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イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

小林さんちのメイドラゴン:第8話『新たなるドラゴン、エルマ!(やっと出てきましたか)』感想

わたしと違うあなたに捧げる恋の歌、季節は秋にさしかかる第8話です。
弁当三本勝負と、調和サイドの新ドラゴン・エルマとのアレコレ。
2つの争いを追いかける中で、変化していく関係、既に変化した関係、未だ変化しない関係を、ご飯と一緒に描いていくお話となりました。
時にはぶつかり合うもするけども、それは差異が生み出す必然であり、お互い距離が近くなったからこそ可能な、一種のじゃれ合い。
笑いと凝ったレイアウトとクローズアップ(特に足)をクッションに挟みつつ、人とドラゴン、ドラゴンとドラゴンが今どういう間合いにいるかを語り直す回となりました。

今回は大きく分けて2つの話がありますが、『闘い』と『食事』を介して変化(と不変)を浮き上がらせていく意味では、だいたい同じ話といえます。
小林さんとトールトールとエルマ、人間とドラゴン、ドラゴンとドラゴン。
制御された衝突と、食事を介した融和を繰り返す主体は変わりますが、そこに共通するトーンはこれまでと変わらず、冷静で暖かい対話への期待に満ちています。

今回のお話のコアは、ルコアの『距離感が近くなったから出来るぶつかり合い』という台詞にだいたい集約されています。
異物として殺されかけたトールを受け入れ、日常を共有し、『好き』の意味合いはちょっと違いつつもそこに込められた温もりは本物で、それを確かめ合うイベントもたくさんあった。
過ぎゆく季節の中で小林さんとドラゴンたちははどんどん仲良くなっていって、相互に影響し合いながら持ち前の冷たさとか、粗暴さとかを変化させていっている。
他者を遠ざけるものでしかなかった資質が変化し、他人を傷つけない距離を細密に測ることが出来るようになったからこそ、『プロレス』と言われるような衝突も可能になります。

それは人間世界にやってきたばかりのトールには出来なかったことであり、これまでの物語の中で小林さんと生活し、人間を学習し、暴走したり思い悩んだりしながら生まれた、新しいトールだといえます。
今回トールは二回、エルマとドラゴンバトルをしますが、元の世界では『島が3つ吹っ飛んだ』闘いは草原にエルマを置き去りにしたり、気絶する程度にふっ飛ばしてこれまた舞台から遠ざけたり、戦いが発生する場、そのものを無化する戦いに変化しています。
我が物顔で破壊を撒き散らす、ドラゴン本来の生き方が通らない人間世界に適応したともいえますが、視野が広く穏やかな小林さんとの生活を経て、トールの心が変わった部分も、また大きいのでしょう。

トールはエルマを紹介するときに、『立ち位置が違う。調和と混沌は相容れない』と説明しますが、結果として調和と混沌は同じテーブルに座って、同じ食事を取るようになっていきます。
人間社会の善きルールを擬人化したような小林さんが間に立つことで、衝突が巧くコントロールされている部分もありますが、これもやはり、人間社会で暮らし、学ぶうちにトールが変化(成長?)した結果なのでしょう。
Aパートの弁当コントが示すように、人間とドラゴンは仲良く楽しく一緒に暮らし、戯画化された争いを演じることで、争う運命それ自体を楽しむことすら出来る。(トールの「納得できねぇぜ!」という芝居がかった台詞から、いい意味でのふざけっぷりを感じられます)
それはドラゴンとドラゴンにも適応される変化であり、人間という異物を愛し、そのルールを尊重することを学んだトールは、あらゆるものを破壊し消滅させてしまう生き方を、巧く制御できるようになったわけです。

あれだけ争っていた(もしくは、争いを演じていた)『料理』という戦場がお開きになると、小林さんは『トールのご飯のほうが美味しいんだもんなぁ』ととっとと白旗を上げ、『料理』はどっちかを選んで競い合うものから、ともに分かち合い楽しむものに姿を戻します。
木彫りのゴリラが見守ってくれる、いつもの食卓を物分かりよく取り戻し、暖かで優しい日常に帰る……ところから、シームレスにエルマの登場に繋がるのは、なかなか面白いところです。
トールと小林さんの対立が収まったかと思いきや、エルマとトールに対決の軸が移り、最終的には再びトールと小林さんの衝突と和解に帰還する、今回の話しの振幅。
エルマに対し『人間とは巧くやっていけるよ』というメッセージを送る、そしてエルマから『このドラゴンは悪いドラゴンじゃないよ』というメッセージを受け取る媒介として、クリームパンやコロッケ、甘栗といった『料理』が再登場すること含めて、反復と強調、衝突と和解を大事にした話だなと感じました。


