有頂天家族を見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年4月23日
化けて化かして、幻惑の京都が渦を巻く。帰還した弁天は華麗なる残酷を見せつけ、狸の家族は長閑なぬくもりを共有する。色んな場所で色んな人々が出会い、色んな関係が見えて来る回。
弁天で始まり二代目で終わる、強キャラの背後の取り合いの構図が見事。
今回はまるまる天狗と狸の異世界を旅するお話で、人間のつまらん道理が顔を出さない回だった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年4月23日
手のひらに収まる月、地平線まで広がる屋上、毛玉の不動講。ファンタジックでシュールな光景が目を楽しませつつ、そこには色んな人間模様がある。有頂天家族の想像力、その醍醐味だと言えよう。
場面は天満屋との緊迫したやり取りから始まり、弁天の器官につながる。矢三郎を手玉に取る天満屋を、文字通り踏みつけにする弁天の増上慢と頼もしさが、終盤二代目に同じく文字通りひっくり返される構図が、非常に良く出来ている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年4月23日
馴染みの強キャラが足蹴にされる不満と爽快感。良い見せ場だ。
天満屋は『矢三郎の月』を盗む。それは漱石を引用するまでもなく、弁天への恋心のメタファーであろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年4月23日
同時に月とは天にあってあまねく地上を照らす公共物であり、盗むことなど出来ないはずのものである。しかし天満屋と矢三郎の間にあるマジック・リアリズムは、そういう不可能を可能にする。
公共物であり巨大なはずの月は、『矢三郎の』という所有格を与えられ縮小(矮小化ではなく)され、盗んだり取り戻したり出来るものとなる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年4月23日
個人所有の月。それは『この月は私のものだ』という認識から生まれ、想像と現実のあわいがあやふやな幻術の世界で成立する不可思議な象徴だ。
それを妄想と切って捨てても良いのだけども、月のようにあまねく世界を照らすとても綺麗なものは、大概にして個人的なものだ。共有されることもあるけども、各員個人個人が密やかに空に浮かべている小さな月があるからこそ、世界は暗闇ではなく、青白い薄明かりの中で輝いて見えるのではないか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年4月23日
それが矢三郎にとっては弁天への恋心であり、ワルツのように手順を繰り返す言語学的じゃれ合いであり、家族との関係性なのであろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年4月23日
だから、手のひらに宿る月はスペクタクルな妄想であると同時に、普遍的でナイーブなものに接続された、幻想的現実でもある。そういうものをサラッと描く。好きだ。
弁天帰朝の後は狸の時間が過ぎていく。暴力と政治が世界の中心にある、優雅で殺伐とした天狗の世界を鮮明に見せられたからこそ、緑色の自然の中で流れる狸的時間の柔らかさ、優しさが鮮やかに刺さる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年4月23日
二代目のシーンもそうだが、天狗の光景はおしなべて人工物が埋めている。美術が仕事をしまくってる
不動谷の祖母はすっかりボケてしまっていて、孫の顔もわからない。そんな母に苛立つこともなく、穏やかに優しく話しかける母=娘の肖像は、優しくて強い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年4月23日
弁天が見せたナイフの如き怜悧さとはまた別の、女の強さがそこにはある。良いもん見たなぁ、って感じだった。
弁天と別れてから弥三郎は、母-祖母-兄-弟と、家族と常に隣り合いながら話を勧めていく。それぞれ個別の事情と悩みと阿呆加減を抱えつつ、緩やかで確かな縁で繋がる下鴨家。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年4月23日
親と断絶した二代目、師匠をハメた弁天。天狗の生き様と狸のライフスタイルは、ここでも対比/対置される。
天狗は強くて狸は弱い。それは世界の理として厳密に存在しているが、強ければ幸せで弱ければ不幸というわけでもなく、家族の温もりがあれば幸福でなければ不幸せ、というわけでもない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年4月23日
複数のプロットを同時並列で流す凝った構成が、様々な生き様、それに伴う幸不幸を切り取っていくのだ。
蛙から戻れず、井中の異界で暮らす矢二郎兄さんは、世間的には大阿呆だろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年4月23日
しかし緑に囲まれた異界は見ていてワクワクするし、詰将棋も出来る。母は心配して薬を出してくれるし、弟も蛙になって訪れてくれる。そういう小さく歪んだ幸せ…『矢二郎の月』も井中天には輝いている。
閉じた井戸の中から、無限に広がる屋上へ。上下左右の運動が激しい場面展開に乗っかって、二代目が顔を出す。荘厳な音楽でアイロンがけ。バカバカしくて楽しい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年4月23日
屋上に収まるはずのない巨大な屋敷はつまり、井中天と同じくスケールの崩壊した幻術である。天狗も狸も、人間のロジックで生きてはいない
二代目は狸にも礼儀正しく冷淡に接し、礼法が拙い矢四郎にも電磁気学を収める同胞としてゴーグルをくれる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年4月23日
そういう態度が柔らかいからこそ、弁天にぶち当たる瞬間の激しさが目立つ。わざわざシーツをひいてからぶっ転がすという、紳士的激発は、非常に二代目らしい。
弁天様は無敵の女天狗であり、セカンドシーズンでも冒頭天満屋に見せたように傍若無人の超越者として振る舞うのだろうな、という予感がある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年4月23日
シーツにぶっ転がされることで、その予感がガツンと崩れ、荒々しく地面に叩きつけられる。この裏切りが、とんでもなく気持ちが良かった。
それは一期ではやらなかった『弁天の敗北』に触るだろうという新たな予感であり、二代目の存在感をグッと高める妙手でもある。インパクトもあるし、『おお、あのアマに一発お願いしたかったんだ!』という薄暗い快楽もある。『この野郎っ!』という反発もあって、これは矢三郎とシンクロする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年4月23日
どっちにしても、色んな感情が複合して惹起される見事なイベントを、見事に見せるいいヒキだった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年4月23日
赤玉先生を挟んで兄妹弟子でもある二人は、父を失い、父を奪った血みどろの家族でもある。狸のようにのんびりとは当然いかない二人が、自体をどう揺らしてくるのか。非常に楽しみである。
追記
有頂天家族追記。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年4月23日
サブタイトルには『欧羅巴の香り』とあるが、今回矢三郎が嗅ぐのは祖母の臭いであり、匂いである。悪臭と芳香を別けるのは身内の情であり、香気の源になる人格なのだろうが、ヨーロッパから帰朝した二人の匂いを、矢三郎は聞いていない。それでも、タイトルは『欧羅巴の香り』である
天狗と狸の世界がどれだけ別のルールで動いていても、実際矢三郎は弁天や二代目と隣り合い、奇天烈ながら体温のある関係を築いている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年4月23日
直接嗅ぎまわり、匂いを確かめ合う家族の関係ではなくても、風に乗って香りは届く。同席したくないほどの悪臭が人格から漂うなら、矢三郎は席を外しているだろう
二代目の礼儀正しい冷淡さに、あるいは弁天の翻弄する女に遠ざけられつつも、阿呆の矢三郎は香りが届く距離まで近づき、本朝とは異なる欧羅巴のスタイルを感じ取る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年4月23日
それは祖母の香りと同じように(そして全く別の)芳香であり、近づきたくなる魅力なのだろう。花に引き寄せられる虫のように。
さてとなれば、天狗たちは果たして矢三郎の香気を聞いているのか、見た目通りの冷淡な距離なのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年4月23日
『嗅覚』を持ち込むことで、人間関係がもう一つ立体的になる、良いサブタイトルだと思う。映像を見る視覚にもう一枚感覚を載せることで、作中の機微を想像するトリガーとして使っている、というか。