イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

月がきれい:第9話『風立ちぬ』感想

13秒70で走り抜けても追いつけない青春の足取り、過ぎ去る季節の中での一瞬のきらめきを切り取る、第9話です。
夏休みが終わり、物語も中学生活も一つの幕が見えてくる中、茜ちゃんがラストランを走りきるお話でした。
一つのクライマックスをじっくり追いかけつつ、その周辺や先にある様々な風景に目配せを忘れない、このアニメらしいエピソード。
茜ちゃんの転校、小太郎くんの進路、負け犬どものリベンジ・マッチと、不穏な要素も顔をもたげてきて、さてはてどうなることやら。
終盤に向け盤面を整える意味でも、一つの『場』が静かに終わっていくシーンとしても、なかなか面白い回でした。


今回のお話は茜ちゃんのラストランを軸に、色んな人のいろんな現在と未来を切り取っていく構成。
茜ちゃんの『終わり』にしても、そこで物語が止まってしまうわけではなく、部活仲間との関係は続くし、そこで手に入れたものは長い間余韻を残す。
一瞬一瞬のきらめきを強く輝かせつつ、それが与える変化や影響、『終わり』の先に続いていくいろんな人生に向いている目線は、このアニメがずっと維持しているものです。

『終わり』に向けて茜ちゃんが、部活の仲間が、家族が、そして小太郎くんが心と体を整えていく描写。
『終わり』を迎えた後、終わってしまった時間に感謝しつつ、それを共有する描写。
そしてその先に続く風景。
13秒70の走り自体は(抜かりなく作画しつつも)結構あっさりめに仕上げつつ、その周辺を大事に切り取っていく作り自体が、恋や進路といった決定的(に思える)イベントそれ自体ではなく、そこに至る過程やそこから伸びていく未来を大事にする、この作品の風を表現しているようにも感じました。

一番じわっと来たのは水野母の弁当でして、何もかもサラッと気楽にやってる水野家を描写しておいて、娘の努力と『終わり』を見逃さずに祝福できる目の良さがサプライズで刺さって、凄く良かった。
ここらへんは、愛ゆえの過剰干渉が目立つ安曇母、男同士の気遣いでサラッと大事なことを告げる安曇父と、面白い対比ですね。
両方子供を心配しての行動ではあるんですが、水野母のさり気なさのほうが、思春期真っ盛りにはありがたいかなぁ。
直接の描写はないですが、主役の家庭だけではなく、西尾家や滝沢家も娘達の『終わり』を気にかけ、見に来る公平さがあったのも良かったです。

早い時間に走り終えて、仲間の走りを待っている時間。
三人娘がご飯を食べるシーンは、あっけなく決定的に過ぎ去ってしまった『終わり』の残響として、かなり切れ味のあるシーンでした。
あの三人だと一番人間的視野が広いのは千夏なので、彼女から『終わり』の共有が始まるのは納得がいくし、ジワジワとマジな感じの空気になっていく『場』のオーラが、細かい芝居でよく出ていた。
冒頭の古本屋のシーンといい、今週は立ち居振る舞いがぬるりと自然で、流れていく時間とそこにいる人の心を素直に感じ取れる作画だったと思います。

あそこで茜とのかけがえのない絆を確認しつつ、それでもくすぶる恋心を確認し、最後の勝負に出ようと考える千夏も、なかなか面白い。
自己ベストという綺麗な『終わり』で中学陸上を〆れた茜に対し、千夏の恋は告白寸前でせき止められている形です。
比良くんの言うとおり『戦ってすらいない』わけで、玉と砕けて『終わり』にし、新しい道に踏み出したくなるのも判る。
散々カップルのイチャコラを見せられた視聴者目線だと、『ワンちゃん絶対ないからな』と言いたくもなるけど、分かってても『終わり』にしたいよな、そりゃ。

綺麗に終わるためには、そこに至るまでの道を丁寧に歩いていくことが大事だし、綺麗に終わることで、そこからまた道が伸びていく。
茜ちゃんのあっけない100mは、このアニメが捉えるいろんなもののモデルケースとして、非常に爽やかで善いものだったと思います。
祝福され、存分に走りきった13秒70のように、愛するべき子供たちの進路や、恋や、未来が善いものだと僕も嬉しいなぁと、漂う不穏な雲を前に思わざるを得ません。


部活と並走する形で、茜ちゃんの引っ越しと、小太郎くんの進路という2つの迷い路もきっちり描写されていました。
茜ちゃんが川越の土着文化に馴染めない『外の子』だというのは、これまでも細やかに描写されていたところなので、引っ越し自体は『来るべきものが来たな』という感じ。
秘密を不要に抱えすぎず、問題解決まで余裕を取った段階で公開していくのも、このアニメらしいストレスコントロールだと思います。
正着を打ってスムーズに進めつつ、コンパクトだけど当事者にとっては深刻な問題を細かく出して、起伏つくってる感じですね。

学力的に余力がある茜ちゃんに対し、小太郎くんは色んな意味で余裕がありません。
『学校』と『小説家』という2つのキャリアを同時進行で悩んでいるのもあるし、単純に学力不足なのもあるし、オカンはギャーギャーうるさいし。
道が狭い中で、なんとか歩けそうなのが『茜ちゃんと一緒の学校に行く』という選択肢なんですが、これも茜ちゃんの引っ越しですぐさま飛びつけるものではなくなってしまった。
ジレンマどころかトリレンマくらいのややこしい状況になりましたが、ここでどう『終わり』にするか選ぶことが、小太郎くんをまた一歩先に進めるのだと思います。

