イマワノキワ

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小林さんちのメイドラゴン:第7話『夏の定番!(ぶっちゃけテコ入れ回ですね)』感想

夏だ! 海だ! 同人誌即売会だ!! 人と竜の間の微妙なバランスを追いかけ続ける時間の記録、バカンスな八話目。
海水浴にスイカ割り、昆虫採集にコミケとアッパーテンションなイベント満載ですが、ふとした拍子に影がさし、人間とドラゴンの差異について思い悩む所、そしてそれで足を止めず、何らかの実りがある結論にたどり着く所は、非常にこのアニメらしかったです。
テコ入れといいつつ、毎週世界を見渡して断絶を探し、それと自分がどう向き合うべきなのかという、シリアスな問いかけを忘却できないのが、京アニイズムといいますか、真面目といいますか。
そういう姿勢の良さが好きなアニメであります。

今回は海とコミケ、二つの祝祭が描かれます。
ドラゴンたちもすっかり人間世界に馴染んで、陽気な、躁的とすら言える夏の光を楽しんでいるわけですが、トールにとって『人間とドラゴンは違う』という問題は非常に根本的で、浮かれ騒ぎの合間合間に影が差す。
どれだけ日常を積み重ねて時間が流れても、小林さんに愛されても、安心も満足も出来ない辺り、ドラゴンは強欲なものです。

トールの不安は『ドラゴンである自分』を捨て去り、『人間』に染まってしまえば解消されるものかもしれません。
しかし幾度も強調される角や牙から判る通り、人間への侮蔑や破壊を第一解決手段として選び取ってしまう『ドラゴン性』というのはトールにとって身体的なものであり、それを失ってしまえばもはやトールではなくなってしまう性質をもっています。
人間に近づきたいのに、人間にはなれないジレンマ。
これは小林さんがどれだけ人格者であっても、トールになれない、ドラゴンにはなれない『人間性』をもっているのと、似ている気がします。
どれだけ夏の日差しを一緒に楽しんでも、トールと小林さんは違う生き物なわけです。

寿命も違えば能力も違う、そんな生き物が自分に生きる意味をくれた奇跡。
トールはそれに支えられてメイドをやっているわけですが、同時にその意味をいつでも問いかけています。
小林さんの普通の生い立ちを詳しく聞きたがったのも、彼女が何か特別な立場に生まれ、特殊な教育を受け、特別な価値観を育んだから、自分が愛されたのか確認したかったからでしょう。
あれだけグイグイ(セックス含めた)アピールしつつも、根本的なところで不安がっているのはトールの方というのは奇妙に思えますが、彼女があくまでエトランジェであり、この人間の世界においてはお客さんであることを考えると、納得も行きます。


今回はそんな彼女の不安を小林さんが見て取って、ドラゴンの姿を海とコミケ会場、二つで開放してあげることで、不安が和らぐという展開でした。
基本的に二人の関係は小林さんがトールの不安を受け止め、抱きしめてあげる形で成立しているのですが、第5話での長い沈黙を見ると判るように、小林さんにも人間として当然の限界があって、世界のルールを書き換えられるわけでも、トールの重たさ全てを受け止められるわけでもない。
お互い不安な人間とドラゴンが、時々抱きしめられる役と抱きしめる役を交換しながら、不安を癒やしつつ日常を積み上げていく、不安定な積み木のような側面が、このお話にはあると思います。

小林さんが書き換えられないものは凄くたくさんあって、『ドラゴンは人間を殺す』というトールの世界の常識も、自分がトールより先に死んでしまうという冷厳な事実も、彼女個人の努力では変化させられません。
最終的にはデフォルメで描かれるドラゴン化したトールの牙が、『人間を殺す』ドラゴンの宿命について語っている時は非常に鋭く、凶器のように描かれていること、そのカルマへの哀しみを語っている時は涙のような露で濡れているのは、非常に示唆的です。
そこに牙があり、炎があり、人が死んでしまう可能性があるということは、目を背けても和らがない事実だし、夏の雰囲気に浮かれていても、いつでも裂け目を乗り越えて襲い掛かってくる。

その上で、裂け目を幸福な日差しによって麻痺させるのではなく、手を貸してもらってやり過ごすことは出来る。
世界全体を書き換えられなくても、世界を捉える自分自身を、ちょっとずつ変化させることは出来る。
たとえそこに、身体的限界が常にあるとしても、積み重なる努力は無駄でも無意味でもない。
これまで幾度も描いてきた解決法は、今回も有効です。

弱肉強食のルールを書き換えられない小林さんがトールを救う手段はまさにそれしかなくて、世界は『人間をドラゴンを殺す』というルールに支配されていても、自分はそれを選ばなかったということが、トールの不安への答えにはなっています。
小林さんがトールの背中と心に刺さった剣を抜いたように、トールもまた、『ドラゴンは人間を殺す』というルールをある部分では拒絶し、ある部分では飲み込んで、トールらしく世界の受け止め方を決める自由(と、もしかしたら責任)があるわけです。
『何故小林さんは私を愛したんだろう』という問には、『小林さんが小林さんで、トールがトールだからだよ』というひどくスタンダードな答えが用意されているし、それはとても強靭な救いだと思います。
人間という種の善性に小林さんの行動を背負わせてしまうと、ドラゴンという種の悪性をトールが変化させられない構図になっちゃうしね。

『劣等種』『殺したほうが早いのに』と口では言いつつ、実際にはその選択肢を取らないトールは、知らずのうちに答えに既にたどり着いているともいえます。
自覚なく実現してしまっているカルマの小さな超越が、実はとても意味があることなのだと教える仕事は、そのうち小林さんがやってくれるでしょう。
二人の関係がそういう再発見に満ちているというのは、これまでも描写されてきたところです。

