君の名は。を見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年7月26日
今更ながら、日本アニメ史、日本映画史に残る大ヒット作を見た。
圧倒的に美麗な美術、時間とともに移り変わる光の淡い、時間と空間と性別に隔てられた男女が求めあう感情、それを取り巻く人々の優しさと冷たさ
クオリティを正しく乗りこなし、シンプルな強さに繋げる傑作である
聞くと見るとは大違いで、実際に自分の目で見て、イメージとは全然違っており喜ばしかった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年7月26日
一番最初に驚いたのは、滝くんがいいヤツだ、ということだ。優等生という意味ではない。観客(つまり僕)が気に入ったポイントにちゃんと感謝をして、それを言葉にしてくれている、ということだ。
この話は結構ホットスタートで始まる。三葉を取り巻く飛騨の日常が説明無しでズドンと叩きつけられ、どうやら入れ替わりが発生しているらしいことが判ってくる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年7月26日
キャラの細かいところはサッパリ分からんながらも、とにかく状況は流れる。その段階で、まず好きになるのは三葉…ではない。
圧倒的に麗しい色彩で瑞々しく描かれる、飛騨の田舎町だ。自然と街が溶け合い、穏やかな魅力を放つ世界。三葉が日常を歩くペースを丁寧に拾い上げながら変化する、日の色合いに照らされた街それ自体に、まずはぐっと掴まれる。そこを足場に、素晴らしい場所で生活を送る三葉のにシンクロしていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年7月26日
そうして目を凝らしてみると、そこが楽園ではないことが判ってくる。噂話にまみれた閉鎖性。家族故の感情のぶつかり合い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年7月26日
そういう雑音に引っかかりを感じつつも、三葉の周りの世界はやっぱり美しい。身近な人達は優しく、飯はうまそうで、学校生活も楽しそうだ。
これはキャラクターが生きる世界を瑞々しく描き、それに反射させてキャラクター自身の瑞々しさを描く相互反射が、狙い通り機能しているからでもある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年7月26日
てっしーのことはよく分からんが、なんとなく気持ちのいいやつだとはわかるわけだ。妹もおばあちゃんも同じである。
んで、話が進んで三葉と滝くんが状況を認識し、コミュニケーションを始めるタイミング。携帯電話に残ったログ≒意思表明のなかで、滝くんは『婆ちゃんの弁当は上手かった』という。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年7月26日
ヒロインである三葉ではなく、その周辺の美しいものへの感謝をまず、言葉にするのだ。
滝くんが物語を切り分けていく主動因…物語全体の中で最も大事なものである三葉への恋は、最も大事であるがゆえになかなか気づかれない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年7月26日
奥寺先輩が大人の余裕で見切っているように、心の奥に深く突き刺さっていても、それはなかなか言葉にならないし、なってはいけない。
そういう構造的な遠さも相まって、滝くんはまずヒロインの周辺を好きになるし、映像もまたそうなるように展開されている。この重ね合わせが凄まじいな。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年7月26日
そう思えるのは飛騨の映像があまりにも美しく造形されているからで、圧倒的なクオリティを最適効率で視聴者に突き刺す方法を掴んでいるからだ。
これは入れ替わりによって飛騨の檻から開放され、あこがれの東京に転移した三葉の世界でも同じだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年7月26日
薄暗いマンションから出て、新宿の町並みを目に入れたときの圧倒的な光。オシャレでキラキラしたアーバンな生活。三葉の驚きと喜びは、非常に的確にアニメーションの中に封入されてている。
かくして二人は、遠い場所に偶然/運命に導かれて迷い込み、自分が経験したことのない非日常を楽しむことになる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年7月26日
それはさんざんおっぱいを揉む滝くんからもわかる。女というワンダーランドに接近した驚き故に、滝くんはまずおっぱいを揉むのだ。それは異質だからこそ素晴らしい。
遠く、違っているからこそ麗しい場所。そこに愛着を持ち接近していく中で、時間的に/距離的に/性別的に遠く隔たった異界は、段々と自分のものになっていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年7月26日
三葉は奥寺先輩との距離を同性故に詰め、滝くんはおばあちゃんを背負って山を登る。足首まで水に濡れても構わない。もはや家族だから。
遠く離れていたものが近づき、重なり合うまでの前半60分。それが隕石の落下によって切断され、再び離れる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年7月26日
そこからまた接近し、口噛み酒を飲み、山に登り、奇跡を起こして忘却に押し流され、時の流れに引き離された後、ようやく再びであって話が終わる。繰り返される接近と離脱のアニメだ。
滝くんが走る道は、凄くシンプルだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年7月26日
離れていたものが近づき、近くにい続けたいと思うようになった所で引き離される。その流れに抗いつつ、奇跡を起こして再び離れる。幾度漂白されても消えない思いが、最後にいちばん大事な奇跡を起こす
そこから陳腐さを消すために、SFとオカルトが機能している
性と身体の距離を確認するための入れ替わり。時間と因果の不可思議を際立たせる時間遡行と運命改変。SF的ガジェットがシンプルな筋立てを撹乱し、ちょっとしたワンダーを生んでいる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年7月26日