小太郎くんは『純文学か、ライトノベルか』という選択にも悩んでいて、ガッチンガッチンの純文主義者としては、萌え絵表紙の文庫本とかマジ……という偏見もある。
本棚に仰々しく鎮座ましましている文豪の作品と、手すら付けられていないラノベの紙袋は、そのまま小太郎くんの中での文学評価なわけです。
しかし、これまで描いてきた茜ちゃんとの恋愛は、知らないことと出会い、味わい、その恵みを受け取って自分も変わっていく喜びの物語です。
恋愛を描く過程で切り取られた、異物と対話することの意味をライトノベルにも適応すると、『まぁ一回くらい読んだほうが良いんじゃないの?』という大介さんのアドバイスは、理にかなったものです。
踏み込んでみなければ分からんことは、本当にたくさんあるのだ。


『踏み込み』は今回の大きなテーマでして、色んなキャラが踏み込めたり、踏み込めなかったりしています。
茜ちゃんが三年間つくってきた陸上部の空気に直面し、何も言わずにクールに去る小太郎くん。
三人娘の涙に気圧され、気を使って静かに立ち回ろうとして箸を鳴らしてしまう比良くん。
ノックをして穏やかに小太郎くんの私室に入り、見守る視線を不器用に言葉に変える父。
水野母の小粋なお弁当も、非常にスマートに娘の三年間に踏み込む手管と言えるでしょう。

人間はいろんな繋がり、いろんな顔、いろんな社会を噛み合わせながら存在する、複雑な存在です。
いくら恋人でも共有していない顔はたくさんあるし、それが生み出す社会にはなかなか入っていけない。
打ち明けにくい秘密もたくさんある。
しかしそこにゆっくりと歩み寄っていくこと、適切な距離を見つけそれを開示することは可能で、実際二人は(等身大の中学生らしく戸惑いつつ)見事に距離を測り、いいタイミングで踏み込んでいます。

前回で言えば、茜ちゃんが『祭りの準備』という小太郎くんの領域を共有し、座布団を出されたこと。
今回で言えば、小太郎くんが茜ちゃんの持つ『陸上部』という領域に触れ、穏やかに立ち去りつつ見ていたことを的確に伝えられたこと。
そして『引っ越し』という大きな問題を、流れの中で巧く切り出せたこと。
個人と個人が触れ合う時必ず生まれる『分かり合えなさ』と、断絶を乗り越える勇気と幸運、両方を主人公たちがしっかり持っているのは、このアニメのとても良いところだと思います。
まあ大事なところは絶対間違えないので、見ていて安心というのはある。


『踏み込み』が巧くて下手くそなのが千夏ちゃんで、どこに壁があるのか真っ先に気づく視野の広さと、壁があるからといって諦められない情熱の強さ、両方を持っています。
クールに去っていく小太郎くん、あるいは逆転狙いで茜ちゃんを祭りに誘う比良くん。
少年たちの密かな『踏み込み』に気づけてしまう繊細さがあるから、電車の中での比良くんとの対話も成立するわけです。

扉の縦線が心理的距離を表現するレイアウトの中で、非常にナイーブな部分に踏み込んでいく千夏ちゃん。
下手にごまかさず、正面から心を伝える比良くんの高潔さが眩しいシーンですが、同じように諦めきれない千夏ちゃんはそんな比良くんの敗北への決意に共感を覚える。
二人の目線は交わらず、落ちていく夕日に集約していきます。
同じものを見ていても、それを感じる主体は別のものとして交わらず、それでもなんとなくの共感が箸としてかかっている。
微細なものを丁寧に切り取る、このアニメらしいシーンだと思いました。
三人娘のシーンではのんきで気のいい千夏ちゃんが、あのシーンは一種の冷たさを感じさせる知的な表情をしているのが、とても良い。

あのシーンの後に、Lineで繋がりつつ『引っ越し』という大切断をぶつける展開は、面白い対比だと思いました。
同じものを見て、同じ気持ちでいる恋人たちも、つねに当たり前の断絶にさらされている。
しかしそれは取り返しのつかない大失敗では当然なく、努力と献身によって何らかの手立てが打てる、当たり前の人生の物語なわけです。
人と人とのつながり(と切断)には様々な形があるし、それを維持し埋めていく手段や心持ちにも、それぞれ個別の形がある。
(Cパートの息抜き含め)群像劇を取り回す中で、そういう多様な面白さを画面に収められているのは、このアニメの強みかなぁと思います。


というわけで、茜ちゃんが辿り着いた一つの『終わり』を追いかけつつ、色んなモノを描いていくお話でした。
クライマックスにたどり着くまでの道、成し遂げた結果、去っていく寂しさ。
『終わり』自体を大事に描きつつ、その先にある『続き』を的確に組み上げていくのは、凄く風通しの良いスマートさだなと思います。

文学と進路に悩める小太郎くんは、茜ちゃんの引っ越しとお祭り晴れ舞台にも対応しなきゃいけません。
ちっぽけだけど大変で、下らないけど大切な問題が山盛りの青春は、まだまだ続く。
そしてそれは、恋人たちだけの特権ではなく、彼らの周辺にいる人々にとっても大切な人生の物語なのです。
秋深し川越に、どんな祭り囃子が響くのか。
来週も楽しみです。