イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

アイドルマスター SideM:第6話『二人が選ぶVictory』感想

訳あり男子の再飛翔、今回の315アイドル再生工場物語は入院が産んだ出会いと、思わぬパスのお話。
事務所を拠点基地に『アイドルになった後』を描いてきたここまでの物語(第1話以外)とは、少し変わった筆致で、プロデューサーと元プロサッカー選手アイドル・Wとの出会いを描くお話でした。
もう話も折り返し、物語の『型』にもなれてきたところで、場所的にも展開的にもちょっと変則的な物語が来る構成は、ダレずに見れてとても良かったと思います。
病院を舞台にしたことで、理性と直感、対照的な蒼井兄弟が心身をケアし、セカンドキャリアに向かい合うまでの物語全体に、ケア&キュアの温かい気配が漂ってもいました。
似ているけど別物で、でも魂のへその緒で未だ繋がっている双子の共犯関係、その危うさに切り込みきれたかというと疑問も残りますが、そこら辺も書きながら探っていきましょう。


というわけで、ここまでアイドルの自主性を信じて縁の下の力持ちに徹してきたPちゃん、今回主役に近いポジションです。
アイマスでPちゃん離脱というと、やっぱアニマスの奈落落ちと大怪我を思い出しますが、全体的なトーンを過剰にシリアスにせず運んでいるSideMらしく、軽い盲腸での一時離脱。
場所が移ったのにあわせて、お話運びもこれまでのスタンダードを少し離れ、Pちゃんがどんな風にアイドルをたらしこんで、事務所に一本釣りしてくるかという『アイドルの前風景』が展開するエピソードとなりました。
……第0話であるEotJ、天道輝のりスタートを描いた第1話Aパートを考えると、変化球というよりは『振り出しに戻る』かなぁ?

今回のお話は後のW、悠介と享介の二人を中心に回るわけですが、SideMらしい視野の広さは今回も生きていて、お見舞いに来る面々の気遣いでキャラ描写を深めたり、エピソード・テーマへの布石を打ったり、良い使い方をされていました。
例えばDRAMATIC STARSは元本職の桜庭が厳しくも正しいことをいうキャラをいい具合に輝かせたり、腹ペコキャラの翼が食事制限でワタワタしたり。
S.E.Mはコミュニケーション強者のまいたるが、徹底的の褒めるコミュニケーションを見せつけ、お互い相棒を褒めまくる蒼井兄弟と共鳴したり。
PちゃんとW、話の主役に舞台を渡しつつ、こういう細かい主張を入れてくることで存在が消えないし、結束が力となり温もりともなる315事務所の良さを強調できて、良い書き方だと思いました。

あるいは、Jupiterは『いない』ことで、彼らが事務所の稼ぎ頭であり、そうそう簡単に時間を作れないこと、それでも思いは繋がっていることを描写したりもする。
『いない』ことがキャラ描写になるJupiterのポジションは、第5話のランニングでも巧妙に使われていましたが、非常に独特かつ強力ですね。
アニマスである程度物語を終えていて、SideM純正のアイドルとはいえない彼らが画面を専有しないよう、『アイドルが追いかけるべき背中』『先を行く売れっ子』という立ち位置に収めて、独自性と存在感を『いない』ことで出すのは、やっぱ凄いなぁ。
こうして描写を重ねていくことで、EotJが番外編ではなく、SideMのプロローグであり、アニマスとのブリッジとして太く機能もするしね。


脇役の優れた描写は、主役の強さあってのこと。
今まで脇に回っていたPちゃんですが、今回は蒼井兄弟の心にスッと忍び寄り、爆弾新人二人を釣り上げる大釣果を果たします。
天ヶ瀬冬馬や天道輝にあった、そして他のすべてのアイドルにもあっただろう『出会い』を丁寧に描くことで、省略された物語に想像の翼が伸びるのは、なかなかいい感じです。
今のところ三人しか描写されてない『出会い』の物語なんだけども、Pちゃんの穏やかなキャラクターを崩さないまま全員それぞれ違っていて、いい具合に多様性が出てるね。

