URAHARAを見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月23日
崩壊した世界を取り巻く孤独の中で、少女は一人涙を流す。自分らしく、強く正しくあり続ける当たり前の戦いの、当たり前ではない痛み。極彩色の遺骸と瓦礫が心を埋め尽くし、絶え間ない傷が渦を巻く。
一話まるまるかけて、りとを極限的に追い込んでいく回。想定していたがキツい!
お話としては『さゆみんが退場し、りとが折れる』だけなのだが、ここまで(おそらく意識的に)抑えられていたBGMが唸り、執拗な依存症描写が畳み掛け、反転の過程がずっしりとした圧を持って迫ってくる回であった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月23日
秘められていただけに、りととことこの涙がとにかく辛い。泣かんでくれ…。
キュートでキッチュな宇宙人も、原宿の景色も、スクーパーズの真実が明らかになって反転し、グロテスクで汚らしく、無残なものに変わっている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月23日
ここまで作中のモードを徹底し、積み上げた印象があればこそ、第7話を分水嶺とする反転は印象的だ。そしてそれは裏切りではなく、納得の行く運びでもある。
変化した原宿がとても危うく、危険なものだということは、第6話までののったりのったりした日々にも、的確に埋め込まれていた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月23日
さゆみんが怪しいかもしれないというサインも、そこかしこに出されていた。そこら辺、非常にフェアだし自分が描いているものを把握した話運びだといえる。
いえるのだが、僕はやっぱり、さゆみんには優しい人であって欲しかった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月23日
PARK三人娘が追いかけている、とっても脆くて危うい夢。許容され、賞賛され、欠けた自分を補填し合える全き世界。それがなかなか手に入らないと知っているからこそ、守ってあげる人であって欲しかった。
りとは本性を露わにしたさゆみんを『アレはさゆみんじゃない』と否定し続ける。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月23日
それは『りとが見ていたさゆみん』であって、『さゆみんという主体』ではない。身勝手で、無理解で、優しくない大人を、りとは許容できない。暴力で否定して、奮った暴力自体が自分も傷つける。壊れる決定打になる。
誰も味方がいない孤独な世界で、誰かを求めるりとの気持ち。守って欲しい、優しくしてほしいと願う、子供として当たり前の欲求。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月23日
それは僕の中にも少しあるものだったから、今回さゆみんがスクーパーズであると思い切り叩きつけられる展開は、とても辛かった。多分、製作者の狙い通り。
URAHARAは具象たる原宿であると同時に、少女たちの心象風景でもある。そこで描かれるものは実在するキャラクターであると同時に、多重に意味を込めたメタファーでもある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月23日
『さゆみん』はなんの象徴だったのだろうか? 今回りとは、何を殺したのだろうか? ちょっと考えてみる。
まず『大人』であるのは間違いがない。大きなおっぱいで甘えさせてくれる、優しいお母さん。自分を理解して、手を差し伸べてくれる存在。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月23日
無邪気にそういう『陽の大人』を信じられていた時代が残酷に切断されて、『あなたのため!』を免罪符に自分のエゴを押し付けてくる『陰の大人』が顔を出す。
さゆみんが巨大化するのは、文字通り『大きい人』だからだ。守りたい場所を無理矢理に壊す力があって、歩惟を真綿のように使って窒息させてくる、無理解なガリバー。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月23日
無力なリリパットではないと証明するべく、りとは暴力を振るう。それは、スクーパーズ≒『陰の大人』由来の力だ。何も切り開かない。
巨大なさゆみんはりとを取り囲み、誘惑を繰り返す。キャンディと偽って麻薬を売りつけるプッシャーのように、甘い言葉でだまくらかし、安楽な道に誘ってくる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月23日
諦めて、同質化しろ。周りは皆、もう自分を捨てている。
その圧力は『社会』であり、『広告』でもあろう。『メディア』と言ってもいいか。
このツイートの下にすら、巧みにデコレートされた甘い示唆が、Twitter社にお金を払って流れている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月23日
空気のように、水のように、僕らはアドバタイズに取り囲まれていて、巧妙な戦略によって本能と理性を揺さぶられて、行動を握り込まれている。
