イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

プリンセス・プリンシパル:第5話『case7 Bullet Blade's Ballad』感想

混ざり合わない二つの線が、絡み合う時何かが起こる、東洋からの血風が嵐を呼ぶプリプリ第5話です。
前回のCase9から少し戻ってのCase7、ブレイドガールちせちゃんの加入話でしたが、湿度と冷酷を同居させたストーリー、江畑諒真の作画能力が存分に吠えるアクション、共に非常に冴えていました。
日英の複雑な内政・外交事情を背景に置きつつ、あくまでメインは個人レベルの相互理解と反目に置き、異物がぶつかりあったときの反発と融和にしっかり感情を乗せ、いいバランスで描ききっていました。
能力でも性格でも、ちせというキャラクター、それを受け入れるプリンシパルの面々がより深く理解でき、好きになれる立派なエピソードだったと思います。


さて、いろんなことが置きている今回。
演出の軸になっているのは『二つの線』でして、並走して走っていた全く別の存在が、暗殺事件を通じて熱せられることであるいは融和し、あるいは反目するしかない宿命を確認してぶつかり合うお話となりました。
日本と英国、明治政府と幕府残党、親と子、ちせとアンジェ、二つの列車。
それぞれ別別のものがなぜバラバラなのか、それがぶつかりあうと何が置き、どのような結末が待っているかを多様に見せて、一筋縄ではいかないスパイの世界の厳しさ、そこでも捨てきれない情の輝きを目立たせる、いい配置だったと思います。
融和していく使節団とプリンシパルと、融和しきれなかった暗殺者を両方配置することで、『二つの線』が交差したときの可能性をプラス・マイナスしっかり描ききっているところが、油断がなくて良い。

今回のお話はかなり高度に政治的な文脈に乗っかっているわけですが、画面に切り取られているのはあくまで最低限。
日本国内の事情はあくまで匂わせる程度に抑え、メインはちせとアンジェが即席バディを組み、信頼を創っていく個人的なドラマにまかせています。
英国と日本、二人の嘘つきが静かに交わっていく感情のドラマだけでなく、トレインチェイスと超絶チャンバラ、二つのアクションで興奮を作ってくれるのが、贅沢で良い。
背景になっている政治のラインも生半な作り込みではなく、『しっかり作った上で、あえて捨てる』という贅沢な見切りがあってこそ、私情を捨て大義に殉じるちせの決断が、重さを持つようになっています。

というわけで、まずはちせとアンジェのラインから見ていきましょう。
今回のお話は、日本の文化を背負ったちせと、スチームパンク・ロンドンの申し子であるアンジェがそれぞれ、お互いを異物として認識するところから始まります。
日本人の視聴者にとっても『やり過ぎ』なジャポニズムに満ちた土下座シーンで違和感を印象づけ、障壁の高さをまず見せる演出は、非常に鮮烈ですね。
第2話で学園の生徒がナチュラルに身分差別を見せていたように、英国民にとって使節団は『東洋の蛮族』でしかなく、この時代の英国の人権意識をよく見せてくれます。
洋装していてもチョンマゲ結ってる、露骨に浮いた土下座もガンガンやっちゃう使節団も、そこに溶け込む努力は(まだ)しない。
堀川公に至っては和服のままです……Case9だと髷切って洋装なあたり、融和の努力はこれからするのですけどね。

今回はそんなギャップを乗り越え、バディとして手を繋ぐ、あるいはプリンシパルの一員として向かい入れられるまでの物語。
しかし最初は異物どうしでしかないため、侍とスパイはまず卓越した暴力の才能で理解し合います。
高速で移動する列車の飛び乗った異音を聞き逃さないアンジェ、あるいはメイド服に隠された武装と業前を一瞬で見抜くちせ。
二人はまず、大義に殉じる剣術家と、任務のために己を殺したスパイとして、武器を構えたまま出会うわけです。

プリンセスの鶴の一声で、凸凹な二人はバディを組むことになります。
相変わらずプリンセス周りになると冷静さが保てないアンジェが可愛らしいですが、二人は兵士が詰める厳戒態勢の列車の中を、文字通りカードを切りながら対話していきます。
ここの演出は、ちょっと幾原邦彦的なシュールさがあって、見ていて面白いものでした。
カードが五枚ということはおそらくあれはポーカーで、つまり手札を交換し合い、役を見せ合うコミュニケーションのゲームです。
殺し合いの技量でまずお互いの顔を見た二人は、今度は言葉でお互いを理解しようと努めていくわけです。

