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イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

昭和元禄落語心中 -助六再び編-:第12話感想

そうして月日が巡って、再び桜が咲く季節がやってくる。
"死神"で始まった因縁が"死神"で収まる、役者を変えても巡りくる春、新たな光に目を向けての落語心中、万感の最終回でございます。
師匠が死んで十七年、美ショタは繊細そうな青年落語家に、調子者の助六が八雲の大名跡を引き継ぐ貫目を携え、小夏は慣習を乗り越えて夢の高座に大手を振って上がれる立場になりました。
苦しんで苦しんで、ようやく往生できた八代目が去った後も、落語も世界も色々ありつつ、元気で前向き。
人間のカルマを真摯に追いかけ続けて、しかし一筋の光明と優しさを諦めずに走り続けたこのアニメらしい、見事な幕でございました。
いやー、本当に、いいアニメだったなぁ。

というわけでエピローグ、伝家の宝刀年代ジャンプが冴えて、みんなの大きくなった姿がよく見えました。
頭を飾る信乃助のナイーブな感じを小野友樹さんが好演していて、『ああ、あの子供が屈折を知って、青年になったんだなぁ』という実感が、一芝居ごとに湧いてくる。
八雲師匠がジジイになる様子を見ても、そういうふうに行き過ぎていく時間の苦と楽を両方描いていたアニメですので、子供が青年になる時間の流れというのにも、優しさと少しの苦味があります。

信乃助は親父が見事に復興させた落語を背負う期待の星であり、それ故重たくもあり、しんどくもあり、しかしネジ曲がりもせずで、先が楽しみな青年に育ってくれました。
妹ちゃんと中が良いのも、他人の目がない楽屋ではどっしり父親の胸に体重を預けているところも、二代目助六と八代目八雲を合いの子にして、未熟さをふりかけたような"初天神"も、なんというかな、このアニメが終わってもこのこの人生はいい方向に行くんだろうなと、希望が持てる描写でした。
一人の人生に幕が下りる話を先週たっぷりとやって、最後に(描かれはしませんが)これから先に続いていく男の姿を手際よく見せてくれるのは、『菊比古』の名前と一緒に受け継がれ、入れ替わっていくものの匂いを感じさせてくれて、とても良いものです。

つうかあれだね、お父ちゃんそっくりの妹ちゃんの人たらしっぷりも含めて、助六一家はわだかまりなく体重を預けられる、いい家族として過ごせたようで、何より安心です。
助六改め八雲は堂々と背中の鯉金を世間に晒し、過去も引っくるめてすべてを見てもらい、評価してもらえるどっぷりとした貫禄を手に入れた。
小夏も瑞々しい色家は失ったけども、助六を何の衒いもなく『お父さん』と言える距離感を手に入れ、母であり妻であると同時に、噺家という自分の夢を叶えもした。
省略された時間には、これまでと同じような苦味があって、それを乗り越える光があって、この晴れの日にたどり着いたんだろうなぁと想像を巡らせてくれる、余韻のあるスケッチでした。


信乃助の出生にまつわるネタも、樋口先生が口突っ込んで表に出してくれてましたが、まぁ納得といいますか。
八雲と小夏の距離感は親子ではありえないほど濃厚な『艶』が漂っていたので、逆にこの結論じゃないとアンフェアかなぁとすら思います。
樋口先生の呼び水に答える形で、小夏が巧くまとめてくれていますが、愛も憎悪も欲もありがたみも引っくるめた濃厚な感情が二人の間にはあって、ただ衝突するばっかだったそれを、因縁の外側から迷い込んだ与太郎が巧く整えて、独り立ちして家を流れて二人きりって状況だと、まぁ起こり得るかなぁ、とも思う。

無論これが表になりゃ助六はとんだお人好しの間抜け、小夏は母親どころじゃない悪女、八雲は娘に手を付けた鬼畜となってしまうし、裏に引っ込めてもそういう薄暗い部分は消えはしません。
ただ、そういう笑えない事情を笑えるようにして飲み込めるのが落語の強さだってのは、親分に啖呵切ったときの三代目助六も、地獄で腹の傷をなでていたときの二代目助六も言ってたことです。
時間だけが癒やすもの、笑いだけが治せるものが世間にはあって、小夏が胸に秘めたものも、助六が墓場まで持っていくと決めた四国心中の真実も、それを守るために選び取った、夫婦の秘密といったところでしょうか。
しかし小夏は、母親が出来なかった『二つ男の間を見事に泳ぎきり、欲しいものを全てかっさらっていく女の生きざま』ってのを結果的に実現しちゃったんだから、カルマ濃いなぁ。
男と子供だけじゃなくて、落語までもぎ取っちゃってるのが、さすが姐さんよな。

