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イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ:第44話『魂を手にした男』感想

地獄の釜が開く前に、楽しい楽しい家族の団らん、シャレにならない悪魔のユーモア、オルフェンズ第44話です。
お話としてはマッキーのアグニカ信仰が世間に通じず、世直し革命軍+鉄華団だけで世界最強アリアンロッド艦隊とぶつかるしかなくなったよ! という状況を確認する回でした。
敵も味方も皆『家族』という檻に囚われ思考と共感を停止し、その檻の外側にいる人たちはみな無力という相変わらずどうにもやるせない描写がうず高く積まれておりました。
どこもかしこも足場がない中、ぶっちゃけこのアニメ視るの、俺結構しんどいわ、今。

というわけで、色んな『家族』の肖像が描かれる今回。
ずーっとそのように描いていたラインからはみ出すことなく、今回も『家族』とは『家族以外』を受容することではなく排斥することによって成立する、自閉的な存在として描かれ続けています。
マッキーの悪魔的抱擁によって、アルミリアはボードウィンからファリドへと『家』を変えた、と言えなくもないけれども、怪物が九歳児をまるまる飲み込んだ状況を『受容』とは言えないでしょう。
ボードウィンへの愛情と、マクギリスへの愛情の板挟みから逃れるためアルミリアはナイフを取ったわけだけど、マクギリスの怪物的な愛情を受け入れた今、彼女はボードウィン家とファリド家を繋ぐ花嫁ではなく、ボードウィンを否定しマクギリスを肯定する妻であり、失われた母親になりつつあります。
人間だった怪物の花嫁もまた、怪物になってしまうしかない。
このお話の『家族』が持っている感染能力が、如実に出た説得シーンでした。

マクギリスの共感性の欠如は、どん底から世界の半分を争う地位まで彼を押し上げた武器であり、同時にギャラルホルンの長老を取り込めなかった欠点であり、何がどうあっても揺るがない『彼らしさ』です。
ではアルミリアも完全な政治の道具としてみていて、愛情がないのかというと、そうではないと思います。
そう思うのは彼が(ラスタルが見抜いたように)『子供』であり、婚姻によって政治力を強化しようという『大人』の思惑に振り回されるアルミリアを踏みにじることは、過去の自分を踏みにじることに繋がるからです。

暴力で奪う以外の方法を許されず、義父による大きな性暴力に翻弄されながら、パワーだけで全てを手に入れた古代の英雄に憧れること、その生き様を己で再現することでしか、アイデンティティを確立できなかったマクギリス。
そんな彼にとって、落ち目のボードウィン家を復興する道具として扱われているアルミリアはかつての自分であり、数少ない共感を寄せる対象として、大事な存在なのでしょう。
そこで守りたいのがあくまで『かつて性虐待を受け、世界に蹂躙されていたかわいそうな私』であって、アルミリアという意思を持った個人でも、かつてガエリオと交わした約束でもない、ということを踏まえた上で、マクギリスはアルミリアを愛してはいるのでしょう。


無論、アルミリアに共感できるから他の人を好きになれる、ということはありません。
このお話の好意や愛情には凄く明確な線が引かれていて、物理的接触や血縁、地縁、運命の助けによる邂逅などの『接触』が無い相手には、基本的には伸びていかない。
想像力を伴う博愛は鉄血世界において、享楽や安寧よりも遥かに高い贅沢なのです。
誰も救ってくれなかった自分を、可哀想なアルミリアを救うことで助ける。
それは憧れのアグニカの魂宿るバエルを使って、自分を迫害したクソみたいな世界をひっくり返し、復讐する願いとは、魂の双子になります。

