幼女戦記を見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年3月4日
北の方はだいたい落ち着いたんで、今度は西。拡大した戦線全部が炎上しているので、203独立火消し部隊に休めるタイミングはない。
民間人と軍人の区別が蒸発しかけた市街戦の中で、良心の残る軍人と怪奇トカゲ人間、どっちが有効に機能するのか、というお話。
これまでははるか高空からアリを踏み潰すかのように描かれていた殺戮は、建物に阻まれ水平化し、親しい場所で顔の見える相手をぶっ殺す戦闘になる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年3月4日
良心を麻痺させてくれていた物理的距離、相手が軍人であり(自分と同じように)死ぬべき存在であるという安心感は、そこにはない。
倫理、物理的距離、自分が与えたダメージの描写(塹壕は吹っ飛んでもそんなに心が痛くないが、綺麗な建物が崩れると何故か辛い)
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年3月4日
様々な手段を使って、今回兵士諸兄が悩む(もしくは悩まない)『許されていない殺傷』の手触りをぬるっと伝えてくる演出は、なかなか切れ味が良い。
カメラを水平方向、敵の近距離に置くことで、レジスタンスも郷土を愛し、敵を羅刹のような表情で憎み、捕虜を虐殺する『人間』であることが見えてくる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年3月4日
ゴミクズのように宙を舞う『数』でしかなかった存在が『人間』になっても、見えてくるのはきれいなものではなく、泥のようなエゴイズムだ。
殺しても地獄、殺さなくても地獄。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年3月4日
戦場と銃後の区別が薄くなるという、総力戦の一側面に追い込まれつつ、まっとうな軍人は思い悩む。これも『人間』の描写であり、同時に敵の『数』を減らす『数』としては欠陥でもある。
そこにどう折り合いを付けるか、付けないまま良心を麻痺させて機械化になるか
様々な形で『人間』が切り取られた結果、虐殺の方を受けつつ踊るトカゲ人間の異様さは一層強調され、その有能さも強調される。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年3月4日
レジスタンスが無辜のヒーローではけしてないということも、水平方向のカメラは切り取っている。悩んでいるうちに味方が死ぬなら、バンバン殺すしかない。
そういう理屈は分かっていても、割り切れないからこそ第2中隊の二人は疲弊し、負傷するのだろう。それは現代戦で削れていく魂の血だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年3月4日
トカゲにそういう暖かいものはない。降伏勧告はあくまで建前であり、政治としての戦争に傷がつかないための防御壁だ。存在しない自分の良心ではない。
建前を大事にし、本気で保身に走り、しかし小狡い細工で立場を良くしようとはせず、あくまで正面からの戦闘と不正規の虐殺を重ねることで立場を獲得しようとする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年3月4日
もしかしたら敗戦後も考えて、倫理規定に形上従い形式を整えるのも忘れない。ターニャは不思議な生き物だ。
殺されるべきものと、守るべきものの境界線があやふやになり、まともであればあるほど狂っていく状況の中では、『人間』を止めていることが『人間』の条件になる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年3月4日
マッド・ティーパーティーでは、アリスのほうが狂人扱いされるのだ。ターニャはお茶会のルールを理解しているわけではない。
彼女の共感能力の麻痺、状況把握能力の高さ、保身への高い欲求。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年3月4日
転生チートひっくるめて、彼女はお茶会に最も適応した存在であり、お茶会をやめようとは毛頭思っていない。問題があるとも感じない。(理解は出来るし、やめようとする相手への対処もできる。そこが厄介なところである)
まともな人達をあざ笑いつつ置き去りにして、踊りは加速する。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年3月4日
アンソンおじさんが神のご加護で生存したけども、彼も国と家族を愛する『人間』であり、だからこそターニャの敵手には相応しいと思う。
死ぬべき運命の人に横槍をぶっこみ、気に食わねートカゲ人間を潰すために使う辺り、Xマジ邪神。
『人間』を背負って復活の軌跡を成し遂げたラザロが、効率的に『人間』を蹂躙する悪しき戦争と、その尖兵たるトカゲ人間と争う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年3月4日
アンソンおじさんの視線から見ると見事なヒーローストーリーだが、この話は幼女戦記、一人称はトカゲ人間の方にある。それは総力戦の冷たい視座でもある。
そういう転倒した倫理の話の中で、過剰にターニャの適応を持ち上げず、ゲーゲー吐いて思い悩むバカたちの悪戦苦闘をちゃんと捉えたのは、結構好きな描き方だった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年3月4日
彼らは時流が読めない負け組なのだろうか? ターニャからすればそうだろうが、戦争機械に同質化することが正義でも幸福でもない。
狂ったお茶会の中で、百点の答えはない。みんながみんな戦争機械になれるわけでも、『人間』のままでいられるわけでもない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年3月4日
普段のニヒルな無双トーンから少し離れて、修羅界でうごめく衆生の表情を個別に切り取る回だった。こういう横幅の広さは作品の風通しを担保するので、すごく大事だと思う。
幼女戦記追記。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年3月4日
今回空からの遠さは意図的に消滅しているのだが、市街地の外から相手を観測することなく、街と人をすり潰す砲兵がその任務を担っている。
ターニャは砲兵(その後ろにいる司令部)と同化し、レジスタンスとマトモ人間たちは街に同化している。心理的距離と受けるダメージの相関。