『ゾンビ最強完全ガイド(ロジャー・ラックハースト著、福田篤人訳、エクスナレッジ)』読了。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年5月12日
邦題マジ最悪だが、中身は英字タイトルの『zombie:A Cultural history』にふさわしく、非常にどっしりしたゾンビ研究の本。ハイチから日本まで、空間と時間を踏みしめながら探る
ポップアイコンとして、恐怖の象徴として、俗悪な遊び道具として、今や世界中に伝播したゾンビ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年5月12日
本著はその源泉から現在までをハンディなスタイルで調べ上げ、まとめ、批評した本である。1887年から2015年まで、ハイチからボリウッドまで、植民地紀行文からゲームまで、守備範囲は広い。
しかし足場が軟弱というわけではなく、時系列に従い様々な資料を読解していく落ち着いたスタイルは、ゾンビというテーマが持つ何処か上っ付いた空気を、巧く払っている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年5月12日
縦深が深く、テーマへの眼差しがしっかりしているので、読みやすく明晰だ。
ゾンビは西洋にとっての異境・ハイチの謎めいた習俗として西洋文化の前に現れる。それは黒人奴隷がアフリカから移植した精霊信仰の延長であり、常に植民地と西洋の境界線に位置している。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年5月12日
この横幅広い本に一本の筋を通すのは、植民地と西洋、近代と野蛮の境界線を常に睨みつける姿勢だ。
日本人にも馴染み深いラフカディオ・ハーンのハイチ紀行文、もしくはシーブルックの『魔法の島』に宿っている、近代からの闘争の視線。逃げ場所として野蛮な国を見る目線。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年5月12日
それは異境人を常に食人種として描いてきた差別の目線と絡み合い、食人族としてのゾンビを実体化させる。
黄禍論/人海戦術と『群れ』としてのゾンビの繋がりを見つけたり、アメリカ南部に住み着いた『異物』としてハイチ人移民のコミュニティを睨む目線とゾンビ受容を重ねたり。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年5月12日
植民地が独立してもなお残響する衝突と境界を見逃さないことで、雑多なゾンビ文脈に文化史としての背骨が入っていく。
前半かなりの部分を『zombi-zombie』『Vodou-Voodoo』という言葉の変化に費やしているのは、境界線をまたいで/侵略してアメリカに入っていくゾンビを分かりやすく描く上で、非常に強力な装置になっている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年5月12日
言語は変化し、土着的文脈は差別と無知のなかで忘れ去られる。
政治的にハイチを制圧しつつ、ゾンビに込められた意味合いを略奪し、ポップカルチャーとして、あるいは政治を加速させる偏見の装置として使い潰していく歩みを、この本は丁寧に追いかける。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年5月12日
国際化し、NetflixやSteamで楽しめるゾンビたちも、その歴史から逃れているわけではない。
紀行文-パルプ小説-映画-ゲームと流れ行くポップカルチャーの流れ、その中で歴史的事件と照応しながら変化していくゾンビの姿を置い続ける筆も、タフで着実だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年5月12日
それは個別の作品であると同時に一時的ブームであり、一つの文脈でもある。並べることで、関連と差異をちゃんと確認できる。
ゾンビにまつわる差別性を冷静に見る目が、『低俗なものを持ち上げることで、自分を高貴な位置に押し上げる』という高低差の戦術から、巧くこの本を回避させているのも大事だろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年5月12日
ゾンビは下らないものであり、同時に様々な意味を持った様態でもある。他のすべてがそうであるように、見る価値がある
特に後半、ゾンビの時間旅行が映像の世紀にさしかかり、映画の中のゾンビが主題になった時、その冷静な目が活きてくる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年5月12日
ロメロ諸作品(とその後継作/模造品)を文明批評として捉える既存の文脈を踏まえつつも、行き過ぎた部分はバッサリ切り落とす筆の小気味よさは、読んでいて気持ちが良かった。
無論、コンパクトな判型に収まりきらない部分は多々ある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年5月12日
アウシュビッツとヒロシマ、大量死が突きつけられた1945以降のゾンビの『群れ化』をこの本は語るけども、では第一次大戦の塹壕の死骸が起き上がらないのは何故なのか、とか。
そういう意味で、最強でも完全でもないこの本が『ガイド』な部分だけは、邦題は正しい。この本が切り取った視線と視座をあくまで足場にして、そこから広げていくための導きは、非常に確かな筆でしっかり描かれている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年5月12日
頷きつつ、あるいは反発しつつ、ゾンビの新境地を飲み込めるいい本だと思う。
『ハイチの古ぼけた民族』もしくは『ハリウッドの異端児たちの昔話』で終わらせず、『いま・ここ・わたし』に繋がる要素をしっかり描いて終わっているのもとても良い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年5月12日
世界的感染拡大の危険視と、パンデミックとしてのゾンビ。
極限化したグローバル経済と、ハイチの奴隷労働力としてのゾンビの帰還
日本人の読者としては、ラフカディオ・ハーンから始まって三上真司に帰還する構成が、なんだか不思議に身近で面白かった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年5月12日
ハイチから遠く離れたこの国でも、"がっこうぐらし"もあれば"凍京ネクロ"もある。作者が言うように、ゾンビは産業化した現代の産物でもあるのだ。
結論として『ゾンビには色んな顔、色んな歴史、色んな文脈があり、よくわからない。わからないから面白いだろう?』と語りかけてくるこの本は、最強でも完全でもない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年5月12日
だからこそ誠実で、面白い本だと思った。ポップでありながら沈着、低俗さを維持しつつ強靭。良い読書だった。