子供が心から大切だと信じるオモチャを差し出しても、大人にはその価値がわからない。
マクギリスの『バエルとアグニカの威光を突きつけさえすれば、世界は変る』という愚かな信念は、戦争とクーデーターというあまりにも現実的な政治行動のためには、実効を持ちませんでした。
彼ほどの策略家がそこに疑いを持たなかったのは、アグニカへの憧れ、『圧倒的に強い個が、集団の在り方を強制的に規定できる、自分が救われる唯一の世界』への信頼が、非常に強かったからでしょう。
それだけしか、『家族』のいないマクギリスを守ってくれる武具はなかったのです。

『俺だってまっとうに生きる資格があるはずなのに、世界は俺を苛み続ける』
『だからようやく見つけた英雄の生き方を体現して、俺が脅かされない世界を作る』
鉄華団と同じ思いを抱えて、友を陥れ、好いてくる女を謀殺し、父を引きずり落として手に入れた玉座は、ひどく脆いものだった。
『家族』を愛し、そのためなら『家族以外』をいくらでも殺せる『普通の人々』は、マクギリスの乾いた世界を共有してはくれなかった。
そういう、考えてみれば当たり前のリアクションを想像できなかったのもまた、『彼らしさ』たる共感能力の徹底した欠如、その結末でしょう。


『家族』のいないマクギリスに対し、ギャラルホルンにはたくさん『家族』がいます。
ガエリオへの仕打ちに激高するボードウィン卿、イオクに滔々と歴史と伝説に関しての講義をたれるラスタル、アインの面影をかすがいに繋がるガエリオジュリエッタ
彼らの想像力と愛情は、直接接触可能で、自分に富と利益をもたらしてくれる身内には非常に分厚いですが、そこから外れた人たちには伸びません。
そのくせ、『俺たち身内にしか興味ないから。ゴミ平民共が五人死のうが五億人死のうが、絞り汁さえゴクゴク飲めればそれでいいから』という本音は隠す。
群体として、共感による支持を足場に機能しているのはギャラルホルンという組織だけではなく、それを頭において回転し続ける鉄血世界も同じことなので、剥き出しの本音を突きつければドン引きされてしまうわけです。
ドン引きの本音以外に共感できないマクギリスにとっては、許されざる欺瞞と感じるところでしょう。

鉄華団に好意を抱き、気づけば運命共同体として最終決戦に挑むことになったのも、『家族』への愛情と『家族以外』への殺意を隠さず、剥き出しの本音だけを頼りにサバイブする彼らが、ギャラルホルンよりは自分に近かったからだと思います。
オルガが本音を拳に乗せて殴りかかってきた時、マクギリスは笑う。
それは強がりでも欺瞞でもなく、結構本気で嬉しかったのだと思います。

世界の支配者、高徳の王でございという顔を捏造して、自分の尻穴をほじくる義父より。
タメ口聞いている相手が地獄を背負っていると想像もしないまま、無自覚にクソ差別意識を垂れ流しにしてくれる親友より。
『家族以外何もいらねぇ、マトモに生きてぇ』と吠え続ける、不器用な子供のほうが、彼にとってはぎりぎり、共感可能な存在だった。
それが、この最終(という看板がついてるけど、絶対終わりではない)決戦の座組を、決めている気がします。

でもオルガ、『家族以外』を十把一絡げに扱ってここまでのし上がってきたのは、まったくもって君も同じだよな?
……このツッコミも、制作側の狙ったところにパンチ打たされてる感じはするな。
主人公サイドを肯定する意思の薄さは、鉄血を規定する上ですごく大きい感じがします。


正直なことを言えば、僕もギャラルホルン各氏の『家族』の欺瞞性には、心底吐き気がする。
イオクが『申し訳ない』と謝った時、彼は何に対して頭を下げたのか。
『人間として当然の』生き方を夢見ながら虐殺されていった、タービンズの女たちやプラントの人々への想像力が全くもって絶無であるということは、確認するまでもありません。
涙を流すに値するのは、直接触れ合った身内だけ。
他は人間以下の、四つ手足がついた家畜のようなもので、クジャン家のホコリと繁栄を維持するためにすり潰し、その残り汁を啜るための餌。