今回のお話は、蒼井兄弟がプロ選手であること、Pちゃんがプロデュサーであることもお互い知らないところから始まって、じっくりと知己を深めていく物語が展開されます。
この時、大事なアイコンになるのがサッカーボール(もっといえば『パス』という行為)と、『食事』です。
第3話で翼が打ち立てた『アイドルという運命共同体の結束を、より深めるための食事行為』というテーゼは、話数を超えてあらゆる状況で響いています。
今回も、Pちゃんが食べれないドーナツ(≒事務所の仲間たちからの真心)を蒼井兄弟に分け与えるシーン、段々距離が縮まった証明として一緒にご飯を食べるシーン、あるいは過去と現在に共通する『ペットボトルのゴール』と、口に入れるものにまつわる描写が太かったですね。

出会いのはじめに、Pちゃんは悠介の病室から転がり出たボールを拾い、交流が始まります。
この後ボールは入院中の子供などを経由し、再起不能宣言でのショックを経て一旦離れ、道を定めた兄弟からPへとパスされる。
プロ選手として握りしめたサッカーボールが、悠介から逃げ出してPのもとにやってくるシーンは、それが二人の出会いであることも含めて、とても暗喩的です。
出会った段階では再起不能≒アイドルデビューと確定していない(んだけども、外部で語らえれる物語としてはすでに確定した未来)のに、ボールは定められた運命を先取りするように、その預け先に向かいます。

病院の中庭で、かつての自分たちのように無邪気に遊ぶ子どもたちへのパス。
ベンチに腰掛けて運命を決断するシーンでの、悠介からPちゃんへのパス。
あるいは夕暮れ(回想シーンと同じオレンジ色)の中で、子供から手渡されが送り返すパス。
様々な『パス』の交差が今回の物語そのものだといえます。
自分が人生をかけてきた『サッカー』の世界観に合わせて、Pちゃんを『監督』として理解する兄弟も、それを受けて『アイドル』としての蒼井兄弟の未来を展望するPちゃんの姿も、ボールを使わないパスワーク。
あそこで『監督』が見せたヴィジョンが鮮明だったから、悠介は膝と一緒にキャリアが潰れた時思わず縋って、セカンドキャリアとして選びにいったんでしょうね。

二人が決定的に傷つく原因となったプレイが『パス』の失敗なのも、おそらく意図的な構築でしょう。
その時巧く明け渡しできなかったのは、物理的なボールだけではなく、繋がっているようでいてバラバラな二人の関係性、そこを埋めていく自立と共存への道。
アイドルという新しい道に向かうことで、あの時通らなかった『パス』が可能になるかは、実は今回のエピソードだけでは描ききれていない気もしますが、今後掘り直すのかなぁ……。


ここまでの物語は『顔は知ってる』事務所の仲間を細かく掘り下げていく形でしたが、Wは今回が初出。
白紙のキャラクターと出会うエピソードだからこそ、第一印象は大事なわけですが、眼鏡の享介の対応はちょっと硬いんですよね。
Pちゃんを警戒し、心理障壁をバリバリ立てて距離を作る態度は、しかし大事な悠介を自分が守ってやらないといけないという、責任感と愛情の裏返しであることがすぐに分かる。
第一印象の硬さは悠介との出会いシーンの後、すぐさまドーナツを受け取って、お礼が言えること、またPちゃんが見せた術後の痛みを気遣える描写で、巧く補填されます。
ここら辺のストレス・コントロールの巧さは、今回医者っぽく正論を言い切り、Pちゃんへの気遣いを見せた『嫌なこと言う役』桜庭薫が話数またいでやってることと、通じる部分です。

ふとした出会いから、『食事』を足場に交流を深めていく、Pちゃんと蒼井兄弟。
『食事』もコミュニケーションの強力なアイコンですがもう一つ、『遊び』という行為が三人を繋げていくように見えます。
子供っぽいかくれんぼ、あるいは入院している子供への指導。
難しいことを考えず、童心に帰って『遊ぶ』行為は、実は二人が己の起源へ帰還するためのタイムマシンでもあります。
競技としてハードにしのぎを削り、必然的に故障もあり得る(それによって悠介はキャリアを断たれた)プロサッカーとは、ちょっと違う場所にある『遊戯』としてのサッカー。
それが二人の原点にあることを、膝の故障という現実の衝撃は一瞬奪い去るわけだけども、その前景として描かれている『遊び』に再度帰還することで、悠介と享介は原点に帰還し、『サッカー』であることより『二人』でいることを選んで、『アイドル』になる。
その歩みの中で、『遊ぶ』ことは大きな役割を持っています。