あの話は樋口先生が聞き出すしかないんですが、四国の真相にしても、助六が目指すべき落語にしても、先生の野暮なスケベ心がないと、表にならなかったことだと思います。
要所要所で膿を出せなかったからこそ、『優しすぎる』菊比古世代はなんもかんも抱え込んで地獄に真っ逆さまだったわけで、この大団円は先生が引っ張ってきてくれたもんだと思います。
与太ちゃんはまじ聖人ですけども、それはバカだからできる部分が大きくて、馬鹿ばっかりだと話は進むけど迷ってどっか行っちゃう。
二期になってうさんくさく登場し、好奇心で散々に引っ掻き回し、知性と落語への愛情で道を整えてくれた先生は、本当にいい脇役だったなぁと思います。


小夏と先生の場面、信乃助と助六の楽屋、最後の桜舞い散る川べり。
今回は光と影が明確に別れた構図が幾度も登場し、その度にキャラクターは闇に背を向け、光の方へと歩いていきます。
八雲が終生思い悩み、助六とみよ吉が吸い込まれちまった人生の闇は、新しい世代にも当然広がっている。
それを否定してしまったら、落語が切り取り肯定する人間の業もまた、薄っぺらでなんの面白みもないもんになっちまいます。
なので、このアニメは闇を色濃く描く。

でも、与太郎はとっておきのバカだから、迷わず光を掴み、みんなの方に引っ張ってきてくれた。
色々難しいこと考えて、余計なことに思い悩むのはみんなに任せて、千切っても千切っても絡みついてくる闇を振り払い、暗い部分に引きずり込もうとする力に抵抗するべく、色んな人に手を貸した。
親子と男女の因業に吸い込まれそうになった小夏も、死と老いに誘惑されていた師匠も、与太ちゃんが手を引っ張ってくれたから、血の因縁っていう高い敷居を一気に飛び越えてくれたから、『人生っていいもんだ』と思えるところまで、頑張って辿り着けた。
そういう衆生を救う菩薩性が与太郎にはあって、どろりと色濃い油地獄を爽やかに終わらせる、最大のエンジンだったと思うわけです。

無論、与太郎だって色んな恨みつらみ、落語という怪物との取っ組み合いに、散々に悩んだ。
でもそこで足を止めず、自分の心の中にある光る部分を大事に、外側に出して共有することを、バカみたいに笑って『こんなおもしれぇ落語、ぜってぇなくならねぇよ!』と大声で言ってくれることを、与太郎は選び続けた。
今回の爽やかな結末は、そんな主人公が己の魂でもぎ取った、説得力のある終わりだったと思います。

演出の話に触れておきますと、樋口先生が難しい話をするシーンは、やっぱり橋の欄干がカメラに一枚かかって、マスクされた絵になってます。
これは地下鉄で新作落語の話をした時、手すりの輪っかがカメラと二人の間に挟まっていたのと、おんなじ文脈だと思います。
底抜けの善人である(あり続けようと頑張っている)与太郎と、腹に一物二物抱え、色々考えてる樋口先生は、やっぱ別の生き物なんでしょう。
しかしそんな二人だからこそ、お互いの足らない部分を補い合い、『落語復興』という八雲との約束を無事に果たした相棒足り得た。
二代目助六と八代目八雲が夢見てなし得なかったゴールに、先生と与太ちゃんが二人三脚でたどり着いたと考えると、九代目八雲襲名ってのは、終わりに相応しい晴れ舞台でしたね。


他にももはや妖怪の領域に入っている松田さんとか、いいおっさんになった萬月兄さんとか、二代目雨月亭とか、懐かしい人達の『今』もたっぷりと見れました。
松田さんの言う『先代のお見送りをしまして~』ってのはボケ老人の繰り言なんですけども、やっぱここでも樋口先生が『聞き出す役』をやってて、先週一話かけて描かれた地獄旅行を覚えてくれる人が、俺たち以外にもいてくれるっていう感慨がありました。
萬月兄さんはそんなに大きい仕事してるキャラじゃあないんですけども、なんか妙に好きな人で、師匠の心臓発作も守ってくれたし、色々風当たりも強いだろう助六の助けにもなってくれたしで、贔屓としちゃ最後に出番があってくれて嬉しい限りです。

