イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

アイドルタイムプリパラ:第21話『ドキドキ!みちなる麺パラ』感想

夏の地方巡業第三弾ッ! ホラーとうどんが乱舞するパカ松大冒険、アイドルタイム第21話であります。
頭のおかしい状況がノンストップで爆走し、所々で良いアクションが映え、子供たちは仲が良く、状況に不思議なユーモアが宿っているという、非常に森脇監督コンテ回らしいお話でした。
ずーっと足を止めずに頭オカシイんですが、ガァルマゲと一緒にワイワイ過ごす中でみちるがどう変わったかはちゃんと確認できて、彼女の小さな変化も情感強く味わえるという。
狂気の中に情があって、笑いと同時に教訓を食わせるという、プリパラのバランス感覚を堪能できる回だったと思います。


というわけで、みちる&ガァルマゲが生み出したホラーな状況に、ゆい&らぁらとエピソードヒロインが巻き込まれていく今回。
こむぎちゃんがみちる達の妄想にガンガン飲み込まれていくのに対し、らぁらが思いの外クールに状況解決しようとするギャップが、妙に面白い回でした。
らぁらちゃん基本的に小学六年生なんだけども、暴走した話を本筋に戻す時は妙にクレバーな所あるよね……。
あと相変わらず圧倒的な冷静さを誇るにのな……『夢を持っていない』という特性を、今回みたいな形で表現するのはなかなか面白い。

今回の話ゆいらぁは巻き込まれ続ける役まわりで、お話を回転させたり、何かを学んだりするのはみちるとガァルマゲの仕事です。
ホラーセッティングを駆使して驚きを与えるのも、脅かしたはずなのに状況の制御を失うのも、そんなピンチに自分を出して頑張るのも、みんなみちる軸。
これまで推してきた『無理無理/出来る出来る』というキャラ付け、一方的なコミュニケーションを引っ込め、狂っているなりに他人と妄想を共有し、関係を作っていく話が展開されていきます。

ミーチルのプー大陸設定は社会的規範や常識から見れば、共有できない妄想に過ぎません。
しかし優しさか、あるいは生来の変人っぷりかが共鳴し、妄想を共有できるようになった時それは『夢』になる。
今回みちるがこむぎちゃんを巻き込み、あるいはこむぎちゃんがみちるの妄想を受け入れた構図、あるいはワイワイガヤガヤなガァルマゲドンとの日常を繰り返す内みちるが学習した世界観。
常識の外にいようと、世間がどう思おうと、個人と個人が同意して思いを共有できるのであれば、そこにはある種の尊さが宿るわけです。

ミーチルは『プー大陸の麺大臣』という無茶苦茶な役職を押し付けることで、自分の世界にこむぎちゃんを引き寄せようとする。
それはコンプレックスにより常識がズレてしまったみちるなりの、必死で不器用なコミュニケーションなんだと思います。
強引な妄想の押しつけなんだけども、そういう形でしか人と繋がれないミーチルをこむぎちゃんは喜んで受け入れ(あるいは汚染され)、二人の少女の間には人間関係が成立する。
どれだけ特殊であってもそういう関係が成り立つことには意味があるし、個人個人異なる手の差し伸べ方を受け入れる……とまでは行かなくても、否定や排除はしなくてもいい。
ミーチルの大暴走がステージと友達づくりに繋がる今回は、そういう視線を感じます。

みちるはあろまに騙され、仮想世界にもうひとりの自分を構築する形でプリパラとコンタクトしたわけだけども、そういうスタートの歪さにも関わらず(あるいはそれとは無関係に)、プリパラで『善いもの』を手に入れているわけです。
初登場から六話、年下のガァルマゲドンに振り回されドタバタ暮らす中で、『年上の末っ子』として妄想を共有され、他人と触れ合う時間を過ごしてきた彼女は、初登場からちょっと変わってきている。
『普通』の範疇に収まる『いい子』だけ認め、それこそガァルルとかは居場所がなくなってしまう世界ではなく、規範から外れた『悪い子』でも『悪い子』のまま友達が出来て、誰かとふれあい、誰かを大切に出来るようになる世界。
プリパラはそういう場所で、みちるなりにそこへのアプローチを見つけ接触を続けた結果、既に友だちになった連中も、今回友だちになったこむぎちゃんとも出会えた。
それは凄く異質でトンチキで頭オカシイわけだけども、彼女らはそういう手段しか取れなくて、異質さを排除されなかった結果善なるものにたどり着けている。
『それってやっぱ、良いことなんじゃないの』ってエピソードでした。


無論みちるの妄想は大暴投のビーンボールであり、おんなじ波長で狂ってる(というか、みちるの妄想の源泉である)ガァルマゲドンや、波長が合うこむぎは少数派です。
らぁらやゆい、にのがプー大陸的妄想(あるいは演技)にノレない姿は冷静に切り取られているし、同時に別に攻撃したりはしない。
自分には理解できないものだとしても、そこにコミュニケーションとコミュニティが成立し、人と人がつながるのであればそれは有用で有価値なのです。

