イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

正解するカド:第7話『サンサ』感想

一週間の休憩を挟み、人類と異方の最前線はエネルギーから認識へ、カド第7話でございます。
ワムを巡る騒動を後景に下げて、人間の認識を多層化するサンサが前面に。
それに合わせて言野さん率いる報道チームがメインアクターとして舞台に上がり、次の解答者になる……って感じの話でした。
合間合間にあざといお祭りエンジョイムーブも挟みつつ、また別の角度から『人間』の定義を考え、書き換えていく話、その序章という塩梅かな。

というわけで、カドも狭山湖に移転し、ワムによる人類の質的変化を受け入れつつあるらしい世界。
ワムによって変貌した世界を具体的な絵で一度見てみたかったですが、まぁそこは置いておいて、異方からの第二問が投げつけられます。
人間の認識を分割・多層化し、自分自身の精神をワークシェアリングできるようになる異方技術『サンサ』。
これを受け取ることになった言野さんが舞台に上がるまでと、カドという舞台から一旦降りた異方存在と交渉官が祭りを楽しむ姿が、今回の軸って感じですね。

サンサとカドは根本的には同じ存在……認識でして、カドは異方の超立方体が三次元に投影された結果、2キロ四方の立方体になっています。
それは巨大なキューブに見えるのだけども、見せかけどおりの存在では当然なく、内部には様々に異質な存在や価値観が折りたたまれて(これもあまり適切な表現ではないですが)いる。

サンサもおなじように、多層的に折りたたまれた自分自身を認識できるようになる装置(もしくは認識それ自体、それを促す形状)です。
しかしそこで投影されるのは他ならない私自身であり、人間の根本的な存在を異方化する技術だと言えるでしょう。
『睡眠が不要になる』『人生が1.5倍に拡大する』という利点に現状目が行きますが、実はサンサの登場で人類がかなり異方的な存在であり、ワムやサンサがもたらすだろう変化は、そもそも人間に備わっているものを加速させているのだと分かってきました。
ザシュニナも『促進』という言葉を選んでいましたしね。

サンサは脳みそを書き換えるわけでも、怪しげな機械を脳に埋め込むわけでもありません。
ただ見るだけで人間の認識を書き換え、そこに映る世界のあり方、私自身のあり方を根本的に変化させてしまう、一種の概念だといえます。
それと出会わなければ世界は変化しないが、それ自体が世界を書き換えるわけではない。
サンサはいわば異方の辞書であり、それを読むことで人類が異方に近づいていく……というか、そもそもにおいて異方的な存在であったことに気づくためのツールだといえます。

辞書がなければ言語がないわけではないですが、新しい言語を習得し、分類し、己の認識として内部化していく上で、辞書は大変有用です。
ザシュニナが差し出している異邦の認識は、人類が経験したことすらない異質なる言語なわけで、人類と私が変化していく過程で、サンサの登場と拡散は非常に大きいといえます。
異邦の認識を個人の資質ではなく、『サンサへの接触』という体験で獲得できるのなら、ワムの製造も爆発的に加速するでしょうしね。
変わりつつある世界を促進する上で、その構成要素であると同時に主体でもある『私』を刷新していくサンサの果たす役割、生まれる利益は非常に大きい。


そのうえで、サンサにはワムとは違う、何か根本的なものが変化するおぞましさの予感みたいなものがあります。
それは近代的自我、『かけがえのない唯一の私』という自己統一性に信頼をおいて日々を過ごしている僕が、それを略奪・変質させられてしまうのではないかと怯えているからでしょう。
ワムが変質させていくのはあくまで私の『外側』の出来事なわけですが、サンサは認識を変化させ、異方的な世界を加速度的に内部化し、人間の定義を『内側』からアップデートしていきます。
先にも述べたように、それは異質な存在に変化していく……インベーダーSFによくある『人間のふりをした怪物』に私が変化するわけではなくて、自分の中の異方をサンサの力を借りて認識し、接近していくわけですが、それにしたって物質化したデバイスによって『私』が変化していってしまうのは、怖い。

まぁこの恐怖も、唯一の精神……『我思う故に在る我』を仮定し、過剰に持ち上げる近代主義の呪いとも言うべきもので、ワムによって変化していく社会システムやエネルギー流通、経済基盤によっても、『私』は変化します。
それはサンサによって変化する私の『内側』と同じくらい、もしくはそれ以上に強く、大きく『私』を定義しているわけで、だからこそワムによって変化しつつある世界、『革命の真っ只中』を具体的に見たいと思ったわけですが。
とまれ、サンサによる変化は『私』が『私』である由縁に強く結びついていて、ただ便利とか経済的だということで選び取るには、どうにもきな臭く怪しい問題だと言えます。

登場人物はサンサの利便を的確に受け止めつつ、寿命が縮んだり、行動を矯正されたりと行ったマイナスについても考えます。
しかしそれはあくまで既存の人間概念の中での判断であり、それよりも高次元(よりも『異方』って言いまわしのほうが適切なんでしょうね)から根本的に、人間を変えていくテクノロジー/概念/デバイスであるように思えます。
サンサによって眠らない人類になっても、今のところ真道さんは真道さんだし、言野さんは言野さんであるように思えるけども。

ザシュニナが人類と接触した後の一ヶ月で変わったように、異邦と接触した人間個人も、人類の定義それ自体も、否応なく変わっていく。
人間が書き換えられてしまう、もしくは異方的存在であることを思い出していく変化に戸惑いを感じる代表として、徭さんは物語に存在しています。
保守的……というには政治的立場が薄い感じもしますが、浴衣と萌えムーブで可愛いアピールするだけが仕事ではないわけです。
『ザシュニナを異方に返したい』と告げた徭さんの真意と、既に異方に接近しつつある真道さんの対話がどうなるかは、急速に人類の変化/異方化が促進されつつある状況の中で、かなり大事だと思います。


