有頂天家族を見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年5月28日
早雲の死が薄暗い影を伸ばす中で、矢一郎と呉一郎は新しい関係に漕ぎ出していくことを選び、天狗は天狗の、狸は狸の世を生きる。
新しい家族を作るもの、井戸から大海へ漕ぎ出していくもの、子供であり続けようともがくもの、その協会を飛び越えるもの。複雑な京の空色。
有馬の地獄から京都に戻り、物語は平穏と日常を取り戻す。しかし流れ行く時間の中で全ては揺れている。死人は蘇らず、関係は変化し、あるいは取り残されていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年5月28日
薄曇りから空が見え、清水寺の艶明かり、山中の焚き火へと。様々な色彩を見せる明かりの演出が、穏やかに雄弁である。
早雲の死を以て下鴨と夷川の因縁には一旦、終止符が打たれた。正確にいえば、次代を担う矢一郎と呉一郎、二人の男が終わりにすると決めた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年5月28日
どうしようもなくこじれてしまう因縁の糸も狸の因果ならば、それを断ち切る決意もまた、狸の強さだ。父の死を咀嚼し、つがいを貰って矢一郎は本当に強くなった
井戸の中にこもっていた矢二郎もモラトリアムから抜け出し、祖母の思いやり、母の優しさ、兄の決意を受け止め、荷物をまとめる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年5月28日
かつて恋恋としていた女の思い出を、可愛い弟に預けて、広い海へと旅立っていく。狭い井戸の中で知った空の高さは、旅の中で絶対役に立つだろう。
頼りないと思っていた矢四朗すらも、夷川との和解を象徴するかのように研究室をもらい、その才を存分に振るう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年5月28日
みなが大人になり、家族という揺りかごから健全に巣立とうとしている。阿呆の主役は、むずがる子供のように家族にしがみつく。お酒も飲める年だというのに。
矢三郎は静止した時間を望む。狸であることに我慢ならない阿呆として、化けの皮の分厚さを誇る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年5月28日
そんな頑是ない願いを置き去りに、世界は勝手に進んでいってしまう。矢三郎自身も、実は知らぬ内に先に進んでいるのだ。でも、それは認められない。実態と意念のタイム・ラグが、青春を孕んで切ない。
王冠の形に髪の毛を切りそろえた赤玉先生の代理として、矢三郎は弁天と二代目の合挽きを窃視する。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年5月28日
狸には入り込めない、皮肉と憎悪と愛惜の入り交じる隠微な距離感。手すりの縦軸が、弁天と二代目を引き裂き、そこを踏み越えて心が入り交じる。そういう器用な駆け引きは、阿呆狸には無理な腹芸だ。
天狗に連れ去られ、天狗になるしか道がなくなってしまった弁天。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年5月28日
天狗として生まれ、天狗になるしか道がなかった二代目。
激しく言葉を交える二人の間にあるのは、近親憎悪なのかもしれない。お互いの歪みも愛もどん詰まりも理解できるからこそ、認める訳にはいかない。鏡合わせの愛と憎悪。
自分の行く末を強制的に閉ざしてしまった赤玉先生を、弁天は憎んでいる。それでも、鋏で首を刺すのではなく、老王の王冠を切りそろえてあげる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年5月28日
狸のガキには到達し得ない、幾重にも折り重なった愛と憎悪。
鴨川の河原で水に濡れた弁天を見ているしかなかったのと同じ距離感が、今回は再演される。
天狗にとっては狸は恋の対象とはなりえない。漬物石と恋愛したほうがマシだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年5月28日
弁天が自分に向ける視線、母が早雲に向けた視線が、実は自分の瞳から海星に向いていることに、やっぱり矢三郎は気づかない。母の無理解は言語化し認識しているのに、だ。岡目八目、隣の芝生は青く見える。
天狗にとって、同種はやはり天狗なのだ。弁天のコート、二代目の三つ揃え、山高帽と王冠の髪型。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年5月28日
天狗たちが装いを揃えるほどに、そこから取り残される矢三郎が浮き彫りになる。心の複雑さも、種としての前提も、矢三郎が清水の舞台に立つ切符は凄まじく高値だ。
阿呆ながら、その遠さを認識し、立ちすくんでしまう賢さだけはある矢三郎。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年5月28日
