アイドルタイムプリパラ 第25話『ユメユメ!タイムスリップ』を見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月5日
3クール目突入ということで、ひとしきりの物語を整理し終えたパパラ宿。後半を引っ張るだろうファララ・ガァララの設定を開示しつつ、ユニット結成に向けてラインを引く回。
情報量も多いが、込められた情緒も多い回だった。
というわけで、露骨に『潮目が変わるよ!』というサインが公式から一気に飛び出す回。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月5日
ガァララとバクゥは女の子の夢を食べ、プリパラから遠ざける。ファララも目覚めないので、ユニットを組んで夢とファララを守ってね! という後半のグランドクエストを、何でもありな夢時空から投げる回である。
ここまで泥臭くアイドル開拓記をやってたから、突然古代プリパラとか眠れる神とか言われてもビックリドッキリだが、思い返せばプリパラって気楽に機械神が死んだり、世界が崩壊したり、システムによって作られた偽りの世界だった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月5日
ので、本道に戻ったと言えばその通り。
今回はあくまで看板の提示でしかないので、今後ゆめ達がどういう手段・方法で夢防衛戦を戦うかは見えない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月5日
個人的には、設定のデカさに振り回されず、相変わらず泥っぽく頭おかしくやって欲しいと思う。今回の描写でも、急に投げられた設定に視聴者だけでなく、キャラも当惑してる感じあったし。
すごい勢いで設定が投げられる回なんだけども、意味や情緒の圧縮率も高く、飲み込むのが大変な回だった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月5日
特にアバン、夢喰いのバックとみさきを巡って影響力を及ぼすところと、中盤のゆいとバックの夢喰いフードファイト、『夢を共有する』という今回の構造自体が、かなり色々語っていた気がする。
せっかく復興なったパパラ宿だけども、バックが夢を食べるので女の子は『アイドルになりたい』という夢に尻込みする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月5日
小学6年生モードでお姉さんぶっているゆいらぁが可愛らしいが、らぁらのマトモな説得では、夢を喰われたみさきは動かない。ゆいの過剰な夢、溢れるリスペクトがみさきを押し流す。
ユメ決まってる虹色アイがあまりに面白いので見落としがちだが、ゆいの情熱は感染力を持つ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月5日
しかしゆいは常に、『みんな』のことなど考えていない。自分勝手に夢だけを見て、それをエンジンに前に進み続ける。結果として道は開け、場所が出来、『みんな』の夢を守るが、それはあくまで結果である。
同時に、ゆめのユメは個人のレベルで収まるほど生半可なものではない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月5日
『初めてプリパラに出会う』みさきに過去の自分を見て、自分ごとのようにはしゃぎまくるのは、プリパラに抱く虹色の夢があまりに大きすぎて、自我境界線が拡大しまくっているからだ。
それがユメの感染理由でもあろう。
プリパラが好きで好きでしょうがないから、プリパラというタグさえ付いていれば何でも自分ごととして受け止め、必死になれる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月5日
それが他人の抱えている問題でもお構いなし、視界を虹色に染めて思いっきり前に進み、踏み荒らして状況を変えてしまう身勝手さは、物語開始時から継続する虹野ゆめの個性だ
それはエゴイズム以外の何物でもないのだけど、エゴイズム以外の何物が、夢を現実にしうるのか。他人に影響をおよぼすのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月5日
他人様なんてお構いなし、ただただ自分の『好き』に素直に、暴力的なまでに躍動するゆいの姿は、夢が現実を侵食する唯一の方法と、プリパラが考えるものを提示してくる。
しかし、暑苦しくドラッギーなゆいのスタイルだけが肯定されては、なかなかに息苦しい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月5日
爆走するゆいの隣で、たはは~って感じで苦笑いしつつ寄り添うらぁらの姿、自分と世界のバランスを本能的に取れてしまう『元・正統派主人公』がいればこそ、虹色侵食性の夢は『まぁ良いんじゃない』と肯定される
らぁらは無印時代から『トモダチ』をカルマにしているキャラだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月5日
『みんなトモダチ、みんなアイドル』というコンテンツモットーを背負って、色んな人を助け、導き、変化させてきた。
それもらぁらのエゴから出てくる、『やりたいからやってる』行動であり、優しくはあるが無償ではない。
