URAHARAを見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月7日
想いは届く。何かを造りたい、素敵になりたい、わかり合いたいという輝く願いが、敵味方を超えて何かを生み出す時、物語は終わりに向けて加速する。現実の基底を揺るがし、都合の良い妄想の殻が肥大化していく。
どこまでが嘘で、どこまでが本当だったのか。さあ、悪夢を思い出そう。
ラスト三分でとんでもない角度から殴り飛ばしてきた、URAHARA終盤戦である。いやー凄い。何が凄いって、かなりのスクリューのはずなのに納得できる所が凄い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月7日
都合のいい力を生み出すアマツマラの仕様、世界の危機だというのにふわっとしすぎたURAHARA。全て妄想ならなるほど、納得も行く。
正に”シナリオなんて 自由自在だわ”って感じだが、クリエイティビティとは自分の都合の良い色で世界を塗りつぶしていくパワーでもある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月7日
アマツマラによって加速した思春期の妄想は、世界の破滅を覆い隠し、作り直した。みさが感心するように、それはとても凄いことだ。天地を開闢した造化三神だ。
だが、『全てが妄想』という真実を告げられると、少女たちは(そして僕達も)ショックを受ける。何故だろうか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月7日
人間は常に無力さに挑戦され続けている。思いのままに世界が塗りつぶせないことに、飢えと死がシリアスに襲い掛かってくる事実に、常に向かい合い続けている。
死と絶望、圧倒的な都合の悪さに引きずられる足をなんとか現世に繋ぎ止めて、自分の生を歩く。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月7日
不条理と理不尽が世界の基本だからこそ、それを飛び越える(飛び越えたという一瞬の妄想を確保できる)創造性は、人類にとって大事な慰みだ。それがなければ、生の実感はない。
お前は飢え、苦しみ、死ね。人間存在を根っこから規定するルールは、人間が選び取ったものではなく強制的に押し付けられたものだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月7日
死にたくない、無意味になりたくないと願いながら、終わりに向かって歩く途中で。時折、その都合の悪さを克服できたと思える。生きているのだと実感できる瞬間がある。
そういう、苦界のサバイバル、他者性に溺れる途中の息継ぎとしての『都合の悪さ』を、スクーパーズの王女は理解できない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月7日
手に入らないなら奪えばいい。エビフリャーが直接的に実行したスクーパーズのDNAは、もっとねじれた形でみさに継承されている。妄想も現実も区別なく、夢を生きる少女。
高校生である三人娘は、他人に無視される苦しみも、人を殺す意味も、ちゃんと理解している。そのうえで、都合のいい夢に全身を浸せる甘さ(あるいは正直さ)が残っていることが、彼女たちが思春期にいることの証明だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月7日
都合の悪い世界で、でも必死にやって結果を掴んだからこそ。自尊の根源が揺らぐ。
都合の悪い現実の中で夢を作り上げていく行為と、全てを自分の延長線で塗りつぶす妄想は、根本的に違う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月7日
今回みさが叩きつけた真実は、エビフリャーの精神攻撃よりも激しく、少女たちの根っこを揺るがしてくる。それを共有出来ていない、みさとの断絶も。
なまじっかビーズ作りでつながれたと思えたからこそ、みさの抱える他社性は巨大だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月7日
妄想と現実の区別がない、現実を生きる基底を共有していない他者とは、たかだか一緒にモノ作った程度では分かり合えない。前半の和解ムードを見事に凶器に変えてくる運びで、感心してしまった。
スクーパーズにもクリエイティビティはある。それは名古屋の情報から『名古屋』を妄想し、トンチキ紳士としてコーディネートしたエビフリャーを見れば判る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月7日
積み上げた物語を裏切らず、お姉さんたちに共鳴したみさも、その証明だ。だが、断絶はもう一歩深いところにある。
世界全てが妄想だった時、染み出してくる不思議な罪悪感。何かを踏みにじってしまっている危うさを、さゆみん生誕→殺人事件で際立たせてくるのも凄い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月7日
特に何を生み出せるでもなく、りとだけを追い込んだように見える巨人の殺害は、それが虚影であったことが判明して、大きな意味を持った。
さゆみん二度目の殺人は同時に、さゆみんの優しさ、断絶を乗り越えて手を差し伸べてくれる存在も殺す。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月7日
優しく寄り添ってくれたことも、正しい助言を授けてくれたことも、全ては自分の中から発生した都合のいい妄想だったのなら。それで果たした成長に、何の意味があるのか。
バベル以降の、断絶に満ちた世界。『我々は結局一人である』という前提をなんとか乗り越えたからこそ生まれる価値は、その前提を加速することで破綻する。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月7日
世界全てが私の中にあるなら、創造性を世界に認められる行為は虚しいエコーでしかない。孤独と共感に、何の違いもない。
殺人も、断絶も、創造も。人間的営為全てが、『私たちは結局一人であり、私たちである』という矛盾の中にある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月7日
相反する『私』と『私たち』をなんとか一体化させるための努力として、会話も、友情も、闘争もある。それが実を結ぶかどうか、善悪可否は別として。
クリエイティビティとようやく出会えたみさは、人類が何かを作り上げる根底を共有していない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月7日
エビフリャーより遥かに『宇宙人』な本性が明らかになる今回、スクーパーズとしての異形が初めて公開されるのは道理だ。
言葉やスタイルよりもっと根本的な認識でズレている相手に、どう対話するか。
その鍵はやっぱ、妄想でしかないURAHARAの日々、これまで積んできた物語の中にしかない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月7日
今世界を取り囲むもの全てが嘘だったとしても。それを生み出すに至った日常はどうだろう。等身大のリアリティに包まれていた、PARK開店までの物語、三人の出会いは?