では近しさを認識できる優しさがあるかというと、阿呆な上にガキなのでない。兄貴には言っちゃいけない言葉を吐き出すし、海星は泣かせる。お前はホント子供だなぁ…まるで俺みたいだよ、狸のくせに。
化けの皮の分厚さなら大したものだ、おれは人間とも天狗とも渡り合える。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年5月28日
そういう薄っぺらな自信を壊したくないから、海星は恋する矢一郎の前に出ない。
それは清水の舞台に踏み込まなかった矢三郎の臆病と、根っこは同じものなのだ。似た者同士の間に、化け合戦は成立しない。天狗じゃないんだから
母にとっての雷、玉蘭にとってのらっぱ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年5月28日
本性を隠しておけないほど刺さるものは、子供らしい身勝手で遠ざけていた許嫁だった。
狸にすぎない自分を受け入れるのか、はたまた化けの皮を被り直すのか。この後の一手は矢一郎にとって、作品にとっての勝負手になる気がする。
それにしたって海星は健気に過ぎて、『いや狸でいいだろマジ』と思わず言ってしまう。佐倉綾音が巧すぎる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年5月28日
それでも、天狗に魅入られた阿呆はそうそう素直にはなれんのだろうなぁ。思い通りにはならない業を、愛おしさを持って見つめ、抱擁すること。このお話のそういうスタンスが、僕は好きだ。
家族という揺りかごは形を変えている。正確には、阿呆でいる間に形を変えていたことに、もう見て見ぬふりができなくなっている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年5月28日
玉蘭は当然の顔で、家族の食卓に顔を出しているのだ。そしてそれは、悲しいことではない。変わること、増えること、減ること。色々あるが、全ては愛おしい。
下鴨の阿呆の血を受け継ぐ、一塊の毛玉でしかないことを受け入れる。弁天との恋を諦める。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年5月28日
青年・矢三郎にとっては敗北であり、成長でもあるだろう賢い道が、目の前には引かれている。
さて、伸るか反るか。有馬の地獄の派手な決断とはまた違う、地味で重い選択が阿呆に迫る。来週も楽しみです。
追記
有頂天家族追記。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年5月28日
『オヤジの代わりをやってくれなんて、頼んでない! 出来もしない!!』ってのは、偉大すぎる父親のプレッシャーに悩まされつつ、それでも未熟なりに家長であろうと頑張ってきて、その自分なりの努力が実を結びつつある矢一郎には、あんまりにしんどい言葉だ。
オヤジの代わりになろうとして、出来なくて、それでも下鴨総一朗一朗を敬愛する一狸として、彼の背中を必死に追いかけてきた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年5月28日
転んで、バカにされて、馬鹿な自分に呆れ果てて、でも馬鹿な自分であるしかない。そういう部分に正直になったから、嫁さんともちゃんと向かい合い家族になった。
ド真面目な石部金吉がどれだけ自分なりにやってきたかを、このアニメは丁寧に描いてきたので、あの言葉の残忍さ、そこに込められた矢三郎の幼さもクリアに見える。あれを言わざるをえない、父を略奪された無念も、また。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年5月28日
『オヤジの代わりをやってくれ! 死人を復活させてくれ』ってことだ、アレは。
時が戻ったら。とんでもなく偉大なものになれたら。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年5月28日
皆がそう願いつつ、空を見上げる。でも自分は小さな毛玉でしかなくて、化け術なんて使えない。井戸の狭さを知りつつも、そこで納得など出来ず、とらや鬼になった自分を夢見、ふわふわしたまま大切なものを蹴っ倒す。
やっぱ矢三郎と早雲は似てる。
同時にそこには明確な線があって、矢三郎は取り返しがつかないほどの阿呆はしないし、周囲がさせてくれない。鬼になれない自分を、毎回思い知らされている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年5月28日
毛玉でしかない自分も、天狗にはなれない自分も、誇りを持って受け入れ、自分なりの阿呆を見つけてくれたら良いなぁと思う。
そう考えると、矢二郎が井戸を出たのは、母と兄の懐に体重を預け続けている生活が、阿呆の自分がほとほと嫌になったのだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年5月28日
そこにたどり着くまでには時間がかかる。バカにされても、守って支えてくれる家族も必要だ。何にせよじっくりだ。
長男は受け入れ、次男は旅立った。さて、三男はどうか?