それは産業社会の当たり前で、原宿を支える下部構造だ。
『大人』が決めて、供給し、示唆してくる『当たり前』。そこに乗っからないと、痛くて苦しいですよと自己防衛本能を煽り立てる言葉。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月23日
りと達はそこからはみ出して、PARKに籠もった。そこでなら、『当たり前』にならなくても自分でいられると、その自分を認めてもらえると思えたから。
PARKもまた複数的な意味を持つ言葉で、『公園』であったり、『停泊地』であったり、『勝負の場所』であったりする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月23日
そこは内側に閉じて傷を癒やす『家』であると同時に、商品を陳列し顧客に見せる/買ってもらう『店』でもある。震えながら己を試し、満たし、駄目なら仲間に慰めてもらう大事な場所だ。
PARKは期間限定のテーマパークで、一瞬の夢を現実にする時限式の魔法だ。祝祭は終わるからこそ意味がある。ことこはその時限性が怖くて、スクーパーズへの道を進んだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月23日
でもそこは、怖がりな女の子たちが自分たちで、閉じないことを選んだ場所でもある。震えながら必死に、開けていこうと決めた場所だ
その正しさを危険視したからこそ、さゆみんはPARKを壊そうとする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月23日
傷つく自由、戦う意志を子供から奪おうとする。それを略奪してしまえば、後はいいようにこちらの用意した毒入りお菓子を飲み込んでくれるから。
PARKこそが最後の砦なのだと、りとは知っているから。必死に、孤独に戦う。
ぶっ飛んだデザインで、ぶっ飛んだ言動で。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月23日
一見実在感のない二次元美少女そのものなPARK三人娘だが、彼女達にごくごく普通の脆さがあり、当たり前に魂の血を流す存在なのだということは、ここ二話猛烈に主張されている。
先週はことことまりが、今週はりとが、脆い心を晒していく。
周囲に流されない、超俗的なクール・ガール。そんな仮面の奥には、当たり前に柔らかい生身があって、皆に認めてほしくて、優しくしてほしいと願っていた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月23日
ちょっと想像力を働かせば、当たり前に思い至るはずの、誰にでもある願い。それをりとが持っていることを、彼女の角が覆い隠す。
りとは真っ直ぐに正しさを見つめ、正しくあることの辛さ、厳しさも見つめてしまう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月23日
皆が食べているから毒を食べて、大事な場所を明け渡して、汚いものを綺麗だと言い直す。
そういう『当たり前』に耽溺できない賢い子供は、いつでも辛い。王様が裸だって言ったって、誰も褒めてはくれないのだ。
さゆみんを殺し、原宿を破壊して指弾される。仲間が誰もいない辛さは、りとにとって初めてというわけではない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月23日
むしろ孤独の辛さを知るからこそ、自分が見つけた『正しさ』を蟷螂の斧にして必死に戦い、一人で居なくてもいいPARKを守ろう、戻そうと頑張ったのだ。そこに漬け込むエビフリャーのエグさ
スクーパーズを貪る時、少女たちはむき出しだ。食器は使わず、腰を下ろす場所もなく、ただただ飢えを満たす欲望の儀礼として、食事は描写される。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月23日
回想の中で、三人娘は『正しい食事』をしている。適切な食器があり、家具と部屋があり、オシャレな服を着ている。あるべき姿はすっかり失われた。
同質化すること。自分を捨てて、ただ欲望に耽溺し、あるいは大衆の中に紛れることは、圧倒的にグロテスクだ。それをスクーパーズ・カニバリズムを通じて叩きつけてくる演出は、青春絵巻としてのURAHARAに独特のテイストを与えている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月23日
そのおぞましさを一人理解しつつ、りとは最終的に汚濁に飛び込む。
『みんなのため、あなたのため』だとさゆみんは言い、りとはこれを暴力で拒絶する。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月23日
『友達のため』だとえびふりゃーは言い、りとはこれを貪食によって受け入れる。
拒食と過食。思春期の少女を特に傷つける食行動に振り回されて、りとの仮面は一話かけてボロボロに壊された。キツいな。
スクーパーズの謀略は、悪いことばかりではない。厳しさの中で少女の世界は広がり、認識は変化している。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月23日
