イマワノキワ

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昭和元禄落語心中 -助六再び編-:第9話感想

反魂香は荼毘の煙、未練を残して死にそびれ、寄席をまるごと道連れに、火炎地獄に真っ逆さま、落語心中九話でございます。
与太郎を始め家族が整えてくれた席が官憲の乱入で潰れ、老いに苛まれつつ死に場所を探す八雲。
与太郎との出会いの地である監獄で、慰問にかけた"立ち切り"で『品のある落語』の極限を見せつつ、死地と決めた高座で選んだのはこの物語最初の噺"死神"
恋しい死人の顔をした死に法要されつつも、未練断ち切り難く喉を突いてでてきたのは「死にたくない」というシンプルな望みであり、あの時八雲が受け止めきれなかった腕を、三代目助六がしっかりと捕まえる。
生と死、芸と業が複雑に絡み合う物語が、一つの極点に達するお話でした。

2クールに渡り続いてきたお話もそろそろ大詰め、今回はとにかく八雲を真ん中に据えて話が進んでいきます。
飲み屋で兄貴が『あの人がいなくなっちまうと、全部消えちまうんだ』と予言したように、今回のお話は八雲がとりつかれた『死』がついにその手を直接伸ばし、憧れではなく実感として目の前に迫ってくるお話でした。
寄席が全焼しちゃうというショッキングな展開を飲み込ませるべく、事前に『どっちにしても、建て替えなくちゃいけないんだよ』という情報を出しておく辺り、運びが周到です。

親分がとっ捕まり、与太郎が運命と出会った時代も遠い昔になってしまった八雲は、監獄で"死神"をかけはしません。
そのかわり、『蔵の中にとっ捕まっちゃって』『身動きできないうちに大事な女が死ぬ』という、非常に危ないネタをかける。
ともすれば脱獄を示唆するような"立ち切り"ですが、身につまされるからこそしかめっ面の強面たちも気づけば聞き惚れ、自然と涙を流す共感を生み出すことが出来るのでしょう。
八雲のひねくれたウィットが、結果として『みなさんがお勤めを全うして、早くシャバに帰りたくなるような落語』という助六の願いを叶えているところが、非常に『らしい』なぁと思います。

"立ち切り"は"反魂香"と同じく死人が蘇ってくるお話であり、三味線の音、娘の地唄に呼ばれるようにみよ吉の幻影が降りてきます。
最初は監獄に閉じ込められ、愛する人と取り返しのつかないすれ違いをするかもしれない囚人たちに重ねられて始まった"立ち切り"ですが、幻影が登場した瞬間、語っている八雲自身に重なり合うような、不思議な状況が生まれる。
「お前以外嫁は貰わないよ」という若旦那の操が、果たしてみよ吉にかかってるのか小夏にかかっているのか、なかなか判別が難しいところですが、死と生の境界が怪しくなる話の筋に合わせるように、語るものと語りかけられるもの、舞台と客席の境は妖しくなっていきます。

主役の与太郎を置いてけぼりにするくらいじっくりと、菊比古の恋と死と未練を追いかけた第1クール。
それを僕らは見知っているので、八雲が死に憧れ、愛おしい人達のいる彼岸に生きたいと願いつつ、どうしても現世に足を取られてしまう姿にも、納得がいきます。
舞台の上で虚構を演じている間は、死人とも再開できる天下の名人。
しかし夢が覚めてしまえば、衰えゆく肉体に怯えつつ、愛した人は遠い死の国にいる現実に、一人で放り出されてしまう。
幻想的な雪の中で、みよ吉の胸にすがりながら決死に詫びる姿もまた、"反魂香"の煙と同じように虚しく消えていってしまいます。
その夢の国へ、夢そのものである落語と一緒に逆滑りに落ちていってしまいたいという願いは、一度ぶっ倒れて身体の自由が効かなくなってから、より強くなったのでしょう。


死と過去の国に憧れ、現世を厭えばこそ圧倒的な"立ち切り"は、笑いや喜び、涙以上の不思議な感覚を呼び覚まします。
それがあるいは『品』と言うものなのかもしれませんが、性を切り売りする花柳界を背景に死を描く題材それ自体が、艶と枯淡の狭間をすくい取る至芸でもあるわけです。
後半訪れる紅蓮の『死』を前にして、この話を選び取るのはなかなかすごい選球眼だなぁと、また感心してしまいます。

常に前向き、獄に放り込められた恨みも落語をオブラートにして飲み込めてしまう与太郎には、"立ち切り"の妖しい境界は難しいかもしれません。
死に別れ、死にきれず、死を願いながら生きるしかなかった八雲だからこそ可能な『品』を、屏風も照明も着物もキンキラで、過剰なまでの『生』に満ち溢れた助六の高座に、八雲は認めない。
そこで取りこぼしたものが波紋のように広がっていく様子は、薄暗い監獄の舞台で、むっつりと眉をしかめていた男たちが徐々に徐々にすすり泣く姿を捉えることで、見事に表現されています。
そういう暗い部分もひっくるめて飲み込ませちまうパワーが、フィクションにはあるんだという意味では、このお話それ自体にも投影される視点でしょう。

三代目助六の全身から放散する『生』の気配を疎みつつ、八雲は二代目助六の形見である扇子を預け、観客も後見もいない一人の舞台に身を投げる。
「最後の舞台だ」という言葉から判るように、あからさまに自死を念慮しながらかけられる"死神"が物語の始まりと繋がっているのは、なかなか面白いところです。
与太郎に落語の面白さ、人生すべてを賭けるに値する喜びを教えてくれた"死神"は、八雲にとっては死に魅入られて死にきれなかった己の人生、その総決算になる。
なかなか皮肉な構図であると同時に、その閉塞をぶち破って手を伸ばしてくるのも、当の助六だという皮肉(もしくは希望)が、面白い作りです。