片足で出来る『遊び』として、享介は子供にサッカーを指導します。
この時ゴール(目的)になっているペットボトルが、回想シーンの二人にとってもゴールなのは、非常に示唆的です。
すでに大人になり、職業としてサッカー選手を選び取った二人は、『病院』という日常から切り離された時間に身を置き、傷ついた心身を癒やしつつ、過去に向かう。
無邪気な『二人』でいられた時代、黄金の幼年期にもう一度立ち返るべく、『アイドル』へと進む物語は、前半の無邪気な『遊び』のなかで、ひっそり示唆されています。

光に満ちた無邪気なトーンはAパートずっと続き、故障の告知で夕暮れが訪れ、夜となり、雨が振り始めます。
感情のうねり、物語の薄暗さを天候に反映させる演出方法は、デレアニの(ときに過剰な)感情主義演出を思い出させますが、ひと波乱を経て思い出の夕暮れを経て、雨が上がる。
双子が対立するシーンでは、冷たく青い色彩で。
Pちゃんと悠介が対話するシーンでは、雨上がりの光景を清らかに。
双子が和解し新しい道に歩き出すシーンは、多幸感を込めたオレンジに。
醸し出したい雰囲気をパレットに乗せて、的確に世界を塗りつぶしていく筆の使い方は、SideMらしい表現力に満ちていました。
双子の会話シーンは、先に答えを手に入れた悠介が高い場所に立って、心理的アドバンテージを物理的立ち位置で表現しているのも、面白い演出ですね。


今回のお話、プロサッカー選手という未来を故障で閉ざされた悠介が、『二人』が一つで楽しめた子供時代に帰還し、その延長線にある夢として『アイドル』を選び取る形になっています。
その為、『二人』が一つである描写は大事……なんですが、そこにはとても冷静に、『二人』が一つではない描写が横たわっている。
外見的にはクールな眼鏡が一番わかり易いですが、それが象徴する理性がに、そこから離れた直感が悠介に宿っていて、二人の個性、あるいは長所が異なっていること……二人は双子だけどコピーではないことが、細かく強調されています。
指導シーンで小理屈こね回して子供に伝わらない享介、あるいは『バーといってビュー』という天才言語で伝えてしまう悠介の対比もそうだし、EDでアイドルの準備のために教本を広げる享介の描写もそう。
そういう強調は、二人は個別の意思と性格を持った別人で、違うからこそ高め合う……という結論を想起させますが、物語はちょっとそこから離れた場所で展開します。

Pちゃんが見つけた『お二人となら、楽しい光景が見られるかも』という夢を杖代わりに、悠介は断たれた道の先を求め、『アイドル』を目指す。
その時、身体に問題がない享介を引っ張り込むのは、彼が入院しながら見つけた原点、『二人が分かたれていなかった、黄金の幼年期』を鑑みると、ある意味自然な流れだと思います。
ただ、その結論は作中の描写……プロサッカー選手としての社会的立場、ある程度の責任を背負い、個別の人格と尊厳を持ったバラバラの個性としての『二人』の良さを、塗りつぶしてしまう強引さもある。

例えば、今回のお話は基本的に『病院』という日常から切り離され、受けた傷をケアされる特別な空間で展開します。
それはあくまで再起不能な傷を受けた悠介の領域であり、無傷の享介が足場を置く日常的な空間……例えばクラブハウスや競技場は描かれない。
そういう場所で、特別な『二人』ではない存在と接触するシーンは、確かに存在するけども、実のない希薄なものになってしまっています。
曲りなりともプロ選手として、仕事をしてきたにしては『二人』が『二人』以外と接触するシーンは少なく、存在しているはずの社会との接点、責務から遠くにあるように感じてしまう。
これが今後挽回するための狙った描写なのか、意図せぬ欠落なのかは、ちょっと僕にはわかりません。
ただ、特別な『二人』だけで世界が構成されていた幼年期(と、そこに立ち入る特別な許可を持った存在としてのプロデュサー)を輝かせすぎて、その先に彼らが打ち立ててきたはずの歴史を、ないがしろにしてしまっている印象も受けた。