アリアンロッドという閉鎖した揺りかごは非常に武力が強く、格式があり、既得権益を収奪し続けるパワーのお城です。
その中で、イオクは『家族』としてラスタルに認められ、歴史と伝説の違いについて、まるで父が子供に教えるように噛んで含めて教えてもらう。
バカな御曹司を立派な党首にするべく、忠臣たちが体を張って守り、成長させる。
麗しい『家族』の肖像はしかし、ドルトコロニーやアーブラウの自作自演の中で、もしくはタービンズの女たちの死骸の上に成り立っている。
そして、それを突きつけ指弾する『家族以外』は、そもそもアリアンロッドの内部には入れない。

階級の壁を乗り越えて『家族』になったジュリエッタも、仮面を付け、一時ボードウィン『家』から解き放たれたガエリオも、自分たちの足場が下等な人間たちの死骸で出来ていることに、目を向けません。
目を向けないというか、そもそも意識の中にそういう概念が無い。
一度上流層に入ってしまったら、たとえ『過去、下層階級だった』というジュリエッタの時間的繋がりも、『一旦家を離れ、一介のパイロットとなった。アインという下層民との絆も作った』というガエリオの空間的繋がりも、意味が蒸発し作用を失います。
まるで精神に作用する特殊なフィールドでも張ってあるかのように、アリアンロッド艦の内部に取り込まれたものは、『上と下』が繋がっていることを忘れ、自分たちが脅かされる存在であることを忘却してしまう。
これもまた、このアニメの『家族』の持っている侵食性なのかもしれません。

マクギリスが愚かな『子供』のままであることが判明し、それにカウンターを当てるラスタルは、モノの分かった『大人』のように、一見見えます。
しかし彼が維持したいのは、マッチポンプで紛争を捏造し、死体をコネて自分たちの存在意義を積み上げる世界であり、そこから吸い上げられる銭です。
『世界なんてどうせ変わらないから、せっかく奪う側にいるんだし、現状の体制維持してそれなりに安定させようぜ』という『大人』と、『俺たち奪われる側だし、クソ以下の世界をひっくり返して、奪われない側に立とうぜ。そのためには、綺麗な夢を信じるしかないぜ』という『子供』は、多分『無力』であるという意味では同じなのでしょう。
現実をより善くしていく力の無さにおいて同等ならば、善くしていこうという意思すら無い『大人』(その源泉がどこから生まれているとか、それを追求した結果何が破綻するかとかは、一旦横において)は、あんま大上段から説教できる立場じゃあないでしょう。

腐敗した現状を維持したいアリアンロッドが勝っても、それを壊した後の見取り図が一切ない革命軍が勝っても、世界はどっちにしてもろくでもないままです。
鉄華団が1期で『何か』を成し遂げた結果、ギャラルホルンの支配体制は揺らぎ、テロと反乱は数を増し、少年兵の有用性だけがクローズアップされてデブリ兵士が増えた。
そういう大きな世界のうねりだけではなく、手に入れたはずの小さな足場も一つ一つ壊され、何一つ納得していないのに死地に赴くしか無い状況に、彼らは追い込まれた。
何も生み出せない泡沫の夢か、腐った現状を口に詰め込むだけの『大人』の生き方か。
ハッキリ言ってどっちもゴメンですが、接触のない存在への想像力をもった人間は死ぬか舞台から遠ざけられるかしているこのアニメでは、現状この二択が衝突する最終決戦になりそうです。
やれやれ、困ったもんですね。


