宝石の国を見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月9日
フォスの中の氷は溶けないまま、時は動く。憤怒と闘争でしか己を語れない黒金剛、美しく輝くダイヤの嫉妬。獣相の童子が学び舎に押し入る時、兄弟の愛憎が砕けて舞う。
重厚な劇伴、緊張感あるカメラワーク。3Dアクションの新次元と、感情の重量が絡み合う新展開。
というわけで、アクションが凄まじい回であった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月9日
『3Dモデルはこのように使う』とばかりに、敵の巨大感、戦いの速度、危うさを肌で感じられる戦闘シーン。巨人の体表を駆け回る殺陣は、想像力の地平を一つ引っ張り上げられたような感覚があり、背骨がもぞりとした。
アニメを見る醍醐味である。
しかし凄いのは、その圧倒的なアクションの中に宝石人の感情をしっかり練り込み、彼らが何故あの戦いを画面に焼き付けているかが、動きの中で伝わってくることだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月9日
アクションはドラマであり、ドラマはアクションである。映像劇の基本だがなかなか実現が難しいラインを、しっかり分厚く実現してきた。
感情には様々な色、様々なアクターがある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月9日
ダイヤモンド族が抱える感情の質量が重すぎて、うっかり忘れてしまいそうになるが、前半のフォスの描写は非常に細かい。
冬服と砕氷鋸。アンタークチサイトの遺品を未だまとい、喪に服す彼は、周囲が驚くほどに『まとも』になっている。
情報を的確に観察し、報告し、受け取る相手に『おつかれ』まで言えてしまう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月9日
それは一見健全なように見えて、砕かれた南極石の残影をまぶたに宿し続ける、危険な呪いだ。あまりにも強く正しく優しかったアンタークサイトは、永遠にフォスを縛る。冬は終わらない。
過去を忘れないことは、悪いことではない。アンタークチサイトとの思い出を力に変えて、実際フォスは大きく変わっている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月9日
だがフォスの歩みは、どうにも危うい。喪失した幻影をそのまま追いかけ、自分自身が死者そのものを再現するカンバスになろうとするかのような生き様は、破綻を予感させる。
己は結局己でしかないのに、己以外の何かを追い求める。その浅はかさと危うさ、それでも他者に執着してしまう愛おしきカルマを、この作品は様々な形で描く。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月9日
フォスとの約束を抱えて夜を歩くシンシャ。冬から出られないフォス。愛と憎悪で繋がった金剛の兄弟。みな、誰かの幻を追っている。
アンタークチサイトが体現していたバランスの良さ、中庸の正しさを身に着けていれば、他者への執着も良い方向に導かれるだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月9日
だが己が整っていない未熟者(宝石の子供たちは、みんなそうだ。子供なんだから)が他人を求めても、細い道を踏み外すだけだ。そういうアンバランスを、皆歩くのだ。
フォスは非常に整った表情で、アレキやジェードやルチルと話す。それはアンターク血サイトを内部化されたロールモデル(あるいは亡霊)に変えて、真似をした行動だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月9日
その取り繕った外面が、ボルツを前にした時ぽろりと剥がれる。ボルツと話す時、フォスはガキっぽい。凄くホッとする。
思い返すと、ボルツはフォスの深部に踏み込める、数少ない宝石人であった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月9日
無用であることの痛みを道化の仮面で誤魔化し、『おバカで可愛い末っ子ミソッカス』というポジションに安定を求めようとする彼に、ズカズカ踏み込んで怒っていた。最強の明王であるボルツは、憤怒以外の相を持たない。
何も出来ないフォスにも、世界は優しい。無用を疎み、人間がそこにあるだけで発する尊厳を認められないのは、浅ましい月人のやることだ。宝石人はいつも正しい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月9日
その正しさが、フォスを追い詰める。シンシャが学園から夜に逃げ出したのと同じく、揺りかごから這い出る掌。ボルツはそれを乱雑に握る。
文句のつけようがない最強の戦士として、そして最悪の戦闘バカとして、フォスとボルツの関係は冬の前のままだ。少し戦えるようになって、フォスはようやく一対一でボルツと向き合える。ただ怒られるだけでなく、震える声で言い返せるようになっている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月9日
それは、良いことだと思った。
ボルツの早口の指摘は、よく聞いてみれば『お前このままじゃ死んじゃって、他の宝石と同じように月に攫われちゃうから、もっと慎重に戦えよ…』ということだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月9日