ワムによるエネルギー革命は犬飼総理を代表とする政治システムが担当しましたが、サンサによる認識革命は言野さん達メディアが背負うことになりそうです。
常に『前線』を探し求め、ワム革命を的確に言語化・拡散していた言野さんが、カドの『中』に入って事件の当事者になる。
彼のことが好きな視聴者としては、傍観者ではなく主体としてお話に絡んできてくれるのは嬉しい限りです。

このアニメは全体的に楽観主義的というか、人間にも政治にもメディアにも極力希望を持って、その最善の形を想定しながら話を勧めているように思えます。
愚かさや摩擦、嫉妬や憎悪や無能といった人間の負のカルマはあえて切り捨て、最上の人間が特異な状況に投げ込まれた時、一体どう行動するかをシュミレートしている感じです。
何かと悪く戯画化されがちな報道メディアも、志と能力を兼ね備えた言野さんが背負う形で純化され、スムーズに異方を受け入れていました。
日照権でデモする地元の人みたいに、ノイズが完全に切り捨てられているわけではないけども、『もし異方存在が日本に現れたら』という思考実験をスムーズに回す方を重視して、『リアリティ』はそこまで重視してない感じですね。
僕としては、そういう話の作り方は構造が見やすくなるので、好みの作り方だったりします。

露骨にグーグルっぽい社長が出てきて、言野さんを既存メディアの軛から解放、彼が望む『前線』への道を作ってくれました。
今後彼がどういう仕事をするかはさっぱり読めませんが、多国籍巨大企業が政府に並ぶ意思決定存在として出てくると、なかなか今っぽくなるかな、とも思う。
悩みつつも、組織の保護を捨て自由な立場を選ぶ辺り、国家公務員をサクッと辞めた真道さんと通じるところもありますね。

カドの『中』に入ることで、これまで遠くから見守り、分析し、伝えるだけだった言野さんは物語の主役になります。
『外』から見ているだけだった異方と直接接触し、サンサを認識することで言野さんは自分自身を変化させ、より異方に近い存在になる。
『外』から『中』へと移動し、変化していく言野さんの姿が、サンサによって変化を促進されていく人類の先駆なのか、それとも特殊なエリートなのかは、今後の展開次第でしょう。

サンサは概念でもあるので、適切なメディアによって拡散されることで共有と変化はより促進されますし、理想化されたジャーナリストである言野さんは歪みも主観も適切に制御して、必要な報道をするでしょう。
いわば異方のスポークスマンとしての役割を期待して、ザシュニナは言野さんを向かい入れたと思います。
真道さんを異方の交渉官と見込んで接触し、特別な契約を結んだのと、やっぱ似ていますね。
政治の領域で真道さんがやってきたことを、言野さんは民間と繋がったメディアの中でやってくことになるのかなぁ。


真道さんにしても、言野さんにしても、異方の影響は受けても強制はされず、自分を保ったまま自分の意志で異方と人類の架け橋になっているのは、とても面白いところです。
異方の超技術はその『自分』を揺るがし、変化させていくことが特異性でもあるのですが、それでも人は人であるし、そうあるための条件を子の話の人類は見つけなければいけない。
『正解』にたどり着くためには超常的な技術だけではなく、とてもありふれて貴重な信念と意思が大事になっていきます。
言野さんにとってそれは、『前線』にい続け、全てをあるがままに伝えるという想いなわけです。

それは2キロメートルの立方体が突然現れた異質な世界だけに存在するわけではなく、(我々の『現実』を含めた)あらゆる物語で最も大切なものでしょう。
異方はそれを書き換えることはしないし、むしろ異方が望む変化は個人個人の意思と思いがあってこそ促進されもする。
犬束総理がワムにまつわる『問題』に『正解』できたのも、それがあってのことです。
今後サンサが世界を変化させていく中で、言野さんや真道さん、徭さんの思いもまた試され、鮮明に輝いてくると思います。

変化のただ中にある世界でも、祭りはあるし、人は眠る。
もはや眠らない存在になった真道さんや言野さんに対し、花森の『居眠り』が切り取られていたのは面白かったです。
異方に深く接触し、変質の最前線に立つ真道たちを『足の早いウサギ』とすると、花森は『置いていかれるカメ』なのかなぁ……単純に、カメ可愛いから描いただけかも知れんけども。

言野さんがかつて言っていたように、異方の到来によって地球は革命の真っ只中、『祭り』にいます。
非日常が日常になりつつあるハレの世界で、ひどく落ち着いてローカルな『祭りの中の祭り』が描かれるのは、なかなか面白いところです。
まぁ真面目な話ばっかしているとブレスのタイミングが取れないんで、ザシュニナと真道のキャイキャイ入れたり、徭さんがあざとかったりするシーンいれんと持たないしな!

ワムによって、あるいはサンサによって変化を促進されていく世界がどこに向かうにしても、今回描かれた祭りの穏やかさ、それを受け継いできた人の営み全てがなくなってしまうのは、寂しいことです。
異方がもたらす変化はそういうたぐいのものなのか、はたまたまた別の『正解』があるのか。
それはサンサをより深く描いていく今後の物語、そしてその先にまたあるだろう『前線』の描写の中で、より鮮明に見えてくるでしょう。
来週も楽しみうです。