クジラの子らは砂上に歌う を見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月5日
積み重なる死、禁忌の崩壊。感情を吸い込んだクジラが切り裂かれる時、船もまた沈む。忘却の川を越えるもの、岸に取り残され別の船出をするもの。交錯する生死の果てに、明日がある。
現実の戦争の妙なテンポと、臨死の幻想の美しさが奇妙な取り合わせを見せる回。
というわけで、長きに渡ったスキロス戦役も決着である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月5日
会話ウィンドが開くと戦闘が一時停止して、掛け合いが終わるとまた味のない殺し合いが展開する独特のテンポは、今回も健在。異質さを際立たせるシーンでは有効だが、普通に戦ってるシーンとして使うとやっぱ奇妙だな。真剣さが抜けるというか。
冒頭、伝説の英雄のごとく刃を握って立ち上がり、結局何も出来ないクチバの哀れさが、なかなか面白い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月5日
仮面を外して目を見てしまえば、殺し合いの生臭さに吐き気を催す。殺し合いを死にかけのマソオに代行してもらう。その弱さは、サイミアという武力/被差別の烙印を持たない無印の特権だ。
死にかけの仮面兵士が口にしてた『醜さ』から逃避するべく、長老会は美しい自沈を望んだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月5日
それを拒んだ以上、クジラの子たちは生き残る醜さと共存し、顔の見える相手を殺す存在としてあり続ける必要がある。だが、スオウとクチバ、船の舵を取るエリート層は殺し合いの生臭さを背負いきれない。
ココらへんを、勝利し生き延びてしまった今後どう描いていくかは気になるところだ。全体的に『女々しい』物語なので、柔弱さを簡単に克服はしないだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月5日
殺す相手の目を見てしまう性質、殺戮の機械になれない業は、対話可能性への接触点でもある。政治家としては優位な資質だろう。
叫んでも英雄になれないクチバに対し、王たるべき異端児オウニは絵に描いたようなイヤボーンで全てを吹き飛ばし、戦に勝利する。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月5日
『玄室ではサイミヤは使えない』という基本ルールをふっ飛ばし、敵さんの作戦前提全部ひっくり返している辺り、正に主人公特権である。英雄かかるべし。
スキロス(語義は『犬』)の心臓たるクジラを2つに割って、船≒社会はあっという間に崩壊する。そこから溢れた触手は、エマが戦争に捧げた歌で呼び覚まされたものと同じく、ネットリと接触してくる異形の腕だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月5日
それに飲み込まれた主人公たちは、生死の境界線で非日常に出会う。
砂塵から存在するはずのない海へ。全てを反射する綺麗な水は、あの世界には本来的には存在していないファンタジーだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月5日
生きることの汚れ、命そのものである真っ赤な血が、きれいなきれいな虹色になっているのは、優しい隠蔽か、死人の特権か。あの綺麗な海は、本来的には血泥に塗れた地獄なのに。
まぁオウニくんの本音が切開され、大事な人との離別に涙を流すシーンが、地獄めいた赤い色で展開するのはちとキツすぎるか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月5日
サミ(チャクロの大事な人)の略奪で始まった戦争が、ニビ(オウニの大事な人)との離別で終わるってのは、ちょっとキレイな図式だなと思う。いや、死んでんのは子供だけど。
現実的な殺し合いのシーンでは妙に空気が抜ける、このアニメ独特のテンポ。生死の境界が妖しくなり、想念が現実に変わるファンタジックなシーンでは逆に、そのゆったりした間合いが武器になる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月5日
現実を幻想のテンポで演出するのに、起こってるのは殺戮という超現実。奇妙なズレだ。
そのネジレが解消される幻想の世界では、持ち前の表現力が生きる。砂を渡る船、子供のままの死人。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月5日
玩具の王冠は、ニビが求めて与えられなかった英雄の資格であり、オウニに継承される呪いだ。特別な力を持ってしまったオウニは、望むと望まざると、友が求めた権能を背負う。この後がキツかろうな。
ここまで幾度か描かれた、オウニの最も小さな領土。それは仲間との小さな思い出だけで生きていける彼の真理の具体化であり、社会に排斥された自分が獲得できた、唯一の居場所だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月5日
ニビ達と共有できた、壊れかけの国境線。生存できた国民は2/5だ。
今後オウニは、あの英雄的特権をどう振り回し、国土を拡大していくのだろうか。それとも、あくまで一個人として殺しの能力を振るうのだろうか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月5日