ここら辺はまずゲームが先行し、『兄は故障、弟はそれを引き起こした後ろめたさのため、"わけあってアイドル"になった』という基本設定をはみ出せないSideMアニメ、独自の難しさかな、とも思います。
責任感の強い弟が、兄と『サッカー』どちらを選ぶかと悩ませていたら、24分には収まらないと判断したのかもしれません。
ただ、コンパクトにまとめた結果、『二人』はバラバラでもあってそこが良いんだよ、という語り口と、『二人』がひとつであり続けられる特別な場所としての『アイドル』がズレてしまった印象はある。
享介が結構しっかりした性格として描かれていて、自分と兄が別の存在だという『事実』を冷静に受け止めて対応している描写が印象的だったからこそ、兄が『アイドル』に引き寄せられる夢の引力に不健全に引き込まれ、判断を委ねた(『誤った』とまで書くと、言葉が強すぎるとは思う)形に、僕には見えた。


バラバラだからこそ、『二人』でいる意味がある。
へその緒で引っ張られるような展開に違和感を覚え、変化への開放感を肯定したいと思ったのは、アニメ版アイドルマスター第9話”ふたりだから出来ること”を重ねて、このエピソードを僕が見ていたからかもしれません。
765プロの双子アイドル、双葉亜美と真美をメインに据えたこのエピソードでは、竜宮小町として一足先に世界に受け入れられ、腹の中から一緒だった亜美に置いていかれる真美の寂しさと、それでも繋がっている安心感が同時に切り取られていました。
『二人』が一つであることと、一つではないこと両方の価値を同時に輝かせるバランスの良い語り口が、先行策の中で出来ているからこそ、今回のWの描き方には、少し歪なものを見つけてしまったのでしょう。
まぁ別のシリーズ、別のキャラクター、別のスタッフで語られた別の物語は、『双子』と『アイドルマスター』という共通点を持ちつつも当然別の物語なんで、そこまで比べるものでもないんですが……どうしても気になって引き合いに出してしまいました。
兄の夢に弟が引きずられてしまった(ように思える)歪さを、今後武器として、あるいは改善点として活かしていく運びであるなら、この引っ掛かりも必要な描写だと飲めるんですが……追加で描く時間あるのかな?

例えば、EDでの引退記者会見のような『二人』から離れた社会と繋がるシーン、『病院』の外側のシーンを、もう少し重く描いてくれたら。
あるいは、兄と『二人』で居続けるための聖域ではなく、『アイドル』個別の輝きを享介が個人として見つけられるシーンがあるのなら。
今回の話はより楽しく、より納得行くエピソードとして受け止められたと思います。
ただこういうシーンを入れると時間は出血するし、トーンは重くなるし、それを回復させるためにまた尺を取られるしで、難しいバランスだとは思います。
ここまで巧く乗りこなしてきた、過度に踏み込まずテンポとストレスをコントロールし切る『SideMアニメらしさ』が、『職を辞す』という決断の重さを切り取る展開と、軽い衝突を起こしたのかもしれませんね。
ここら辺の感じ方は、各視聴者の判断基準、目のつけどころ、SideMやWという存在への思い入れの総量で、色々変わってくるのかなぁ。
まぁ、アニメからのクソニワカはこう感じたって感じで一つ。

今回のWに感じた『語りきれなさ』が今後どう扱われるのか、個別の物語が用意され、今回見せた歪さや偏り(と思えるもの)に別角度から光を当てるのか、はたまた特に扱わず先に進むのか。
ここらへんが気になるのは、第4話におけるみのりさんの扱われ方に、少し似ている気もします。
あの時『大人』の立場からブレず、人格の一面しか見えなかったみのりさんとはまた違う(そして似ている)偏りを、今回Wの『黄金の幼年期』を強く輝かせ、そこに帰還することを是とする筆からは感じました。
かなりタクティカルにシリーズを勧めているアニメなので、欠落に見えるものが狙った白紙なのか見落としなのか、最後まで見切ってみないと判らんのですよね。
例えば第5話ではS.E.Mのアイドル活動の陰りである『オッサンが今更頑張るみっともなさ』に正面から切り込み、真っ直ぐ語りきっていたので、個人的な好みとして、そういう筆致を期待してしまう。
しかし預言者ならぬこの身には、先の展開は当然分からないわけで、むしろこちらをオッと思わせるような手際で料理してくれることを、強く期待します。


