月がきれいを見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年4月21日
青春皆殺し兵器も回転数を上げ、初夏の風が恋を加速させる第3話。修学旅行の予感に心がざわつく中で、青春の檻の息苦しさと、そこから顔を上げた瞬間の一呼吸が魔法この言葉を連れてくる。
どっしりと中学三年生を切り取る足腰と、ラストの一発の火力。見事な詩情の組み立てだ。
この話は特に派手なこともなく、中学三年生のナイーブで優しい自意識と、それを取り巻く世界のゆらぎを切り取っていくアニメだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年4月21日
そこで引き込むためには世界の奥行き、語らないことで醸し出される詩情をどう織り上げていくかが大事になる。独特の匂いがなければ、フツーの話はフツーで終わってしまう
つまり画作りと演出の言語選択が大事なのだが、今回は対比と繰り返しがとにかく上手かった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年4月21日
似ているのに違うもの、違うのに似ているものを幾重にも折り重ねて、生々しいのに憧れたくなる、詩的な空間を捏造している。その細やかな分厚さが、地道な物語に体温と生気を宿している。
一番わかり易いのはサブタイトルにも入っている『月』で、人間一人分開けた神社の軒先で見つめる月は、最初水面に揺れている。心が揺れているからだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年4月21日
そこから一手風が吹いて、女の子を見る。月光が輪郭を縁取り、笑顔が可愛い。視線が上がる。実体の月が揺るぎなくある。風が吹く。恋が言葉になる。
水面の月と、夜空の月。「つき…あって」という爆弾を外界に飛び出せるか否かの境界線は、小太郎くんと拓海くんの対比でもある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年4月21日
リーダーシップがあって爽やかで、とても良いやつなんだけども、運命に愛されずに恋を言葉にできない少年。水面の月をすくえなかった子がいるから、掴んだ男は際立つ。
目の前で恋を逃してしまったのは千夏ちゃんも同じだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年4月21日
なんか恥ずかしくて距離を詰めれない茜ちゃんを尻目に、元気に『ハネテルくーん!』と呼びかける彼女の無邪気さが逆に、水面の月を逃がす。
あの子も底抜けに良い子で最高なんだけどなぁ…みんな爽やかなのはとっても良い。
偶然太宰の『チャンス』をつかむ運命。金子くんの身勝手な恋を目撃してしまう偶然。いろんなものが絡み合って、小太郎くんは現実の月をつかむ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年4月21日
それは不可思議な青春の織物で、様々なものが響き合って生まれた決断だ。そういうマジックがあのシーンにあるから、勝負の一言は狙い通りよく効く。
対比と連続によるムードの作り込みは、今回の話が期末テストから始まることからも見て取れる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年4月21日
憂鬱なテスト、引っかからない新人賞。どうでも良くて、だからこそ切実な真っ白い檻。派手さのない抑圧を丁寧に描いているからこそ、段々と世界が広くなり、解放されたどり着く展開が鮮明に届く。
序盤は小太郎の憂鬱を繁栄して狭苦しい世界が、公園での練習、夜のロードワークと、だんだん広く明るくなっていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年4月21日
それは『夜だから暗い、昼だから明るい』という現実的な文法ではなく、劇全体のムード、キャラクターの心理を反映して、景色を彩っていく手法だ。世界は認識によって形作られる。
そういう叙情派の作劇はふわりと宙に浮いてしまいがちなのだが、この話はとても身近で、まるでそういう青春が僕らにもあり得たかのような錯覚をくれる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年4月21日
それは地味だからこそ細部に気を配り、妥協のない描写を積んでいるからこそ生まれる、ユートピア的なリアリティだ。嘘は本当からしか生まれない。
マックでシェイクのLを頼むときの『超金持ちじゃん』とか、茜ちゃんのために虎の子の500円玉を賽銭箱に投げる瞬間とか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年4月21日
中学三年生の金銭感覚を、さり気なく悪意なく的確に混ぜ込むことで、彼らは『お金を気にする』生身っぽさを獲得している。そういう部分の積み重ねが、おとぎ話に血を宿す。
小太郎くんが神社に足を踏み入れる一手一手の、細かく正しい描写。手水の使い方、参拝の仕方。陸上部の応援を見たときの『あー、こうだったわマジ』という感覚。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年4月21日
省略がない、だけどダレない描写を一手一手重ねることで、中学三年生という時間、青春を歩くキャラクターに重さが出る。
家庭の描写が細やかなのも、青春の細密画を成り立たせている大事な部分だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年4月21日
川越に起点を置く小太郎くんは、家族に頼まれて神社に行く。子供に交じるのを気恥ずかしく思いつつ、地域社会の一部として太鼓を叩く。泥臭くてちょっと恥ずかしいけど、茜ちゃんは大喜びしてくれるので、まぁ良いか。
そんな茜ちゃんは転勤族の子供で、川越という場所が一時の腰掛けになってしまうかもしれない前提で、中学三年生をやっている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年4月21日
『家』という檻/シェルターに縛り付けられ/守られている時代の、切断され得ない家族的自己同一性が、当たり前の日常の中に影を伸ばしている。
対比という意味では、LINEの顔の見えない気安さと、リアルワールドの手応え両方をポジティブに描いてきたのは、鋭いバランス感覚だと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年4月21日
どっちかを無条件に持ち上げてしまいがちなんだけども、LINEがなければ二人は繋がらなかったし、LINEだけでは繋がりきれなかった。
序盤では『教室では話せないけど…』と、仮想に望みを繋いでいた小太郎くんは、電池切れという仮想ゆえの不都合に阻まれ、コミュニケーションを阻害される。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年4月21日
不安に揺れたところで、思いもせず現実の茜ちゃんがやってくる。それは仮想の繋がりの中で、彼女を思って神社にいることを伝えておいたからだ
水面の月と現実の月は、どちらが優越するというものではない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年4月21日
完璧になんか慣れっこない、不格好な青春の中で、死に物狂いにあらゆる手段に手を伸ばし、つなぎ合わせてようやく届く。
そういう必死さを、月も風もLINEも祝福し、あるいは無残に過ぎ去ってしまう。そういうアニメ、俺は好き。
三話にして一気に勝負に出た小太郎くんの言葉を、茜ちゃんがどう切り返すかで話の方向は大きく変わるだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年4月21日
運命の転換点を次回に持ち越し引きを作るダイナミズムは、もはや『地味』ではない。立派に視聴者(つうか僕)の心臓を握り込んで、前のめりにさせている。
遠くから淡く見守るものと、近づいて月に手を伸ばしたもの。仮想と現実、両方を祝福しながら進んできた青春のタピストリが、この後どういう絵を描くのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年4月21日
作品に慣れ親しみ、愛着も出てきたいいタイミングでぶっ込んできました。さてさて、これからこの子たちはどうなっちゃうの。楽しみです。