この時、作品全体を貫く『嘘』が全く別の顔を見せてくるのは非常に面白い。
ポーカー自体が『嘘』を前提としたゲームなわけですが、文化背景が違いすぎる二人には、『嘘』は嘘として機能しないのです。
『東洋の蛮族』が知り得ない先端技術・Cボールによる移動は、ちせにとっては『凄い体術』であり、黒蜥蜴星のでまかせも『かぐや姫みたいなもの』として理解される。
八百万の神があらゆる場所に宿る(ちせが尊皇攘夷側の人間であることに注意)日本の風景が、一種の例え話であることをアンジェも気づけない。
これまでアンジェの自我を守る盾であり、スパイ任務を成功させる鉾でもあった『嘘』は、文化のすれ違いを背景にして『奇妙な真実』として共有され、緊張を緩和させていくわけです。
高速移動する列車に渡した綱をヒョイッと歩く親父殿を見てると、Cボール体術と同じインチキを、極まった侍は可能にしているわけだしなぁ……まさに『嘘から出た真』だな。

ちせは『忠義』という佐賀鍋島の価値観に支配された侍なわけですが、アンジェもまた、プリンセスへの忠誠と愛を支えに生きる信念のスパイです。
異質に見えたものの間には知らず橋がかかっていて、それを上手く手繰り寄せることで心は繋がっていく。
そのための前駆現象として、ちせが『辞書』を操り『Buddy』の意味を探そうとするのは、面白い描写です。
あれを見ることで、ちせが異国の文化を拒絶せず、馴染んでいく意志のある子だというのが判るし、同時に『Buddy』の意味は無味乾燥な紙の文字ではなく、血と魂が混ざり合う交流の中でしか理解できないことも見えてきます。
『バラバラだからこそ近づき、手を取り合うことが出来る』ということを真ん中に据えてお話を回すなら、何がどうバラバラなのかということ、その断絶に何が橋をかけていくかは、個別に、丁寧に描写されなければいけません。
土下座や辞書、ポーカーといった小道具を上手く使って、差異と合同を印象的に重ねながらドラマを進めていく複層性は、見ていてとても面白いですね。


辞書にしても嘘混じりの自己紹介にしても、お互いを『Buddy』にしていくには足りません。
アンジェとちせは停車駅……緊張の中の弛緩で傷ついた少女に出会い、『いたいのいたいのとんでけー』のおまじないをする。
アンジェは優しい性根を嘘の仮面で必死に覆っている子なので、『あ、コイツ泣いてる子供を放っては置けないやつだ』と知ることが、一番心を寄せていく足場になるわけです。
無論僕らも、弱者に優しく寄り添うちせに心を奪われ、好きになってしまうシーンなわけですが。

加えて10年前の革命で過去を奪われ、両親から切り離されたアンジェにとって『父上から教えられたおまじない』は、圧倒的なキラーパスです。
バラバラだった二つの流れが寄り添うシーンを、言葉で説明するのではなく、これまで視聴者に見せた描写を信じて無言で進めていくのは、なかなかタフな手筋ですね。
美術と表情の演技がいいので、言葉少なくともシーンの雰囲気や意図が伝わりやすいのは、作品の強みだ。

『いたいのいたいのとんでけー』は最後の大ネタを綺麗に〆るキーワードでもあるので、ここでしっかり印象づけたのは強いなぁ、と思います。
アンジェが過去を『嘘』で覆い隠しているように、ちせもまた親子の情愛を押し殺し、『自分の知っていた優しい父』を『幕府の亡霊・藤堂十兵衛』が奪ったという『嘘』を付く。
『空気姫』として王室=家の庇護を得られず、政治の奔流に押し流されるままのプリンセス、あるいはマッドな親父に改造されまくったベアトも合わせて、プリンシパルは大人の適切な庇護を得られない孤児が、『嘘』で自分を守りつつ肩寄せあう巣なのでしょう。

ちせは父に仕込まれた剣術で父の命を奪い、ベアトは父に埋め込まれた機械で命を助けられる。
残酷な世界では親子の愛情は歪まざるを得ず、命の取り合いという結末にたどり着かざるをえないわけですが、それでも親が施したものが子供を守る。
それを皮肉と見るか、あるいは救いと見るかはなかなかに複雑で、味わい深いところです。
これもまた、交わらざる『二つの線』、といったところでしょうか。


