ボールルームへようこそ を見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月4日
続けても地獄、止めても地獄。『目付きの悪い嫌味なライバル』…から半歩はみ出した存在感を持っていた釘宮さんの過去と現在に切り込むAパートと、清春が一生ニヤニヤし続けるBパート。
明暗がはっきり別れつつも、お互いの天国と地獄がダンスで繋がる回だった。
色々省略されつつも、櫻井孝宏の好演に支えられ、アニメの釘宮さんは妙な存在感があった。嫌味な言動の奥に濃口の業と、露悪で覆い切れないダンスへの真摯さを感じたのは、彼が好きな僕の贔屓目ばかりではないと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月4日
そういう彼の影と光が、真正面から語られる回想である。
ショタ釘宮がとても可愛らしい(半ズボンとソックスへの迸るフェティシズム!)のが、彼の転落を印象づけて巧い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月4日
キラキラしたピュアなお目々はどんどん濁っていって、今の彼を支配する悪魔めいた隈が拡大していく。願望の変化は心の荒廃、環境の変化とシンクロしているわけだ。
ダンスに、それを教えてくれる人に運命を感じ、そこで本当の自分を見つけられるという決定的な体験。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月4日
多々良が仙石さんとしずくに、ガジュくんが鼻毛石先生に、ちーちゃんが千鶴さんに。皆が与えられた天国を、釘宮さんも受け取っていた。
そしてそれは、他の全ての競技者がそうであるように、地獄の始まりでもある。ただただ楽しく踊れた時代を超えた先にある、競技の地獄。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月4日
上があって下がある残酷さに、正美ちゃんのピュアな心は耐えられない。ちーちゃんや明とは別の形で、釘宮さんも青春を剥奪された子供だ。
親からの無関心、ダンスという救済。釘宮さんと多々良は凄く似通った部分があって、でも行く末は違う。1年と12年。積み重ねたキャリアは、そのまま挫折の総量だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月4日
冒頭、ねっとりと展開される恨み言はそのまま、主役とライバルの関係をスケッチし、類似点と相違点を明瞭にする。良い出だしだなアレ。
釘宮さんが追い込まれた競技の地獄に、多々良は近づきつつ飲まれない。緩慢な自殺としてタバコを吸うこともないし、死んで踊りをやめることを望みもしない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月4日
それは多々良個人の善性であり、ハードコアな競技の真相にまだ触れていない、初な特権のおかげでもある。
天平杯は巧妙に勝ち負けの残酷さをズラした大会だった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月4日
技量によって勝敗は残酷に付く。『自分はなんてヘタクソなんだ』と思い知らされて、多々良も涙を流した。
でも、いちばん大事な部分は勝敗を超えて…というか種の勝敗で報われる。まこがたどり着いた境地にはトロフィーが送られる。
それは天平杯が私設の緩やかなコンペで、ダンスの世界を成り立たせている冷厳な価値観軸から少し離れた場所にある大会だからだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月4日
釘宮さんに、そういう避難所はなかった。自分が特別な存在なんだと、父の代わりに思わせてくれた先生のために、ただただ正しく踊り続ける。そして、それでは勝てない。
それでも多々良達のように、少し迷うことはあってもダンスの楽しさに帰還出来れば、光は見えただろう。ただただ踊るだけで楽しいのだ、と。その純粋さが、迷いを消し飛ばし答えを連れてくるのだ、と。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月4日
そう思える特権は、『嫌味なライバル』である釘宮さんにはない。ただただ勝つために踊るのは苦しい
釘宮さんが出会ったスタイルも、彼の才覚も、勝利を連れては来ない。負けることに価値を見いだせないまま、負け続ける。でもダンスが好きだから踊り続ける。負け続ける。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月4日
多々良が身を浸す『見る/見られる』ダンスの快楽は、釘宮さんにとっては遠い。自分も他人も見えないし、見たくない。
そういう闇を半歩出ると、『古臭い』と蔑む視線も、『綺麗なダンスだ』と見とれる瞳も、ちゃんと存在している。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月4日
彼が羨む清春が、釘宮さんが魂に刻んだ古典の美をしっかり感じ取って、瞳に宿している描写が過去にちゃんとあるのは、良い伏線だ。
見ている人はいる。だが、釘宮さんは気づかない。
多々良の世界はダンスと出会い、人と出会、手を繋いで必死に踊ることで明るく開けていった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月4日
その陽性の隙間を埋めるように、釘宮さんの世界は踊るほど閉じていって、漆黒の意思が視界を塞いでいく。その対比が、作品が切り取るダンスの陰影を産んで、作品の立体感が出る。
これは明の内面を描くことで、『ダンスにどうしても真摯に向き合えない存在』を肯定したのと同じ流れだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月4日
明が不純にも千夏個人を求めたように、釘宮さんはダンスを過剰かつ純粋に求めすぎて、ダンスと踊れなくなっている。自意識と公平性のオンバランスだけが、より正しく美しい踊りを連れてくる
そういう真理を主人公に背負わせつつ、そこにはたどり着けない愚かしさを、ライバルたちに宿す。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月4日
