イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

リトルウィッチアカデミア:第10話『蜂騒ぎ』感想

きらめく青春が跳ね回る、バンブルビー達のポップな冒険、ハンサムボーイ再登場の第10話です。
"シンデレラ"めいた舞踏会を舞台に、媚薬が引き起こす"夏の夜の夢"のようなロマンティック・コメディあり、夢と魔法にまつわる青春の出会いあり、楽しく爽やかなお話でした……タイトルから考えると、"から騒ぎ"も元ネタかな?
ピアニストという夢と、偉大な父の継承者という建前の間で苦悩しつつ、それを表に出すことも許されていないアンドリューの影。
祖国を離れたアウトサイダーであるがゆえに、ただただ夢に対して真っ直ぐなアッコの光。
小林寛の陰影と構図のセンスが最大限に威力を発揮する、幾重にも重なる魔法のお話でしたね。

今回は第6話で活劇をともにし、アッコが夢への再スタートを切り直す場所に居合わせたアンドリュー、二度目の主役回です。
第6話が(どちらかと言えば)顔見世に近く、主題はアッコとシャリオ/アーシュラ先生の関係(再)構築にあったのに対し、今回は彼のホームフィールド(であると同時に、最大の阻害理由でもある)自宅を舞台に展開し、ハンサムボーイがどういう少年なのかをじっくり見せてくれています。
シリアスにナイーブに、心の影に分け入っていく部分はしっとりと展開させ、笑いを生み出すドタバタはとにかく元気に振り回すという、緩急が楽しい回でもありました。

第8話でも語られた主題なのですが、アッコの『夢は最高、自由に走り回ろう!』という開放主義は、このアニメにおいては別に万能の解決策でもなんでもありません。
それは日本という祖国を遠く離れ、魔女界からも、地縁と地誌に支えられた貴族社会からも遠くにいるアツコ・カガリ個人の資質であり、その輝きも有用性も唯一性も存分に認めた上で、必ずしも他者に適応出来ません。
スーシィが心のなかで自分を殺し続け、今の自分を維持している選択が『間違い』ではないように、アッコが自分を殺さず、とにかく自由に夢を追いかけ続けていることもまた、『間違い』ではない。
しかし条件が異なれば結果も違うわけで、それぞれ違う個性と意思と環境を手に入れたキャラクターは、それぞれ固有の答えを持っています。

アンドリューはルーナノヴァに留学している『お客さん』ではなく、父の政治基盤を引き継ぐことを期待され、この魔法の国をシビアな政治の舞台として捉えることを期待されています。
何にもとらわれず、噴水の縁の上で自由に踊ることが出来るアッコとは、置かれた状況も、育ってきた環境も、何を大事にするかという価値観も異なります。
そういう彼にとって、スーツをしっかり着込み、大人に期待される自分自身を内面化して生きていくことは、必ずしも討ち果たすべき抑圧、というわけではない。
『父を尊敬している』という言葉は、全てが偽りというわけではないと思います。
アッコとアンドリューは性別も精神も別の存在であり、しかし(だからこそ)お互いの生き方に影響を及ぼせる、独立しつつ連動した人間なわけです。

アンドリューは今回、"熊蜂の飛行"を弾きこなし、"1984"を愛読していました。
『お父さんの言いつけどおり、10年ピアノには触っていません』と言っていましたが、"熊蜂の飛行"は非常に難度が高い曲で、毎日ピアノに触れ、憧れを持って練習を続けていなければ、とっさに暗譜出来るものではありません。
父親からの期待に応えたい願いや義務感と、ピアノの代表される『夢』を追いかけ、魔女を庇護したいと自分の良心とは、"1984"に於ける『二重思考』のように並立し、対立し、アンドリューを悩ましているわけです。