戦闘の言語しかもっていないが故に、ボルツは強い。その優しさは、なかなか伝わりにくいが、フォスはブーブー言いつつ感じ入っているようだ
その関係性は、フォスが他の宝石と取り繕っている仮面の距離感とも、近すぎて愛が煮凝っているダイヤとボルツの間合いとも、また違う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月9日
お互い特別に好きってわけでもなくて、だからといって憎いわけでもなく、憎まれ口の奥に期待と敬意が入り交じる、風通しの良い関係。凸凹師弟は、結構いいコンビだ
そしてそれを認めつつ、遠くから激重重力を発生させている我らが天使、ダイヤさん。相変わらず圧倒的に可憐でキラキラしてて、お姫様みたいにお花もいけちゃう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月9日
むせ返るようなヒロイン力と『女』が画面から飛び出してきていて、やっぱハンパねぇな…と思った。ほんま好き。
花を飾るというのは命を摘み取る行為で、美しくも重たく残酷だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月9日
いっときの慰みのために、根から花弁を剥ぎ取って華瓶に閉じ込める残虐を、どうにか徳のある行為に読み替えるべく、華道は『生け花』と呼ばれる。
花の命を頂いて、一時より美しく生かす。
ダイヤは花を飾るのではなく、活けていた。
華道の根本は仏花だ。宝石が月世界で永遠に飾り立てられるように、ダイヤは命を摘み取って、祈りを込めて生ける。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月9日
奪うものと奪われるものは、花瓶の中に込められた祈りの奥に、無限に残響する。残虐と美麗が輪唱する窓際の花は、僕にはとてもおぞましく、美しく見えた。
花を生かす優しさと、花を摘み取る残虐。相反する尊さはダイヤの美しい貌のなかで乱反射し、フォスとボルツへの裏腹な態度として照射される。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月9日
別れること、奪われることを忌避しつつ、その『正しさ』を理解して手を離す。離したはずの手を伸ばして、砕かれることでボルツに自分を刻もうとする。
ダイヤはキラキラ綺麗な、漂白されたお姫様ではない。あらゆる御伽噺の原典がそうであるように、残酷で美麗で真実だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月9日
愛と憎悪を胸の中に燃やしつつ、金剛石の蓋と優しい笑顔で覆い隠す夜叉。その胸の奥の炎が、己を砕きながら戦う決戦の原動力となる。
獣相の巨人との戦いは、本当に素晴らしいアクションだった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月9日
縦横無尽に巨体を走り回る立体感。脳内で構築されている状況を飛び越えて、圧倒的なリアリティで殴りつけられる快楽。オーケストレーションの分厚さが、映像と同時に心に到達して、心拍を跳ね上げる。
その勢いを全力で疾走させつつ、非常に細やかなキャラ描写がある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月9日
生粋の戦士であるボルツは、巨体を駆け回ってもブレない。戦闘態勢を維持し、自分と仲間を守りながら『正しく』戦う。
金銀合金の重たいフォスを軽々と片手で抱え、自分の力に溺れず撤退の判断もできる。日常での不器用さが嘘のようだ
ダイヤもフォスも、そんな完璧な戦士には到底なれない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月9日
ボルツが直感的に到達できる正解が、フォスは見えていない。遅れて反応して、遅れて到達する。剣筋も歩みも、軒並みトロくて遅い。冬を体の中に入れても、フォスはどんくさい末っ子のままだ。
その未熟を見て、少し安心する。フォスはフォスだ。
逆に言うと冬を経験してようやく、ボルツが体現している『正しさ』が見えるようになった、ということかもしれない。その炎の熱さ、誤ちを焼き尽くす倶利伽羅の激しさに近づきたいと思ったから、コンビを提案したのかもしれない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月9日
そしてダイヤは、兄弟として常に炎に焼かれ続けてきた。
ボルツの才覚がたどり着いてしまう『正解』、それ自体が放つ真理の苛烈さ。そこに到達できない自分と、ボルツを愛しつつ恨む自分への怒り。嫉妬を掻き立てるボルツへの愛憎。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月9日
ダイヤは心の中に溶鉱炉を抱えたまま、笑顔のお姫様であり続ける。その両方が多分、ダイヤの真実なのだ。
以下、ボルツとダイヤの兄弟関係を混同して表記しています。ボルツ=弟、ダイヤ=兄と読み替えてください。
裏表がなさすぎる兄と、表と裏に分裂しすぎた弟。二人の愛憎は血縁だからこそ長く、深い。無用物だったフォスが気楽に切り離されている、魂のへその緒だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月9日
それが常に首にかかっているから、『遠くから見るボルツは、大事に見える』という言葉も出てくる。んじゃあ、近くから見たら?
