ドリフェスRを見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月13日
ディアドリームがプロとして再出発する中、ライバルKUROFUNEはいまいち波長が噛み合わない。一人吹き上がる圭吾と、何かを隠している勇人。ステージが二人のグランド・ゼロとなる第2回。
圭吾のエゴイスティックな危うさが巧く書かれていて、ハラハラしながら見切れた
前回は『ディアドリーム』という一つのユニットを描く話だったが、今回は風間圭吾と黒石勇人が『KUROFUNE』になり切れないアンバランスを、徹底して追う形。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月13日
その原因の半分は、勇人が過去を隠し、初期衝動を語っていないことにあるので、表に立つのは圭吾になる。
プライベートでは結構バイオレンスな『俺』なのに、ファンの前では執事キャラ。とにかく自分の歌にしか興味がない勇人に対し、圭吾は他人をよく見ているように思える。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月13日
しかし彼の瞳に写っているのは、常に『自分』というフィルターを通した他人であって、歪みが常に付きまとう。
子役として、世界の中心にいたかったのに追い出された経験を持つ圭吾は、失った自尊心をアイドルとしてサクセスすることで補いたい欲求が、結構ある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月13日
ファンに受けるキャラクターを模索し、貪欲に演じていくのは『勝つ』必要があるからだ。勇人にとって『勝ち』は自分らしくあった副産物でしかない。
それは悪いことではない。アイドルとして舞台に立ち、エールをキャッチする立場にある以上、声援に報いようとするのは誠実さだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月13日
ファンはぶっきらぼうで飾らない勇人を見に来ているわけだが、それでも『ファンにとってのベストな自分』を少しは考える必要がある。勇人はそういうことに興味がない。
ぶっきらぼうな勇人と、過剰なファンサービス(を通してエゴを充足させたいと願う)の圭吾。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月13日
凸凹が巧く噛み合って、KUROFUNEはギリギリバランスを取っていた。自分の苦手な分野を押し付けられているとしても、惚れ込んだ男が自分を必要としてくれることに、圭吾は満足感を覚えていた。
しかしそれはとても危ういモノなのだと、圭吾を切り取る筆はじっくり伝える。一人で思い込んで、相談もなしに新しいパフォーマンスを板に載せる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月13日
あの即位パフォの『やり過ぎ感』は良くしたもんで、ファンサでやってくれてるんだろうけど確実にトゥーマッチな感じが、よく出ていた。
他人を気にしすぎるから、勇人が何かを隠していること、隠さなければ生きていけないナイーブさを持っていることに、圭吾は気づけない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月13日
『他人を気にしているんだ』という形に嵌まり込むことで、他人が秘密を抱え、自分より大事な人を持っているかもしれない可能性に気づけない。一人相撲の悲しさ。
それが破綻する舞台袖まで、ピリピリしたムードは続く。自分一人で抱え込み、他者と繋がった(と思い込んだ)エゴを肥大化させていく圭吾の姿は、ひどく危うい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月13日
慎クンが良いタイミングで助け舟を出してくれただけに、何かが食い違っている危うさは加速していって、最悪のクラッシュを引き起こす。
だがその危うさが、周囲を物分かりよく見通せない熱狂が、圭吾が勇人にどれだけ夢中で、自分の大きな部分を占めているかを教えてもくれる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月13日
もう一度芸能界で勝負してみたいと思えたのは、圭吾にとって勇人があまりに特別な存在だからだ。舞台を成功させたいのだって、相棒と一緒だからこそだ。
そこにはエゴイズムと同時に、純粋に他人を思うアガペがある。それはハンドルを付けて制御できるような器用なものではなく、だからこそ強い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月13日
情熱の持つ二つの性質を、巧く追いかけたエピソードだったと思う。ほんと、圭吾は勇人が好きすぎる…そして勇人はそれに報いるのが下手すぎる…。
『俺がお前の一番じゃなかったのか?』
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月13日
圭吾の問いかけに応える苦渋の表情を見れば、勇人にとっても圭吾が大きな存在なのは見て取れる。でも、言葉はとても残酷に真実を伝える。
器用に嘘を付けるなら、そもそも二人は出会っていない。あそこでクラッシュしてしまうのは、二人の必然なのだ。
圭吾にとって『誰かの目線を独占できない』ってのはトラウマなんだと思う。だからファンの目を奪えるキャラも演じるし、勇人の唯一にもなりたがる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月13日
しかし人間が個性と尊厳を持つ以上、視野を広げていろんなものを見る自由はとても大事で、圭吾の立ち回りはそれを縛ってもいる。
心の中の一番は複数あっても良くて、そもそも比べるようなもんじゃないことを、圭吾はまだ知らない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月13日
勇人はそれを感覚していても、うまく言葉で伝えられない。勇人も、歌を捧げた思い出の人も、同じくらいに大事なんだと器用に伝えられない。
そして少年たちは、お互いの不器用さを受け入れられない