二期ラスト、『トモダチ』がいないひびきの世界を結局らぁらは理解できなかったし、相容れないひびきの世界を否定し、パワーで塗りつぶす形でしか物語に決着はつかなかった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月5日
『みんなトモダチ、みんなアイドル』というモットーからはみ出してしまうキャラは、らぁらには拾いきれない。エゴだから。
ひびきは作品全体が取りこぼしたアンチ・テーゼであり、これをジン・テーゼにするべくトリコロールと安藤とあじみが三期走り回ることになるが、そこにらぁらはいない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月5日
『トモダチのいない世界』を理解できない、してしまっては背負ってる作品が壊れる彼女は、幼く身勝手である必要があったからだ。
いま主役の立場を離れ、『ユメ』というエゴを背負って大暴走するゆいの隣に、らぁらはある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月5日
かつての自分が『みんな』『トモダチ』を背負って走った道を、距離をおいて見れる程度には、彼女は大人になった。大人になることを許されたのだと思う。まぁ、娘も死んでるしな…なるしかない。
二人で大暴走してては話は収まらないし、らぁらが道を整えてくれるからゆいの狭い視野でも事故らずすんでいる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月5日
この役割分担、コンビ感はアイドルタイムのキモだと思う。現実描写が多いので、無印で描ききれなかった『小学六年生の真中らぁら』を堪能できてもいるし。
いつも一緒に歌を歌って、プリズムストーンに通って、一緒に部屋に帰って、お絵描きして、夢も共有しちゃう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月5日
非常に近い距離にいながら、結構キャラが違う二人の少女が、違うからこそ隣りあえる描写が、アイドルタイムは強い。今回のエピソードは特に、そこを強調する展開だったと思う。
夢を食べて、女の子をプリパラから遠ざけるバックは『悪いヤツ』なのだが、ゆいは特に構えはしない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月5日
プニコンと同じ『面白いオトモダチ』と受け止めて、溢れる過剰な夢、無限に湧き出る妄想をわんさと食わせ、特権的に撃退してしまう。プリパラというタグが付けば、敵も味方になってしまうのだ。
食っても食っても湧いてくる、無限の妄想、あるいは夢。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月5日
ゆいを主人公足らしめているのはこの無限性で、挫折や困難があっても虹色に塗り替え押し切ってしまう豪腕は、例えば第20話とかで描かれている。
それが完全に自分のエゴではなく、兄から受け取った夢であることも。
夢はエゴイスティックで個人的なものであり、同時に他者と共有可能なものでもある。共有された夢は力を以て、現実を塗り替え変化させていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月5日
今回の話は、パパラ宿復活までのゆいらぁの歩みを別角度から語り直し、今後の物語に接合する機能を持っている。設定はデカくなったが、根本は変わらないのだ
らぁらとゆいは別々の存在のまま、夢を共有して同じメッセージを受け取り、物語は今後それに従って進む。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月5日
そこにゆいらぁ二人きりの特別性があるのか、個人的(共犯的)な夢を世界に拡大してしまうアイドルの強さがあるのか、はたまた夢や物語を共有せざるを得ない人間の特質があるのか。
今後どのぐらいのスケールで、夢の拡大を描いていくか。かなりの部分に踏み込むつもりだというのは、ゆいが背負う虹色の夢が身勝手で、危ういものだと描き続けている描写からも解る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月5日
それは人間が持つあらゆる特質と同じく、無条件に肯定されるものではなく、個別の長所と欠点を持つのだ。
ファララからのアプローチで、ゆいの夢、プリパラでのアイドル活動には『女神の覚醒』という別軸の価値がついた。自分たちが好きでやってることが、もっと大きな場所から評価され、あるいは挑戦される。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月5日
そういうレイヤーまで物語が上がってきたことを、ファララの介入は示している。
ここまでアイドル個人の内部でとどまってきた夢は、みさきのような匿名の他者に影響を及ぼし、ファララという神にまで届いた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月5日
その時、ゆめには望むと望まざると責任が生まれてしまう。夢で世界を塗りつぶし、他者を変えてしまった責任。生まれた社会との接点をどう使うかは、今後の課題だろう。
加えて、ガァララ周辺の描写はあからさまな含みがある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月5日
夢を奪ってファララを目覚めから遠ざける『行動』だけが描写され、その『動機』が描写されないのは、『何かありますよ』と明言しているのと同じだ。
