イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

月がきれい:第12話『それから』感想

桜の季節に始まった物語が、綻びだす桜とともに終わる。
水のように流れる時間の中で、木の葉のように別れていくもの、鴨の親子のように寄り添うものを描く青春ラブストーリー、最終回です。
決意の光明受験が見事に玉砕し、引き裂かれる不安に怯える二人がどういう結末にたどり着いたのか。
そしてそれから、どんな物語を辿って川越の岸に戻ってきたまでを一気に走りきる、見事な終わりでした。

中学三年生、初めての恋、初めての別れ。
もどかしさと怖さに震える少女の涙、言うべき言葉を見つけられない少年の足踏み。
最後までストレスコントロールの巧さを発揮し、得意武器である鋭い暗喩表現もたっぷり盛り込んで、ラストエピソードもしっかりハラハラ・ドキドキさせられました。
余韻と苦味のあるラストカットから、EDに仕込んでいた爆弾を見事に連鎖爆裂させて、綺麗に『それから』の先まで書ききってしまう手際も、非常に良かった。
いい最終回でした。


というわけで、青春の上がり下がりを色んな角度から追いかけてきたこのアニメ、光明受験は失敗しました。
まぁ学業はぶっちゃけサボリ気味だったので、落ちるのも一つの帰結かなとは思います。
それでも川の流れのように人生は続いてしまうわけで、小太郎くんは二時間の距離と1400円の金銭負担が存在しないかのように、気丈に(あるいは鈍感に)振る舞う。
不安を正面から見ないからこそ、自分ひとりで背負えるという幻想に足場を乗っける小太郎くんの姿が、逆に茜ちゃんを追い込んでいったりもする。
今回はそういう二人の気持ちを、どっしりと追いかけるお話でした。

今回は(も)『川』が強力なフェティッシュとして機能していて、アバンで二つの木の葉が川を流れ、別れていってしまうところからして、強烈に暗示をかけてきます。
見ている側としても、等身大の15歳として脆くて、弱くて、優しくて、魅力的な二人の将来は不安なわけで、それをすくい取るかのように引っ越しまでの日々はギクシャクし、未来に続くような素敵なお別れは近づいては遠のく。
頼りなさ気に流されていく二つの木の葉、そして子を引き連れて川を行く鴨の姿は、最終話が(そしてこのアニメーション)たどり着きうる二つの岸、別れと永遠両方をうまく暗示しています。

象徴的な意味以外でも、小夏ちゃんが積極的に砕けに行った『橋(つまり『川』にかかるもの)』は、第10話で小太郎くんが光明受験を茜ちゃんに打ち明け、心が通じ合った場所です。
あんな風に真摯に思い合える関係を小夏も夢見て、小太郎くんに恋してたわけだけども、それは叶わない。
同じ『橋』を舞台にすることで、誰かを選び誰かを選ばない恋の残酷さと、それをなんとか乗り越えて新しい可能性に踏み出そうとする茜ちゃんの決意が、よく見えました。
まぁあそこでは爽やかに終わった告白が、後々核地雷となって炸裂するところがこのアニメらしいわけだが。


飛び石を渡るかのように、不確かな思いを一つ一つ投げかけあって、どうにか進んできた二人の恋路。
それを確認するように、川越最後のデートで彼らは川を渡るわけですが、茜ちゃんはどうしても岸に飛び乗れない。
流れていく『川』の上で、一つの岸を一緒に歩いていくことへの不安を、垂直に切り取る川べりの壁で巧く切り取る画作りは、非常に良かったです。
あれは物理的な不安定と切断であると同時に、当然心理的な分断と恐怖なわわけです。

結局茜ちゃんは岸辺に飛び乗り、キスをして走り去っていく。
陸上部でない小太郎くんは、茜ちゃんの俊足と不安に追いつく材料がなくて立ち止まり、同じ岸……つまり『好き』という気持ちに足場を置いているのに、二人は離れていく。
この『横』の跳躍を果たした後の『縦』の距離感が気持ちいいのですが、同時にハラハラを強調する上手い演出でもあります。
障壁を飛び越えて岸に来た以上、同じ場所を目指して走り直せるはずなんだけども、それでも歩調が合わない、さぁどうなる、という。

