ボールルームへようこそ を見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月15日
憧れの待つ舞台へのし上がるために、変わらなきゃいけないものがある。『どこのスタンド使いだよ』という『圧』を放つ釘宮さんとの接触、新たな師との出会い。そして一つの終わり。
かなりのペースでイベントを進行させたが、キメどころキッチリやって圧力満載だ。
というわけで、HSDAに顔見世して、釘宮さんの『リーダー』を体感し、仙石さんにサヨナラを告げ、基礎工事からやり直す宣言まで一気に進む。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月15日
ドラマがスウィングする準備段階を圧縮して、ダンスホールでのぶつかり合いを色濃く描くのか、はたまた原作を飛び越して一つの終わりまでたどり着く気か。
先の話はさておき、多々良は先週ぶっ飛ばされた釘宮さんと直接会話し、触れ合い、男が手綱を引く『競技ダンスのデフォルト』を体験することになる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月15日
マリサ先生が言うように、それは事実上の標準であり、多々良の内心がどうであろうと揺るがない、採点競技の評価軸である。
多々良は釘宮さんの力強い、『男性的』なリードに『憧れない』。彼が好きなのはリーダーとパートナーが相互に主張し合い、高め合うようなダンス。引っ張り上げるのでももたれかかるのでもなく、力強い背骨で背筋を伸ばし、お互い自分の足で立つダンス。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月15日
でもその『憧れ』に、多々良は全然届いていない
釘宮さんが体現する『男らしい』ダンスを多々良は忌避するわけだけども、彼の『憧れ』はそれをベースにしている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月15日
競技のデフォルトとして、それを踏まえた上で自分らしさをノセる土台として、清春も仙石さんも十分以上に『男らしい』。パートナーとの対等な対話は、その土台あってこそだ。
『パートナーに隠れるのはもうお終い、もっと自分を見せて』というマリサ先生の言葉は、多々良の弱点を的確に抉っている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月15日
同時に作品のこれまでの展開を自己批判もしていて、競技ダンスの差別的な部分、現代的ではない部分に向かい直ろうという宣言でもある。
多々良が競技ダンスのデフォルトに向かい合うと同時に、作品自体も舵を切り替え、よりベーシックで嘘っぽくないダンスを、キャラクターに踊らせようとする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月15日
『基礎から作り直しましょう』というのは、多々良の身体の話であると同時に、漫画らしい嘘を積極的に取り込んできた作品自体の話でもあるのだ
とは言うものの、この作品は過去の自分も、多々良が積んできた経験も個性も否定はしない。それは『歪な成長』ではあっても、間違いではないし否定されるべきものでもない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月15日
ただ、『楽しいから先』を目指すキャラクターと展開に報いるためには、別角度からダンスと向かい合う必要がある、ということだ
そのための壁として、釘宮さんがいる。アニメだと負のオーラが強調されていて、いかにも『ライバルッ!』って感じのキャラに仕上がっていた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月15日
仙石さんもそうだが、漫画読んでいた時と印象が変わって、かつ物語の仕事から考えるとそっちのほうがスマートというキャラが多い。良いアニメ化だ。
釘宮さん、誰にでもアタリはキツいし態度は怖いんだが、言ってることは正道、態度は真摯。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月15日
主人公が頭ごなしに否定するのではなく、一つのスタンダードとして芯のあるキャラになっているのは、彼が好きな理由の一つだ。彼の持ってる『理』に反発し、あるいは惹かれて多々良は道を進んでいく。
多々良は清春やしずく、仙石さんのようには、釘宮さんには引き寄せられない。でも肌で感じた『圧』、『男らしい』ダンスのスタンダードに衝撃を受けたから、『スクールを変える』という一大決心に踏み込んだんだと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月15日
マリサ先生の指導が厳格で適正だってのも、当然あるだろうけど。
しずくとの約束/呪いが強烈に多々良の心に食い込んでいて、『勝つ』ことへの焦りが生まれている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月15日
楽しくて、優しくて、誰かを幸せにできるようなこれまでのダンスとは、違うものを手に入れる必要がある。そしてそれは、コンペティターとしての顔が強い仙石さんのもとでは、手に入らないモノだ。
天平杯は『勝つ』のではなく、『負けない』ための試合だった。自分が額縁に引き、ビリになっても、踊りの中でまこが自分を表現し、それに衝撃を受けてガジュが自分を取り戻せば、それで『勝ち』だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月15日
周囲の評価は関係なく、ある意味自己満足の踊りだった、とも言える。それが成し遂げたものは大きい。
が、『どれだけ納得していても負けると悔しい』という当然の心理はこれまでも描写されてきたし、しずくの呪いは『勝つ』ことを要求してくる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月15日
誰もが納得する、ダンス社会のデフォルトにしたがって、あるいはねじ伏せて。しっかりとした土台に実力を積み上げる必要と欲求が、今の多々良にはあるのだ。
それに薄々感づいているからこそ、そして現状ではたどり着けないと思っているからこそ、多々良はHSDAの扉をたたき、マリサ先生の指導を『光』とうけとった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月15日
高い位置にあるHSDAの曇りない光と、低い位置を覗き込む小笠原の温かいぬくもり。未来と現在の対比が、なかなか印象的である。
かくして、多々良は自分をダンスに導いてくれた『光』に意を決して、サヨナラを告げる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月15日
アニメになってみると、仙石さんの指導がかなり歪で未熟であること、競技者に専念できない気まぐれ指導が危ういことが、よりハッキリとわかった。ので、この多々良の決断も頷けるモノとして描かれている。
先生としては失敗だったけど、ダンスの、人生の先輩としては面白い人で、尊敬できる憧れ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月15日
アニメでの仙石さんの描き方は、この結末がしっくり来るようちゃんと積み上げられていた。
好きだけど、好きだからこそ、尊敬しているからこそ、離れなければいけない時がある。そういう切なさのある別れ。
権威を背負わない仙石さんは、多々良にとって『憧れのお兄ちゃん』であり『親切な先輩』だった。そのフレンドリーさが多々良を支え、あるいは歪めた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月15日
その全てを自覚して別れを切り出した瞬間、今まで言わなかった『先生』と呼ぶのは、二人の関係が決定的に変わってしまったことを、的確に伝える。
『楽しむ』ためでも、『楽しませる』ためでもなく、『勝つ』ためにダンスをやる。多々良もこの作品も、HSDAに正式入門して舵を切り替える。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月15日
話を始動させ牽引してくれた破天荒な男は、スタンダードを積み直すその道において『先生』たり得ない。作者からの、敬意ある離別を感じる回だった。
多々良に足りないものを的確に認識し、育成メソッドを組み、細やかな指導を入れるマリサ先生は、エロいだけでなく優秀でもある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月15日
しかしタタラは、彼女のリードに素直に従える従順なパートナーではない。ちーちゃんのこと『じゃじゃ馬』言うとるけども、君も相当やで…。
そして多々良は、『じゃじゃ馬』な自分を認識していないし、それを的確に発露する方法も知らない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月15日
女の子の影に隠れない『多々良自身』を見つけ、認め、堂々と表現する。そのための道はとても長く、荒れ模様で楽しい。HSDAやちーちゃんが、多々良の新しい道をどう助け、阻むかも気になる。
まずは初手大暴投の静岡GPをどう描くか。来週が非常に楽しみである。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月15日
しかしこのペースだと原作確実に飛び越しちゃうけども、どうすんのかなぁ。現状連載分だとキリが悪いけども、ネタをもらってアニメが先行する形なのか。そこら辺の運び方も引っくるめて、今後も期待大である。