アイカツスターズを見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年7月28日
ヴィーナスウェーブ後半、前回伏線を張っていたフアンの対立に夢が向かい合いつつ、勝ち負けが付くお話。
切り取りたい大きなテーマ自体の妥当性、適切性は分かりつつも、具体的な描き方に圧が薄く、飲み込みづらい回だった。スターズらしいといえばらしい。
前回己を尽くして新しい境涯に達し、全力で勝ちに行ったローラに対し、ゆめは勝ち負けを越えたところにある自分らしさを貫き、負ける。この構図自体はとても良い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年7月28日
ただそのテーマを支えきれるだけの説得力がこれまでのゆめ、あるいはスターズにあるかというと、自分的にはなかなか難しい。
『勝ち負けより大事なものがある』という決断は、『勝ち負けは大事なものである』という前提があって初めて説得力をもつ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年7月28日
しかし一期終盤、勝ち負けの果てに着込んだ赤服はぱぱっと脱ぎ捨ててVA留学が決まり、四ツ星に内包されていた各要素はなかったことにされ、新天地軸に話は進んだ。
一期から二期を接合する時に(あえてかはたまた意図せずかは解らないが)取りこぼしたものが邪魔をして、今回のゆめの決断から重さが奪われているように思うし、それを補うだけの無条件の強さは、エール交換の描写には無いと感じた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年7月28日
気恥ずかしさが先に立って、作品の嘘を飲み込みきれなかった。
創作物は嘘をつく。それは当たり前のことで、それを喜んで飲み込ませるためにレトリックがあり、情熱がある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年7月28日
『ゆめは勝負を二の次にしても、皆を笑顔にしたかったんです』という看板を支えるだけの重さが、過去の描写の中に、もしくは今回のエールと衣装製作にあったのか。騙されたい嘘だったのか。
これは個人的な嗜好や思い入れ、公平な見方から離れた好みの問題が大きくかぶる。食べ物と同じで、食べたくないものはどうやっても美味しくは思えないってことは、たしかにある。それは料理のフラットな評価と離れた判断だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年7月28日
しかしそれを承知の上で、僕には食べにくいネタだった、とは書いておく。
自分を貫いた結果勝ったローラとか、『みんな』を優先した結果評価はされなかったゆめとか、二人が失ったむき出しの悔しさにようやくたどり着いたきららとか、光る描写もある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年7月28日
のだが、それをフルで活かすにはちいと圧が足らない会で、残念でもあった。
赤服を着るようになったゆめは、多数のフアンを抱え、広い場所にアプローチできるアイドルになった。だからエールは届き、不和は解消される。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年7月28日
そう描きたいのなら、名前があって顔がある特定の個人集団を更に超えて、もっと広い場所に語りかけ、貫通していく描写が良かったかな、と個人的には思う。
今回の書き方だと、ゆめの思いはあくまで個人的領域にとどまって、それが感情を変化させるロジックを十分表現できないまま、画面の中の状況だけを変化させているように感じた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年7月28日
この断層が作品由来のものなのか、僕個人由来のものなのか、ここ数ヶ月ずっと解らない。何度めか、それが表に出た話だった
僕が受け取っているスターズは、かなりみじめで普通の話だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年7月28日
半端で、失敗続きで、なかなか自分を把握しきれない『普通』の世界。その果てにあことゆめは赤服を譲られ、ローラは負けた。世界のVA相手に四ツ星は小さい存在になるしかなかった。
そういうみじめさは、作品独自の味でもあると思う。
例えば今回のローラの勝ち、前回のツバサ獲得が印象的なのは、勝てもせず、自分を見つけられなったローラがようやく『何か』にたどり着いた証明だからだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年7月28日
泥まみれに汚れるからこそ、説得力を持って描ける輝きというものがある。そしてそこから、どうにも主人公・虹野ゆめは保護されているとも感じる
負けた悔しさよりも、『みんな』が繋がった喜びを。ローラに祝福を。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年7月28日
きららがようやく、負ける惨めさを素直に受け取って人間味を増してきただけに、聖人めいたゆめのアクション/リアクションと、それが引き起こしたエールの飲みづらさは加速する。
嘘っぽいのではなく、必要なだけ嘘っぽくないのだ
今回見せたゆめの聖性が彼女のキャラクターだとしても、過剰に漂白するのでも、人間誰しもが持つカルマの泥から守るのでもなく、泥から咲く蓮のような清らかさとして、それを描いてほしかった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年7月28日
『綺麗すぎる』のだ、今回の話。その言葉の、非常に悪い意味で。
個人的には汚れていること、惨めであること、負のカルマを切り捨てなかったことがスターズの独自性であり、魅力だと思っている。だから今回、ローラが勝ったのは良かった。ゆめときららが負けたのは良かった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年7月28日
泥の中の輝き、光の奥の闇が混じり合う境地を見たいなぁと思うのは、おそらく僕の妄念だ。
まぁ、そういう僕のエゴを拾い上げるために商業作品があるわけではない。平たくいえばアイカツスターズはもう(あるいは最初から)僕向けの話ではなかったのかもしれない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年7月28日
それでも、時折泥の中から蓮が芽吹くから見続けたいと思うのは、やはり未練なのだろう。
その未練をどうやっていいのか、唯一どうにか出来る自分の中で、僕はさっぱりわからない。個人的な焦げ付きをWebで公開していくのもどうかと思うが、まぁしばらくは続ける。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年7月28日
僕はスターズの少なくとも一部が好きだし、好きになりたいとずっと思っている。それは本当なのだと、思っているし思いたい
追記 勝負論が成立する『場』としての正負の感情、真摯さ
スターズ追記。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年7月28日
ゆめとフアンのあいだにあった、エールのレスポンス。それはアイドルと観客という縦方向の関係だから成立するのだが、横並びで勝敗を競い合うローラやきららを同じ土俵に乗っけてOKで停止してしまったのは、非常に残念だった。
勝ち負けの価値体系が内破しかけている。
必死に努力して、競り合って前に進んで、0.5ミリでも先にいれば価値と判断されるシビアな競り合い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年7月28日
ローラはそれに向かい合う資格として、徹夜で衣装を仕上げ、自分なりの答えをステージに載せたんだと思う。そこからズラした答えを返したゆめは、果たしてローラに、勝負自体に報いているのか。
『良かったねローラ、エール手伝ってくれてありがとう』と言ったゆめはは、『負けて悔しい』とようやく口にしたきららより残忍だったのではないか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年7月28日
そういう疑問も出てくるが、まぁローラが喜んでいたしそうではない、ということなのだろう。ココらへんもズレだ。世界(もしくは僕)は断層だらけだ。