茜ちゃんの陸上部を設定で終わらせず、丁寧な作画と演出の中で描いてきたので、置いてけぼりにされてしまう小太郎くんの姿は胸に迫ります。
これまでは青春のモヤモヤを叩きつけてきた、電灯の紐に飛びつく気力もなく、心を繋いでくれた窓であるLINEに描き込む元気もない。
ココらへんも過去の演出を巧く引用し、話が収まっていく回に相応しい余韻を造る演出でしたが、真骨頂はその後。
小太郎くんがモヤモヤに決着を付け、クッソダセェ走り方で必死に走るシーンです。

華麗に走る能力はこれまで、常に茜ちゃんのものであり、急にそこに飛び込んだ小太郎くんはド素人むき出し、全然早くないダッシュをするしかありません。
でも、ひどく『らしく』ない行動をするからこそ、相手の領域に無防備に飛び込むからこそ、あのときの小太郎くんの気持は見事に映像に乗っかり、僕らの胸に届く。
これまで(そしてEDで展開される『それから』でも)気持ちを便利に乗せて伝えてくれたLINE、その瞬間だけは『これじゃない!』と否定して走り、走り、クッソダセェアナログで思いを伝えに行くシーンが最後の最後にあることで、グッと一線を越えて心が盛り上がるシーンになっていました。
クッソダセェアナログ感を作画に乗っけて、泥臭く爽やかな青春をラストまで疾走させる作画の力は、川岸での茜ちゃんの泣き演技でも最高にほとばしってましたね。

小太郎くんの恋を吠える詩は、直接は茜ちゃんには届きません。
しかしここでも、『小説』という小太郎くんの領域に茜ちゃんが踏み込んでメッセージを残し、それを受けて小太郎くんが『疾走』という茜ちゃんの領域に踏み込み、さらに茜ちゃんが『終章』を見ることで思いを受け取るという越境のリンクが、気持ちよく発生している。
お互いがお互いの領域を、おずおずと、しかし勇気を持って心地よく侵犯していくこと。
自分の『らしさ』を大事にしつつも、他者の言葉や態度、価値観を受け入れて『らしさ』を変化させていくこと。
恋と思春期、成長の物語だったこのアニメにおいて、『らしく』ないことをするのはとても大事でした。
なので、最後お互いの領域に踏み込み合うことですれ違いが解消され、必要な別れを経て現実に向かい合える展開が来たのは、非常に良かったと思います。


川の流れ、過ぎゆく時間と現実は、中学生には(にも)どうにもできないものです。
小太郎くんは距離も環境も離れてしまう『それから』に前向き……正確に言うと別れの可能性を直視したくなくて、なんてことないという強がりを貼り付けているわけだけども、賢い茜ちゃんはその不安定さには当然気づいている。
というか小太郎くん自身も、自分の行動がどこか嘘っぱちで、真実に向き合えていない不安定なものだということは判っている。

判っていても、怖くて怖くてしょうがない、むき出しの現実。
告白して振られたらどうしよう、思いを告げて傷ついたらどうしよう、夢が叶わかなったらどうしよう。
そういう足踏みをたくさん描いてきたこのアニメが、最後にもう一度悩んで、そしてちゃんと答えを出して終わったのはとても良かったです。

すれ違いと同時に細やかな和解が描かれているのが僕は凄く好きです。
小太郎くんとライトノベルが和解して本棚に居場所を見つけてたり、千夏ちゃんの玉砕とそこからの復帰だったり。
あそこで告白したことを告げてしまうあたりが千夏ちゃんのガサツな所(第2話で巻いた包帯のように!)であり、黙っていられないところが誠実な部分でもあるなぁと思いました。
やってることだけ取ると相当な危険行為なんだけども、悪気や我欲は(そんなに)なくて、小太郎くんの恋人になりたい気持ちと、茜ちゃんの親友でい続けたい気持ち、両方が千夏ちゃんの中では矛盾してないんだろうなぁ。

千夏ちゃんの玉砕は、茜ちゃんの不安をゴロッと転がす最後の一手だったんでしょうが、それはあくまできっかけだったんじゃないか、と思います。
どうしようもなく受験が失敗して、『初めての恋』が『初めての遠距離恋愛』になるしかなくて、小太郎くんは全部自分で背負おうとして、申し訳なくて不安で何が何だか分からない。
そういう不安ていな気持ちが坂道を滑る、一つのきっかけだったのかなぁと。
茜ちゃん自身も、比良くんに告白された事実で小太郎くんを不安にさせたのに、自分の時は制御を失ってしまうのが身勝手で、人間臭くて、愛おしかったです。


