イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

リトルウィッチアカデミア:第12話『What you will』感想

ドジっ子魔法少女の三歩進んで二歩下がる学園生活アニメ、新展開ファーストステップな第12話。
学園祭と『月光の魔女』という大きな目標を提示しつつ、アッコの悪い点とダイアナの優れた点を入れ替え魔法で見せてくる、珍しく明確に回をまたぐエピソードでした。
ここ最近アッコの強みが全面にでていたので、お調子者で感情の制御が出来ず、実力も足りていない劣等生の顔が、新鮮かつ鮮明だったりしました。
ダイアナの背負う重荷だとか、少しずつ変化しているアーシュラ先生だとか、色んな物を描きつつ大舞台を準備する、落ち着いた話でした。


というわけで、今週のアッコはとにかくダメダメ。
売り言葉に買い言葉(と思いこん)ですぐカッとなってしまうし、反省した様子は信頼できる身内にしか見せないし、そらークラスの中でも浮くわなぁ……という劣等生加減でした。
良くも悪くもアッコは幼くて、これまではその『良くも』の部分が物語を牽引していたわけだけど、幼いということはコントロール能力が低い、ということです。
生け贄係という『やるべきこと』があるのに、意地悪なハンナとバーベラに復讐できるチャンスがあれば、それに飛びついてしまう浅慮こそが、アッコの『悪くも』な部分です。

それは『本当の魔法』をけして諦めない心の力と表裏一体で、『どっちかだけ取る』という大人の選択が通用しない特質でしょう。
アッコはバカで浅はかだからこそ、他の人が足を止めてしまうようなハードルに思い切りぶつかって、壁を乗り越えられもする。
物分り良く感情を押さえ込んで、胸の高鳴りを殺してしまっては、『本当の魔法』は使えなくなってしまうわけです。
……シャリオになれなくなったアーシュラ先生は、そういう意味ではアッコの一つの末路なんだろうな。

とは言うものの、アッコは純粋無垢な天使というわけではなく、というかむしろ、小狡くて卑怯な女の子だったりします。
手っ取り早く結果を手に入られそうなズルには飛びつくし、他人をひどい目に合わせて溜飲を下げたりもする。
そういう小市民っぷりがまた、『魔法復興』という大きな目的のために己を律し、その姿勢が周囲の支持を取り付けているダイアナとの対比になっていたりします。

今週アッコは、鏡の魔力でダイアナと入れ替わることで、彼女がどれだけ周囲に頼りにされ、自分との実力に差があるかを思い知らされます。
おそらく学校の中で一番信頼しているアーシュラ先生には、『ダイアナは凄いな』と素直に言えるのに、当の本人を前にすると無鉄砲に突っかかって、反発してしまう。
文字通り『相手の立場になって』色んなことを経験したはずなのに、それを素直に反映は出来ない幼さの影が、色濃く出る回でした。
それでも、知らなかったことを知り、輝く月の影を見たことは、アッコにとって大きな財産だと思いますが。

アーシュラ先生や問題児仲間以外に、アッコが素直に対応できないのは、アウトサイダーを排斥する魔女界の閉鎖性に、強く傷つけられているからだと思います。
弱くて脆い本当の自分を見せてしまったら、手ひどく裏切られて、バカにされるかもしれない。
実際ハンナ&バーベラを筆頭に、出来損ないの異物として除け者にされているアッコにとって、学校は楽しいだけではない、とても危険で憂鬱な場所なのかもしれません。
ファンタジックな魔法学園物語に、こういう普遍的な青春の憂鬱を入れ込んでいるのは、やっぱ好きなところですね。


では名門の継承者であり、教師にも学友にも頼りにされるインサイダーたるダイアナは、本当に受け入れられているのかと問えば、答えは否です。
ロッテが『名門に生まれて、有り余る才能をもったダイアナには勝てないよ』と言っているように、彼女の優秀さの裏に努力と痛みがあること、自室に沢山の本を集めて、必死に勉強していることは、彼女の優秀さ(『幼さ』の否定)の前にかき消されてしまいます。
劣等生のアッコにはアッコなりの苦しみがあるように、優等生であるダイアナにはダイアナなりの痛みがあるわけですが、アーシュラ先生や劣等生仲間という理解者がいるアッコに比べて、ダイアナには体重を預けられる場所が極端に少ないように思えます。