駅での平穏はあくまで一瞬のもの、列車はハードな謀略の世界を走り直します。
嵐の前の静けさの中で、背中合わせで会話するアンジェとちせが、背中を預けあう『Buddy』にも見える構図が、変化をうまく表現していますね。
義足に仕込んだ自爆兵器を号砲に、アンカーでくくりつけてのトレインチェイス、Cボールを活用したジャンプアクション、江畑作画が唸りまくるチャンバラと、画面の温度はガンガンヒートアップ。
列車と一緒にアンジェたちも、付いたり離れたりを激しく繰り返し、ドラマとアクションを加速させていきます。

爆破により離れてしまった列車に追いつくために、アンジェとちせは『手を取り合って』飛ぶ。
これは『いたいのいたいのとんでけー』でかけた心理的ブリッジが、身体的にも二人を繋いでいる表現です。
面白いのはその先、列車衝突と暗殺者襲撃という二重の危機を前に、『手を離して』別々のルートを担当する流れです。
挨拶の仕方も違う、嘘が嘘として機能しないところから始まって、手を取り合う所まで来た二人は、信頼しているからこそあえて離れる領域まで『Buddy』になっているわけです。

飛ぶ直前、四度目の土下座をアンジェが困惑ではなく、微笑みで受け止めているのも良い演出でした。
最初は異物でしかなかった『日本式の誠意』は、武器を構えての対峙、ポーカー車両での奇妙な対話、お互いに秘めたものを確認する途中下車を経て、その真意を受け取れるようになった。
ラストシーンで『西洋式の挨拶』である握手をアンジェが教えることで、ちせが異物から仲間へと変化する終わりとも響き合っていて、奥行きのある使い方だなぁと思いました。
やっぱ最初ネタで笑い飛ばしていた要素が、ドラマの進展とともに意味を変えて胸を突き刺してくる演出ってのはよく効くなぁ……道化が本気で刺してくる瞬間というか。

信頼していればこそ、手を離せる関係性。
プリンセスが心配だからちせを側に置くことを拒んだアンジェと、アンジェを信頼すればこそちせの側に置くことにしたプリンセス、それぞれの決断と響き合うものです。
10年前の約束で、この世の中で一番の相手とお互いを思う二人の考えは、ズレたまま繋がっている。
信じていればこそ手を離せる勇気は、既にアンジェとプリンセスの間に強くあるわけですが、今回対立と融和を繰り返すことで、同質のものがちせとアンジェの間にも生まれつつあるわけです。
ここらへんを踏まえて、Case9を見返すと色々感じ入るものがありますが、同一話数の中でも最終的に、アンジェとプリンセスが協力して列車を止めています。
離れていても言葉は届くし、アンジェを信頼していればこそ止める算段もないまま先頭車両に飛び込める。
並走して展開する親子の斬り合いとはまた違ったコミュニケーションが、王女とスパイの間には成立しているわけです。


そして全国二億人のちせちゃんファンが待ち望んだ、気合い入りまくりの長尺チャンバラ。
江畑諒真は重心を意識した独特の歩き作画に定評がありますが、地面にどっしりと根を下ろし、あるいは羽毛のような軽やかさで綱を渡る今回のアクションには、うってつけの人材だったと思います。
黒星デザインの可愛らしい女の子にザックザック人間殺させてきたアニメだけあって、八の字に腰を落として斬撃を受け止める本気っぷりが浮いておらず、むしろ真剣さにつながってました。
刃こぼれ一つ一つをしっかり切り取り、体重を載せた添え手斬りで武器をへし折って決着へと伏線を積んでいくのは、巧妙な計算と緊張感が同居した、良い演出でした。
綱を渡って車両を移動する親父殿の身の軽さと、ソファーを足場に回り込もうとするちせの立ち回りが響き合ってるところとかも、かつて親子が過ごした研鑽の日々、それがお互いの喉笛を狙いあう無常を強調していて素晴らしい。

