶暴性に直結しています。
丸腰のタービンズの女たちを禁止兵器でぶっ殺し、ドルトの人々を虐殺したのと同じ口で、クソみたいな人情をイオク様に乗せて、なんかいい話風味に温情が乗っかる。
それは真正面から人非人として描かれるより更に醜悪で、よく刺さり、嫌悪感が巻き上がる、最高に機能的なクソみたいな描写でした。


縁もゆかりもない人、場所、立場に思いを馳せる能力が、まるきり消えてしまったかのような災厄戦後の世界。
その果て(もしくは始点)に阿頼耶識があり、ガンダムの中に能力や魂や人間性を略奪されるシステムがあるのは、間違いないと思います。
もはや生体組織すら失い、力を引き出す触媒となってしまったアインにしても、おそらくバエルの中に取り込まれたアグニカにしても、それと同じ立場に成りかけている三日月にしても、鋼鉄の子宮の中で永遠に自閉し続ける嬰児こそが、この世界で最高のパワーでもある。
ここら辺、『戦争の道具であり、同時にコミュニケーションのための希望でもある』矛盾存在としてガンダムを描いてきた過去作と比べると、ちょっと面白いところだと思います。

アインがダメージを肩代わりしてくれるおかげで、ガエリオは三日月のように半身不随にならずとも、神話の力を手に入れることができます。
ココらへんもまた『贅沢としての人間性』に通じる描写だと思いますが、社会的な余裕の多少がパワーの多少に直結しないからこそ、マクギリスはアグニカ・カイエルが体現する(と思いこんでいる)剥き出しの力に憧れ、世界をひっくり返すテコとして選び取った。
この後起こるだろう、アリアンロッドとマクギリス・鉄華団連合軍の衝突で誰が死に、誰が生き残り、何が変わって何が変わらないかはさっぱり読めませんが、どちらにしてもお互いの顔を覗き込む余地のない、獣同士の首の取り合いにはなるのでしょう。

剥き出しの暴力が全てを支配し、誰も保護されず、いつでも世界をひっくり返せるマクギリスの理想か。
上層が下層を搾取し続け、大量の死体によって一部の平穏が保たれている、腐敗した現状の維持か。
『お上のことは難しくてわかんねぇや』と目隠しをしたまま、『家族』皆でおててつないで便利に使われ、崖に落っこちる鉄華団の末路か。
はたまた、あらゆる秩序が蒸発し、暴力を専有した犯罪組織が理念もないまま実効支配を続ける混乱か。
マクギリスの地金が見えたことで、この後世界が進みうる道も結構絞れてきましたが、まーどれもろくでもなく、勘弁してくれってのが本音です。

どこに進んでも笑えそうもない未来の中で、裸の少年たちはどこに転がっていくのか。
『世界ってろくでもなくて、人間一人に出来ることなんて何もないよね』というニヒリズムを超えたものを、物語は説得力を持って提示できるのか。
来週以降もまた、楽しみですね。