お菓子は死骸で、ヒロイックな活動は世界を壊すことでもあると(無意識的に)理解したから、実際の画面にそれが映るようになったのだ。グロテスクな世界変化は、つまり少女の成長でもある。
青春が失われることの醜い残酷さを丁寧に追いつつ、それと裏腹な『大人』への道のりも同時に埋め込む。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月23日
ポップな世界に耽溺しつつ、こういう冷静な批評眼を維持していることが、未熟と成熟の中間点にいる少女たちを描く物語としての鋭さを、このアニメに与えてもいるだろう。
奪う。ズルをする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月23日
スクーパーズと同質化し、醜い存在になるのは外見だけでなく、内面もそうだ。まりが『フォロワーを奪う』と言い続けているのは、『造る』という価値観を手に入れられないスクーパーズへと、彼女が変化しつつあるからだ。
ことこも静止した永遠を求め、スクーパーズ化する。ようやく手に入れた楽園…出口のない金魚鉢を守るために、その結晶であるPARKを破壊する矛盾に、賢いことこは気づけない。彼女の美点であり欠点でもあった鋭敏さは、すっかり侵食されてしまったのだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月23日
静止し、略奪し、侵食する。スクーパーズ的なものはしかし甘美で、狡猾だ。それに抗う戦いは孤独で、苦しい。たとえ正しいとしても、『正しさ』は何も慰めてくれないし癒やしてもくれない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月23日
それは正しさをめぐる裏腹な事実。それを否定し、空っぽな夢物語だけを回していても、物語に力は宿らない。
だから徹底的に、少女が当たり前に持っている怯えと恐怖、それを甘言で満たしてくれるスクーパーズの誘惑を描く。甘いお菓子のお家で、永遠に眠り続ける夢に、一旦主役たちを落とす。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月23日
光を強く描きたいなら、やっぱ闇は嘘なく、本気かつ独自の筆で描ききらないとダメなのだろう。
同時に、闇だけが世界のすべてだというニヒリズムに作品自体が侵食されないように、『正しさ』を切り取るのも大事だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月23日
りとが一人戦い叫んだこと。停泊地であり公共の場でもあるPARKを守り、そこから出ていく/入っていくことの意味を守ろうとしたことは、無駄でも無意味でもない。
かつて当たり前にあった、全てが整理され満たされていた世界。『正しい』世界は撹乱され、侵食された。グロテスクな乱雑さに支配され、食事は手づかみで行われ、街にはゴミが溢れる。あれだけ好きだったファッションも毒々しい肉腫に覆い隠された。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月23日
価値観と心理の擾乱を、衣食住を通じて描く演出だ。
と、なれば。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月23日
衣食住を取り戻し、あるべき規律を快復することが、おそらくスクーパーズ的な世界へ対抗する戦いの形になるのだろう。その予感は、りと達が握っている武器にしっかり埋め込まれている。ソーイング・キットで異物と戦ってきた彼女達は、破綻した世界と自分の心を縫い直す。
クリエイティビティの闘争は自分の魂、その外縁としての原宿だけでなく、『敵』であるはずのスクーパーズにも及ぶだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月23日
ことこが的確に批評したように人間はスクーパーズ的であり、つまりはスクーパーズは人間的なのだ。みさはビーズでブレスレットを造れたし、さゆみんだってクレープを造れたのだ
そういう事実を手がかりに、徹底的に主役を追い込む今回を飲み込みたいと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月23日
ヒーローが敗北し、少女が絶望する道筋が丁寧なだけに、暗い気持ちだけが表に立つ回なのだが、このアニメは常に、裏腹な明暗を(時に歪な悪目立ちも含めて)描いてきた。闇を色濃く描くのは、光を際だたせるためだ。
そう自分に言い聞かせないと、りとが可哀想で見てらんない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月23日
あの子もごくごくフツーの子で、当たり前に寂しくて、だから友達が大事で、でもその友達は変わってしまって。見つけた正しさだけを武器に戦って、その暴力自体が自分を傷つけて、耐えられなくて『普通』という毒を食らう。
その血と涙にまみれた、凸凹の青春道はファンタジックに描かれているけども、同時に普遍的でナイーブな心にしっかり接触していると思う。だからキツいし、面白い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月23日
持ち前のポップなぶっ飛び感に、真摯で残酷な筆致が追いついてきて、URAHARAますます面白くなっております。来週も楽しみです。