その上で、『混沌勢』であり『ドラゴン』であるトールの出自は否定できないし、されるべきでもないというのが、このアニメを貫く一つの視座です。
エルマの出現に焦ったトールは、小林さんを喜ばせようとして、部屋の調度を消滅させる。
メイドらしく器用に掃除をして、何も破壊することなく小林さんの望みに沿うことは、トールには出来ないのです。

当のエルマが『自分たちの家』の敷居をまたごうとした瞬間、(調整された)ブレス=暴力で彼女を押しやり、小林さんだけが目の前にいる状況を独占する。
トールが何かを生み出したり、周囲と巧くやっていくよりも、何かをなぎ払い、自分の意見を押し付けるほうが『窮屈さを感じない』生物であることは、巨大で異質なドラゴンへの変化が、作中開放的で肯定的な行為として描かれていることからも感じ取れます。
それは首輪をつけようとしても従ってくれない、物分りの悪いトールの本性なのです。
今回はドラゴン達の酷薄な表情、爬虫類の縦の瞳孔を強調するシーンが多めなのも、身体化されて逃れ得ない『本性』を重視しているからだと思います。

心のなかに『ドラゴン』を飼っているのは小林さんも同じで、第5話で『トールに出会う前の自分を、巧く思い出せない』というほどに影響を受けつつも、『親友なんていない』『好意を示すのが、あまり上手くない』自分の限界も、彼女は冷静に受け止めています。
人間には角も尻尾も生えないし、ブレスが吐けるようにはならない。
そういう意味での変化はこのお話では不可能で、持って生まれた性向を相手にとって都合の良いように切り替えることは、不自然でもあります。

その上で大事にされているのは、『ドラゴン』のままどうやって『人間』と巧くやっていくのか、好意を示すのが下手くそなまま、『今はこれが精一杯』の努力をどう、相手に届けるかなわけです。
身の丈限界まで譲歩して、トールは下等な人間たちの生き方を見学しようとしたし、小林さんは暴れるドラゴンに寄り添って、剣を抜いたり頭をなでたりした。
そういう歩み寄りこそが、異質な存在が場所と時間を共有し、なんか大事なものを実感していく足場として大事なのだということを、このアニメは何度も語ってきました。
今回の衝突と和解も、その線上にある演出だといえるでしょう。
まぁ『私コミュ障だし……』みたいな謙遜するメガネ女が、どんだけ他人の思いやりを受け止め、優しさを返してきたのか見てきた視聴者からすると、『嘘おっしゃい。アンタ相当なモンよ』って感じではありますが。


今回の話はエルマの紹介回であり、同時にエルマが人間社会に馴染み、人間がエルマに馴染んでいく話でもあります。
トールほど性格ひねくれているわけでも、何でもかんでも暴力で解決したがるわけでもない、いわば『善龍』であるエルマの話は高圧縮ですが、『人間やドラゴンを誤解している』ところから始まり、『差し出されたまごころに心を溶かされ、自分からも人間を理解しようと努力し、自分なりのポジションを獲得する』というステップを、ちゃんと踏んでいます。
これはこれまでのお話の中でドラゴンたちが積み重ねてきた物語そのものであり、これをしっかり経由することで、エルマも愛すべき隣人なのだと僕らに教えてくれています。
登場するなり小林さんを『人間さん』と呼ぶ辺りで、毛並みの良さはミエミエではあるのですが。

小林さんが手綱を握らなくても、エルマは自発的に人間社会に溶け込み、学ぼうとしています。
それは『調和勢』という彼女の出自が生み出す、一つの性向であり、何でもかんでもぶっ壊したくなるトールや、(自称)好意の示し方が下手な小林さんとは違った器用さです。
そういう器用さがあればこそ、トールが結構時間をかけてたどり着いたバランスにあっという間にたどり着いたりもするんでしょうが、その優秀さが『異物』としてトールの嫉妬を刺激する原因になっているのも、面白いなと思いました。