あの殺陣が印象に残るのは、ただただ超絶作画(だけではなく、驚異的な長回しでじっくりチャンバラしていることで、キャラクターが空疎な虚像ではなく生身の存在感を手に入れている)というだけではなく、言葉にならない感情や事情がアクションに乗っかっているからです。
疾走する剣戟の中で一瞬、襲撃者と守護者は殺傷舞踏の足を止め、息を整えながらお互いの目を見る。
幕府と新政府、殺す側と殺される側に別れつつも、剣術に全てを掛けてお互いを慈しみ、磨き上げてきた過去への想いが、一瞬だけ交錯するからこそ、十兵衛は笑うわけです。
『十兵衛はちせの父親』という秘密は最後の墓参りシーンで後悔され、話をまとめる鍵になるわけですが、ここに限らず様々な場所でヒントが出ているため、唐突な感じはしません。
むしろ豊かな演出の中で視聴者が感じ取っていてものを、スッと肯定してくれるスマートな快楽がある。
それが成立しているのは、血湧き肉躍る活劇の中に人間の情、それが素直に幸福には結びつかないやるせなかを、しっかり練り込めているからでしょう。

ちせは佐賀藩出身……ということは『武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり』で有名な"葉隠"の血を継いでいる、ということです。
幕末動乱を終え、新政府が英国に使節団を送る段になっても士道を捨てきれない十兵衛と、新政府要人(おそらく岩倉具視)たる堀河公が背負う日本の未来に忠誠を誓ったちせは、お互い同じものを背負っているわけです。
しかし時代の流れの中で忠義の川は別れ、暗殺という激しいうねりをぶつけ合い、どちらかが生き残りどちらかが絶える宿命にたどり着いてしまった。

父を刺し殺した痛みは胸に突き刺さり抜けないけども、忠義の仮面で自分を守り、ちせは主君に『逆臣、討ち果たしまして候』を告げます。
第1話で嘘に嘘を重ね、優しい自分を殺し続けてスパイの任務を果たしたアンジェと重なるシーンですね。
複雑な内面を覆い隠し、『嘘』が真実であるかのように見せ続けるプライドを守るかのように、ちせの表情を映さないカメラワークが好きです。

その後列車は止まり、お話の始末として埋葬のシーンがある。
そこでもちせは『父の教えた剣術で、父を乗り越えられて満足だ』という訳ですが……これは『嘘』でもあり『本心』でもあるのでしょう。
銃弾を弾き飛ばし、殺戮の嵐と化すほどの研鑽は生半な覚悟で得られるものではなく、父に会っては父すら殺す修羅の魂が必要になる。
しかし、武芸者としての藤堂ちせには本当であっても、16歳の少女……『いたいのいたいのとんでけー』のおまじないを大事に覚えている人の子としては、痛くて痛くて仕方がない。
それを癒やしてくれるはずの父の優しい手は自分の命を狙い、あるいは優しく頭をなでてくれたときには己で命を奪っている。

情と使命、修羅と少女の間に流れる奔流に傷つく(傷ついていることすら表に出せない)ちせに、アンジェは去り際礼を言います。
日本と英国、スパイと侍。
足場を置く『線』は別れても、親子の情愛を己で切り捨てるしかなかった哀しい子供として、忠義と愛に傷つけられながら残酷な世界を生き延びる同志として、アンジェは礼を言うことで手を差し伸べたわけです。
その優しさが、忠義の仮面で己を覆い続けた少女が夕闇一人、ようやく涙を流せた終わりにつながっているのだと、僕は思いたいです。

夕焼けの葬列でエピソードとしては終わっているわけですが、先に続けるためにちせが学園に、そしてプリンシパルに転校してくるシーンが入ります。
この時もアンジェは手を差し伸べ、『二つの線』に橋を架ける情を見せる。
ちせもそれを受け取る。
前回ドロシーが、Lの言う『灰色と黒』の世界を頭では認めつつ、一切汚れのない『白』をプリンセスに求めて情を預けたのと同じ危うさが、この信頼にはあります。

スパイの世界はあまりに厳しく、親子の、あるいは年頃の少女同志の連帯は、致命的な弱さになりかねない。
しかしそれでも、誰かを愛し誰かと手を繋いで生きて行く、人間として当たり前の尊さがなければ、多感な子供たちは生き延びられない。
その危うい手繋ぎこそが、今回のエピソードを、そして作品全体を貫通する最も大きな『二つの線』なんじゃないかと思える、いい終わりでした。


という感じで、過去エピソードに勝るとも劣らない情念がこもったエピソードでした。
そういう思いをしっかり描きつつ、それを必要としない怜悧な政治がしっかり組み込まれ、場を引き締めてもいました。
王国と共和国、日本と英国に引き裂かれつつ、それぞれの立場で駒を動かして益を狙う冷徹さがあればこそ、それに染まりきれない少女の純情も際立ちますね。
今回ベアトを体を張って守り、プリンシパルと友好関係を結んだように見える堀川公も、Case9では王国と共和国を両天秤にかけ、冷静な政治家としての顔を見せています。
政治装置としての冷たい顔と、人間としてのぬくもりもまた、橋がかかりつつ分断している『二つの線』なのでしょう。

