少女終末旅行を見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月13日
まんじゅう娘の旅行は続く、お風呂に入って服洗って。お魚食べて雪を見る。平和な平和な、白と黒と蒼に彩られた人類最後の廃墟旅行。
第1話で見せた静謐なフェティシズムは今回も健在。主観の多幸感と客観の悲惨さが奇妙な同居を見せる、心地の良い24分だった。
話の筋建てというものはやっぱあんまりなくて、タイトル通り風呂入って洗濯しているだけである。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月13日
それが曲りなりともアニメとして持っているのは、絵と音のチョイスが緊張感を維持していて、少女と廃墟が持っているフェティッシュをあるいは遠景から、あるいはクローズアップで適切に切っているからだ
ユーとチトは何も知らない。自分たちがどこから来たかも、世界がどうなっているかも、自分たちがどこへいくかも。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月13日
字が読めて学のあるユーの小さな知識は、しかし巨大過ぎる廃墟を覆うほど十分ではない。マクロの視点で見れば、ふたりとも愚者だ。だから絶望と孤独に殺されず、生き続けられる。
BGMがポップに跳ねて、人間味のある交流と生活が体温を持つシーン。環境音だけが荒れ狂い、彼女たちが滅びのただ中にいることを思い知らせるシーン。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月13日
音響が全体的に良いので、遠近の落差がよく刺さる。スローカーブとシビアな直球、二種類の球種でイニングを組み立てている感じだ。
ハッピーハードコアな主観と、露骨に滅んでいるインダストリアテクノな客観。そのズレを冷静に切り取り、リズムを作る作風は、ゆる~い少女達の生活に過剰に寄せすぎず、世界の滅びを過剰に画面に持ち込ませず、いい塩梅で話を進めさせている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月13日
とても冷静なフェティシズムが、作品を駆動させている。
風呂に入って、洗濯して、飯を食う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月13日
人間がやる当たり前を追う回だけに、その『人間』がたった二人になってしまっている危うさ、たくさんいた『人間』の残滓としての巨大都市も儚く綺麗に見える。
シーンレベルだけでなく、作品全体で主客明暗のバランスを取って、リズムを作っているのだな。
そういう努力があって初めて、このまったりとした時間を美味しく食べれるのだろう。終末だけでも、あるいは少女だけでも、この旅行は成り立たない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月13日
旅行。正しく旅行である。冒険でも生存でもなく、なんとなーく食料は確保でき、命を脅かす生物はいない、コージーな破滅以降を、少女は楽しく旅する。
そこには都合のいい作者と読者の欲望が共犯しているのだけども、ビュービュー吹きすさぶ吹雪や、巨大過ぎる廃墟の空疎さが、巧いこと湿り気を抜く。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月13日
旅行になっているのは少女達が愚かで、自分たちがどれだけ終わっているかを理解できていないからだよと、無言で語りかけてくる。
そこを見落とさない目の良さがなんだかフェアで、好きな作品だ。コンセプトとして主客の落差を活かしているだけで終わらず、マクロな画面一つ、雫が配管から滴るシーケンスにまで、愚かさと終末、温もりと死が踊っている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月13日
ちょっとキリスト教中世っぽい、終末/死のイメージとの付き合い方かもしれん
このバランスが成立してるのは、チトとユーが精一杯アホらしく、目の前の生活を踊っているからかもしれない。OPでもED(なんと撮影までオール原作者!)でも、彼女らは踊る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月13日
目の前しか見えない動物的な生を、必死に踊る。そして旅行し、前に進む。まんじゅう顔のままサービスシーンもやっちゃう
どれだけ世界が終末的でも、少女は生きている。文字を学び、本を読み、あるいはその価値がわからないまま荼毘に付したりしながら、理由なく前に前に進み、上に上に上がる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月13日
巨大な積層物を上昇していく旅行は、滅んでしまった世界の真実を、終わった物語を紐解く巨大な読書でもあろう。
OPで乱舞している色彩は、本編では遠い。闇の黒、雪の白、空と水の青。魚ですら闇に適応して真っ白なら、EDの色彩がおそらく事実だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月13日
それでも、人類が積み重ねたアーカイブを読解できるチトは、滅んだ世界を夢見、自分たちの未来を読む。それがどこにもたどり着かなくても、良いことだと思う。
モノクロな世界の中でも、緑と金と黒に色わけられたカラフルとして、少女はいる。その切ないヴィヴィッドさがあってこそ、背景の巨大な空疎も意味を持つのだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月13日
共犯関係のバランスは、少女と終末両方が己を主張して成り立っている。その熱量、その目線。両方を堪能し信頼できる、良いお話でした。