いろんなことが特徴的なこのアニメですが、アナログな部分とデジタルな部分、両方の良さをしっかり認め、形にして表現し続けたのは、凄く強い部分だと思います。
手軽にいつでも繋がれるLINEは、二人の不器用な恋を繋げる大切なツールだし、川越の祭りに代表される土着的でアナログな文化も、同じくらい二人の気持ちを繋ぎ、まとめ上げてきた。
それぞれ得意分野は違くても、両方に意味があり、強さがあり、幸せの結末に欠かせない名脇役をやってくれたという感謝が、今回のLINEの描き方からは感じられました。
そういう豊かさがツールとメディアに対してあったのは、ラブ・ロマンスで収まらない広さを持ったこのアニメにとって、良いことだったと思います。

これは土着性と流転性、『祭り』と『引っ越し』にも言えて、二人が一旦離れ離れになる展開はその両方を称えるためにも必要だったのかな、と思いました。
地に根ざし、太鼓と踊りを練習しながら生きていく安住家も、引っ越しにもすっかり慣れ、土地に縛られない生き方をしている水野家も、どっちが正解というわけではなく、両方意味のある生き方なのでしょう。
停止と運動は対立するものではなく、混ざりあって常時変化していくものであり、茜ちゃんが新しい家族を伴って川越に帰還してくる最後の一枚絵は、ローカルとアーバン、二つの価値の融和を象徴してもいる。
そういう部分にも、安易に正解を決めつけず、色んなものの愛しさをしっかり見つめ、描こうとする広範な姿勢が感じられて、凄く好きですね。

広範さという意味ではやっぱり他者の扱いが良くて、最後の最後までナイスアシストな脇役たちが、二人の思いをつなげる手助けをしてくれたのがとても良かった。
ろまん達が『サイトに投稿しなよ』と言ってくれなきゃ、茜ちゃんがアクセスできる場所に小太郎くんの『それから』への意思は顕になっていなかった。
失敗や不安や恋、全てひっくるめて小説にするよう大輔さんが言ってくれなければ、そもそも小説自体が描かれなかった。
茜ちゃんのお父さんが電車で変えるよう気を利かせてくれなかったら、小太郎くんが『らしさ』を捨てて自分の真実を追いかける余裕はなかった。
小夏ちゃんが茜ちゃんの気持ちを代弁し、LINE(!)で送ってくれければ、小太郎くんが最後に踏み切る勇気も生まれなかった。
お父さんが併願を勧めてくれなければ、現実が夢想を押しつぶした時、取り返しの付かないような傷が生まれたかもしれない。

少年と少女は精一杯、自分の小さな恋と青春を生きています。
それはあくまで彼ら固有の人生で、だからこそ尊厳というものがあるわけだけども、だからといって他者からの小さな手助け、保護、思いやり……あるいはすれ違いが不要なわけではない。
小太郎くんが自分の気持ち、茜ちゃんの不安と愛情にしっかり向き合い、届かないとしても必死に走って想いを叫ぶためには。
あるいは茜ちゃんが不安を紛らわせてくれたマスコットと一緒に、恋心と子供らしさを川越に置き去りにして去っていかないためには。
凄く沢山の人のありがたい手助けが必要だったし、そういうものは凄く自然な流れの中で、ありえないほどの奇跡を伴って生まれてくるわけです。
二人の心を追いかけつつ、細やかに他者の介入を挟む今回は、そういう意味でも作品の哲学をまとめ上げる、よいクライマックスだと思いました。


そして苦味を込めたクライマックスを綺麗に終え、オレンジとソーダの色が混じり合う夕暮れの空に浮かぶ月。
タイトル回収しつつ一つの終わり、一つの別れが来て『ああ……』ってなった所で、これまでの伏線を答え合わせするかのように『それから』まで一気に書ききる怒涛のエンディング。
余韻や想像力の余地がない、という意見もあるんでしょうが、僕はこれまで勧めてきた物語を結婚・出産という一つの形まで一気に押し切るこの終わり、誠実だしパワーもあると思います。