たしかに、誰かを求めて踊るのも、誰も求めず踊るのも間違っているだろう。それでより良い踊りは踊れないから、彼らは負けるだろう。
でも、負けることも間違うことも、無意味ではない。無価値でもない。
黒い闇の中で必死にうごめきつつ、釘宮さんはそれでもダンスから離れられない。苦しいならやめればいいのに、思い出と愛情が引力となって、彼をダンスホールに連れ戻す。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月4日
ダンスが持つ魔力は、キャラクター全てを縛り付ける作品の根本だ。皆それに魅せられ、血まみれで自分の踊りを探している。
『あなたが羨む天才も、それぞれの地獄を持っている』
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月4日
ズタズタにされた体を晒した釘宮さんに、マリサ先生は随分キツい事を言う。それはまず単純に正しく、同時に凄く優しくもある。
他者の地獄を肯定しつつ、マリサ先生は釘宮さんも地獄にいること、今とても辛くてそれでも踊りたいことを否定しない。
マリサ先生もまた、競技者として『それぞれの地獄』を体験している。それはマリサ先生だけの地獄であり痛みだけど、地獄であるという一点を、釘宮さんの暗闇と共有している。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月4日
そこで『判るよ』とは言わない。共有できない痛みは他人と線を引く材料であり、プライドと自分のダンスを保つ源泉だからだ。
だから教師らしく、マリサ先生は釘宮さんの理想のダンスを整えていく。揺れず、真っ直ぐに、大きく。男が女を導くオーソドックスなダンスを、極限まで歩けるように、峻厳と教え導く。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月4日
実験癖は嘘じゃない。でも、自身気付いてすらいない生徒個人の資質と願いを見抜いて、手を差し伸べる優しさもある。
釘宮さんの影が見えることで、黙ってそこに接近し、自分の足でホールに進める筋道を整えたマリサ先生の偉大さも、また見えた気がする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月4日
あんだけ歪んだ人間を、それでも躍らせるのは大変だ。そういう難行を、先生は優雅に踊る。自意識と公平性のオンバランスを保って。エロいだけじゃないのだ。
釘宮さんが無明の闇と捉えているものは、確かに暗くて堅い。でもマリサ先生や清春、あるいは顔のない観客たちは、その奥にある光を感じている。良いダンスだな、良いダンサーだなと思わされている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月4日
そういうか細い光は、まだ釘宮さんには届かない。でもちゃんとある事が未来の救いを予感させてくれる
そしてその光は、釘宮さんの内面の反射だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月4日
あれだけ向いていなくて、苦しんでいても、踊りきれてしまう才覚。
自分が見つけた理想に近づくべく、努力を積み重ねられる愛情。
闇だけではない純粋な輝きが、釘宮さんの内面にあればこそ、それが彼のダンスを通じて放散され、他人に届いている。
そんな自分の可能性にも、釘宮さんは気づいていない。ココらへんも、多々良がダンスを通じて自己を肯定していったのとは逆さの道だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月4日
キラキラピカピカの主人公様みたいには、悪人顔の折れ釘は出来ない。でも、綺麗に漂白される必要なんて無い。釘宮さんは釘宮さんのまま、より善くなれる。
どんより重たい回想シーンから光を拾い集めて、そういう未来を見つけたくなるのは、釘宮さんが背負うベーシックも、陰の濃い彼の魂も、否定はしてほしくないからだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月4日
それは話の真ん中にあるものとは違う。でも、そこには個別の尊厳がある。負けるかもしれないが、無意味じゃない。
この作品は多々良を軸に、真っ直ぐな青春、彼の個性が要求するダンスを肯定してきた。そしてそこからはみ出す敵対者もすくい上げ、個別の輝きを肯定してきた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月4日
釘宮さんの折れ曲がった人生と魂も、その形を保ったまま肯定されて欲しいし、そのための準備は十分なされていると思う。結末が楽しみだ。
さて、釘宮さんと似通った、でも全く違う無明に陥っていた多々良たち。彼らの新境地をクローズアップで、そして観客席から引きの視点で切り取るのが、Bパートとなる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月4日
仙石さんが不器用に伝えた『動きで大きさを造るダンス』が、ちーちゃんの個性と混ざりあい形になりつつある。
今週も清春が最高に気持ち悪くて、最高に良かった。お前は本当に多々良が好きだな。そして単純にダンスの本質に近づいていける、優秀なダンサーが好きだな。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月4日
ちーちゃんを褒めまくるのも、多々良を高めてくれる有り難さへの感謝と、それを見ることで高まる自分への高揚が入り混じってる感じだ。
ちーちゃんをエンジンに、多々良がハンドルに。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月4日
『支配するのではなく、扉を開ける』リーダーの方法論が、ようやく多々良の体に染み渡ってきたからこそ、今回の踊りは大きく弾む。存在感があり、主張が観客席まで届く。
それは厳しい基礎鍛錬で土台を作ったからこそ可能な、洗練されたイレギュラーだ。
より頼もしく『男らしい』リーダーに覚醒しても、多々良はあくまで『異形の額縁』であり続ける。多々良がタフになれたのは、体重を預け、また預けられるちーちゃんがタフだからだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月4日