ダイヤの内部で渦巻く炎は、しかしただおぞましいだけではない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月9日
己を砕きつつ戦う、ダイヤの硬さと脆さを活かした戦闘は、胸のエンジンで燃え上がる感情の炎に支えられている。
ボルツが冷静に諦めてしまった『勝利』を、危うい弟が獲得する。眼も手足も喪いつつ、敵に食らいつき、愛する人を見る。
その勝利は、宝石人の戦いがいつもそうであるように、痛ましい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月9日
砕かれた宝石人の痛ましさと美しさは、渦を巻く戦闘描写と同じくらい、もしくはそれ以上に強力な演出だ。あんなに心のあるモノがバラバラに砕かれる時、僕らの心は悼むと同時に弾む。綺麗だなと思う。
その浅ましさに、ハッと震える。
ダイヤもまた、ボルツから離れて/奪われてみて初めて、自分の胸に渦巻く炎を実感したのではないか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月9日
美の裏には醜がある。憎悪は愛情の双子だ。その裏腹な矛盾は、客観しなければ見えない。べっとりと炎にまとわりつかれている間は、自分自身が炎である熱さも判らないのだ。
今回ダイヤが獣相の巨人を両断し、ある種の『兄超え』を果たした…そのために己を砕きつくす無茶苦茶をやったのは、フォスがボルツを略奪し、強制的に客観を与えた結果だと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月9日
思わぬ切っ掛けが、真実にたどり着く契機となる。すこし禅の考案っぽいな。
ダイヤは炭素の集合体であるから、熱には弱い。真っ黒で脆い炭になる前に、ダイヤは己の中の炎に気づき、距離を置いたように見える。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月9日
しかし宝石人は根本的に永遠であるから、眠った炎が熾きることもあるだろう。氷に閉ざされたフォスが、ボルツに突っつかれて末っ子の顔を見せたように。
静かに流れ行く人間以降(ポストヒューマン)の永劫の中で、宝石人は変わり、あるいは変わらない。その鬩ぎ合いもまた、背中合わせの矛盾であり真実なのだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月9日
ダイヤとボルツの今後がどうなるかは、未だ油断のならないところである。ただ、炎との付き合い方を覚えられたのは、良かったと思う。
そんな未来を待ち受けるためには、今の戦いに勝たなければいけない。ダイヤ決死の一刀は獣を砕いたが、童子は二身一対、未だ生存である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月9日
一人冬を継承した戦士として、ここはフォスが頑張るところではないかと期待する。変わったお前を見せてやれ。…まーた慢心してファンブルしそうな感じもあるが。
あ、頑なに夏服≒アンタークチサイトを忘れてしまえる一般的な世界の装いを拒絶してたフォスが、ボルツと組になる≒他者と触れ合う社会性を再獲得する時アームカバーを着ていたのは、非常に豊かな表現でしたね。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月9日
やっぱ精神の鎧としてのファッションが、大事なアニメなんだと思う。
あと仏教系のクスグリが細かく精妙で良かったです。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月9日
鳴り物で状況を教える禅堂の規律が継承されてたり、種々の仏相を細かく見つめて仏の格を見定めようとしてたり。ただモチーフとして弄ぶのではなく、在り方の根本に思想を取り入れているのは、凄く良いし好きです。
正しいし、表れとしてもリッチ。