少女終末旅行を見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月1日
世界最後の工場で、最後の少女達が、最後のロボットと魚に出会う。人類の当たり前が崩壊し何も残らぬ荒野で、哲人か愚者のように鉄と肉は対話し、命の在り方を考える。
全裸水泳などもありつつ、非常に真っ直ぐ命の意味を掘り下げていくSF回。やっぱロボはええな。
今回のお話、かなり直線的、かつ分かりやすくちーちゃんがテーマを言っているので、そこは省く。水と循環と共感と命にまつわるエピソードである。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月1日
有り得ないと切り捨てた喋る機会が出てきて、魚を食材としてしか見なかった野人・ユーが、魚を自分と同じ命と認め、守ろうとする。そうなるまでの物語だ
この話が少女たち(と僕ら視聴者)に染み渡るには、ここまでの旅路が必要だ。繰り返される、水と循環のイメージカット。揺らぐ音。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月1日
それは過去の引用であり、チトが生命の定義を思う時去来する印象でもある。第5話で少女たちに降り注いだ水と音は、形を変えて今回も彼女達を取り巻く。
元々大きなストーリーがなく、雰囲気とイメージを織り上げて作品を構築しているこのアニメ。『音』と『水』には妙にこだわっていたわけだが、その意義が明文化される回だったかな、とも思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月1日
それは散りゆく命の象徴であり、汚染され清められるサイクルそのものだ。循環し、交流し、別れるもの。
音を言葉として使うことが出来るロボットに出会う前から、街は生活音を立てている。巨獣の臓物のような配管の中で、唸りを上げる都市の心音に、チーちゃんはあの段階では気づかない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月1日
都市もまた、生死を繰り返す生物であるという認識は、鉄でできた生命…ロボットと対話して初めて生まれるのだ。
小さいロボットとは音素による対話が出来ても、デカイ奴の光言語は少女たちには通じない。それでも、同じ生き物としての痛ましさを共感することは出来る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月1日
ユーの『ごめんね』が一方的な思い込みだとしても、そういう柔らかな感情が多分、人間の証明なのだ。大事なことなのだ。
生き死に満ちた今回の話は、これまでのエピソードがそうであったように予言に満ちている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月1日
言葉も移動手段も持たない都市ですら、生きている以上エラーを起こす。世界に二人きりのロボットのデカい方は、狂って殺された。では、生きている少女の番の未来は、一体どうなるのか。
おそらくその薄暗さに飲まれてしまえば、一歩も動けないまま死ぬだけなので、チーちゃんは鋼鉄の死と狂気を極力ポジティブに受け取る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月1日
生命の定義は終わりにあって、その先には新しい創造がある、と。静止した寺院の果てに来世を見た、今はもういない人たちの夢に似た希望。人類共通の夢見る本能。
だが、それも再起可能な体力が残っていればこそだ。地球環境のホメオスタシスは、おそらく静止している。ロボットが整備していた都市のホメオスタシスも、でっかいのがいなくなった今緩やかに死んでいくだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月1日
終わった後の『次』などは、この終末世界ではあり得ない贅沢、虚しい夢だ。
しかし『次』があるという無責任な夢だけが、死に続く虚無を無視して生きていくのに必要な麻酔だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月1日
チーちゃんは都市の生死から、それを学んで生き残ることを選んだ。生存の物語を夢見て紡いでいくことは、タフな生存術でもあるのだ。
フィクションの持つ力を掘っていくのが、凄くSFだなあと思った。
終わるまでは終わらない。それは裏を返せば、終わるときには終わってしまう、ということだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月1日
番がいなくなったロボットは、街と一緒に死んでいくだろう。でも、終わるまでは終わらない。壊れた配管を溶接し、魚と一緒に命を繋ぐ。その魚も、番のいない一人ぼっちだ。
チーちゃんはそうではない。何の兆しもなくユーの腕枕で寝てる姿に『あのアマッ…!』ってなったけども、彼女にはまだ、隣り合って進むことが出来る相手がいる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月1日
それがなくなった時、少女は『次』も何もなく終わるのだろうな、と思った。ユーのバカを見てても、チーちゃんの脆さを見ててもそう思う。
二人の旅行がどこまで続くのか、どこまで行けるのか。それは偶然に任せた目的のない旅だ。何か大きな目標を維持できるほど巨大なものは、もう破綻してしまっている場所をあるき続ける。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月1日
そんな世界の果てでも、終わるまでは終わらない。食料を集め、誰かと話し、物思いにふけり、水に沈む。
まんじゅう顔でサービスシーンされても困ってしまうけども、彼女らは性と恥じらいを持った生き物であると見せるには、良いシーンだった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月1日
水質汚染と循環の下りも、汚れ弱っていく生物の宿命、それに抗い続ける生存の形を身近に描いてたし、俺まんじゅう顔のスケベシーン大好きだし、とっても良かった
カナザワやイシイがそうだったように、少女二人と会話した他者は孤独に死の側に歩いていって、舞台から退場する。一人になってしまった魚もロボットも、一瞬の共感と切なさを置き去りにして、死に沈むだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月1日
それでも、生きている限りは歩くのだ。バチバチと音を立てて、千切れたものを繋ぐのだ。
少女たちもまた、軋みつつ歩く。終わるまでは終わらないと呟きながら。今回鳴り響き続けていた鉄の衝突音は、多分命が死に抵抗する時の歯ぎしりだ。そこから溢れる雫が、多分命の形なのだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月1日
清潔で楽しくて、暗くて美しい。とてもこのアニメらしい、良いエピソードでした。やっぱおもしれぇな。