アイカツスターズを見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年4月27日
譲られた玉座に座る道化猫、早乙女あこの正念場。奪われたブランド、奪われたプライドを前に、あこ個人とこの作品がどう向き合うのかがテストされるエピソード。
トータルの仕上げは上々なのだが、様々に難しいコーナーが立ち現れる。そういうお話。
今回の話はすごく難しいなと始まる前から思っていたし、見ているときもそう思ったし、見終わった後は更に強くなった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年4月27日
それはスターズが『普通』であるということ、善意が嫌味にもなってしまう世界であるということ、敗北と惨めさを扱いつつ甘いコーティングをしなければいけないことと繋がっている。
今回のお話は様々なレイヤーがあって、ひとつはあことゆめの四ツ星サイド。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年4月27日
ブランドを奪われ、スター集団としての格でも下に取られ。S4の赤服に身を包んでいても、彼女たちは成長途中の主人公だ。
スターズはそういう話として進んできたので、彼女たちが未熟な負け側なのは自然で、誠実でもある。
きららの持っている『華』を巧く描けたかどうかは別として、あことゆめが正面から叩き潰され、それに思い悩み、敵に向かい合う勇気をお互い出し合って答えにたどり着く道は、正しく悩めていたと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年4月27日
ここで『向かい合えない弱さ』を入れ込むのはスターズ的だし、そういう泥っぽさが好きでもある。
あこは今回も負ける。最上の褒め言葉として『文句をつけるところはない』までしか引き出せない凡才として、エゴイズムに固執し、ブランドイメージの発信というミューズの責務に気づけない愚物として、間違え続ける。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年4月27日
そういう惨めさは、善意『しかない』天才であるきららには届かない。
きららは自分の世界でしか生きていないし、その傲慢さで世界全てを塗りつぶせてしまう善なるエゴイズムの怪物だ。天才と言っていい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年4月27日
ここら辺はゆずの才能描写とも重なるところで、凡人が周りを伺わなければ適応できない世界を、天才は好きなように踏みにじり、塗りつぶす。それを世界が望んでいる。
そういう存在の対比になるべく(もしくは噛ませ犬として新キャラを引き立たせるべく?)、あこは圧倒的に凡俗で『普通』だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年4月27日
S4の赤服を譲られても、その『普通』さを開き直り、『普通』であるがゆえの強みには、まだ辿り着けない。だから発展途上なのだ。凡人としての完成が描かれるかは別にして。
ゆめもまた同じ文脈にいて、彼女を主役にする以上スターズにはそういう『普通さ』、普通であることの惨めさが流入してくる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年4月27日
それは僕達の物語であり、作品に体温を感じさせる大事な足場になるはずだ。同時に、ステージを舞台にする以上才能も描かなければならないし、選ばれた輝きを描く必要もある。
相矛盾する凡俗と才覚を両方天秤に乗せ、その微細な強さと弱さを貶めることなく描いていくこと。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年4月27日
スターズが選び取った『普通』さにはそういう難しさがあって、あこの迷妄と一筋の光を描く今回、非常に明瞭な形(グロテスクと言ってもいい)で見えたと思う。
あこはWミューズという提案を蹴る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年4月27日
きらら(ひいてはVA)を悪者にせず、話をオトすためにはベストな選択肢だが、凡人ゆえのプライドを守るためには、ここでその提案は受けれない。
あの拒絶はツンデレキャラのノルマではなく、泥の味を知っているが故の最後の一線だと思えた。とんでもなく大事だ
きららが見ている世界、敵と味方の境目がなく、自己と他者の境界線があやふやな、ふわふわとした夢は『正解』なのだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年4月27日
だが、あこがステージアクターである以上、アイドルである以上、たとえ100万にんがきららの夢に酩酊したとしても、あこだけは苦い自分だけの現実を是としなければいけない。
その小さな足場にしがみつくこと、器の小さな凡人であることに固執することだけが、『普通』であることのポジティブな意味を切り取る武器になる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年4月27日
あこが見せた意地はだから、同じ凡人であるゆめと、彼女を主人公とするお話がどこに進むかのテストケースであり、先を照らす光だ。
の、だが。そういう意地を張った後、エゴとエゴがぶつかりあう緊迫した(でも『普通』の)空気を弛緩させるかのように、あこは猫キャラとして猫じゃらしにぶつかる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年4月27日
ギスギスバチバチした苦い要素を扱いつつ、それ一本で煮染めてはいけない『女児向けアイドルアニメ』というジャンルがあこを支配する
そこが、今回の話しの、スターズの難しさの一つだ
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年4月27日
『普通』であること、善意と才能と可能性で世界のすべてを塗りつぶしてしまわないことを選び取ったからこそ、あこの惨めさと矜持みたいなものをかける
でも、どシリアス一本で走れる時間帯でも、ジャンルでもない。苦さの調理法を考える必要がある。
その手立ての一つとして、あこは『負けてもそんなに心が痛まない、道化めいたキャラ』にされている部分があると、僕は正直思っている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年4月27日
二枚目半で空回り、思い込みが激しくて、自分をいつまでたっても客観視出来ない、『負けて当然のキャラクター』にポジションされている感じを受ける。
それはそれで劇作の方法論の一つなのだが、結果としてあこはS4を譲られ、『勝って』しまっている。『負ける』キャラなのに、少なくとも四ツ星という区分の中では、アイドルの天井の仕事をしなければいけない立場にある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年4月27日
この軋みを描き切れれば凄く面白いと思うが、それは色々な意味で難しい。
自分が『負けた』理由はわかった。(そのための重要な仕事を、ゆめが助言という形でしっかり果たしたのはとても良かった)
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年4月27日
