URAHARAを見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月9日
変貌するヒロイズム。承認願望と略奪。甘ったるく展開する幸福な日常が、複雑な色に混線して、少女と物語は決定的な分岐点へと行き着く。
綿菓子と糸玉をコアテーマに、いつも仏頂面なりとの過去と内面をほっていく回であり、みさが創作者への第一歩を踏み出す回。
りとの深層心理が暴走したり、スクーパーズとPARKが同質化したり、色んな事が起きている回だが、一番抽象度とテーマ性が高いのはアバンだと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月9日
原宿にホームを持っていない二人にとっては『コットンキャンディ』だが、そこに過去と思い出があるりとには『綿菓子』であるスイーツからアニメが始まる
りとにとって『お祭りの綿菓子』は土着性、過去への愛着のアイコンであり、うわっついた非日常の延長ではない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月9日
かつて存在していた、父母の愛。甘く柔らかなブランケットに包まれる快楽を、りとは綿菓子を口にする度思い出す。それは保存しようとしても淡く消えてしまうからこそ、軽くて甘い。
綿菓子を取っておこうとして消えてしまった『過去のりと』が、URAHARAという特殊空間の中で永遠にヒーローやろうとしている『現在のりと』と呼応しているのは、見ていれば判る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月9日
青春は甘く、特別で、泣きたくなるほど日持ちがしない。その危うさにりと自身が気づいていることで、夢の泡沫は内破する。
今回はりとの起源が様々に語られる話だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月9日
『家』を失ったからこそ、絵画によってそれを永遠に二次元に閉じ込めようと願ったこと。無愛想な職人性とは裏腹に、ごくごく普通の承認欲求(それは他者へも向かうし、自己へも向かう)も保持していること。
色んな事が判って、色んな事が起こる。
今回のPARKにはお客が来て、まりは褒められる。インスタ映え、他人のウケを考える顔のない存在を気にしつつも、そこに接近できないま、過去のりととは創作を続ける。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月9日
今まさに、ウェブを介して全世界に個人的な感想をおっ広げてる自分にも通じる描写だ。まぁ僕のはクソアマチュアの寝言だけども。
誰かに認められたいけども、認められるために自分を曲げるのは嫌。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月9日
りとのアンビバレンツ(裏腹な感情)は、まりとことこというスペシャルな友人に出会い、PARKというスペシャルな場を手に入れたことで、少し解消される。
自分の作ったものを、世に問うて売る。外部と接触する快楽が満たされたのだ。
糸玉スクーパーズがりとの絵を特別に求め、奪っていくことに、りとは恐怖と同時に快楽を覚えている。そこに『女になりかけ』の少女時代を重ねて見るのは、ちとマチズモが勝ち過ぎな読みであろうが。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月9日
略奪への拒絶と期待。りとはポップな筆致で書かれた、サビニの女なのだ。
『別に誰かに認められたくなんてないんだからね!』という、骨っぽい職人気質がりとの個性だ。でも、そういう強い外面の奥には、失われたホームへの愛着があり、『誰かに認められたいなぁ』という素直な欲求がある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月9日
衝突する二つの『りとらしさ』が、足を止めて変身を不能にする。
URAHARAに機能不全はない。ならば、それが機能せず、略奪に抵抗する力を与えてくれなかったのは、りとが臨んだからだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月9日
見られる。奪われる。観客/消費者の貪欲は恐ろしいことだし、喜ばしいことでもある。求められ奪われたい気持ちがりとにあればこそ、特別な世界で自分を覆うのを止めたのだ。
スクーパーズの侵略は、自分が求められていることの証明でもある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月9日
(これを触腕に満ちた今回は『男がギラついた眼で女を見るのは、女の価値の証明でもある』とエロティックに重ねてるんだけども、いわゆる深夜アニメ的触手ギトギト定食にはせず、サラッとやってるところがURAHARAだと思う)
そして他人は所詮他人なので、心地よい略奪で足を止めず、全てを貪欲に奪ってくる。コンフォータブルゾーンを守ってくれる優しい親友は、PARKの中(とクレープ屋)にしかいないのだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月9日
自分のいちばん大事な記憶に踏み込まれて、りとはようやく拒絶を覚える。
糸玉スクーパーズに食べられる(フロイト引用しなくても、そこに何が暗喩されてるかは明白だろう)行為を、一方的な暴力ではなく反撃の企図とすること。踏み込まれて傷ついた自分が、逆に踏み込み返して傷つけて勝つこと。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月9日
今回はりとが、観客≒他者と自分との、自己承認欲求との距離を見つける話だ。
自己承認欲求と自己保全欲求が衝突する今回、URAHARAはときに機能し、ときに機能しない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月9日
傷を覚悟で外に飛び出さない限り、『私を認めて欲しい』という願いがかなわないなら、時間が静止した特別な結界をぶち破り、スーパーヒーローな自分を原宿に晒すことも必要になる。
URAHARAの機能不全は、『見て欲しい』というりとの深層を読み、具体化する。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月9日