先週はあの世に行っていた雨月亭も、火の試練をくぐり抜け、不死鳥のように現世に戻ってきました。
席亭さんが言っていたように、そのまま呼び戻すなんてことは出来ませんが、移り変わる季節の中で姿を変えつつ、哀しいことも嬉しいことも、浅ましいことも尊いことも内側に孕んで、『場所』と『人』はあり続ける。
あり続けられるように、必死に努力をした人がいる。
綺麗に成仏していくのもいいけれども、そうやって面白おかしく、涙あり笑いありで『生』にしがみつくのも、なかなかいいもんですよ。
雨月亭の復活はそう伝えてくれたようで、これも嬉しいものでした。

形を変えると言えば、九代目八雲をこの未知に引きずり込み、様々な人の人生を変えた八代目の"死神"を、九代目が演じきっていました。
背負った『陰』の気を前面に出して死に、殺す八代目とはまた違う、生き死にを演じつつもどこかに可笑しみと『陽』の気をかんじる、与太郎らしい"死神"でした。
夢オチでカラッと笑わせて終わらせるのは、『死』に引きずられながら生き延びてきた八代目の因業もまた、極楽へと至るまでの一つの『夢』だったと、しかし良い『夢』だったと肯定する、九代目ならではの弔いなのかもしれません。

恋する人において行かれて、死にたい死にたいと願いつつ、忘れ形見の小夏を抱いて生き延びるしかなかった八代目。
それとはうって変わって、生きることを全面的に肯定できる助六にとって、八雲って人は樋口先生と同じく、どうにも理解しきれない人だったと思います。
しかしそういう断絶があってなお、与太郎は師匠のために炎の中に飛び込んで運命を変えたし、八雲もまた、バカ弟子の手を取って生きることを選び取った。
業も裂け目もあって、分かり合えないのが人間だけれども、それでもいいし、それを飲み込んでより広く、大きな場所にたどり着けるのが人間であり、落語なんだ。
八雲が『芸の神』と崇め恐れていた死神に出会ったこと含めて、お話を収めるに相応しい、幾度目かの"死神"でした。

ラストカット、あえてロングで引いた九代目八雲からスーッと天にカメラが上がって、物語を彩った噺達が風に溶けていく。
ああいう場面もあった、こういう場面もあったという思い入れを、星がまたたく空は全て受け入れて、余韻を深くしてくれます。
自分たちが何を描いたのか、声優さん達がどれだけの熱演で噺をやってくれたのか。
圧倒的な信頼を寄せる静かなラストシーンで、このお話は終わります。
非常に良いお話で、良い終わりでした。

 

というわけで、落語心中終わっちまいました!
いやー、良かった面白かったなぁ……最高だった。
いい所は山盛りあって、男たちの『艶』が乗っている絵の力だとか、動きの少ない高座を成立させる緊張感のある構図だとか、敷居や境界線を巧みに使った心理描写だとか、いくら上げてもキリがない。
声優さん達の話がみっしりとした骨肉を持っていたからこそ、落語を通じて人生を描き、人生を描くことで落語に重さを与えていく劇作が可能になってもいる。
アニメーションとして清潔さと緊張感、信念と愛情のある、素晴らしい映像でした。

お話のことを言いますと、人生のしんどくて厳しい部分から目をけして逸らさず、ドロドロした感情の一滴を絞り出すように描き続けて、それでも人間を信じ、肯定し続けた強さと優しさが好きです。
その両方があって、それでも生きるに値するほど世界は面白いはずで、それを探り証明するかのように、八雲という男の、そこに食い込んでいく与太郎の、様々な人間のドラマをどっしりと積み重ねる。
苦しいお話を必死に、軽やかに楽しく演じてくれるという、まさにこの話自体が落語の方法論の正しさを証明するような足運びで、最後まで走りきってくれました。
素晴らしかったです。

好きになれるキャラクターの、たくさんいるアニメでした。
偏屈ながら優しくて、溢れんばかりの艶と死の匂いを漂わせた、稀代の落語家・八代目八雲。
様々な人が囚われたカルマを持ち前の明るさで開放しつつ、己自身も『業がない』というカルマに悩む三代目助六
師弟の絡み合いを軸に、過去の因縁が絡み、親子の情、男女の愛が入り交じる人間模様の中で、みんなが可愛くて、綺麗で、魅力的でした。
とにかく男がセクシーだったなぁ……俺はそういう話が好きです。

本当に、いいところが沢山有る、好きにならせてくれるアニメでした。
二期二十五話、緩みのない話運び、たっぷりのサービス精神、面白い噺をみっちり味あわせていただいて、本当に満足です。
ああ、いいアニメだった。
昭和元禄落語心中、本当にありがとうございました。