父という『ビッグブラザー』に常に行動を監視され、『貴族かくあるべし』という規範を体内に入れている彼にとって、着崩したネクタイとスーツこそが魔法のドレスであり、"熊蜂の飛行"という夢の時間が途切れてしまえば消え去る、一時の幻です。
アッコが普段の制服に戻ったように、彼もまたツンツンと自分を保ち、『世間になんら恥じることのない優等生』という鎧を着直す。
しかしあの美しい噴水の中で、自覚のないままアッコが見せてくれた美しい風景はその鎧を貫き、アンドリューの心にいる熊蜂を騒がせました。
魔法の効力が消えてもけしてなくならない、憧れという名前の『あなただけの魔法』を、アッコは使ったわけです。

主人公アッコが体現する、無邪気で自由な夢へのあこがれの力を大事にしつつ、その限界もしっかり見据える。
人間にはそれぞれの条件があり、思考があり、個別だからこそ、普遍的な『憧れ』の光はとても眩しく、心のなかの真実を照らし出す。
出来ないこと、判らないこともたくさんありつつ、そういう人間の限界を受け入れながら、むしろ差異がもたらす可能性に目を向け、際立たせていく。
このアニメが持っている、矛盾や対立に関する広い視野、優しい表現力がアンドリューとアッコの二度目の出会いには強く込められていて、今回の話は(も)僕、凄く好きですね。


世間に対して開かれた舞踏会場、華やかで騒がしく楽しいホールから薄暗い裏庭に舞台が移り、影の中で父と子の私的、かつ重たい会話が行われる。
この切り替えが非常に印象的な今回ですが、そこからもう一つの光、アッコが背負う噴水に視線が流れていくのは、非常に印象的です。
第6話において、シャリオの過去とアッコの真実を『ポラリスの泉』が示した瞬間、アンドリューはその介添人になっていました。
今回彼は、噴水という『水鏡』の側で少女の言葉を聞き、それを自分の心に反響させて、自分の進むべき道を探します。
あの時アッコが果たした『憧れとの再開』を、今回アンドリューもまた達成し、アッコと同じように新しい生き方に一歩ずつ踏み出していくのではないか。
そういう予測が思わず芽生えてくるくらい、水鏡と光の再演は印象的でした。

ホールで演じられる蜂の魔法は無条件かつ一時的なもので、それが生み出す恋は表面的な喜劇です。
しかしそこから連続しつつ、全く別の場所である裏庭-噴水で演じられた出会いは、物理的な『魔法』の助けを借りていないのに(あるいは、からこそ)、二人の心を永続的に変化させてしまいます。
ハンサムな少年との夜闇の語らいをアッコは忘れないだろうし、アンドリューもまた、あの時美しい憧れに出会ったことを大切に思い出すでしょう。
それはこの物語がシャリオとアッコのステージの出会いから始まったのと同じで、アッコは知らぬうちに、憧れをただ追いかけるだけではなく、自分自身が憧れとなって誰かの小小ろに魔法をかける、真実の魔女になりかけているわけです。
ズルして手に入れたドレスは消えてしまうけど、心に刻まれた変化は永遠である。
そういうロマンチックな精神主義、僕は大好きです。

輝かしい場所から離れたからこそ見つけた真実はアンドリューの行動を変えて、禁じられていたピアノ演奏を『余興』として世間に認めさせ、アウトサイダーである魔女の問題解決を助ける。
"熊蜂の飛行"をBGMにドタバタ走り回るアクションシーンは同時に、世間の風当たり強い魔女たちがどう世界と折り合いを付け、そこでアンドリューがどういう役割をはたすのかという、一種の予言のようにも見えました。
"1984"の原作のように、規範を押し付けてくる『ビッグブラザー≒父』と同質化し望みを捨ててしまうのか、はたまた今回刻まれた出会いに従い、もう一度魔法を使うのか。
ハンサムな王子様役としてだけではなく、政治家見習いとしてのアンドリューの今後も非常に楽しみになる運び方だったと思います。