堀川は明治政府の重鎮、岩倉具視が養子に入る前の旧姓であり、条約改正のための使節団を率いている描写にもマッチします。
曲げを落とさず和服を着ていた頑迷さ(そこからすぐさま西洋式を飲み込む柔軟さ)も、史実の岩倉具視そのままです。
今回の使節が岩倉使節団だとすると、英国入国≒今回の舞台は1872年8月12日になるのかなぁ……。
このアニメタイムテーブルと年表、地図は絶対かっちり作り込んでいるのに、ダラダラ説明は絶対しないストイックな仕上がりだからなぁ……うー、知りたい。

藤堂親子が佐賀出身というのも面白いところで、元々忠義の教えが色濃い鍋島出身なら、あの覚悟と業前にも納得は行く。
佐賀は幕末動乱でも結構ややこしい立場にいて、戊辰戦争あたりで新政府に本格的に肩入れし、新政府でも要職を多数排出します。
薩長土肥』の『肥』ですね。
しかし不満分子も多く、1874年には江藤新平を筆頭に佐賀の乱が起きてもいる。
新政府と幕府という『二つの線』を巧く融和できなかった因縁が、英国で衝突したエピソードとして見るのも、結構面白いんじゃないでしょうか。

アンジェとちせの間で発生していたディスコミュニケーション/コミュニケーションが、国家レベルでも置きているのもなかなか面白い。
アバンでコントロールがネタっぽく侮る『100人切り』『蒸気船に飛び乗って一人で制圧』は、ファンタジーでも何でもなく、シンプルな真実そのものでした。
『土下座といかいうわけのわからない風習を持つ、極東の島国』という侮りは、少なくともちせを仲間に加えたプリンシパルにはもうないわけです。
十兵衛もプリンセスも、政治の大きな流れには影響しないただの駒と侮っているノルマンディー公の態度と正反対ですが、こっちは今後どう広げていくのかなぁ。
主役たちが決死のアクションと心の傷で乗り越えた事件も、ノルマンディー公にとっては盤面の一局でしかないってサイズ差は、ラスボス候補の強キャラ感を巧く際立たせていて、とても良かったです。

あと細かいところですが、西欧と対等に話し合おうという使節団が時代遅れの刀を抜剣し、旧体制の亡霊である襲撃者が大砲……『西洋的暴力の精髄』をぶっ放すアンバランスも印象的だった。
国に志あればこそ不平等条約改正のために死地に飛び込めるわけなんだけども、そういう精神主義だけではテロルは跳ね返せないというね。
ちせが剣術という『東洋的暴力の極地』で銃弾を弾き飛ばしていたのと、面白い対比だなぁと思いました。
ちせが親父殿と研鑽した剣術は、この後スパイ活動の中で大いに役立つことを、僕らはすでに見ているしなあ……『そもそも、いたいけな少女が暴力で命を奪わなきゃいかん状況自体が間違ってないか?』という疑問も含めて、暴力描写に陰影があるのは良いことだ。


というわけで、様々に入り乱れる『二つの線』の間に橋がかかり、あるいは暴力的に衝突するお話でした。
ちせのキャラクターを印象的に見せる演出を的確に使いこなすことで、彼女が、そして彼女を受け入れるプリンシパルが更に好きになれる、いい個別回だったと思います。
ちせとアンジェの間にある断絶/融和はあくまで個人的な人生のドラマなんですが、同時に作品全体のテーマでもあり、キャラクターのドラマをしっかり描写することで作品の屋台骨に体温がしっかり宿るという、幸福なシナジーが生まれていました。
こういう風に生きた物語を積み重ねることで、感慨は大きくなるし構図やテーマは明瞭になるなぁ……上手いや、ほんと。

かくして東洋の剣術小町を仲間に加えたプリンシパルですが、一筋縄の時間順で進んでいかないのがこのアニメ。
次回は大きく飛んでCase18、ドロシーとその親にクローズアップしたお話のようです。
第1話を飛び越えることで『あ、Case13で生きてたたから全員生存だ!』という安心感を突き崩すことも出来るし、激動の果てに変化した状況を先見することも出来る。
構成面でもかなり凝ったスクリューを入れ、しっかりそれでストライク取れているところがすごいなぁと思います。
来週も楽しみですね。