あらゆる学生の規範となり続け、一番高い場所で孤独に立ち続けるダイアナは、その寂しさを的確にコントロールします。
己を見失って『ダイアナは凄いなぁ。あんなに大人で』と羨むアッコとは正反対ですが、それは思いの外苦しくて、それでもその道を選び立ち続けることに、ダイアナの強さがある気がします。
立場があり、映画らがあり、才能も能力もあるが故の、一種のノブリスオブリージュというか。
ダイアナにとって『魔法復興』が、自分で臨んだ『あなただけの魔法』なのか、アンドリューがそうであったように、本心から離れた『やるべきこと』なのかは、つかの間の変身では見えてきませんでした。
それは形だけを整える偽りの魔法ではなく、本音で触れ合い分かり合う、呪紋を使わない青春の魔法だけが見せてくれるものなのでしょう。

ダイアナが孤独に見えるのは、先生やクラスメートが彼女を通して押し付けようとする規範と、彼女自身の振る舞いが乖離していることも、理由の一つでしょう。
ダイアナは今回、鏡の魔法で入れ替わったことよりも、アッコが『やるべきこと』を無視して『やりたいこと』だけに飛びついた不誠実を責めます。
魔法祭の『ダサい』出し物を見ても判るように、形式に囚われ内実を忘れる傾向にある魔女界の規範と、めの前でなにが起きていて、なにが問題なのかをしっかり見据えているダイアナの視界は、実は微妙にズレている。
なんだけども、『家』に積み重なった歴史を背負い、『最高の優等生』『さすダイ』という周囲のイメージをぶち壊しに出来ないダイアナは、そのギャップをなかなか埋めることが出来ません。
『やるべきこと』と『やりたいこと』が分かりやすく対立しているアッコより、『やるべきこと』が『やりたいこと』でもあって、しかしその『やるべき』の方向性がズレてるダイアナのほうが、色々面倒くさいまであるなコレ。

今回のお話は劣等生アッコの視点で進み、彼女を取り巻く阻害や問題、そこに隠れたやましさなどが画面を埋めています。
しかし鏡の魔法で立場を入れ替えることで、ダイアナの望みや立場、そこにある軋みなどが、ひっそりと明らかになりました。
安易に状況を変えるだけの魔法はトラブルを増幅しただけですが、今回見えてきた二人の少女の影と光は、今後何かが変わり、より善くなっていく足場となるでしょう。
むしろそういう、ありふれた怯えと勇気をちゃんと積み上げていくことこそ、このアニメが青春物語であるために一番大事な土台なのではないか、とも思います。

勝手に動く鏡像のように、立場を入れ替えてもアッコはダイアナの寂しさを、ダイアナはアッコのもどかしさを、そこまで理解は出来ません。
立場も能力も全然違っていながら、どこか似通った部分がある二人が断絶を乗り越え、相手のために本気で手を伸ばすのは、彼女たちが幼さの影を脱し、本当の意味で『大人』になる時……おそらくは物語のクライマックスなのでしょう。
まーシャリオへの憧れと同じくらい、ダイアナ(が代表するとアッコが思い込んでいる、魔女界の視線)への反発が主人公と話を引っ張っている以上、簡単に和解はさせられないよなぁ。
シャリオがアーシュラ先生であることに気づけないように、視野の狭さはそのまま、アッコの幼さの大きな特徴であり、シリーズ全体を通してちょっとずつ改善していく部分なのでしょう。


色々問題アリアリのアッコと、問題が見えにくいことが問題なダイアナ。
二人の生徒を見守る立場にいるアーシュラ先生ですが、アッコと触れ合ううちに少し心の整理がついたのか、『シャリオがここにいれば』という仮定の形で、自分の過去と向き合っていました。
シャリオに強い憧れを抱くアッコを鏡にして、かつてシャリオだった自分自身を見る一種のセラピーが、効果を出しているってことかもしれません。
そのことが『あなたにしかできないこと』というキーワードを浮かび上がらせ、アッコの迷い路を照らす足場になっているとしたら、師弟は相補いながら前に進んでいるわけですね。