一見『悪』に見える夢喰いの価値が反転するようなネタが、ガァララに仕込まれている気がする
トモチケ交換という人間にとっての『善』が、ファルルにとっては『死』そのものだったように。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月5日
あるいはジュリィが赤ん坊として生まれ直す行為が『死』への準備だったように、電子の女神たちを描く時、プリパラは濃厚に『死』の影をまとわせる。その筆が妙にSF的で好きだったりする。
ファララは醒めない眠りの中にいる。ヒュプノスとタナトスが兄弟神であるように、眠り…夢は死の隣接領域だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月5日
他人の夢が時計を満たした時、ファララは『死』という常態から特別に起き上がって、アイドルタイムという『生』をいっとき夢見る。それは現状、儚く消える幻でしかない。
おそらく身勝手でちっぽけで心優しい小学六年生は、色々ポカーンとしつつ『不思議なトモダチ』のためにアイドルを続け、蘇生の奇跡を成し遂げるだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月5日
だが世界を虹色の夢で満たして、ファララを目覚めさせる…生き返らせることが『善』なのか。反転を前提にした、今回のグランドクエスト提示だった
ああ、汚れた現世の因縁を切って、電子的尸解仙を達成しようとしたひびきも、数多ある『電子の女神と死』の一つか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月5日
こうして見ると、3クール全部に『死』のイメージが、オブラートかけて描写されてんだな。
夢の世界でも、人間最大のカルマである『死』を描かざるをえない作者の因業が面白い。
子供は『死』を理解できない。ファルルが倒れた時、あるいはジュリィが旅だった時、らぁら(とおそらく、彼女をアバターに物語に入っている児童たち)は『死』を真っ直ぐには見ていない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月5日
パステルカラーとフリルと電飾で飾って、剥き出しの『死』のショックを和らげて、プリパラは死と向き合ってきた
ゆいはらぁらよりも、さらに周囲が見えない。しかし現実が認識できていないわけでもないし、夢の世界に逃げているわけでもない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月5日
虹色の夢がゆいの現実そのもので、それを他人の現実に侵食させる才能とエゴを持っているだけだ。幸運にか不幸にか、ゆいは自分が夢に溺れていることに気づく暇がない。
らぁらが背負った『みんなアイドル、みんなトモダチ』というモットーは、繰り返された『死』によっても切り崩されなかった。彼女は頑なに子供で、優しく、希望に満ちていた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月5日
ゆいはどうなるのだろうか。英雄譚ではなく泥臭い人間の開拓記として続いてるアイドルタイムで、『死』は子供を変えるのか。
大人になることだけが無条件の幸せではないし、大人になったところで胸の中で子供は生き続けている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月5日
ババリア校長やらぁらママやグロちゃんの描き方はそういうメッセージを背負っているし、それは頑なに子供で居続けるらぁらやゆいの進む先が、必ずしも全否定でないことを証明してもいるだろう。
願わくば、型にはまった紋切り型でも、『プリパラらしさ』をただ踏襲するのでもなく、アイドルタイムらしい、虹野ゆめらしいたった一つの結論にたどり着いて欲しい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月5日
『死』という理不尽を匂わせつつ、話のスケールが一気に広がった今回のエピソードを見て、そう感じた。
自分の物語を終え、すこし周囲が見えるようになったらぁらが隣りにいることで、らぁらで描ききれなかった物語をゆいが背負えるようになるのではないかなと、少し期待しているのだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月5日
堂々と己のステージを見つめるらぁらと、過去への照れが交じるゆいの描き分けは細やかだった。過去完了形、現在進行系
というわけで、今後の物語を牽引するでっかいフレームをドラッギーに示しつつ、主人公として物語に向かい合うゆいの特質、らぁらの特性を描く回でした。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月5日
夢の持っている侵食性、共犯性、孤立、『死』との親和性とか色々見えて、個人的にアイドルタイムが近く見えるエピソードだった。
夢から醒めた後には現実が続く。しばらくは生臭くカルマ満載の子どもたちが、ギャンギャン騒ぎつつ暴れる回が続くだろう。今回見せた大きな構図が活きるのは、その後だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月5日
まずは次回、みちるメイン回である。年下のメンターであるあろまとの対峙、分裂した自己との対話。なかなか楽しみである。