ID-0を見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月25日
迫りくる世界的カタストロフ。銀河のアウトローがひねり出した救済作戦に、全てが賭かる。鳴り響くソーラン節。金色の電子涅槃で、業と因縁に凝り固まった人たちがたどり着いた答えとは。そして未来とは…。
そんな感じのアイデンティフィケーションSF、最高の大団円。
みっしりと内容の詰まった最終回であったが、軸となっているのは過去と同じくIDと救命である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月25日
自分が何者であるか、それを確認する作業はどんな性質を持っているかを確認しながら、物語は進んでいく。
『オレはオレだ』というイド≠ケインの自己認識が、更に広い認識に拡大されていく話でもある。
人類が個体として完成し、情報入力/出力の交換を必要としない種であるなら、『オレはオレ』で閉鎖された認識がID足り得るだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月25日
しかし弱い人類は社会を必要とし、コミュニケーション能力によって宇宙にまで広がった。IDは自分ひとりで成立するわけではない。コールにはレスポンスが必要なのだ
例えば宇宙艦隊提督はグレイマンの名乗りを聞いて、すぐさま自分の名前…IDを返さない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月25日
グレイマンがグレイマンとなった理由、過去から逃げ出した意味を厳しくも正しく問い直し、クレアと一緒に答えが帰ってくるのを待って、『セチリア・ギニー』と己の名前を告げる。
それは『私は私』というIDコールであると同時に、グレイマンを社会から逃げ出した三流人間ではなく、誇りと決意のある一個人として認めるIDレスポンスでもある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月25日
あの時提督は、肩書ではなく一個人としてのIDをあえて名乗ることで、グレイマンの決意に答え、個人として受け止めることを選んだ。
エバー重罪人達の無罪放免も、そういう延長線上にある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月25日
社会から必要とされなくても、社会的IDを剥奪されたとしても、命は生きているし、それを無視はできない
存在することのIDはつねに返答を求めているし、それに手を差し伸べ、守ってやること、具体的な行動でIDを尊重することが大事なのだ
絶滅必至の防衛戦に臆せず挑んだこと。数は少なくとも、生命の可能性を残すための撤退判断。IDなしの大博打に乗っかる前向きな決断。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月25日
お話がキレイに収まったのも、提督が大人物だったことが大きい気がする。まぁあそこでグダグダされても時間ないので、必然の結果でもあるんだが。
『オレはオレだ』という叫びに、他者からのレスポンスを返されないと自意識は虚しく反射し続け、IDは歪む。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月25日
世界最大の会社社長になっても自己承認を得られず、『私を賞賛してくれ』と叫び続けながら英雄的自殺を突っ走ったアダムスは、やはりイドやマヤの歪んだ鏡だ。
ケインのように、自分を天才と認めて欲しい。アダムスの同化欲求は、ケインが転写の結果消えてしまった今、かなえられることはない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月25日
そこにいるのはイドであってケインではないから、ケインを憎み求め続けたアダムスの心は、どこにもたどり着かずに肥大化し、増幅するだけだ。
それは誰も『アダムスはアダムスだよ』と巧く認めてあげられなかった結果といえる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月25日
マヤがイドのあり方を『IDがなくても、社会に必要とされなくても、イドさんはイドさん。イドさんに似ている私も私』と肯定してくれたような隣人が、アダムスにはいなかったのだ。
その結果として、アダムスは人類の明日をつかむための博打ではなく、英雄的死を終わる人類史に刻むための自殺を試みる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月25日
それは消えてしまったケインと同一化する行為であり、ある意味で社会的マインドトランスと言えるだろう。人格は常に、意識と意識の間で震えながら立つのだ。
しかしここで話が終わらない、というかこっからが本題なのがID-0である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月25日
アダムスが肥大した自己を刻むために作った道は、まったくもって無駄ではない。そこを通って、アダムスの自己転写作戦と同じ方法論で、世界救済のためのラストバトルが展開され、イドは自己を投げかける。
アダムスが指摘するとおり、イドの策はアダムスの自己転写/肥大と方法的には変わりがない。ただ、目的が大きく違う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月25日
人間社会の中でIDのコール&レスポンスが成立し、対立が解消されたように、イドは自分を叫び、ラジーブという異質知性にイド=人類を認識させるべく飛び込んでくる。
全てが思い通りになる(思い通りにしかならない)電子の涅槃で、アダムスは銃を作り出す。非情と暴力だけが世界のルールなのだと、これまで孤独に学習した成果を突きつける。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月25日
イドはクナイを構えない。彼は名無しのイドになることで、ケインとは違う道を学習したからだ。
オレはオレであり、お前はお前でしかない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月25日
IDに応答するということは、人格の間にある必然的な裂け目を認識し、別れの寂しさを受け入れるということでもある。
アダムスが構えた銃は、その裂け目を強制的に乗り越えるツールでもある。お前を殺しに行くときだけは、お前は俺を見てくれるからな!