八雲は誰もいない孤独な寄席で"死神"をかけることで、何を果たしたかったのか。
「死ぬ時は高座で、落語をやりながら死にたい」という望みを叶えたかったのもあるんでしょうが、反魂香や断ち切りの線香を登らせるのと同じように、死人に合いたかったんだと思います。
二代目助六があれだけ大事にしていた落語を道連れにすれば、怒って出てくるかもしれない。
幽霊話や艶噺をかければ、すべてを奪ったみよ吉ともう一度会えるかもしれない。
四国の旅館で手を取り損なったあの日から、そういう思いで高座に上がり、喜びも悲しみも恐れも、人間の様々な情を載せて落語をやってきたとしたら、それはたいそうしんどいことです。

OPで印象的に示されているように、八雲は沢山の人から手を差し伸べられておきながら、常に見ているのは死人です。
正確に言うと、己の身を顧みず逆落しになったみよ吉を抱きしめ、自分をおいていった助六と、どうしても一緒に死ぬことができなかった自分自身を、八雲はどうしても振り切れない。
生き残ってしまう業、綺麗におしまいに出来ないカルマを背負った彼は、常に生存者として後悔に苛まれて生きてきました。
これは心中に乗り損ねる前、お茶屋から放逐され、生き延びるすべとして落語を選ぶしかなかった幼少期からそうだったと思います。
誰もいない暗い死の国で、己の寿命を蝋燭に灯して"死神"をかけたのは、自分の業を清算し、蔵を破って愛しい人に会いに行く筋書き破りを狙ったのではないか。
僕はそう思います。

それと同時に、死を望む八雲の魂胆とは全く関係なく、彼の噺、彼の生き方は色んな人をすくい上げてきた。
記憶を捻じ曲げて生き残るしかなかった小夏は、クソジジイと罵ることで生きる活力を得てきたでしょう。
飲み込めきれるはずもない因業を含んで刑務所に入った与太郎は、八雲の"死神"と出会うことで自分の物語を新しく始められた。
無邪気で可愛い信乃助も、ずっと見守ってくれていた松田さんも、寄席に戻ってきた萬月兄さんも、傘を差し出してくれた樋口だって、死を望みながら生の舞台で必死に落語をやった八雲に魅了され、生きる力を生み出してきた。
そのことは、けして恥ずかしいことではなく、胸を張って生きる理由にして良いものだと思います。


八雲の自殺は客席に灯明を投げることで発生しますが、それは観客がいて初めて成立する落語、そのものへの決別でもあります。
客のいない寄席で噺かける時点で、ある意味落語に決別していると言えなくもないですが、やはり自分の命を無造作に客席に投げ込み、寄席という『場』と心中しようと行動したことは、結構決定的な変化だったと思います。
事前に無関心な刑務者を『観客』に変えてしまう、魔法のような語り口を見せられるだけに、そのショックは大きい。

一世一代の心中舞台に上がり込み、勝手に八雲に手を差し伸べた助六は、舞台ではなく観客席から手を差し伸べます。
それは助六が"死神"に勝手に救われたのと同じように、八雲が三行半を突きつけた落語もまた、観客席から八雲を助けたいと願っているという、一種のアンサーのように見えました。
八雲が突き放したものが、八雲を助ける。
この皮肉は助六の人格にも言えて、陰気な八雲と正反対のキラキラ野郎だからこそ、自分が焼け死ぬ恐怖も気にせず、八雲を生の騎士へと引っ張り上げることができたんだと思います。

死神に片目を持って行かれながら、八雲は「死にたくない、助けて」とすがる。
それは憧れていた『死』が目の前に迫り、実感となったからこそ表に出た、もう一つの本音です。
絡まった因縁を無神経に蹴っ飛ばす、助六の聖人性があって初めて到達できた、八雲のもう一つの答えです。
それが唯一というわけではなく、「死にたい、綺麗になりたい」という願いもまた本当だったと思います。
それは"立ち切り"と"死神"に漂う影の魅力が、何より証明していることでしょう。

そういう風にいろんなものを抱え込みながら、人間という存在はある。
八雲の中の影と光、与太郎の中の光と影が混じり合い、響き合った結果、八雲は死にかけ、死にたくないと思い、与太郎はぎりぎりで間に合った。(心臓発作のときといい、萬月兄さん有難う!)
今回起きているのは高座と客席という水平方向の抱擁なんですが、レイアウトの魔法を駆使することで、旅館での心中と同じ垂直方向の落下、その阻止という色合いを付けているところが、非常に巧みだと思います。
八雲が拾いきれず、サバイバーズ・ギルトに飲み込まれるしかなかった墜落死を、与太郎は見事に拾い上げ、八雲もまたあの時とは違う結論にたどり着いた。
それはやっぱ、寄席は燃えるし師匠は片目になっちゃったけど、良いことだと思います。


というわけで、八雲の放浪が一つの果てにたどり着く話でした。
老い、死、倦怠。
八雲の影を一切の妥協なく描ききったからこそ、死に引き寄せられる憧れも、実感として迫った瞬間の拒絶も、それをすくいあげる与太郎のかけがえなさも、分厚い威力で僕を殴ってきました。
凄い話で、凄い良い話だなぁ……。

捨てるはずの命を拾っちまって、夢の続きの現世を八雲は生きることになります。
死にたい死にたいと呟き続けた彼の落語が、どう代わりどう終わっていくのか。
その隣で、与太郎や小夏、信乃助はどういう人生を語るのか。
来週も非常に楽しみです。