それもまた嘘だったとしても、妄想の中で戦い、傷つき、自分を見つけた歩みは、嘘でないかもしれない。断絶の間に掛かる橋として、十分な強度を持っているかもしれない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月7日
ここら辺は、アマツマラによるURAHARA創造がどこまで及ぶかによって、答えが変わってくる。人間は認識の動物だから。
ここまで積んできた都合の良さへの違和感、ふわふわかわいい世界への反発を、こういう形で回収し、少女たちの魂への試金石として使ってくるのは、本当に凄いと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月7日
嘘っぽい? リアルじゃない?
『その通り。そこから全てを始めようじゃないか』と叩きつけるのは、暴力的野心に満ちた作りだ。
嘘に満ちたヒロイズム。人の生死すら身勝手に創造/想像してしまうクリエイティビティの暗黒面。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月7日
正直『おー、ワリと普通にまとまるな。まぁ良かったんじゃねぇの』と見てた前半から、とんでもなくディープでリアルなモノが剥き出しで突きつけられて、恐怖と興奮を覚えている。ナメてはいけないアニメだ
夢の原宿でそれなりに仲良くて、それなりに認められて。そんな普通の世界から、宇宙人にアブダクションされることでたどり着いたURAHARA。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月7日
怪物と戦い、怪物を食べ、怪物になることで見つけた醜い自分と、その奥にある輝き。それが嘘か真か、想像か妄想か決めるのは、結局自分だ。
そしてその自分は、都合の悪い世界と戦ったり、砕かれたり、和解したりすることでしか成立できない。生きて死ぬ理不尽を押し付けられた人間は、そういうふうにしか生きることが出来ない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月7日
凄くシンプルでディープな、過去あらゆる創造が戦ってきた局面に、三人娘はたどり着いた。いいぞ、すごく良い。
少女たちのウダウダした青春で散々足踏みしたことが、今回みさが叩きつけた世界の真実、それを足場にスケールアップした物語に、しっかり足場を与えている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月7日
世界を妄想で塗りつぶす罪悪感は、人類共通の後ろめたさだ。断絶に引き裂かれる痛みは、人間の根本だ。『私たち』の物語だ。
それは同時に、か弱くて可愛い女の子たち個人の、凄くありふれていてでも彼女達のものでしかない、『私』の物語でもある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月7日
『私たち』の大きな傷と、『私』の小さな痛みと涙。これが合一して一つの物語になるのなら、とんでもない景色を見せてくれるに違いない。
それが僕を震わせてくれるなら、あくまでフィクションとして作品世界と断絶しているはずの物語からの言葉が僕に届くなら、モニターの中の物語は都合のいい妄想では、もはやない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月7日
作品の大きなテーマが、作品自体の形態に後押しされて、凄い加速を見せつつある。URAHARAをはみ出しつつある。
りと達が戦っている仮想の戦場は、何かとても大きなものを捉えて、橋をかけつつある。それはフィクションの中の物語であり、同時に僕が作品とリアルタイムで対話し、断絶を乗り越えて何かを受け取る行為にもなりつつある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月7日
この重なり合いは、とても凄いことだと思う。
嘘っぱちのフィクション、KAWAIIを寄せ集めた都合のいい世界を成立させ、幾度も瓦解させ、壊してもなお残る輝きを見せる。魂の物語に埋もれた、砂金を探すような作業が、今目の前で行われている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月7日
来週物語がどううねるか、どこに飛翔していくか。とても楽しみだ。