今回のクライマックスは、アダムスがケインへから誤って学習した『銃の方法論』を捨て去り、ケインが死んでしまったことを受け入れるまでの戦いでもある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月25日
ケインの『一番身近な他人』であるイドが既に果たした跳躍を、アダムスも散々迷って成し遂げる。死を寂しく受け入れ、自分と他人の境目を見る。
アダムスは優しいやつだ。攫ったアリスにも誤っていたし、自分の無力さを嘆きつつ、母の情を自分の思いより優先する事もできた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月25日
ケインが去り、ジェニファーとアリスが去り、そんなアダムスの優しさ…彼固有のIDに答えてやる友人は誰もいなくなってしまった。隣りにいるのは我利我利亡者のメトセラ
そういう彼の優しさが凄まじい拗れ合いの果てに帰ってきて、イドをケインではなく、イドとして認識して別れていったのは、とても良かったと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月25日
ケインにつながっていた分厚いへその緒を、ようやくアダムスは噛み切ることが出来た。ケインとは違うイドを認められるようになった。とても良いことだ。
アダムスはケインとイドが別人であることを学習したが、イドは自分自身とケインのIDの重なりを見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月25日
『オレはオレ、ケインはケイン。だがかつて、ケインはオレだった。なら、ケインの罪科はオレのものとして、オレが引受け解決する』という態度を選び取った。
記憶という時間的制約。身体という空間的制約。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月25日
マインドトランスシステムは人類を固定する『私は私』という檻を破壊し、新しい地平を見せる。
そんな中で、ある意味古臭い昔のオレも、オレはオレさ』という倫理的決断にイドがたどり着いたこと、他者と家族がそれを支援したことは、とても良いことだ
男二人(ケインもいれて三人?)の自己認識戦争はこのように進むのだが、背景として『家族』というIDが響いているのが豊かでいい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月25日
ジェニファーは身体を捨てさまようことでアリスと出会った。『家』たるストルティー号を捨てる決心を、グレイマンは手早く固める。
形を捨てても、変えても、家族は家族だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月25日
全てが終わった後、宇宙炭鉱夫であり続けるやつもいれば、自分の道を歩き直す奴らもいる。
副題たる『Iマシーンと過ごした日々』はマヤやクルーに『家』を与え、そこで手に入れたものは『家』を離れたとしても残る。
思い返してみると、みんな道に迷う話だった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月25日
マヤの無双主義的英雄意識も、アダムスの肥大化した自我も、自分を希薄化しアリスを求めたジェニファーも、社会から隔絶されたアウトローたちも、みんな自分を見失って彷徨い、間違える話だった。
機械になっても、人格が転移できても、人は人、間違える
でもそういう人の負のカルマは、必ず正のカルマに繋がっている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月25日
危険な宇宙で死にかけたり、社会に廃絶されたり、間違った認識のまま突き進んだり。迷い路を必死に歩いたからこそ、『自分は自分』と胸を張って世界に吠えられるIDを、自分の心に宿せる。
間違いはない方がいいが、無駄でもない。
そういうシニカルで、でも前向きな姿勢が維持され続けて、登場人物が基本的に自分のIDを正しく認識して終わることが出来たのは、本当に素晴らしい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月25日
自分たちが見つけた自己認識の難しさや、人間存在のどうしようもなさに飲み込まれることなく、ポジティブな結論を手繰り寄せる豪腕は、心底頼もしい
そして最終話、否定されてもおかしくないアダムスのカルマ、イドと接合するケインのカルマとしっかり向かい合うことで、『オレはオレ』という答えが持っている閉鎖性を巧く逃し、他者の存在意義を確認できたのも良い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月25日
他人が名前を呼んでくれるからこそ『オレはオレ』が成り立つのだ。
そういうかけがえのない他者だからこそ、命は救うべきなのだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月25日
数ある救命描写はどんどんスケールを増し、ついには世界人類全てを救済することになった。
『世界なんてどうでもいい、俺達は英雄じゃない』と言い続けたアウトローは、自分たちのIDを貫くためには救世主となるしかなかったのだ。
そういう風に、個人的なものがより広範なものにスムーズに接合していくのも、見ていて楽しいところだった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月25日
自分に嘘をつかずにエゴイスティックに進んでいったら、とても倫理的な答えにたどり着いてしまう。キャラクター描写の順序に嘘がなくて、大きな結末にもシラケず興奮できた。
キャラクターのトンチキな描写も巧くコール&レスポンスを為して、洒脱で楽しい笑いがたくさんあった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月25日
色々難しいことやりつつも、楽しく可愛いアニメだったのは本当に良かったと思う。斬新さと馴染みを両立させた3D表現がここら辺支えてくれてて、表現ツールと内実が噛み合ったアニメだったと思う
『ID』というメインテーマをどっしりと据え、人格転写、恒星間文明、超エネルギーという道具立ても話の主筋にしっかり絡む。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月25日
個性の強いキャラクターが自分を探し、迷い、見つける嘘のないドラマの中で、非常に太い価値観が幾度も確認され、実感を伴って胸に押し寄せる。
『オレは誰だ』という問に『アナタは貴方』と返してくれる他者。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月25日
そのかけがえなさを、あるいはエスカベイター社という『家族』が成立するまでを描くことで、あるいはアダムスの歪んだ憧れとその克服を描くことで、多角的に掘り下げてくれた。
キャラが沢山いることを、非常に巧く活かしたと思う。
人間の定義すら書き換えうる超技術を背景にすることで、自己探求という非常にベーシックな、というか物語全てが追い求めるテーマに独自の新味が生まれてもいた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月25日
SFであることに非常に強い意味がある、スペキュラティブな娯楽作品だったと思う。笑っているうちにストンとテーマが入ってくるのは強い
良いところが沢山、山のようにあるアニメでした。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月25日
『このアニメが好きなお前が、お前なんだ』と教えてもらえるような、コール&レスポンスのあるアニメだったと思います。それは身勝手な思い込みなんだけども、そういう体験をするためにアニメを見ている部分もある。
ありがとうございました。