というわけで、普段とちょっと色合いを変えた筆で、蒼井兄弟が『わけあってアイドル』となるまでの軌跡を追いかけるエピソードでした。
『病院』という特殊な空間で、普段と違う『出会い』の物語を展開する新鮮さ、蒼井兄弟の人の良さと輝き、アイドルにヴィジョンを提供するプロデューサーという仕事が、柔らかく展開していました。
感情に導かれてうねる天候は、ちょっとデレアニを思わせる懐かしい風合いであり、そこを抜けたオレンジ色の世界の麗しさが、Wが帰還/発見した初期衝動の光を印象的に届けてくれました。
そこにある(と僕は思った)歪さを今後どう使うかも含めて、なかなかに面白いW参入編だったと思います。

物語のボールは引き継がれて、次はオモシロ五人組High×Jokerのメイン回っぽく。
ここまで他ユニットの物語の合間に、細かく細かく関係性を描写されてきた凸凹な五人が、一体どんな物語に飛び込むのか。
非常に楽しみですね。

 

追記 放送完了後(18/01/18)に寄せられたご質問と、それへの解答。

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 ご質問ありがとうございます。楽しんでいただけたようで何よりです。 自分がW回に感じた違和感は、自分なりに読み取っていたSideMアニメの文法からかなり外れていた所と、その清潔で繊細に調整されたトーンからはみ出してしまう共依存への危惧…なんだと思います。

デレアニの過剰な意味論、表現主義がある層の支持を反発させてしまった反省からか、SideMアニメは非常に細やかなストレスコントロールと、1クールに収まるように必要なだけの物語を盛り込む計算が、随所に働いていたと思います。

『理由(ワケ)』を扱いつつ、Pとアイドルが触れ合って事務所に誘われるその期限をあえて省略し、薄暗い過去に不用意に踏み込まない(扱いきれるだけ踏み込む)調整が、第1話からほぼ完璧な所とか、よく見える。 (なので、EoJの葛藤多い作りは後から考えるとかなり特殊)

そういう中で、事務所に所属していない0段階から『アイドル』への第一歩を例外的に描き、病院という閉鎖空間で展開していく第6話の作りは、話の構造自体が凄く異質だったんだと思います。 直前の第5話が、踏み込む/踏み込まないの見切りがシリーズ全体で最も巧い回なのもあるかな。

あの話はSEMがどういう志を持ってアイドルに挑み、過去と現在にどういう障害があって、ユニット内部でどう支え合ってそれを乗り越え、ファンにどういう影響を与えられるかまで、見事に全部書ききってます。 過不足一切なし、事務所全体の構造までランニングシーンで追補してある。

そういう『巧さ』の後に、結構現実にしこりが残りそうな描き方で『アイドル』への踏み込みをゼロ段階から描いた第6話が来る。 その落差が、過剰な違和感を僕に感じさせた原因だったのかなと、全話終わった今では思います。終わってみると、必要な手筋なんですが。

あの話は『アイドルに為るまで』の物語で、SideMアニメがほぼ常に見つめてきた『アイドルになった後』の景色、ファンという公に向かい合うときの姿勢や決意を捉えていない回だと思っています。 んで、僕はSideMアニメ(というかアニメ)をみるときにそこは常に気にかけているので、大丈夫かな、と思った。

1クールという限られた話数で、Wの主役回が来て『アイドルになった後』ファンにどういう自分を見せ、公から学び公を変えていく開けた姿勢を見せる余裕があるのか。 もしかしたらこの病院で描かれた閉じた関係性のまま、お互いだけを見て進んでしまうのではないか。

ここまで七話、筆運びの巧さを魅せられてもなお残る危惧が、『アイドル』としてのWに異質な感覚を抱かせた理由なのでしょう。 結果として、合宿での桜庭との絡み、あるいは合同ライブでのステージングで、彼らもまた外に出ていく姿勢が描かれ、しっかり補填されたわけですが。SideMアニメを信じろ。

パターンや法則からはみ出した異質な存在としての第6話は、しかし『理由(ワケ)あって失われてしまった光を、『アイドル』に求める男たち』の物語としては必要な話です。 これをやっておかないと、0からアイドルを目指す物語がなくなる。(1話の輝はちょい短すぎる)

ので、歪な形になっても一話、『アイドルをスカウトする話』を回想ではなく、現在進行形でやったことには大きな意味があったのだと思います。 違和感は計算された必要性に基づいて配置されてて、後々きっちり回収する手際は、当然ちゃんと兼ね備えていたと。ココらへんが、巧さが強さになってる所です