EDで意味ありげに示されていたLINEの画面を使うことで、途中経過の凸凹を省略しつつ奥行きを出し、結末の『それから』を語り切る。
よく練り上げられた計画的犯行で、強く感心してしまいました。
あの意味深なLINEは絶対視聴者の意識に刺さっているわけで、その仕掛けの強さを信頼して最後の最後で使ってくるのは、強いなぁと思う。
なんもなしに最高にハッピーな結末だけだと、どうしても嘘くささが消えなかったと思うけども、あれを仕込まれてしまうと飲み込むしかないなぁ。

仕掛けと言えば、『恥の多い生涯を送って来ました』と"人間失格"から引用し、最後の最後ですれ違う終わりを予感させつつ、心をつなぎあって"それから"に繋げる純文学的アクロバットも、綺麗にやられてしまった。
まぁ『それから』も本筋はクッソ面倒くさい三角関係が拗れに拗れた結果、死人が出て主人公が失格人間だと判るって話なんですが、そこはリスペクトを込めた引用として力強く無視する感じか。
あのエンディングまで引っ張ってしまうのなら、そら『それから』だよなぁ……。
中学時代の初恋の『それから』として、高校の遠距離恋愛があり、コンパだので軋む大学生活があり、就職活動があり、酒が飲める歳になって結婚があると。

最後の最後で中学時代から一気に足を伸ばし、青春が終わった後も続いていく恋と人生を語りきったことで、巧く『ピュアな恋』を15歳という年齢の特権から外したかんじもあります。
小太郎くんと茜ちゃんは、あの後それぞれの年に相応しく色んな問題が起きて、その度本編で見たようなすれ違いと対話と理解を繰り返して、自分なりの人生を自分なりに推し進めて、あの家族の肖像にまで行き着いた。
それは僕らが見てきた、あまりにも純粋でどこにもない嘘で、だからこそ綺麗で憧れる青春と恋の延長線上にあり、これまでの物語がなければ支えられない、また別の形の青春なのでしょう。
そういう部分まで勇気を持って話を広げて、しっかり終わらせたことは、本当に力強く、尊敬できる物語運びだと思います。


というわけで、ど真ん中の青春を見事に走りきり、このアニメが終わりました。
良い速度、良い繊細さ、良い爽やかさの恋愛劇であり、気持ちのいい成長のお話でもありました。
とても地道な題材をわざわざ選びつつ、一話ごとにドキドキし、あるいは共感し、主人公たちを応援しながら楽しく見ていられる、とても良いアニメだと思いました。

地道な分だけ画面の詩情が大事になるわけですが、レイアウトと配色に気を配り、画面に映り込むフェティッシュの象徴性を大事に勧めてくれたおかげで、言葉以上の意味が画面からしっかり浮かび上がっていました。
生っぽさと気恥ずかしい味わいが同居している青春の台詞回しも、とても良かった。
キャラクターがそれぞれ背負うもの、『この子はこういう子なんだよ』という個性をうまく抽象化して、視聴者の胸の中でイメージと理解が育つように巧く手渡してくれたことが、あの子達を好きになれる大きな足場になってくれました。

主人公たちにド直球のピュアピュアな青春恋愛劇を走らせる気恥ずかしさを、Cパートで巧く発散していたのも良かった。
主人公たちには背負わせきれない生々しさとか、外したギャグとか、セックスとかをサブキャラクターを使って描くことで、作品世界の奥行きが生まれ、脇役もビッと彫りが深くなりました。
主役の純粋性が特権化されるより、色んなやつがいる世界の中であくまと一例として、ナイーブで優しく初心なカップルを取り上げた形になったことが、風通しを良くしていました。

恋だけではなく家族や進路、部活や地域性、学校生活といった青春の諸側面もけして疎かにすることなく、その意味や価値を常にしっかり考え、絵にして伝えてくれたのも良かった。
色んなものが恋に繋がっているし、恋が様々なものに命を与えなおしてくれるという相互作用が、作品に健全さと活力を与えていたと思います。
『祭り』と『陸上』をキャラ記号ではなく、もっと抽象的な価値を内包した軸としてしっかり使い切ったのが、表現として強い。

良いところがたくさんある、とても好きになれるアニメでした。
キャラクターたちの一挙手一投足に『こいついい奴だな』『ちょっと身勝手だけど、でもそういう部分もあるよな』と頷き、近づいていけるアニメでした。
そうやってキャラクターと、物語と、作品と身近になりたいなと思えるアニメは、やっぱすごいアニメだと思います。
ありがとうございました。