結構な時間を小林さんと過ごし、自分の『ドラゴン性』を飼いならす手段を覚えたはずのトールが、『出会ったばっかりの時みたいに、空回りしている』理由は、エルマが自分にできないことをやってのけているからでしょう。
メイドとして閉ざされた家を守るのではなく、会社に飛び込んで積極的に人間と交わり、学習する。
嫉妬に振り回されず、爽やかな距離感を保って一緒に帰宅し、楽しいつまみ食いなんかも楽しめる。
いわば人間関係の優等生であるエルマの登場で、トールは自分が出来ないことを思い出し、それに小林さんが引き寄せられてしまうかもしれない想像に、焦りを加速させたのではないでしょうか。

その発露としてドラゴンブレスの暴発があるわけですが、それはエルマを殺すわけでもないし、致命的な傷をおわすわけでもない。
かつて自分たちを受け入れてくれた公園の砂場が、クッションをかけて彼女を受け止め、青い鳥が気絶したエルマを見守ってくれる程度には、トールは自分の暴走を制御できています。
それもまた、彼女が小林さんと一緒に果たした変化の一つなんでしょうね。


小林さんが『私はこれが精一杯だよ』と境界線を示し、そこから身を乗り出した時、彼女は嫉妬深く、暴走して、それでもエルマを殺しはしなかったトールをもう一度許容する姿勢を見せたのだと思います。
自分の限界を相手に預けることは、実は相手の限界も含めて受け止める意思表示であり、これもまた『距離が近づいたからこそ出来るぶつかり合い』なのでしょう。
さらに言えばその前段階、トールが小林さんにもっと愛して欲しい、分かりやすく優しくして欲しいと言葉と態度で示せるようになったのも、自分の体重を預け、預けて欲しいというメッセージです。

それは体を預けても避けられたり、足を払われて転んだりはしないという信頼から生まれてくる行動です。
それはお話の最初では人間に悪意で追われ、剣をぶっ刺されて血を流していたドラゴンの傷がどこまで癒えたかという証明でもある気がします。
トールにとって『人間との争い』は強いトラウマなはずで、しかし今回、彼女は遊戯としても痛みを伴う本音のぶつかり合いとしても、戦いを的確に演じることが出来た。
それを可能にしたのは、八話見守ってきた小さな時間の積み重ねであり、人間の身の丈を冷静に見据えつつ、出来る限りの背伸びでドラゴンたちに手を差し伸べてきた小林さんの努力です。
作品全体を貫く不変の価値観と、それに導かれて生まれた新しい関係。
両方がしっかり切り取られた、いいエピソードだと思いました。

エルマは今回、そんな二人の変化を導くための当て馬っぽいポジションでしたが、来週以降また、いい隣人としての輝きを見せてくれるとうれしいです。
トールはホームを守る立場なので、会社という場を共有し、いい意味で小林さんに執着していないエルマは、また違った異種間コミュニケーションを担当してくれるんじゃなかろうか。
カンナやファフくん、ルコアの描き方を見ていると、置かれた環境や社会的立場の違いを大事にして、個別の関係性が生まれるのを丁寧に切り取ってくれるアニメなので、エルマにもそういう光を当てて欲しい気持ち。
初登場となる今回、『コイツは気持ちのいいやつだな』とうまく紹介出来たので、彼女なりの日常の積み重ねもまた、楽しく描いてくれるでしょう。


というわけで、エルマを起爆剤とすることで、時間の変化の中で変わった関係性と、変わらない真心がクリアに見えてくるお話でした。
トールが『仲良く喧嘩する』方法を自分のものにしたのは、戦いで心も体も傷ついた彼女にとって、見た目以上の意味がある気がします。
これまでの共同生活がトールをここまで引っ張ってきて、その変化が他のドラゴンや、小林さんや、トール自身をまた変化させていくのでしょう。

そういう相互作用と、未来に対してポジティブな足取りをずっと続けてくれている信頼感は、やっぱ良いもんだなと思います。
なかなか変化しない自分と付き合いつつ、時には差し伸べられた手を跳ね除けたりもしつつ、順繰りに階段を登っていく。
気づけば季節は秋です。
どんな風にドタバタ楽しい運動会が見れるか、楽しみですね。