鉄華団の方も困ったもんで、流されて地獄の淵まで泳いでみたら、音頭取ってたやつが『想定外』とかいい始めて思わず本気パンチ、それはさておき死ぬ準備しようぜという状況です。
みんな喜々として思考停止して死ぬ準備している状況は、一期最終戦の狂熱を思い出させてなかなか気持ち悪いですが、そこに『まとも』なザックの意見をしっかり置いてあるのが、なかなか狡猾です。
みんながみんな狂ってるわけじゃないけど、結果として目隠しをしたまま崖に突っ込んでいく人間型レミング集団になるしかない(というう風に、お話が動いていく)状況は、一色に塗りつぶされるより飲み込みやすくも衝撃力も高くて、巧く感情を煽るなぁと思います。

一期最終戦では『まとも』なこと言ってたステープルトンさんも、『すべてが嘘になりそうで』とか言いながら、ガキが死に装束着る手助けしてました。
雪之丞さんと番になることで『家族』に飲み込まれ、外部の視座を捨てることで『家族以外』の無力さを捨てたステープルトンさんは、当然のことながら『家族』の狂ったロジックを止める足場はもっていません。
『家族』でありながら『家族以外』の視点を持ち、足を止める選択肢を見据えていたビスケットもタカキも、今は鉄華団にはいません。
『家族以外』の『マトモ』な思考が鉄華団にとってプラスになるのだと理解していたら、それを取り込み維持する方法を少しは考えても良かったんじゃないの雪之丞さん、と思わなくもないですが、まぁそういうことやったら話の筋がブレるんで、余計なお世話ですよね。

シノとユージンの会話も、イオクの謝罪に似た視界の狭さがあって、『俺達がオルガを追い込んじまった。もうちょっと『自分たちの仕事』以外のこと考えるべきだったんじゃ?』という発想には至っても、逆戻りして考え直すことはしません。
余計なことを考えなくてすむコックピットに繋がれ、『自分たちの仕事』を果たして死んでいく。
『人間として当たり前』の生き方ではないかもしれませんが、ある意味幸せな死に方なのかもしれません。
幸せなわけねェだろ!!!(逆ギレ気味のノリツッコミ)


オルガの背後に呪いとして張り付き、降りようとするたびに追い込んできた三日月は、遂にアトラと性交し、『家族』になりました。
アトラがセックスの果てに生まれる子供に何を求めているか、三日月が『それ以外知らない』と言い切った闘いの中で何を失ってきたか・何を失うかを考えると、まったくもって祝福できない婚礼ですが、名瀬の葬式で『死んでも繋がる』可能性に興味を示していたので、不自然ではありません。
アトラに泣いてほしくないという気持ちには嘘がないだろうし、虐待された過去の己の延長線上にアルミリアを置いたマクギリスより、健全に女を見つめている感じもします。

ただ、アトラを恋愛戦の勝者として残すために、クーデリアに物分り良く撤退させたのは、なんか嫌だなぁと思いました。
死にゆくフミタンによって課せられた、『このクソみたいな世界でも、キレイなものがあると信じられる象徴になってください。人間としての幸せを捨ててでも、世界に博愛が存在する証明を続けてください』という呪い。
クーデリアがそれに縛られているのは、彼女が鉄華団と心中しない大きな理由が『アドモス商会』にあることから見ても明白です。
そんな彼女に、『クソみたいな世界だからこそ、鉄華団は強い絆で結ばれたのかもしれない。最初からクソな世界から守られていた私には、そこに踏み込む資格がなかったのかもしれない』と言わせてしまうのは、彼女が背負っているものもまた、結局『嘘になる』しかない綺麗事なんだと言われたようで、イヤーな気分でした。
いわゆる『ヒロインレース』の定形を戦争の内部に組み込みつつ、具象と抽象の闘いにシフトさせて結論を出すヒネリ方は、頭良くて好きだけどね。

ステープルトンさんもそうですが、『近い距離で、肉体の温度が感じられる間合いにいることでしか、女は勝つことが出来ない』というロジックが、鉄血の恋愛にはある気がします。
いつでも肉体を差し出し、性交して子供を生み、具象として『家族』になれる物質性以外には、人間は人間を受け入れられない。
それは確かに生々しい『リアル』なんでしょうけども、クーデリアが物語的役割として担った教育とか、産業基盤の改善とか、『抽象』がもっている力もまた、近視眼的に『家族』に縛られた人たちと同じように、世界を変え得ない『無力』なのだと宣言された気がしました。