学校を離れた今回は、キャラクターたちの意外な顔も見え、非常に面白かったです。
『シンデレラセット』で三人とも『お姫様』になるわけではなく、スーシィが『魔女』というロールを選ぶところとか、凄く『らしい』なと思いました。
『男の子と仲良くしたいスーシィ』を殺して自分を保っているスーシィにとって、あこがれの舞踏会で王子様に見染められる夢はあまり面白くなく、婚姻関係から離脱した魔女として場を引っ掻き回し、『アッコで遊ぶ』ことを選んだのでしょう。
恋ばっかりが人間の幸せではないわけですし、スーシィのトリックスター的な生き方が話をかき回してくれてもいますし、いろいろあって面白いな、と思いました。
しかし今回描かれたロマンスもまた素敵なものだったので、スーシィもいつか、何らかの形で恋に近づく話をやっても全然良いな、とも感じましたね。

ロッテは蜂の騒動で一時的にお姫様として祭り上げられ、魔法が解けてしょんぼり……と思っていたら、もうひとりのハンサムボーイ、フランクくんと心を繋いでいました。
第6話ではアンドリュー以上に出番がなかった彼ですが、親友が陥っている『二重思考』に理解を示し、ロッテの素朴な魅力を一発で見抜き、節度のある距離感で手を差し伸べてくれる、気持ちのいい少年だとわかりました。
暴走するアッコをよく支え、親友を心から励まし、憧れに向かってまっしぐらに走る強さもある。
ロッテの良さはこれまでの物語の中で、僕ら視聴者にはよく分かっている(と思います)。
だからこそ、魔法が解けて袖にされた時は『このチャラ坊野郎共がよぉ~! 目ン玉の代わりに高価なガラス玉でも入れてんじゃねぇの~?』と吹き上がるし、ロッテが悲しそうな表情をすると『泣かないでロッテ……』と悲しい気持ちになるし、フランクくんがベストなタイミングと着眼点で手を差し伸べてくれると『おお、ハンサムボーイ、見る目があるじゃないの。このチョコレートはポケットに入れて、持っていってくれたまえ!!!』って気持ちになる。(ロッテモンペ勢)

僕らが好きなロッテが悲しい時、手を差し伸べてくれて、僕らが見てきたロッテの良いところを、ちゃんと見てくれている。
短い掛け合いの中でフランクの評価がグンと上がったのは、視聴者の心の動きにシンクロする物語の運び方と、これまで積み上げてきた好感度を活かす作りの巧みさ、両方があってのことでしょう。
このアニメはかなり計画的に、自分たちが何を描いているか意識しながらお話を組み立てている印象が強くあります。
フランクとロッテの掛け合い、そこで与えられた印象はそういう積み重ねの上手さ、冷静な組み立てを強く感じさせるものでした。

男の子とのロマンスだけではなく、悪童三人組が冒険に飛び出していくワクワクとか、なんだかんだ仲良しなキャイキャイ加減とか、ルームメイト三人のお話としても凄く良かったと思います。
最後の甘いものたくさんで、ほっぺがぷにぷにで、みんなが笑って茶化し合ってという瞬間の、イノセンスな多幸感!
出だしがベンチに座ってアイスを食べる『三人』から始まって、ホールと裏庭を舞台にした冒険が展開して、ホームたるルーナノヴァに戻ってきて『三人』で語り合うところで終わるのが、構造的に綺麗ですよね。
いつでも三人から始まって、三人で終わる構図に収めることで、あの繋がりがとても特別なものなのだということが、巧く強調されていると思います。

あと、アッコのドレスデザインがあまりにもデコルテ大胆すぎる所は、彼女の幼さ、『性』へのむとんちゃくさが強調されていて、とても面白かったです。
ダイアナの取り巻きひっくるめて、他の女の子たちは慎ましやかに鎖骨を出して、礼儀正しく肉体を誇示し、文化コードの内部規範にふさわしく男性を挑発しているのに対し、アッコは舞踏会のコードを侵犯するかのように肌を晒し、いつずり落ちるかヒヤヒヤもんでした。
その癖、いつもの様に大股開きで飛んだり跳ねたり、自分が『女の子である≒男の子ではない存在である』ことに意識がないんだなぁ、と。
そういう子がアンドリューと出会い、話し、心に魔法をかけられた結果どう変わっていくのかも、僕は楽しみだったりします。
婚姻を前提としたお姫様類型から脱出して『魔女』になっていたスーシィが、己の肉体を完全に布で覆い隠していたのも面白かったな。


