終末なにしてますか? 忙しいですか? 救ってもらっていいですか? を見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年4月25日
バターケーキに効率的な戦い方、理解のある軍人上司。様々な希望がきらめきつつ、未練と血しぶきを乗せて戦場が近づく。
ヴィレムくんの過去、世界設定なども見えてくる第3話。
お話の軸としては、屈折純情ガール・クトリくんのモヤモヤをヴィレムが体を張って受け止めるという、"スクールウォーズ"っぽいお話。お前らゼロか! ゼロの戦闘妖精か!
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年4月25日
ラグビーでは人は死なない(いや死んだけどさイソップ)が、妖精が向かうのは戦場、当然のように人が死ぬ場所である。
人として瑞々しく感情を迸らせつつ、当然のごとく資源として使い捨てられる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年4月25日
この矛盾をクトリは『諦める』ことで回避していたわけだが、ヴィレムくんは『希望を持て、兵器ではなく人間として生きろ。死ね』と言ってくる。残酷だ。クトリが『自分たちの適応の歴史がバカにされた』と思うのも最もだ。
人が人として、人らしく生きたいと願う気持ちは、咲かないうちに摘み取られる少女に涙を流していたナイグラートを見ても、この世界でも健在のようだ。ヴィレム周辺だけかもしれないが、狂った戦況に反してまともな人は多い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年4月25日
それでもシステムとして妖精爆弾が続いているのは、それしか手がないからか
可能性を開放し、効率的な戦い方をする。ヴィレムが見せた希望は結局踏みにじられるもので、後にくる絶望を高めるためのスパイスかもしれない。サブタイトルになっている『この戦争が終わったら…』と同じ、イベントを発生させるためのフラグメント、というか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年4月25日
絶望を際だたせるためだけに希望を描くなら、それは人間性の玩弄だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年4月25日
死地に赴いてなお光る人の証は、いつでも分かりやすく美しい。だからこそ、作品個別の輝きがなければ、『どっかで見た話』で終わってしまっては、死ぬために死ぬ世界を構築し、死ぬために死ぬキャラクターを消費することになる。
生死のポルノグラフティーと切実な命の記録の間には、薄くて主観的な膜しかないと思う。作品が誠実かどうかは、見た人一人ひとりによって判断の別れるところであり、同時にある程度の妥当性を持って言及しないと行けない部分でもあろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年4月25日
作る側だけではなく、見る側にも難しい主題だなと、改めて思う
さて、長々前提を話した上でこのアニメ、どうなのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年4月25日
ヴィレムくんが妖精に希望を与えようとする根底に、最後の人類として生き残ってしまった虚無感、自分はもう戦えない事実、身勝手なエゴイズムの投影がちゃんとあるのは、とても良かった。
救われなかった自分を救うために、少女を救う。
そういう身勝手さがあればこそ、救済は上から目線の恩寵ではなく、痛みを伴う自分の物語にもなろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年4月25日
かつて自分が守ろうとして守れなかった、滅んだ世界に撒かれた種子。人間によく似た投影対象としての妖精を生き残らせることで、ヴィレムくんは失ったものを再獲得しようとあがいている。
そして、エゴイズムに汚染されていても(いればこそ)、ヴィレムくんの献身と希望は綺麗で、意味がある行為だと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年4月25日
クトリが帰ってきてバターケーキを食べるにしても、やっぱ死ぬしかないとしても、バターケーキを作ってあげようとしたヴィレムくんは結果や心因とは無関係に、圧倒的に偉い。
クトリのねじれた諦めが解放され、少し変わった心持ちで死んで(生きて)いけるのは、一つにはライムスキンさんのおかげだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年4月25日
彼がクトリをヴィレムとは別の場所、別の価値観で受け止めてくれたからこそ、面倒くさいねじれは巧く解消されて、クトリはホームに帰還することも出来る。
そういう場所にたどり着くためには、やっぱりヴィレムくんが無遠慮に(見える形で)踏み込んで、ズカズカと覚悟(という名前の諦め)と継承された思いを踏み荒らし、風を入れなければいけなかったのだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年4月25日
その結果がどうなるにしろ、世界は少し変わったわけだ。
先程フラグメントという言葉を使ったが、沢山の断片が繋がって武器になる聖剣と、バラバラになりかけてるのをなんとか繋ぎ止めているヴィレムくんと、希望と絶望を撚り合わせてどっちに転んでいくのかわからないこのお話自体は、面白い投影関係にあると思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年4月25日
バラバラなものが細くて強靭な糸でつながって、お互い連動する。EDの"♪さよならで 繋がれた 私たち"という詩は、上手いこと作品のテイストを曲にしたなと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年4月25日
それがさよならになるかも含めて、ヴィレムくんが連れてきた風が妖精をどこに連れて行くのか。来週は戦場である。
あ、幼女集団がわーってヴィレムのもとに押し寄せ、わーって帰っていくところは凄く好きです。可愛くて、可愛いことがとても残酷。このアニメらしいなぁと思います。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年4月25日
ジャンルのお約束としてはクトリ世代は全滅すると思うけども、小さいあの子らが死ぬところもやるのかなぁ…やるよなぁ、そりゃ。
あと聖剣を調律する行為が楽器に例えられているのも、戦闘以外の可能性をはらませつつ、その実敵と味方をぶっ殺す役にしか立たないろくでなし兵器っぽさが叙情的に醸し出されていて、好きなシーンでした。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年4月25日
単純に絵としてファンタジー力高くて良いね、あそこ。