幼女戦記を見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年3月31日
かくして、戦争は続く。
やった勝った大勝利! からの泥沼の総力戦にツッコんで行く帝国と、泥舟と知りつつデキる社畜スタイルと心中する主人公を描きつつ、この話がどういう話だったのかを静かにまとめ上げていく、戦争と戦争の合間として平和な回だった。
この結末は、結構納得がいく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年3月31日
帝国が軍事は優れていても政治が下手なのは、ダキア戦の始末で描写されていた。
チート知識の集合体であるターニャが総力戦概念を早期に提出しても、先鋭的すぎて受け入れられなかったことも描かれている。この世界で最も進んだ社会認識を持つ参謀本部にすら、である。
歴史の結果と経緯を知り、惨禍を回避しうる能力を持ったチート転生者は、その予見性故に社会から孤立し、世界の潮流を握り得ない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年3月31日
なかなか皮肉な展開であるが、青白い部屋でのレルゲンとの語りは、作品の骨格たるこの矛盾を確認するシーンでもある。総力戦の時代と限定戦争の時代とのコーヒートーク
時代からも軍組織からも飛び抜けた知恵を持つが故に、組織に囲われてヌクヌク暮らしたいターニャの判断が受け入れられず、怪物扱いされる皮肉。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年3月31日
それはターニャが人心が理解らぬトカゲ人間であり、大隊規模から出ることを想像すらしない価値観を持つこと、ターニャがターニャであった結末でもある。
未来を知り、運命を知る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年3月31日
偽神たる存在Xによって人生狂わされたターニャは、皮肉にも預言者めいた立場にある。あるいはカサンドラか。
彼女の口から出る正解を世界が受け入れないのは、神の悪意でもあるが、自業自得でもある。そしてそれを乗り越えるには、ターニャも人間も小さすぎる。
『己はそういう存在である』と、物語が始まる前から規定された限界を、ターニャは変え得ない。成長しない。変化しない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年3月31日
大概の人間がそうであるように、世界を変革し得ないまま意地と自己肯定のなかで突き進み、局地的勝利を積み重ねて、大局的破局を嘆きつつ、運命に抗していく。
首都を陥落させれば終わっていた、政治条約の一環としての戦争が終わり、戦意が全国民に拡大し、産業基盤含めて根こそぎにしなければ戦争状態が終わり得ない時代が生まれる潮目。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年3月31日
渦を巻いて世界すべてを飲み込む破滅のなかで、様々なカルマが生まれる。
憎悪と感情を客観視し、それへの無理解と嫌悪を露わにするターニャもまた、別の形でカルマに囚われ、そこから脱出することは出来ない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年3月31日
安全と安心を求めて周辺国家を侵略した帝国も、それを脅威に感じて平和のために世界大戦に突入していく世界も、みな望みを手に入れられないまま、地獄に落ちる。
このお話はターニャを主役に手近な勝利の快楽を興奮たっぷりに描きつつ、そこからカメラを大きく引いて、カルマを超越し得ない凡人達が戦争に食われていく様子を切り取る話だったのかな、と思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年3月31日
足場が二つあるというか。それを両方大事に進めてくれたことで、凄く見やすい、面白いアニメだった。
ターニャはダメなやつだ。理性的である自分に囚われすぎて、他人が自分と違う存在である可能性を想像できない。情がない。判らない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年3月31日
ターニャは大したやつだ。神の呪いを受けても奮起し、自分にできることを精一杯やり、仲間と部下を守り、育て上げた。チート性能で思いっきり無双もした。
英雄劇であり、血で綴られた笑劇でもある、限定戦争と誤解された総力戦。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年3月31日
その主役として、道化であり無双の英雄でもある主人公を設定し、その怪物性を重視したデザインで共感を弾きながら突き進んだお話には、『俺の代わりにアイツが無敵』という投影の快楽を超えた意地の悪さが、たっぷり滲んでいた
