Re:CREATORSを見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年5月28日
さらばまみか! 女の涙は一度だけ!! というわけで、被造物で井一に人格的完成を見せたまみかがイノイチで退場する回。彼女が達した境地に届いていない人たちが、生きたままウロウロする回でもある。
アルタイルの袋小路が明らかになって、さてどう転がすか。
色んなことが起きた回であるが、やっぱ一番鮮烈だったのはまみかだったと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年5月28日
問答無用に暴力と自分の世界観を押し付け、変化と対話を拒んでいたところから、被造物の宿命から最初に抜け出し、己を書き換えた存在へ。そのままでいては物語を制圧しきってしまうので、退場自体は妥当。悲しいけども。
まみかは色んな意味で先に走り、先に完成するキャラなのかな、と思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年5月28日
まみかが先んじた『被造物は作られるままの存在であることをやめ、作者という親のくびきから開放され、自分を発見する』というルートは、今後全ての被造物が走る(もしくは、もう走っている)道だと思う。
誰もが環境や親、創造主の奴隷であるところから始まって、どうにもならない『自分らしさ』に押し流され、疑い、書き換える道を歩いて成長する。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年5月28日
一番子供だったまみかは、一番最初に自分自身の道を、生まれきた場所を肯定し、それに準じて生きようとしたのだ。それはやっぱり、良いことだったと思う。
アルタイルはまみかの選んだ道を拒絶し、自閉した。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年5月28日
『お前に私の何が分かる!』と。
それを前提とした上で、少しでも分かろうとする努力、想像力のあがきが創作であるのなら、アルタイルの言葉はどん詰まりへの一直線でしかない。対話不可能性を睨みつけた上で見る夢が、物語なのだ。
己は書き換えられる。被造物の宿命は変更不可能なものではない。登場時に何も見ていなかったまみかがそう言うからこそ、そこには説得力がある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年5月28日
凝り固まってしまったアルタイルを切り崩すのはまみかではなかったが、彼女が見せた道自体は、この作品で追い求めるべき正解だと思う。
おんなじように凝り固まり、『私の何が分かる!』と吠えているアリスとも、まみかは話すことが出来る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年5月28日
露骨に遺言だったビルの上の対話…高いところから『現実』を俯瞰する魂の交流の果てに、アリスは自分を切り崩すヒントを少しでも手に入れたのだろうか? そうであると願いたい。
被造物の反抗期をまみかは健全に克服し、その健全さゆえに反抗期真っ只中のアルタイルに不意打ちを食らう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年5月28日
『不真面目』な作者を弥勒寺はボコボコにし、マガネは一線を越えて作者を殺す。親と良い付き合いが出来ているセレジアは、相当恵まれている立場か。
被造物は創造主に責任を求める。その関係性は様々ながら、生まれいでてしまった創作の赤子は世界に問う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年5月28日
『それで/これでいいのか?』と。
ゲームを通じて、死別した親の真心を感じたメテオラは、まみかとおなじように己の反抗期と対話し、既に『あがり』を迎えているキャラなのかもしれない。
そんなメテオラに『誰かの話』として己の複雑な立場を叩きつける颯太もまた、反抗期の子供なのだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年5月28日
彼が少年として、創作者として自分の答えを見つける小さな物語が、このアニメで一番太い線だ。解決すると話が終わってしまうので、これは引っ張る。ウダウダ悩んで、答えはそうそう出ない。
まみかが健全に、強靭に己に向かい合い、出した答え。それに颯太もたどり着けるのだろうか? 自分が殺してしまった少女、その恨みで世界をぶっ壊そうとしているアルタイルを、己の被造物として引き受けることができるようになるのだろうか?
