有頂天家族を見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年5月1日
天狗の嵐は不穏な凪にいっとき収まり、流れてくるのは駒の音。ぱちりぱちりと小気味良く、恋の駆け引きゆくえはどちら。
というわけで、将棋大会と矢一郎兄さんの恋話。しっとりと穏やかな運びを雨と将棋盤が見事に彩っていて、詩情と優しさのある話だった。
矢二郎が主役かと思っていた将棋話だが、指し手はスルスルと移り変わって玉蘭から矢三郎、矢一郎と映る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年5月1日
南禅寺の兄さんがくるりと盤面を回したように、あるいは矢三郎から玉蘭に指し手が早変わりしたように、相手の立場にたって世界を見れる余裕と優しさが、『指し手』を通じて表現されている。
今回はモチーフの共通性・変奏性が特に際立つ回で、二人で無ければさせない将棋を恋の盤面に使ったり、父との思い出を呼び覚ましたり、豊かな見せ方だった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年5月1日
怒ると虎になるところや、将棋への強い愛情など、玉蘭と矢一郎はよく似ている。そこもまた、共通性の反復だろうか。
今回は高所の使い方も幾重にも重ねられていて、阿呆共の悪口大会にキレて高所から降りてきてしまう玉蘭とか、「兄貴が謝るまで降りていかないぞ!」と決意を固める(そして真っ先に降りる)矢三郎とか、『他人の手の届かないところ』の使い所が面白い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年5月1日
矢二郎兄さんも、井戸から出てきたしね。
手が届かなかったものを呼び寄せる。近づく。歩み寄る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年5月1日
それは物理的な歩みであるし、心理的な武装解除であり、失われた思い出の再獲得である。
矢三郎が思い出した阿呆の将棋は、父との思い出にとどまらず、玉蘭という新しい家族を向かい入れる大事な一手になる。いろんなものが響き合っている。
そんな矢三郎が高所から降りるつもりになったのは、海千山千の桃色狸であるママン(可愛い)が懐に滑り込んできたからだし、息子(妹)の幸福を願い、穏やかに婚儀を進めていく姿勢は南禅寺と共通だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年5月1日
それぞれの盤面を持ちつつ、緩やかに繋がったタヌキたちの優しさ、阿呆さが愛おしい。
そも、一般的な将棋のルールでは桃色狸は違反だが、摩訶大大将棋や泰将棋まで広げれば自在な動きをする駒はたくさんある。金角・銀角が化けた自在天王も実在する駒で、動きは『ワープ』だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年5月1日
阿呆として固定観念を取っ払い、相手の盤面をひっくり返して持ってみれば、良いところにたどり着ける。
そうして、拗らせた二人の恋が収まるべくして収まる話が、『動物園の狸は、演じられた役割である』という転倒から始まるのも、面白いひびきあいか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年5月1日
狸の事情は、狸の盤面を持ってみないとわからない。阿呆の目で世界を見る楽しさを、このアニメは豊かに、ファンタジックに広げてくれる。
蛍が光るのは愛を告げるためだから、恋駒がぶつかり合う二人の盤面によってくるのも当然。見事な演出に助けられ、綺麗なラブストーリーとして収まったお話だが、なんと花嫁が将棋盤に吸い込まれて続いてしまった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年5月1日
この破天荒も、マジック・リアリズムの楽しみであろう。
というわけで、様々なモチーフを幾重にも変奏し、折り重ね、豊かで柔らかな恋の織物にまとめ上げてくれた、しみじみいい話でした。合間合間に父との思い出、ノスタルジーが差し糸として入るのが素晴らしい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年5月1日
可愛い毛玉も山盛り見れたしね。やっぱママン狸は可愛いなぁ……来週も楽しみです。