というか、『これしか認めない』という狭量な常識をプリパラは想定しておらず、百万の妄想がそれぞれ寄り集まって、同意と反発のもとに社会が形成されているイメージで、作品が回っている。
ゆいの虹色妄想でしかなかった『アイドルでいっぱいのパパラ宿』は、地道な努力を繰り返すうちに共有され、多くの人の支持を取り付けて共有される『夢』になった。
世間に広く認められる価値や常識も、その起源をたどれば個人的妄想(情熱ともいう)にたどり着き、それが様々なコミュニケーションを経て共有される価値……『夢』になる結果、世界や個人が変わっていく。
ミーチルが今回爆走した道は、そういう世界認識を反映しているように思えます。

妄想が個人から他者に受け入れられる過程、『夢』になる過程で、発信者である個人にもフィードバックがあって、一種の危うさみたいなものが削れる/加速する作用もこのアニメは切り取ります。
ミーチルはプー大陸妄想をこむぎちゃんに押し付け/共有された後、『女王と進化』という支配的な構図を自分から切り崩して『友達』というフラットな関係に再配置する。
それはこむぎちゃんがミーチルの異質さを否定せず受け入れてくれた結果生まれた、結構大事な変化なんだと思います。
今回『友達』が出来たことで、ミーチルは『女王としての強い自分』を仮定しなくても他人と付き合えるようになったし、それは現実世界のみちるにも何か、いい影響を及ぼすんじゃないかなぁと、僕は願ってます。


ミーチルは凄く人間関係構築が不器用な子で、その不器用さ、無様さをプリパラは笑いと可愛さでコーティングします。
彼女が持ってる危うさとか、ドン引きされちゃう独特のコミュニケーションを、上から目線で肯定とかはせず『頭オカシイ連中が、頭オカシイなりに繋がるための手段』として、フラットな場所から描く。
ガァルマゲがうどんをズルズルすすり続けるシーンの、なんとも言えない可笑しさがあればこそ、彼女らが頭オカシイなりに仲良しで、お互い認め合い支え合って楽しく暮らしていることが、じんわり解る。
『普通』でないことは確かに異様なんだけども、それは攻撃を誘発する種類のものではなく、思わず笑って受け入れてしまえるものであり続けます。
そういう『普通じゃなさ』を強烈な笑いで飲めてしまうのは、プリパラがコメディであることの強さだなぁと思う。

無論、今回の無茶苦茶なジェットコースター狂気は、スタッフがただやりたいからやっているものでもあるわけだが。
うどん地獄に引きずり込まれてからの妙に良い作画とか、唐突なゆいらぁ仲良しアピールとか、マジ脈絡なくてやりたいだけだもんな……でも凄い良い。
W主人公である以上、話の本筋背負わなくても画面にはいなきゃいけなくて、『せっかくだから』って感じで毎回友情アピールするのが、相棒感強まっていいですよね、ゆいらぁ。

上で書いたような倫理意識はあくまで視聴者が感じ取るもので、映像は直接的には示唆してきません。
わーっと笑える頭のおかしいコメディ、それを成立させるためのボケっぱなしの勢いの背後に、現行アニメでも最先端の世界認識が骨格としてあって、話を支えている。
しかしあくまで前面に立つのはプリパラの楽しい毎日であり、奇人たちの笑ける奇行であり、気楽で楽しいものとしてあり続ける。
そういうシャイで骨太な姿勢を維持し続けてくれているのは、僕がプリパラいっとう好きなところです。


そんなわけで、うどんズルズルホラーバリバリの、アクセル踏みっぱなしキチガイ回でした。
森脇監督の『とにかくネタを投げる。拾って膨らます暇があったら投げる』笑いのスタイルを堪能できて、大満足であります。
ホントあらゆる瞬間が狂気に満ちてて、しかし全体的にいい話でもあり、心の戸棚のどこに入れていいのかわっかんねぇけども面白いから食っちゃうという、プリパラらしい強さで押す回だった。
その奇天烈さを殺さないまま、ミーチルが今回手に入れたもの、ガァルマゲドンと育んでいたものもちゃんと切り取られていて、見事でしたね。

そして来週、プリパラドサ回りツアー最終日はまさかの海外花のパリ。
水着回トリコロール再登場の欲張りセットに加え、新キャラ・華園しゅうかの顔見世までやってしまう貪欲さがどう暴れ狂うのか。
パパラ宿再興・校長とみみ子・ショウゴと、最初に用意した要素をかなり高速で使い切ったのは、ここら辺に新しい珠が用意されてるからだったんですねぇ……みあも来るしなぁ。
局面を新たに、足場を確かに未来へと突き進むプリパラがどこまで飛躍するのか、非常に楽しみです。