普段と違う顔を見せていたのはダイアナも同じで、アッコに惚れたり自分に惚れたり、普段は見せないコメディエンヌとしての顔を見せていました。
『嫌味なライバル』という立場に立ちつつも、ダイアナが人格的にも能力的にも優れた『いい人』なのは、このアニメが外さない基本路線です。
今回ダイアナが見せた面白い表情も、魔法がすべてを変貌させたというよりは、もう一つの可能性を示してくれたという印象ですね。

ダイアナはアンドリューと対になるよう描かれていて、ふたりとも地縁と人縁、家が持つ歴史と期待に縛られた『インサイダー』です。
自由な『アウトサイダー』であるアッコと対比的な立場ですが、アンドリューは魔法を必要としない『現実』に身を置くのに対し、ダイアナはルーナノヴァ最優秀生徒として『魔法』の内部にいるところが、面白い差異です。
魔法にしても政治にしても、名家の歴史はそれぞれ『かくあるべし』という規範を押し付けてきて、それは二人にとって重荷であると同時に、叶えたい望みでもある。
優等生故の重たさと、背筋を伸ばして生き続ける高貴さが同居している所は、男女を超えて二人がよく似ているポイントでしょう。

ダイアナとアンドリューが異なるのは、ピアノというアンドリューの『自分の夢』が政治家という『周囲の期待(であると同時に、自分の夢でもあるもの)』と衝突するのに対し、ダイアナの『善き魔女』という『夢』は『期待』と重なり合っている、ということです。
しかしそれは無条件に叶うものではなく、滅びゆく魔女文化をどうにか『現実』に適応させ、新しい価値を世の中に問わなければ、彼女の『夢』は実現しない。
衝突する『魔法』と『現実』をそれぞれ、貴族的でありながら公平で、優しく正しい二人の『優等生』が背負っているのは、なかなか面白いところですね。

ドタバタ楽しい日々を追いかけつつ、『現実』と『魔法』の対立を遠景としてこのアニメがにらみ続けていることは、例えば第5話とかからもわかります。
いつか物語が大きなうねりに飛び込み、ルーナノヴァと魔法文化の存続が『現実』と衝突したときに、愛すべき二人の『優等生』が大きな力を発揮し、より良い解決に向けて大きな役割を担う。
コメディとロマンスで観客を楽しませつつ、土地と歴史に縛られた二人をしっかり切り取ってきた今回からは、そういう予感も強く受けました。
僕はアンドリューがとても好きなので、お話の美味しいところを是非担ってほしいと願っていますけども、これだけ『現実』を背負い、アッコが体現する『夢』の光で道を見つけた描写が濃くあると、この願いも推しの贔屓目とは言い切れないかなぁと、自惚れたりもします。


というわけで、ハンサムボーイの光と影を、アッコの無邪気な輝きが照らし出すお話でした。
アンドリューの清廉な気遣いをアッコもちゃんと受け取っていて、魔法が与えた偽りの告白では白目のギャグ調なのに、本心からの賞賛にはおずおずと頬を赤らめるところとか、非常に繊細でした。
笑いで流すところと、かっちり人情に楔を打ち込むべきところを、ちゃんと区別している印象ですね。

今回噴水の前でかかった魔法、水鏡と光が教えてくれたもう一つの真実が、少女と少年をどこに運んでいくのか。
アンドリューが担当する『現実』と、魔女たちの『魔法』はどういううねりを生み出すのか。
もう一人のハンサムボーイ、フランクくんとロッテの慎ましやかな出会いは、どういう展開を見せるのか。
ますます面白さが増していくリトルウィッチアカデミア、来週も目が離せません。

追記