入れ替わりシーンがダイジェストで終わるのは、それをあくまでガジェットに押しとどめるための工夫なのだろう。
オカルトへの言及もまた、凄まじく分厚いバックボーンを感じさせつつ、ガジェットレベルに抑え込まれている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年7月26日
機を織る女。妹の力。滝くんが本宮に詣でる時に乗り越える河。坂を下り、ヴァジャイナの形をした祭壇を前にした後、死の眠りにつくことで因果を超える。ポップにデザインされた冥府下り。
これらの霊的デザインは絵としては強烈な意図を持って表現されつつ、セリフとしては拾われない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年7月26日
言葉で拾うのは言葉が多い。黄昏時と誰そ彼時、あるいは片割れ時。もしくはムスビと産霊、あるいは産土。地縁が破壊される物語だからこそ、土地の神話は強く言及されなければいけない。
そも、三葉という名前からしてミズハメの巫女であり、この話は水の物語だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年7月26日
神域と浮世を分ける水。溢れ出した感情は涙になるし、雨は幾度も降り積もる。全てが終わり、感情が過去になる…流動性を失って固体になった時、雨は雪へと変わってしまう。そしてそれは溶けて、再び瑞々しさを獲得して終わる
滝くんが時間を遡行する時、三葉という他者の人生を真実追体験する時、彼は羊水の中にいる。暗い子宮の中で死んだ以上、生まれ直すのは神話的必然だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年7月26日
手首に絡みついた赤い糸はへその緒であり、再びであった時それを三葉に返すことで、彼は三葉を恋愛の対象…『母ではない存在』として再定義する。
滝くんの名前を忘れても、目の前で消えようとする故郷と命は三葉の問題だ。だからてっしーは『お前がやるんだ!』と発破をかける。惚れた女の心に、同仕様もなく別の男が刻まれている裂け目を見てもなお、そういう声をかけれる男なのだ。そういう気持ちのいい連中ばかり仲間にいるので、見ていて楽しい
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年7月26日
ラーメン屋の親父も、ありえないほど良い人だった。部外者の若造が描いたスケッチに、失われた過去を思い出し、その礼に足となり、異界への旅を手助けしてくれる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年7月26日
霊言、あるいは妄言である入れ替わりの記憶を、体験しないまま友人たちは受け入れ、飛騨に同行したり、テロルを結構したりする。
三葉の父、あるいはその演説会場で噂を立てていたような、世知辛い世界。それは目ざとく描写されつつも、物語をせき止める障害にはなりえない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年7月26日
協力者達は皆麗しく、優しく、気持ちのいい奴らだ。その都合の良さが、僕にはとても心地よかった。そういう意味でも、現在のお伽噺なのだろう。
『君の名は。』とタイトルにあり、作中でもしつこいほどに名を問うこの作品は、当然他者を問う。しかしそれは、入れ替わって鏡に映る自分自身を問うことでもある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年7月26日
何がしたいのか、何が大事なのかを把握できない年頃の子供が、他者を問うことで己を見つけるまでの物語。これもまた、シンプルな主筋だ
滝くんは忘却に抗いつつ、赤い糸を手繰って三葉を問う。自分がなぜここにいるのか、何が大切なのかは、つねに『君の名』を問い、新しい喜びを見つけてくれたものを心に刻むことでしか、確認できない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年7月26日
『三葉』と滝くんが叫ぶ時、『三葉を愛している滝』の名もまた呼ばれているのだ。
そんな感じで、想定していたより遥かにシンプルで、力強く、横幅の広いアニメであったことが、とても良かったです。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年7月26日
性差と忘却を引っくるめた『遠さ』に抗い、そこを埋めていく物語なので、二人が出会った後の展開を書かずに終わらせるスパッと感も非常に良かった。確信に満ちた余韻がある。
異性が自分の中に入っていることで手に入れた力(三葉の女子力が先輩との距離を縮めたり、滝くんの男らしさが陰口を跳ね除け、女の子からラブレターを貰ったり)の良さを描きつつも、偶然の魔法を最終的には跳ね除け、自己に帰還して再び出会うところも良かった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年7月26日
主題ではないが、性は尊重されていた
全てが忘却の雪の中に沈んでいくことを哀しみつつ、この作品は暁から宵まで移り変わる時間を、圧倒的な光の表現力、微細なる色彩の妙味で、美しく描ききる。時の流れは残酷で美麗だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年7月26日
変わっていくことは美しく哀しい。離れていることは寂しく力強い。
そういう矛盾した感覚が絵に込められているのだ
夜空を切り裂いていく流星も、スペクタクルに満ちて美しい。ワイドショーは30分後の惨劇も知らないまま、隕石の分離を弄び続ける。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年7月26日
巨大な不幸は、それが己の血肉に及ばない限り、美しい見世物になりうる。そこら辺の残忍な目線が、クライマックス直前にねじ込まれるシニカルさとかも好きだ。
そういう強い象徴性と皮肉な目線…こう言って良ければ新海誠の作家としての強みを残しつつ、非常にシンプルで太く、『普通』の恋愛青春SF映画としての軸を両立させたことが、やっぱり一番強い部分なのだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年7月26日
いいアニメだと思います。微細に神経質で、驚くほど大胆に鈍感でもある。面白かった。