んで。 Wの共依存性は凄く意図的な欠損で、長い時間をかけて補填され、あるいは向き合い方を見つけていくポイントだということは、感想を書いた後の諸先輩方のリアクションから見えてきました。 ある意味、歪でなければWではないというキャラなのだと。

僕はあらゆる存在が『正しく』ある必要はないと思っているし、SideMアニメもまたある種の歪さをアイドルの個性として、人間の強さとして肯定したまま、その向き合い方を変えることで有効に振り回せるまでの物語として進行していました。 桜庭が一番わかり易いですね。

ただ、第6話段階のWはそれぞれの歪さをどれだけ改変出来るか、あるいは向き合い方を変えるための尺が用意されるか読みきれなくて、あの歪さをそっくりそのまま肯定して、物語を終えてしまいそうな感じがあった。 Wの歪さが他者と交流してパワーの源泉になるか、そのまま肯定されるか読みきれない。

もし後者だと、一アニメシリーズとして描き方に矛盾が出るなぁ、と思ったのです。 S.E.M回が一番わかり易いけど、SideMが是認する倫理って凄く広範、かつポジティブな『正しさ』を前提にしていると思っています(し、見てた当時も思っていました)

Wの視野の狭さは、そこに反するかな、と。

ただ彼らの親密さ、衣装の中にお互いのパーソナルカラーを侵食させてしまうような歪さが彼らの背骨を支え、壊れた足でも全力で走れるエンジンにもなっていることは、第6話でしっかり見せてきた。 否定してもしきれない、むしろしてしまえばお互い存在できないほど癒着した、魂の双子。

その密着感は凄く魅力的だったし、ある種の真実をしっかり伝えてきてるな、とも感じたわけです。 でも、それをそのまま肯定され、『アイドル』という兄弟以外の存在に接触しないと成り立たない職業の成功要素として使われると、それは作品世界がキャラを甘やかしすぎだろ、と。

病院を出た先、『アイドルになった後』がどう描かれるか分からなかったあの段階では、せっかく凄まじい精度で高い所まで飛べそうだったSideMがWという特例を認めることで不徹底な作品になってしまう危惧も含めて、その違和感が自分の中でかなり大きかったわけです。

Wそのものであり、そこから物語が始まっていうオリジンでもある癒着性の魅力を全肯定するのは、僕がアニメに、物語の語り口に、あるいは人のあり方に求めるものとかなり食い違うわけで、『さて、どうなるか』という感情含めての違和感、危惧がありました。

ただSideMは(巧みにWの歪さを切開、その中にある黒い泥を描写するのを避けつつ)Wが『公』に接触し『アイドル』になる過程を、短い描写の中にしっかり入れ込んできました。 変質はしていないけど、変化はしていく。315の仲間の一人に、ちゃんとなっていく。視野と世界が広がっていく。

むしろ狭く密着したWが胸筋を広げ仲間を受け入れる描写があることで、そこを強引にこじ開ける315事務所の友情腕力、フッドとしての清潔さが強調されていた感じもある。 他のアイドルが担当できない人間のカルマをWが背負うことで、それをも受け入れてしまう315事務所の度量みたいなのが書けていた。

そういう仕事ぶりもひっくるめて、非常に良いキャラクター、良いものがたり展開だったと思います。 Wだけでなく、全ユニット、全キャラクターにおいてそういうレベルのストーリー・テリングを実行してしまえている所が、SideMアニメの恐ろしいところなんですが。

幾度も強調されたように、限りある尺では当然すべてを語ることは出来ず、315事務所とWの物語は『ずっとずっとこの先』を目指す所で終わっていました。 デレアニが手を繋いで離すまでを描ききった、あるいはムビマスが春香をアイドル菩薩にしてしまったのとは真逆だと思います。

おそらく意識して『次』に繋がるように終わった物語の『先』があるとしたら、その時Wの根源にある危うさに強く踏み込み、より危険でアンバランスで真正な物語が展開するのではないか、というのが、全てを見終え満足と感服しつつ今の僕が思う、欲張りな期待です。

以上、だいたいこんな感じです。 僕はこの情報過多の時代、にわかでいることは結構な贅沢だと思っているので、そこに怠惰に浸って、原点であるゲームの情報はあえてあまり拾っていません。 だから的外れな意見になっているとは思いますが、まぁアニメだけを見たいち視聴者の感想だと思ってください。