恋に似た感情なんだけども、それよりもゴツゴツとぶつかりあい、強く血を流す。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月13日
KUROFUNEの二人をつなぐ思いを、危うく強く描くエピソードでした。衝突に至るまでの描写が細やかで、『圭吾はこういうやつ』『勇人はこういうやつ』ってのが、クリアに感じられた。
他人には興味がねぇとうそぶきつつ、圭吾やアイドル活動に特別な鼓動を感じている勇人。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月13日
『他人のため』を標榜しつつ、他人の事情を見ようとしない身勝手さを隠している圭吾。
お互い不器用で、正反対でよく似ている。なるべくしてなった大クラッシュといえる。
のだが、衝突の裏にはお互いを求める魂の鼓動があって、離れてもそれは埋まらない。むしろ激しくぶち当たり、心を守っている鎧をお互い引き剥がすことが、KUROFUNE再出発のためには必要なのだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月13日
一回壊すことで、より良く混じりあえる様子を、来週じっくり見たいものだ。
勇人の塩対応がアイドルとしてどうなの? という指摘ももっともだし、他人の求める自分を演じて自己を充足する圭吾のやり方が危ういってのも事実。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月13日
お互い自分らしさに潔癖になりすぎている現状を壊して、巧く相棒のスタイルを学習できれば良いんだが…そう器用にもやれねぇよな。
冒頭のラーメン屋のシーンがすごく好きだ。ステージでキラキラしてても、彼らはまだ高校生で、かっけぇレストランで勝利の美酒を飲むわけじゃない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月13日
豚クセェエネルギーの塊を二人きりで摂取して、燃料蓄えて飛ぶお年頃なのだ。そういう生活感、ドリフェスらしいなぁと嬉しい。
ラーメン屋にかかっていた『今日のスープより明日のスープ。お客さんに最高の一杯』という標語は、別にアイドルじゃなくても『最高を超えていく』意志が世界に満ちていることを示唆している。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月13日
みんなそれぞれの本気があって、生き方があって、傷つきやすい自分を持っている。ラーメン屋もアイドルも。
そして臆病な自分に火をつけれる特別な男に、『お前は俺の一番じゃない』と言われてしまう日もある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月13日
不器用で身勝手過ぎる男たちのすれ違いが、雨降って地固まるという結果になると良いなと願いつつ、来週を待つ。楽屋で圭吾が見ている光と、勇人を捕えている闇の描写、良かったなぁ。
追記 光と影の輪舞曲
ドリフェスR追記。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月13日
『過去に囚われ、前に進めない』というのは圭吾が一期で担当した物語で、そんなの関係なく未来に突き進むキャラだった勇人が実は、相棒と同じ傷を抱えていたと判るのが今回。
それはある種の裏切りなんだが、共感の足場にもなろう。美しき獣にも、俺と同じ弱さがあった、と。
慎との(文字通り)裸の付き合いを見ても、圭吾は過去を乗り越えた先輩なわけだから、『つづきのない歌』に悩んでいる勇人を一番身近で支えられる立場にいる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月13日
んだけど、大々的に失恋したショックでそれどこじゃないよなぁ、今は。自分の特権にどう気づいて、どう立ち回るかって話なんだが。
ドリフェスは根本的な部分でポジティブな物語で、人間性の黒い部分も個性であり業だと認めつつも、そこを乗り越えていく光こそが人の可能性だと、常に胸を張っている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月13日
なのでKUROFUNEの愛のすれ違いも、より大きなものを生み出す前段階だとは思う。良いとこ掘ったので、ダメージはデカいが。
巧く周りを見て調整してくれてる『良い奴』が実は凄いエゴイストで、俺様全開のやつほどナイーブで。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月13日
キャラ記号の奥にある揺れをちゃんと見据え、エピソードを用意して掘ってくれるのはとても良い。幾重にも『そいつらしさ』を重ねていくことで、キャラに鼓動と体温が宿る感じがするね。
なのでバンバン揺らいで、溢れる思いを拳と歌に乗せて、思いっきり失敗して欲しい。ぶつかった後は一回り大きくなって、より良いアイドル活動して欲しい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月13日
こういう願いがミスなく叶えられるからこそ、ドリフェスは信頼できるし見てて楽しい。楽観性を前提においたリアリズムというか、お伽噺性が好き
追記 誰が為の歌、あるいはリフレイン
ドリR追記の追記。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月13日
『誰かの為に歌う歌』『その対象の読み違い』つーのは、一期第2話第3話で奏と慎がやったネタなわけで、KUROFUNEがかつての二人と同じ関係性まで追いついてきた、とも取れる。
クリエイターが誰を思って作品作るか、というテーマとしては、結構普遍的でもあるか。
加藤さんはアイカツ!映画でも同じテーマを扱っているので、『誰のために歌うか』ってのは創作者として結構コアな要素なんだと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月13日
それをしっかり言葉に出来たら、特定の誰かへの詩は、あらゆる人に届く歌に変わるのだろう。KUROFUNEの歌もそういうものに成長して欲しいところだ。