でも、あこは天才ではないからすぐには変われない。器の小さなエゴイズム、変えようのない自分にしがみつく振り回されながら、必死にやるしかない。無様でも赤服を着るしかない
僕はそういう早乙女あこがとても好きだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年4月27日
ずーっとあこが苦しんで悩んで、一歩ずつ自分を拡張し、成功に思い上がってまたぶっ潰されて、それでも戯けた態度で立ち上がって、小さな成熟を積み重ねながら無敵になる。
そういうスターズを見たいわけだが、それが捻れた妄念でしかないことも知っている。
キラキラピカピカで、自分の物語ではないからこそ、高く輝くスターの話だからこそ、憧れてずっと見たいと思える。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年4月27日
ジャンルとして、産業として、物語としてそういう要素にも誠実に向かい合う必要があるからこそ、あこはVA留学はしないし、Wミューズも飲まない。主役だけが立てる舞台から身を引く。
そのもの分かりの良さを哀れと思うか、健気と感じるか、残忍と断じるか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年4月27日
一人ひとり意見はあろうが、どっちにしてもカメラは四ツ星から離れ、VAへと移る。第2段リリースタイミングという厳密な資本主義がそびえ立つ以上、泥臭い話ばっかりやっているわけにはいかんのだ。
ピカピカのニューカマーを映すカメラの中に、あこはいない。ゆずもいないし、リリィもいないだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年4月27日
一期で捌ききれなかった人数を限定し、見せるべきものにフォーカスした舞台設定と取るか、実利のためになりふり構わぬ切り捨てを見せた、情のないシリーズ展開と取るか。これも意見は別れるだろう。
今回あことゆめが見せた未熟さ、泥臭さと真正面から勝負し、四ツ星のなかでS4として、精一杯背伸びし続ける話もできたと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年4月27日
それはそれで可能性を感じるし、S4の立場とキャラクターの実力不足のギャップを活かすには、そこに切り込んでいくのは誠実だし面白いとも思う。しかし、物語は海へ進む
その舵取りがどういうものを切り取るのか。新しくてキラキラしたものを描く時に、古ぼけていて泥臭いものをどれだけ思い出せるのか。キラキラを圧倒的に描けるか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年4月27日
そういうものを見なければ、今回描かれたあこの愛おしい苦闘の値段は付けられない。そこがこのエピソード、もう一つの難しさだ。
先を見ないと評価できないのはVA組も同じで、きららの『悪いやつじゃなくて、むしろ器もあって良い子なんだけども、無垢な善良さが無意識に周囲を踏みすぎ』というキャラクターは、オモシロイと思った。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年4月27日
あこが持っていない才覚の権化として、なかなかいいポジションに居る。
他人の事情を斟酌できない視界の狭さってのは、VA組に共通の弱点だ。エルザも凄みはあるが優しさが(身内にしか)ない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年4月27日
才に認識が追いつかない不完全さは、スターズらしい『普通さ』だし、今後埋めていくギャップなのだと思う。その歩みは、あこの苦闘とおナジ用にじっくり進むだろう。
八方丸く収まるWミューズの提案が、あこ個人のプライドを踏みつけにし、生きる上で一番危うい部分に踏み込んでいることに、きららは気づけない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年4月27日
そういう生き方をしても生きてこれるだけの才覚があったのだ、と見せる上で、"おねがいメリー"の甘い歌声と酩酊感には説得力があった。
今ここできらら(とエルザ)の人格が完成し、『実力は判るけど、なんかヤな奴』という立場が埋まってしまうと、相互理解のお話はエネルギーを一気に失う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年4月27日
やることがなくなってしまうわけで、状況を客観的に判断し、成長の糧にする仕事はあこやゆめが担当することになる。
物分りが悪いのも仕事の内、というわけだが、それにしたってきららが踏んだものはあまりにもナイーブで、踏み方は無邪気だからこそ凶悪だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年4月27日
そういう欠損にどう気づいて、どう埋めていくか。VAにカメラを映すことで、そういう部分に立ち入れるのか。そこを見ないと、今回のきららの評価はしかねる。
とは言うものの、きらら個人の無邪気な邪悪さ、溢れる才覚、エルザとの関係性は、なかなか魅力的に描けたと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年4月27日
『やな感じだけど、いいところもあるな』というバランスも、現状巧く取ってライバルを描けているのではないか。控室でのエルザとの抱擁は、閉じているがゆえの危うい魅力があった。
あ、ブランドの大人たちはきららの才能を引き立てる背景から半歩すらでず、子供のプライドを守護するでもなく、風見鶏のように意見も態度もクルックル変えててゴミ以下だと思いました。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年4月27日
主役にするわけにいかないのは判るが、もうちょっと書き割り以上の人間性を持たせてくれ。機能以外を省略しすぎ。
あこの凡俗と苦闘とプライド、きららの才覚と無邪気と無神経。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年4月27日
二人のミューズの明闇を巧く扱って、キャラを際立たせるエピソードになったと思います。
だからこそ、負け役をやったあこにはどっかで報いてほしい。凡人だけの答えを、ちゃんと出せるように物語の道路整理をやってあげてほしい。
凡人の到達点を描くことで、天才たちの飛翔もまた、それに照射されてよりクリアな姿で切り取れると思うしね。その対比は、『普通』であることを選び取ったスターズだけのアングルだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年4月27日
そのためには諸事情を乗り越え、物語とキャラクターを手際よく配置し、いろんなものを切り取らなければいけない
『お話の都合』という万能道具で押し切る部分を極力削り、美麗の中に残忍を、敗北の中に希望を、効率よく詰めなければならないだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年4月27日
そういう矛盾と昇華の描写を、スターズ二期がやれるか。小春本格復帰となるだろう来週は、その試金石になる。楽しみでもあり、恐ろしくもある。