東宝大先生の太っ腹により
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年3月8日
その時、魔法は生まれる~リトルウィッチアカデミア制作日誌~ https://t.co/I5ckmZQPqO @YouT
と
The Making of リトルウィッチアカデミア 魔法仕掛けのパレード https://t.co/ps1qMGL5xy
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を見る。
アニメミライ版、劇場版それぞれのメイキングドキュメンタリーであり、アニメ制作現場をディープに掘った映像作品である。
現在TVシリーズが放送されているリトルウィッチアカデミアの前景には、この2つの作品がドドンとそびえ立っているわけだが、各作品がどういうポジションで制作され、それが実際の作品作りにどう影響したかが、非常に鮮明に切り取られている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年3月8日
アニメミライ版は国家助成、劇場版はクラウドファウンディングという支援を受けて制作されたLWAであるが、特に一作目は若手育成という目的が強くあり、作画を拠点としつつもアニメの様々な領域に伸びていく仕事ぶりが、アニメ現場のドキュメンタリーとしての横幅にもつながっている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年3月8日
原画、作画監督、監督、プロデューサー、制作進行、動画検査、美術、編集、撮影。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年3月8日
アニメがどう作られていくのかを横幅広く切り取ることで、各部署の連携などもよく見え、それぞれのプロフェッショナルも感じられる。美術における色彩の意味の置き方、アナログ技法の凄まじさ。
横に広い目線を確保しつつも、あくまで足場は原画にあり、スーパーアニメーター吉成曜の怪物じみた修正の手際に驚かされる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年3月8日
迷いのない線から生まれる、『命を吹き込む』アニメーションの素朴な力。石に眠った完成形を掘り出す彫刻家のように『正解』をピックしていく筆の冴えには、凄みがある。
その上で、吉成曜はLWA監督でもあり、若手を育成する師匠役でもある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年3月8日
スーパーアニメーターの個性だけではまとめ上げられない作品全体を睨みつつ、己の技量を後輩たちにどう伝えていくか。どのように絵と絵以外でコミュニケーションしていくか。そういう部分も感じ取れる映像だ。
若手アニメーターたちも、超人が一発で見抜く完成形に追いつくべく、必死に頑張る。締切が近づくに連れ憔悴していく姿は、とんでもなく苦しそうだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年3月8日
苦しそうだから、頑張ったから良いというわけではないが、その真摯さには心を動かすものがある。キラッと光る若々しい笑顔の輝きも含めて、である。
特にアニメミライ版は『メンター吉成と、成長していく若手』という構図がかなり意識されていて、先輩と後輩が共鳴し合う一種の『部活モノ』という見取りも出来る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年3月8日
悩み抜いて捨てたカットを拾われたときの、苦痛の表情。それを切り取るのは酷だが、あのシーンがあればこそ、圧倒的な生々しさが宿る。
LWAはアッコ達少女が魔法に憧れ、失敗を繰り返しながら成長していく物語であり、先生が遠くに去った青春を眩しそうに見ながら彼女たちを導く物語だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年3月8日
魔法≒アニメ、アッコ≒若手アニメーターという、一種私小説的な覆い焼きがそこに存在していることは、幾度も語られてきた。
ならば、初めて監督に挑み、『自分は作品至上主義の孤独な人間だった』と告白する吉成曜が、作品に投影されていると見ることも出来るのではないか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年3月8日
友情を足場に立ち直るアッコを、吉成は『ピンとこない』という。それは結果的に理解されるものであり、何か別な足場で立ち直るのだと。
その劇作に、ドキュメンタリーが切り取ってきた現実の制作風景が重なっていく構図のとり方は、一つの物語としてかなり秀逸だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年3月8日
アニメという虚構の中に現実の自分たちを反映させつつ、虚構の制作自体が現実の自分たちを変化させていく。メタフィクショナルな相互侵犯が、そこにはある。
無論、ドキュメンタリーもまた一つの創作であり、そこで切り取られているものだけが作品の真実ではない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年3月8日
2つのLWA、現在進行系のTVシリーズを見て僕らが感じたものは、それを作り出した人たちの事情や苦闘とは関係ない位置にあって、自由に解釈されるべきものだ。
しかし同時に、虚構は現実の延長線上にあり、現実は虚構に照らされることで意味を深めていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年3月8日
その相互侵犯を楽しむ副読本として、このドキュメンタリーはとても良いと思った。創作過程を知ることで、実際に現れた表現の意味が多層化するという意味でも、非常に良い映像だ。
単純に、アニメをディープに楽しむ足場としても有用で、よりアニメートする表現がどういう線から、どういう人体と動きの理解から生まれてくるかが映像で見れる説得力は、なかなか凄い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年3月8日
バネとして人体を捉え反動を切り取る眼、絵を動かす魔法のために必要な技術の切り取り方は、非常に鮮明だ。
アニメ制作過程のクローズアップとして。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年3月8日
2つのLWAに込めた思いの源泉を確認する素材として。
アニメーション表現に切り込んでいく確かな足場として。
人と人が何かを作っていく、心を動かされる映像として。
色んな楽しみを与えてくれる、とても良いドキュメンタリーだと思った。
絵が好きな人、アニメが好きな人、LWAが好きな人、トリガーが好きな人、吉成曜が好きな人。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年3月8日
人間が何かを作るときに発せられる、不思議な熱と輝き、その化学反応が好きな人。
色んな人の心に見て欲しい映像だと感じました。ぜひ見ていただきたい。