釣り上げたエビが魚の餌になると思いきや、一緒に落ちてしまう描写は、すごくこのアニメらしいと思います。
弱肉強食のルールは(カンナがこれまた、カニセミでコメディチックに表現しているように)否定は出来ないけども、少なくともあの瞬間の小林さんとトールの目の前では、残酷な裂け目をさらけ出しはしない。
二人は『ドラゴンと人間は違う生き物だけど、お互い支え合い、わかり合うことが出来る。もしかしたら愛し合うことも出来る』という生ぬるい夢を、まだ見ていられる。
何気ない笑いの中にそういうメッセージを仕込んでいる所は、抜け目がないアニメだなと思います。

今週はトールの面倒くさいところが光の中で影を生む展開でしたが、『家族に小林さんを紹介したい』という欲求もまた、かなり面倒くさかったです。
暴力に追い立てられる形で故郷を離れ、小林さんと暮らす中で人間的な価値観を学習しつつも、トールは自分の中の『ドラゴン性』に強い愛着を持っていて、そこには家族との繋がり、歴史も含まれる。
愛する小林さんだからこそ、自分が大事に思う家族にも認められて欲しいと願うけど、トールと小林さんの間に開いている断絶よりも遥かに大きい裂け目が、トールよりも『ドラゴン性』の強い両親との間には待ち構えている。
今回事実確認をしたということは、将来的に(おそらく最終回?)その裂け目を乗り越えてお話がまとまるってことかなぁと推測できますね。
トールはとっととセックスして結婚して家族になりたいのに、小林さんはそういう方向は望んでいないっていうすれ違い方は寂しいけども、それも変化していくかもしれないし、性意識の差が致命的なすれ違いにならないのがこのアニメだろうしさ。


トールと小林さん以外に目をやると、カンナの足がムチムチだったり、ルコアさんが少年の性癖を捻じ曲げていたり、ファフっさんが滝谷くんに影響されてサークル参加したり、賑やかにいろんなことしてました。
外に出て話が回ると、生活空間を共有する三人だけではなく、色んなドラゴンが自分なりに人間社会に馴染もうとしている奮闘が見れて、とても面白いです。
トールがかなり落ち込みやすいので、サブキャラクターで空気を抜かないと落ち込みすぎる、というのもあるか。

今週の描写で目を引いたのは実は滝谷くんで、オタクの祝祭なんだからヤンスモードではっちゃけてもいいのに、客という他者がいるうちは『地』を出さない、広い視野と自制心を見せてました。
あれだけ周囲を確認しながら出していると、ヤンスヤンスうるさいのは『地』というよりは『もう一つのペルソナ』という感じもしますが、複数『地』があって悪い法律もないしな。
特別な日に本性を晒す異世界三人組とか、許可をもらって文字通り羽根を伸ばすトールとか、異形の者達は周囲を見つつ、人間の世界たる作品の舞台に遠慮がちに、秘めた自分を開放しています。
夏にはっちゃけつつも、シャレですむ領域をよく観察しているのは、このアニメらしいなぁ……間合いを測り間違えたパワハラ上司は、応報されて会社と作品に居場所がなくなるわけで。

内なる角と翼、牙と炎を抱え込んだまま『人間』になろうとしても出来ない以上、重要なのは『ドラゴン性』を開放して良い場所、時、相手をよく見る、『目』の良さになります。
作品の柱となる小林さん最大の特徴がそこにあるのも、ドラゴンたちが小林さんからそれを学んでいる(まぁ、学ばないで痴女警察に連行されるルコアもいるけど、それはシャレですむ範囲)のも、自己と他者をどう同居させるかが、このお話にとって大事だからでしょう。
コミケ会場に溢れる異世界人のように、サキュバスドラゴンに性癖歪められている魔法つかい見習いのように、ワンダーとファンタジーは日常の中にあふれていて、異質なものたちもまた、世界のルールを尊重してくれている。
そういう視野の広さと慎みを、この話は大事にしている気がします。

トールが問いかけた『人間はドラゴンを受け入れてくれるのか』という問には、今回答えが出ません。
発話されないモヤモヤを小林さんは的確に察し、人間の形の檻からトールを解き放ち、溜まっていたものを吐き出させてくれる。
キャラクター感ではうまく逃げ場所を見つけたこの問は、しかし見ている僕には妙に刺さる質問でもありました。
ドラゴンは僕の周囲にはいないけれども、目立たない角やブレスを溜め込んだ人は多分身近にいて、そういう人に、このお話の優しいキャラクターのような対応が取れるのかと、トールの問が宙に浮いたことで、ふと思い至ってしまった。
そういう感染力は、なんか上手く言えないけれども良いなとも思いました。
このお話が一旦幕を下ろした後、何ヶ月後か何年か後か、自分なりの答えが返せると良いな、と。


強い夏の日差しが、目眩のような陰りを強調するお話でした。
トールがハイテンションな暴走キャラでありつつ、色々グダグダ思い悩まずにはいられない、面倒くさいアマなのは好きだし、お話のトーンと噛み合っているなと確認できた感じです。
小林さんの人格完成度が高いんで、悩むのはトールの仕事になりがちなんだけども、『手を引く者/引かれる者』っていう関係性が完全に固まりきらず、小林さんも色々悩む(しかし問題解決の局面では常に正解を引き寄せる強さもある)ところと合わせて、このお話の特徴かな、と思います。

光と影、ドラゴンと人間の間を行ったり来たりしながら、少しずつ前に進んでいく日常という名前の奇妙なダンス。
来週はついにこの踊りに、OPで存在感を発揮してたニョロニョロドラゴンが参入するようです。
コンテ・演出に山田尚子を迎え、どういう角度から作品が切り取られるのか。
今から楽しみです。