心で渦を巻く形のないものに、方向と言葉を与えて具体化するクリエイティビティは、なにもPARKの専売特許ではないのだ。アマツマラは遍く、日ノ本産土に満ちあふれているわけだ。
クリエイティビティの氾濫は、りとの心の中、あるいはアマツマラというスーパーパワーに収まらない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月9日
ビーズの伏線を引き継いで、みさは遂に創作者への道を歩き始める。作る楽しさに触れ、承認される喜びに満たされ…るためには、技芸が必要である。ビーズの色と粒を揃え、結び目を隠すような。
このアニメ、超ゆるふわで進行しつつも、『ただ心の赴くままにガラクタ作っても、誰も褒めてくれないし、自分も満足できないよ?』というシャープな刃を突きつけても来る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月9日
同時に、『技芸は学ぶことが出来る』とも。ビーズを介した交流と学習は、張り詰めた展開からフッと空気を抜く暖かさがある。
みさは子供らしい空気の読めなさで、『ビーズを作りたい』と提言したのだろうか。はたまた、煮込まれちゃったりとの様子を感じ取って、子供の特権で雰囲気変えるべく『あえて』我儘言った形にしたのだろうか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月9日
りとの内面に切り込むのとは裏腹に、みさの笑顔の奥にあるものは、どんどん見えなくなる。
スクーパーズと同質(にみえる)みさが、創造性というPARKの特権に接近したように、PARKの面々もスクーパーズに接近しつつある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月9日
彼らの死体由来のお菓子をモリモリ食べ、変身して暴力を振るう非日常にも慣れてきて、先制攻撃などもしてしまう。結果、身体がスクーパーズ的な変質を遂げる。
まりちゃんの先制攻撃は、URAHARAという無法地帯で暴力を振るうことへの慣れの結果であり、あまりいい結果をもたらさない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月9日
これは見てて安心するところだ。『闘う変身ヒロイン』という見立てを借りつつ、そこで行使される暴力の危うさに、作品が無批判ではない証明だからだ。
絵の略奪という形で、あるいは身体のスクーパーズという形で、怪物は少女に接近してきた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月9日
ビーズづくり、美味しいお菓子、あるいは楽しい日常生活を通じて、少女も怪物に接近してきた。
その衝突点が、今回ラストのヒキであり、物語的折り返しでもあるのだろう。”カワイイだけじゃもう足りない”、のだ
作品を求める熱意で、それを拒絶し日常を守る暴力で、あるいは顔と顔を合わせてのコミュニケーションで。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月9日
ここまで描写された接点が、バラバラに見えるスクーパーズとPARKを相互侵犯させてきた事実は、今回のエピソードでも確認できる。
怪物を追い立て捕食する側は、気づけば怪物になるのだ。
それは裏返せば、怪物もまた、ずっと怪物でいなければならない宿命から脱出できる…ただ創作物を略奪し乱用するだけではなく、自分も造り、適切な距離でコミュニケーション可能な存在になれるかもしれない、という希望に繋がっている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月9日
希望と絶望は常に裏腹、さかしまでありつつ離れることはないのだ
怪物と戦うために怪物の力を手に入れ、怪物になりかけている少女たち。非常にオーソドックスなヒーロフィクションの構図を確認して、お話は来週に続く。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月9日
楽しいばかりだった日々が相転移した証明として、少女の柔肌に刻まれたグロテスクな斑点は、十分な聖痕だろう。
その傷にただ怯えるだけでなく、適切な距離を測り、胸を張って『傷ついた自分』を世に問えるタフさを、少女たちは見つけられるか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月9日
まずはみさが色々ネタバラシをするフェイズが来るんだろうが、衝撃の『その先』に、僕は強く期待している。創造性は物言わぬ物質だけでなく、己の魂にも及ぶ…と良いな
非日常を無責任に遊ぶだけでなく、その体験の中で自分をリ・シェイプし強化していくタフさがあの子らにあるってことは、ここまでのトンチキ日常描写で積めていると思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月9日
ふわふわバブル生活の中で描写された、案外堅牢な構図を大事に、後半戦も走って欲しい。とても面白かった、来週も楽しみだ。
追記 原宿とクレタ島
URAHARA追記。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月9日
りとの迷いに切り込む今回、敵が糸玉だったのはアリアドネのモチーフを重ねてもいたのかな、と妄想。
ちょうどりとちゃん、ミノタウロスよろしく牛の角付いてるしな。世界最大のラビュリントスは、承認欲求と自己保全欲求のせめぎ合い、というわけだ。
迷宮から脱出する緒が、PARK側ではなくスクーパーズ側に握られているのも、なかなか面白いと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月9日
向かい合い乗り越える『敵』は、作品を求め自己を承認する『観客』であり、迷いを切り抜けるためのヒントをくれる『味方』でもある。そこら辺の相互侵犯は、ずっと作品の根っこにある。
シンプルに『敵と味方』に色分けできていた世界が、みさの告白で崩れる。それが今後の展開だとしたら、灰色に塗られた『大人』の世界で、PARK三人娘はどういう迷い方をして、答えを見つけるのだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月9日
そこを脱出するためのアリアドネーの糸も、『敵』が握っているなら、これはとても面白いと思う。