かつてシャリオが握り、アッコに託されたクラウ・ソラスと、『魔法界復活』の使命。
今後お話はこれを軸に回転していきそうですが、となれば今の英雄候補たるアッコだけではなく、かつて英雄であり、その座から滑り落ちたアーシュラ先生の自己実現も、話の真ん中に座ってくるでしょう。
これまではアッコの『夢って叶うんですか?』『シャリオってどういう人だったんですか?』という真っ直ぐすぎる問いから身を躱していたアーシュラ先生が、クッションのかかった形でも『かつてシャリオだった自分』として言葉を託したのは、結構大きな変化な気がします。
ここら辺、地味に上手くなってるアッコの変身魔法と呼応する、成長の描写ですね。

アーシュラ先生の先生たるウッドワード先生も、積極的にアッコに試練を与えていました。
まだ人間である(というか、英雄たるシャリオを止めて人間であり続けている)アーシュラ先生に比べて、超自然的存在のウッドワード先生は、直線的で魔術的な導き方を好むようです。
まぁ先週も、『どっちを選んでも正解ではない問い』を投げかけることで、アッコの英雄としての資質を試していたし、ウッドワード先生は『試す』教師なんだろうなぁ……アーシュラ先生は『寄り添う』教師。

ウッドワード先生の鏡の魔術は、このお話が『魔法』をどう捉えているかを、如実に表していたと思います。
魔法で現実のルールを捻じ曲げても、巨像に命を与える実力は手に入らないし、急に優等生になれるわけではない。
アッコが『月光の魔女』に選ばれたければ、ダイアナがそうしてきたように過去に敬意を払い、自分の狭い視野で培われた興味だけではなく、広い視野で様々なものを吸収しなければならないわけです。
実際ダイアナは『古代ドラゴン語』という古い知恵を身に着けていたおかげで、難題を解決できたわけですし。
『信じる心が、あなたの魔法』であるのならば、『心が伴わない魔法は、現実を変化させない』ということも、また言えるわけです。

しかし鏡の魔法が引き起こした不思議な事件は、アッコにダイアナの夢と辛さを教え、彼女の心が変わっていく土台を作った。
その変化を受けて、かつては閉ざされていたポラリスの泉も再び開き、アッコが『私にできること』に気づいたところで今回のお話は終わります。
自分の幼さの悪い側面を思い知ったアッコが見つけた『魔法』は、どんなものか。
来週堪能できそうで、とても楽しみです。


それにしても、ポラリスさんはまだ少女のあどけなさを残したシャリオを見せてくれて、いい仕事だった……。
アーシュラ先生は『アッコと同じように青春を弾ませるおてんば娘』『偉大な夢を成し遂げたシャイニー・シャリオ』『夢破れたアーシュラ先生』という三面を持っていて、ポラリスで時間旅行することで一番幼い姿が見えるっていう構図ですね。
魔女と三相女神(ヘカテーやノルン、モイライなど)は非常に関係が深いので、『幼女』『青年』『妙齢』という3つの顔を持ってるのは、おそらく狙ってやってると思うんだけどなぁ……。

そこら辺のメタネタを抜きにしても、ただ憧れるだけだったシャリオが、自分と同じように泣いて笑って失敗して、色々人間臭い青春をくぐり抜けて自己を実現したと知ることは、アッコにとって大事なことだと思います。
泉に写った同じ年のシャリオを、憧れとして上に見るのではなく、友達のように水平の目線で語り変えているのが、小さな変化の切り取り方として秀逸ですよね。
あの映像を取っていたのは、二期PVで名前が出てたクロワ先生なのかなぁ……二人の道がどう別れたかも、今後クローズアップされそうで楽しみ。


そんなわけで、二人の少女、一人のかつて少女だった女、一柱の魔女神の思惑が交錯する、魔法祭前夜となりました。
実はこのアニメ、明確な前後編は今回が初めてなので、今回埋め込まれた物語の種がどう芽吹くのか、とても楽しみだったりします。
来週直接発芽しなくても、長いスパンで意味を持ってくる描写も沢山有るだろうし、ここらへんは2クールの醍醐味だなぁ。

アッコが見つけた『私だけに出来ること』『本当の魔法』がどんなもので、どういう輝きを放つのか。
劣等生のアウトサイダーが見せる光を、魔女界は、ダイアナはどう受け取るのか。
魔法祭と『月光の魔女』の結末も楽しみですが、少女たちの青春がどう転がっていくかが、やはり気になります。
来週も楽しみですね。