未来は分からないにしても、オウニは王冠も領土もいらなかった。ハグレモノと小さな領土を共有し、どこにもない外部を求める夢を一緒に見ていれば。
だが戦火によってファレナは切開され、彼らは強制的に外部と触れ合う。そこは夢のような虹色の空間ではなく、血みどろの戦場だった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月5日
外部を求めたアウトサイダーたちには刃が向けられ、羊たちとの区別なく死ぬ。それに抗って乗り込んだ船でも、殺して死ぬ。世界は虹色ではなく血の赤に塗られている。
ニビを失ったことで、オウニの少年期は本格的に終わりを告げた。社会の片隅でスネることも、外側に飛び出す夢を見ることも、もう叶わない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月5日
置いてけぼりにされたオウニが、同じように砂の世界で生き残ってしまったクジラの中でどういう社会的地位を獲得していくかは、結構楽しみである。
一方、語り部は世界を動かしている巨大なシステムと出会う。感情を剥奪し、幸福だけを与える悪魔の提案。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月5日
オリヴィアス(原義はペリドット。太陽の石)の異質な価値観を、豊崎愛生が見事に演じていた。ちと”UNGO”の因果を思い出すラインで、好みのタイプの豊崎さんだったな。
脳内の劇場で展開している状況こそが現実であり、それを書き換えてしまえば現実は幸福に改変できる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月5日
感情剥奪システムのアバターらしい、オリヴィニスの提案。帝国が制度化している幸福なる略奪を、チャクロは拒絶する。蝶(プシュケ≒魂)が舞ってるのが、ギリシャ語源の物語として好きだ。
幸福なものだけをより集めた物語ではなく、苦痛も血の色も引っくるめて存在するありのままの歴史を。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月5日
チャクロの決断は、歴史記録者としての食分に密接に関わっていて、かなり好きだ。ファレナの歪んだ教育は、佞言を断ち血生臭い真実を求める、正しい歴史家を産んではいるのだ。
感情があれば人間らしいわけではないし、感情は苦しみを連れてくる。それを乗り越えれば無条件で強くなれるわけでもない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月5日
だが、チャクロは茨道を歩いていくことを選んだ。ニビが沈んでいった綺麗な水ではなく、砂まみれの世界で覚えていることを選択した。それはそれで、尊厳のある道だ。
生き残ってしまったオウニ(あるいはファレナそれ自体と、その背中に乗った生存者たち)のように、物語的麻酔を拒絶したチャクロの道は今後より険しくなるだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月5日
すぐ泣く彼らの軟弱な道は、血のコールタールで塗り固められている。その生臭さがリアルというものだ。
だがこのアニメ、凄く陰惨な現実を切り取りつつも、一瞬の幻想でフッと別の道を見せる瞬間を大事に描いてくる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月5日
ニビの背中から流れる血は、虹の色をしている。綺麗な天国に旅立てない惨めさは、新しい決断として祝福される。夢色の麻酔をかけつつ、それに沈みきらない不思議な現実感覚。
それが、生存と死別が入り交じる今回、より強調されていたかなと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月5日
旅立つ船、沈む船、残る船。それが乗る海もまた、夢の虹、あるいは溢れ出た命の赤、現実の埃にまみれた砂の色、さまざまな顔を持っている。
そのどれもが、現実の一側面なのだろう。子供たちは正に、万色の混沌の中に生きている。
幾度目かの葬礼が終わり、また主人公たちは生き延びてしまった。緩やかなテンポが支配する幻想と死の国に別れを告げて、のんきな日常と残酷な殺し合いが両立する現実で。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月5日
あの一瞬の夢が、夢の先にある現在にどう響き、何を決断させるのか。来週の変化、結構楽しみだな。
あ、敗者たる仮面兵が『美しい死』を求めて、砂の海にボンボン沈んでいく絵面は最高に悪趣味で素晴らしかったです。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月5日
ファレナが拒絶した自沈を、お前らがやるんかい、っていうね。『美しい死』を実際に描かれると、気持ち悪くて醜いもんだった。他のあらゆる現実と、全く同じだなぁ。
追記 ギリシャ語遊びをどんだけ意識して盛り込んでるかだよなぁ
クジラの子らは 追記。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月5日
戦争を終えて現実に帰還し、キーアイテムになりそうなのが『アンスロポスのコカロ(人間の骨)』なのは、なかなか性格悪くて好き。
あんなに生臭さを廃した空間で対話しておいて、未来を切開するアイテムとして渡すのが死体の一部かよ! っつー。ほんとクジラ共最悪。