少女終末旅行を見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月10日
汽車は闇を抜けて光の海へ。地下鉄の闇を超え、ラジオの電波に導かれ、夕日に涙する。武器の市街に埋もれた街で、よく分からない生き物と道連れになる。
そろそろ一つの区切りが見えてきた終末旅行、その静かなスケッチ三篇。
意識ある存在と交流したり、びうを飲んで気持ちよくなったり。ワリと大きめの話が続いてきた中で、今週はどこかとりとめなく情景が行き過ぎていくお話だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月10日
移動手段も電車にリニアレールと、自分たちで動かなくても先に進んでいくものが多い。それでも、我慢しきれず少女たちは動くわけだが。
細く切断されているように見えて、少女たちの旅は過去につながっている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月10日
ただのオブジェに見える壊れた機械に、少しの哀しみを見つけるのも。ラジオから聞こえる雑音に音楽を見るのも。彼女達の終末旅行が時間的蓄積となって、少しずつ少女を変化させているからだ。
その旅が永遠に続けば素晴らしいが、終わった世界の旅路には死の影が長く伸びる。行く先を知らないトンネル、制御が効かないレール、食料というタイムリミット。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月10日
愚かで呑気なふたりが死を避け得ているのは、単なる偶然と幸運の賜物なのだと、画面はしつこく強調してくる。
運動と静止とか、波動と共鳴とか。妙に理系な話題飛び交う今回は、逆に終末少女の無知(あるいは無垢)を強調する。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月10日
ユーのドタマ空っぽな思いつきが、思いの外鋭いことを知っているのは、(一応)終末から遠ざけられている安全圏にいる、僕らの特権だ。
少女終末授業はあくまでスピンオフで、チトとユーが体系的な知識を手に入れることはない。人類の英知は残骸となって、少女を乗せて勝手に走る。少女もまた、復活し得ない文明の名残に乗っかって、身勝手な思いつきをべらべら喋る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月10日
本来通じ合わないものたちの、奇っ怪な共鳴。電波を拾う壊れたラジオ
その一瞬の共鳴が、なんだか妙に愛おしくて美しいから、僕はずっとこのアニメを見ようと思えたのかなと、今回見ていて思えた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月10日
彼女達の発見は僕らから切り離されているけども、同時に繋がっている。終わった世界も現実ではないけど、いつでもそうなってしまう危うさが現実の中にある。
少女たちは古戦場の跡地で、『ぬこ』なる生命体と出会う。前回魚に見せた共感が二人と一匹を繋いで、彼女達は道連れとなる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月10日
でも、『ぬこ』とコミュニケーションしているように思えるのは、ラジオが雑音を反響させた結果かもしれない。あの生き物が何を考えているかなんて、判らない。
あの廃墟の町で何があったかも、何のために地下鉄が走るかも、音楽の意味も、本当の意味ではもう判らない。それを教えてくれる世界全体の知識は、人類と一緒に去ってしまった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月10日
身勝手な思い入れによる共鳴だけが、人間と動物を繋ぐ。廃墟と生存者を結びつける。
でもそれは、終末世界だけの特別な光景だろうか。何かに思いを寄せて、身勝手に共鳴して、何もわからないまま歩く。そういう愚かしさは、終わった世界を旅行する少女たちだけのものだろうか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月10日
修辞疑問文で書いている時点で判るように、僕はそうは思わない。あの愚かさは、僕の愚かさに似ている。
同時にそれは全然違くて、僕の周囲の世界は終わってはいない。食料の終わりがすなわち命のリミットであるような、剥き出しのリアリズムは無い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月10日
そういう遠さと近さが、フィクションとの間に振幅している。その震えこそがこのヘンテコなお話を好きになれる、大事な足場なんじゃないかと思った。
『死人に武器なし』
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月10日
ユーは銃弾が持つ問答無用の決定力を信奉しつつ、武器の死骸の間を呑気に歩く。そこから砲弾が飛び出して、沢山の命が奪われた過去を知る由もなく、他人事のように見つめている。
終わった世界で砲塔から飛び出すのは、水とヘンテコな命だ。
終わりきってしまったがゆえに『武器よさらば』と告げられる、乾いたユートピア。その平和さが、なんか良いなぁと思った。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月10日
音と光に共通する波動性、それが揺さぶる感情への疑問を、赤い夕日の振幅を網膜に写して学ぶ姿勢が、綺麗だなと感じた。
そういう身勝手な共感は、やっぱ凄く良いなと。
神ならぬ僕らも彼女も、狭く閉ざされた終末世界の中で、身勝手に世界に学び、物語を想起し、想像を学習する。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月10日
そこで投射できる共感なんて常に限定的で、根本的に間違っている。それしかないから、それでいいのだ。身勝手て間違っていて愚かで、それでも否応なく前に進んでいって、良いのだ。
じっくりと話が進む中で、物語との間合いを再確認し正す。そんなエピソードでした。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月10日
このアニメでは珍しく、要素を次回に明確に引き継ぐ…『またぐ』形で終わったけども、『ぬこ』との遭遇はどういう変化を終末旅行に持ち込むのだろう。次回がとても楽しみだ。
極端に戯画化された特殊な世界の物語のようでいて、静かに普遍を射抜いて『これは俺の話』だと思わせる。SF、寓話、おとぎ話が持っているデフォルメの力がこのアニメにもあって、それが太く鋭く強いものだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月10日
だから、この物語は廃墟フェチの少女愛好家がデリュージョンと戯れる、半歩先に出ている。