勝利の美酒、感情の開放に酔いしれる参謀本部に、ターニャは入れない。幼女だからお酒は飲めない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年3月31日
その阻害は、理性的なリストラの結果逆恨みを貰って、線路に突き落とされた時と同じものだ。そこから変わっていればチート知識の活かし様もあったろうが、彼女は変わらないことを選んだ。
軍組織の枠組みを揺りかごとして、己の存在規定を変化させることなく安住し、そこから見える景色の範囲内で力を尽くす。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年3月31日
その結果、彼女は局地戦に勝ちまくる203の英雄となり、運命を知りつつ変え得ない無力な預言者となった。永遠の戦争は、彼女の怪物性が引き寄せた必然なのだろう。
なんのことはない。帝国とターニャは姉妹なのだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年3月31日
限定的な勝利に、他人の血を踏みにじる暴力によって己を慰めつつ、より大きなものを変えることは出来ない、カルマまみれのつまらぬ人間存在。
かくして描かれていたとおり、姉妹は手に手を取って、地獄に落ちていく。嘘のない良い終わりだ。
このように皮肉なスタンスから物語を描きつつ、愚者たるターニャも世界もその他全ての人間たちも、冷笑的には描かなかったのはとても良かった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年3月31日
そんなクソさが愛おしい、とはいかないが、バカなりに必死で全力であることを大事にして、アクションも芝居も血を通わせてくれた。客観性と熱の両立である
参謀本部の愚かさを笑うターニャも、視聴者の神の視点から見れば同じように愚かだ。その客観性は作品の枠を飛び越え、気づけば哄笑する僕自身を上から見下ろしている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年3月31日
『お前もまぁ、おんなじ感じじゃないの?』と。
無双と嘲笑の快楽で足を止めず、その領域まで引っ張り上げてくれたのはありがたい
ターニャに共感しすぎないことで、全てが泥の沼に沈んでいく、実りのない展開にも肩入れしすぎず、視聴者のダメージが少ないよう計算してくれたのも、匠の技だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年3月31日
幾度も重ねられた、空を行く虐殺者と蟻のような歩兵の対比のように、彼女の戦争は近くて遠い。アツいが痛くない。嗤うにはそれが必要だ。
主人公の努力が局地的には成功を導きつつ、大局には影響を及ぼしえないこの話をどう楽しむかは、視聴者にかなりの部分任されていたと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年3月31日
大佐殿と203の愉快な暮らしに興奮してもいいし、人間の悲喜劇を嘆いてもいいし、『なろう系』のメタな構図を読んでも良い。色々豊かなアニメだった。
かくして、物語は終わり戦争は続く。ソ連とアメリカが参加し、資源力ですり潰されることが確定した未来を見たい気持ちはあるが、今は終わったことに感謝し、お礼を言いたい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年3月31日
始まる前思っていたより、遥かに冷静で知的で、皮肉でアツいアニメでした。とても面白かったです。ありがとうございました。
追記
幼女戦記。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年3月31日
無双系主人公(という文脈を背負った愚者)に対する対抗存在に、『メアリー・スー』って付けるセンスは最高で最悪でした。
続きがあるなら、あの子が散々戸松のヒスった演技(最高)を撒き散らしながら大暴れして、ターニャとは違う地獄に落ちてく様子も描かれんのかなぁ。見てー。
追記の追記。類似過去作との比較。自分の好み。
あんま他作と比べるのは行儀よろしくないのだが、イゼッタは総力戦群像劇という体で始まって、結局主役二人の感情の個人戦で押し切ってしまった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年3月31日
対して幼女戦記は、無双をしつつそれが決定打にならない総力戦のルールの中で、色んな人がカルマをむき出しにする様子を描いてくれて、俺向きだった。
どっちが正しいって話ではなく好みの問題なんだが、個人的にはテーマと描き方に一貫性があり、ねじれが少ないほうが好みだ、ということかもしれない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年3月31日
単純に、シムーンの影を追いかけているだけなのかもしれない。みんな少女だった……。