三日月はMSの胎内で殺しの子供としてまどろむ以外の時間を、『余計なこと』と言いました。
『自分には、強いられた殺しか、選んだ殺ししか無い』と。
彼が殺し以外の道を選べる、幽き望みにしがみつきながらこのアニメ見てきた身としては、望みが叶わなかった虚しさに嘆息したり、『余計なこと願っちゃって、ホントごめんな……』という気分になったり、結構しんどかったです。
そういうところに三日月を追い込んじゃった根本的な切っ掛けが、物語が転がる前にオルガが強要した殺しであり、その負い目がオルガと鉄華団をこの状況に追い込んだっていうのも、最高に皮肉ですね。

死に赴く男を前に、女は肉体を差し出し、胎内に子供を宿しかすがいとすることしか、出来ることがない。
アトラの小さな願いが叶ったハッピーエンドの裏には、子供それ自体の誕生を寿ぐのではなく、(たとえそれが愛情や生というポジティブなものであっても)何かの道具として利用するしか無いどん詰まりがあります。
道具のように使い潰される子供が、いなくなって欲しい。
クーデリアもマクギリスも、それを願いながら無力であったり、決定的に間違えて断絶してしまっていたりするわけですが、それが虐待された子供は子供を虐待するしか無いという『リアル』を取り込んだ結果なのか、悲劇のために悲劇を生んで無力さでマスをかいて欲しいという製作者のリビドーの反映なのか、僕には判別しかねます。


というわけで、色んな『家族』が閉鎖した視界と、共感性の欠如と、狭いがゆえにほとばしる愛情を狂奔させる回でした。
その先に、『子供』と『大人』、『荒廃』と『腐敗』を背負った主役と敵役の『最終決戦』があり、たくさん人が死んで、誰かが生き残って話が続いていくのでしょう。
どこにも逃げ場なし、みんなろくでなし。
そういう状況を丁寧に描いて、なかなかいい塩梅にキモチワルイ回でした。

極限化した世界の中で、綺麗事なんてものは無力でしかなく、狭い視界の中で必死に『家族』を守り『家族以外』から生き血をすする以外に、サバイブする方法はない。
そういう剥き出しのリアルが、随所で裂け目を見せていますし、それを描く筆は結構誠実だとも思います。
そういう世界で、そういうキャラクターで、そういう集団だってのは、ずっと描かれてきたことだ。

ただ、その『リアル』を描くことで、『フィクション』でしかないこのアニメをどう受け取って欲しいかは、わりとずーっと抱えこんできた疑問です。
『んで、このアニメは何が言いたいの?』
『悲惨さや生々しささは、何を切り取るためにわざわざ創作され、捏造されたの?』
これへの答えが出るのか、出ないのか。
出るとして、どのようなものなのか。
それを知るためには、どうやら最終話まで見るしか無いようです。

ここまで44話見てきて、揺さぶられた感情とか、こうして書いてきた感想とか、『いいアニメだな』と自分の内側に取り込んだ決断とか、自分なりの投資を無駄にしたくない一種のコンコルド錯誤で、見ている部分はあると思います。
しかしまぁ同時に、すげー気持ち悪いなぁと思いつつ、彼らを仮想の隣人として受け止め、幸せ……は高望みにしても、爪のかけらくらいの意味を持ってお話を駆け抜けてほしいなぁと思う気持ちも、また嘘ではない気がしています。
作品を見ている自分も、自分が見ている作品も巧く定位できないまま書いたこの文章が、あなたにとって何らかの意味を持っているといいなぁと思いながら、来週を待ちます。
弱いアニメ視聴者で、申し訳ない。