素直に世界を見て、良いと思ったものを吸収することで自我を作っている多々良。染まりやすいのは美点だ。
まこちゃんは多々良に手を取って貰って、答えに導いてもらうパートナーだった。そんな彼女では到達できない場所へ、パートナーらしからぬ少女は多々良を引っ張り上げた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月4日
どっちが正しいってことではない。だが、違いは確かに存在する。そこに至る道も、見える景色も違う。そして、根っこは同じだ。
多々良がここまで見せてくれた、僕らが好きになった優しさが、強くなったとしても失われないことが嬉しい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月4日
むしろ、強さは優しさに裏打ちされてこそ方向を見つけた。相手の顔を見て、望む形に変わる。闇を固く塗り固めるのではなく、愛情を持って世界を『見る』、主人公の特権。
それがちーちゃんの体重と鼓動を肌で感じ、四本足の怪物としての自分を受け入れるスタンスに繋がっている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月4日
これも一度間違えたからこそ、散々迷ったからこそたどり着けた、異形の答えだ。身体感覚が全てだからこそ、清春は自分の中で見つけた答えを、言葉としては多々良に伝えないのかもしれない。
多々良が好きな人を素直に『見る』こと。千夏の靭やかさと運動量を素直に受け取り、増幅してダンスホールに拡散していくこと。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月4日
その開放性は、Aパートで色濃く描いた釘宮さんの閉鎖性とは正反対だ。だがその根っこにあるのは、共にダンスへの純粋な愛情、それを湧き上がらせるダンスの巨大さだ。
色んな踊り方、色んなスタイル、色んな在り方。千変万化の花が自分なりに咲くことが出来る、巨大な受け皿としてのダンス。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月4日
それを描くためには、あまりにも暗くて苦しい釘宮さんの生き方も、天真爛漫の境涯を自然と体得する多々良の踊りも、両方が必要なのだろう。じゃじゃ馬ちーちゃんの凶暴な純情も
多々良の感受性と、千夏のヴァイタリティ。2つの個性が共鳴し、スウィングする『正解』は、まだ途上だ。これからもっと高い場所、大きなものへと二人はたどり着くだろうし、それは終わりでも何でもない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月4日
ダンスは続く。競技者であることを止めても、体を引きちぎる事故にあっても。
一到達点としての満足をしっかり味あわせつつ、貪欲に未来を覗き込む野心的な回だった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月4日
あのクッソ面倒くさい衝突も、気まずい空気も、固まった苦笑いも、全てが必要なことだったのだ…『カタルシスはストレスから』という物語の根本を、しっかり爆発させてくれる展開はやっぱ最高にいい。
そして遂に、アニメは原作を追い越す。こっから先は未知の領域だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月4日
アニメスタッフが理解した『ボールルームへようこそ』が、ガイド無しでどういう踊りを見せるのか。それはどこか、多々良達が成し遂げるだろう飛躍とシンクロしている。
そういう期待も込めつつ、来週も楽しみですね。
多々良が四本足の幻影に戸惑い、しかし必然なのだと全身で受け止めたように、僕も未だ知らぬ『ボールルームへようこそ』を楽しみたいものだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月4日
こういうフィクションへの共感はキモいかもしれないけど、そこまで入れ込ませてくれる作品ってやっぱ凄いし、愛おしいものだと思います。いいアニメや。
追記 正美ちゃん大好き
ボールルーム追記
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月4日
釘宮さんが苦しみつつダンスから離れられない本当の理由を、マリサ先生は知っている。幾度も『本当のところは?』と重ねて聞くのは、患者が気づけない問題点を先生は見抜いているからだ。
だが、それを言語化して教えることはしない。ほんと清春そっくり。
それはベタッとした密着はハンサムな女には似合わないからだし、いい先生であると同時に相当性格悪い女だからだし、ダンサーが『言葉で何言ってもわからない』人種だと自分自身を通じて理解しているからだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月4日
『あなたはダンスが本当に好きなのよ』とか言われて、あの釘宮さんが素直に受けるかァ?
それに気づけないから苦しいのだけど、でもその苦しさは釘宮さん個人のもので、抜け出る手助けはできても自分で歩くしかない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月4日
事故後のリハビリと、全く同じだ。体の治癒ができたんだから、心の治療も出来るだろうってのは浅はかな味方だが、立ち直るだけの資質と矜持が釘宮さんにはある。
プライドを守りつつ再起を助けてくれる人も、そういう人をひきつけ、目を奪うだけの真摯さもある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月4日
優しさがあるかは分からないけども、彼なりの不器用さで世界を拒絶し、それでも接触しようとする姿勢も見える。そんな歪な釘宮さんの未来がどうなるか、彼のファンとしてはとても楽しみなのだ。
『アニメじゃ出番なくなっちまった双子のためによ~、俺が代わりに正美ちゃん過激派やるからよ~!!』って感じだ。キモいなぁ自分。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月4日
そういう豊かな枝葉を落とさないと本筋走りきれないことを、悲しくも贅沢だなぁと思う。やっぱ良いアニメ、良い物語、良いアニメ化である。