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年5月28日
多分出来る。それがこの話の終着点だ。なので、先は遠い。
己の正しさを超常パワー(マジカルスプラッシュフレア、超火力過ぎッ!)に託し、ぶつけ合える被造物はまだ楽なのかもしれない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年5月28日
混沌として答えも筋書きもなく、徒手空拳で自分だけの孤独な答えを見つけなければならない普通の少年は、殴り合って正当性を体で示すことも出来ない。
彼に用意されている物語は、被造物の派手さも悲壮さも特殊性もない、ありきたりでつまらない青春の逡巡だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年5月28日
被造物と違って、自分と同じ目線で悩んでくれる仲間もいない。彼女は一足先に、自死という形で自分の反抗期にケリを付け、そのツケでアルタイルと世界は大変なことになっているのだ。
これからも、ぶつける先を見つけられない颯太の孤闘は続く。大概の視聴者(ていうか僕)が『つまんね、地味、何やってんだお前』とツッコみ続ける、手応えのない青春の苦闘が。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年5月28日
でもそのちっぽけさが、派手なぶつかり合いと長いモノログ/ダイアログで埋まったこの話の中では、結構大事なのかも知れん
メテオラ殿は他人の話という体なのに『僕』って言っちゃう颯太の破綻を突っ込まない優しさを持っているが、頷いてくれる『良いママン』だけでは反抗期は解消しない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年5月28日
引っ掻き回し、興味本位で首を突っ込んでくれる『悪いママン』役をマガネがやってているのは、偉いというか構図が透けすぎというか。
まみかが先行して答えを出し、退場してショックを有無役だったように、颯太の問題を表面化させ、そのことで主役を保護するのがマガネの仕事だろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年5月28日
この話がアクションである以上、それは謀略や暴力、時々死という形をとる。あっという間に連絡経路を繋ぐ手際は、老練な物語操作能力を感じさせる。
あんまり物語的正解を出しすぎる…大人として完成されすぎるとまみかのように退場してしまうので、弥勒寺は暴れすぎず分かりすぎずの良いところを付いたと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年5月28日
『そっちの事情も判るが、俺の気持ちが収まらねぇ。殴らせろ』は、バランスの取れた良い答えだった。まぁ殴るよね。
被造物に対し不真面目で、責任を果たさない作者。創作物に不実な作者。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年5月28日
糾弾されている彼らは『颯太がなってしまってはいけない大人』であり、松原は『なるべき大人』なのだろう。…正解を出しすぎて、まみかのように退場しないことを願う。あんたがいないと、味方サイドの屋台骨が折れる。
『根性ドブゲロでも、創作態度が不真面目でも、仕上がった作品が面白ければそれで良いんじゃないの?』という価値観は当然あるが、このお話が作者と作品の乖離性まで突っ込むのかは解らない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年5月28日
己が作り出した物語に過剰に入れ込むとどうなるかは、種々の政治的・民族的・宗教的悲劇が教えるところだし
物語ることは人の本質で、『現実』なるものも人間は物語化することでしか把握できない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年5月28日
だからこそ、物語との適切な距離を見つける必要がある。
まみかがたどり着いた結論、彼女の退場を活かして、そういう骨格をより強靭にできれば、この話はより善くなっていくかな、と思う。活かして欲しい。
それはさておき、やっぱ台詞で説明しすぎ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年5月28日
みんな言葉で自分の内面を説明してくれるのは、分かり易くはあるが自分的にはトゥーマッチだ。
まみかとアルタイルの対峙を上から切り取る構図、そこにぽつんと置かれた玉座のように、絵に喋られせる強さがあるのだから、そっちに頼っても良いんじゃね?
言語化されたものは一つの答えだが、自分なりに読み込み、考え、たどり着いた読みは百以上の顔を持つ。それが誤答だったとしても、自分なりにたどり着いた答えだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年5月28日
まみかの結論は、『マジカルスレイヤーまみか』が用意した一つの答えを飛び越え、自分なりの百の言葉を自分の手で掴んだから重さがある
それを語る物語は、もっと視聴者が読む行為に信頼をおいて良いんじゃないのかな、と思う。メディアとメッセージが乖離しかけているというか、そこまで行かないけど危うさがあるというか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年5月28日
ここらへんは個人的な好みだし、渡された作品から何を見出すかは読者の自由なわけだけども。
アルタイルは読者の『読む自由』がSNSによって拡大・加速され、原文が原型を留めないままに異形化したまま流通してしまう『今』の産物だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年5月28日
誤読が暴力となり、それに追い込まれた結果セツナは自死した。颯太は暴走する『読む/読まれる』のケイオスから目を背けている。アルタイルはキレてる。
アルタイルの自閉に頷けないのは、作者の主観がどうあれ、、身勝手に無責任に読まれてしまう作品/作品として投げ出されている人の宿命を無視しているからだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年5月28日
まみかの道にうなずけるのは、開かれたテクストとして自分と世界/読者を認め、それに準じて己を書き換えていく活力が生き様にあるからだ。
群像劇でもあるこの物語の中で、各キャラクターが作品に対し、あるいは作品である自分自身をどのように読み、どのような読みを許容していくかは、多彩であるべきだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年5月28日
そのぶつかり合いがまた生き様を変え、自分という作品を書き換えていく。もしくは、書き換えないことに固執する。
その潮目の中で、颯太は/アリスは/アルタイルは作品として、作者としての己と向かい合えるのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年5月28日
先に結論にたどり着いたまみかの堂々たる退場が、そういう構図を鮮明にする回だったと思う。存分に悩み、傷つけ、自閉していって欲しい。それが、まみかの歩いた道に続くのであれば。