クジラの子らは砂上に歌う を見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月12日
戦争が終わり、日常が帰ってきた。流れた血は刻印を描き、もはや無垢なる時代は帰ってこない。敗北の道化も、勝利の蛮人も、流されるまま未来と出会う。それが衝突か交流かは、舵の切り方次第。
大きなイベントとイベントの間を、手際よくこなす回。笑いあり涙あり
というわけで、新展開に向けてのブリッジ回である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月12日
『あ、原作から圧縮かけたな』という微妙な駆け足が感じられるが、ここで停滞するより新展開を連れてきて、話をかき回そうという意志が良い。
僕は砂クジラの日常描写が好きなんで、まったりしてくれても全然OKだったけども。椎名SFっぽいよね。
とは言え、日常描写、正確に言えば戦争という非日常から日常を再獲得していく描写は丁寧に積まれていた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月12日
葬礼、労働、訓練、祝祭。意識して行為を積み重ねることで、狂熱に浮かされていた感情が落ち着いて、日々を流す態勢になる。これもまた社会システムの、大事な仕事であろう。
自分で『キレイに死ねよ!』と嫁さんに念押ししておいて、それに準じて嫁さん死んだら向かい合えない。リョダリも難儀な…ていうかクズい性格しているが、適切に祈れない哀しみは上手く描けていた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月12日
『マトモ』なクジラの子は祈りの儀礼を内部化できるが、イレギュラーたるリョダリは儀礼が下手なのだ
※訂正 リョダリ→シュアン
酒席、宴席、挨拶に葬礼。戦争以外にも人と人が触れ合う方法はたくさんあって、状況と選択が一つを選ばせる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月12日
取り戻した平和に微睡んでいるように見えて、クジラの子らは戦闘訓練を日々の暮らしに組み込んだ。戦争を日常化し、日常が戦争化することで、理不尽な死と握手したのだ。
リョダリは妻の自死(と、それを後押しした自分の言葉)と、上手く握手できない。流れた涙は他人のもので、殺し合いばかりが上手くなる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月12日
そういうふうに壊れてしまっていることは、征服者(候補)から油断なく武器を奪う行為に繋がる。心がぶっ壊れて人殺しが巧いのは、悪いことばっかじゃない。
※訂正 リョダリ→シュアン
肌を晒し雨を乞う身内のお祭りに、突如乱入してきた異邦人。衣一つまとわぬ無垢なる蛮人と、銃を構えた制服者の構図があまりにもコロニアリズムを感じさせ、ちょっとどうかな、と思うほどだった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月12日
まぁ楽園は地獄でもあると描き続けてるアニメなんで、ゴーギャンっぽいのは良い皮肉かな。
問答無用でぶっ放してきた帝国に比べ、ロハリト様御一行は出だしからギャグっぽい。実際おバカで呑気で、銃で喋る以外のコミュニケーションが可能だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月12日
毒殺や不意打ちも気にせず、バクバク無防備に食う辺り、頭は悪いが悪い人じゃなさそうだ。彼もまた、無防備な肌を見せたわけだ。
再獲得した日常に酔いしれる暇もなく、クジラは新たなる外部と接触した。お付の人たちを見ると、感情剥奪を装置化し、社会の根底に据えている様子はない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月12日
帝国とは違う、ファレナと似通った他者相手に、スオウ酋長はどういう舵取りを見せるのだろうか。
似通った他者と言えば、船落としの大英雄・オウニも優しくケアされていた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月12日
社会から排斥されて手に入れた、自分たちの王国はもうない。臣民は死に絶え、嫌でもファレナのスタンダードで眠らなければいけない現状は、オウニにとって幸せなのか、不幸なのか。ようやく起きた彼に聞いてみたいところだ。
スオウは、印持ち/無印の構造を越境する新しい首長だ。弱者にして英雄であるオウニに『薬』を差し入れる様子は、変化をうまく抽象化している。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月12日
長老会もすっかり牙が抜けた現在、ファレナは変わりつつある。舵を手に入れ、さまよう罪人船から、自意識を持った国際政治の一アクターに。
その舵取りはスオウがやらなきゃならない。敵を弔い、傷ついた人を見舞い、祈りすぎて指を痛める優しい王様は、弱肉強食のパワー・ポリティクスを前に、泳ぎきれるのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月12日
彼が沈めばファレナも沈む。『美しい自沈』を選ばなかった以上、優しさの半歩先に進まざるをえない局面も来るだろう。
とは言うもののロハリト殿下はスオウの(あるいはファレナのスタンダードたる)優しさが有効そうな相手ではある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月12日
仮面被ってサミを殺す輩より、アホバカ人間のほうがずっと良い。蛮人を善導しようと張り切る態度が、どこまで彼のものでどこまで彼が属する社会制度のものか、気になるところだ。
ファレナとスオウが難しい舵取りを迫られる接触と同時に、物理基盤としてのファレナも舵を手に入れた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月12日
コカロはおもしろマスコットに変化し、戦の女王は子供に自由を与える。勝利によって獲得した骨が、罪人を鎖から解き、責任に満ちた海に誘い出す。
チャクロが主人公らしく、世界に漕ぎ位出る重要なパーツを与えられるシーンの『絵』が良い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月12日
とんでもなく危うい決断が果たされるのは、非常に危うく高く細い場所で、その二重の危険性に子供であるチャクロは気づいていないのだ。それはファレナの住人、全ての似姿でもある。
舵を手に入れたことで、ファレナは自由と責任を背負った。その自覚があろうとなかろうと、経済力と軍事力を備えた国家として、巨大な政治の海で的確に泳ぐ必要がある。ミスれば沈むだけだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月12日
『メシの旨さ』で、ファレナが持ってる文化力・感情力のアドバンテージをひっそり見せるのは面白かったな。
一方敗者たる帝国では、オルカが余裕綽々で道化と戯れ、リョダリが無様に生き延びていた。いや、ぜってぇ死んでねぇとは思ってたが…。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月12日
道化が他人と自分をあざ笑うための知性は、感情の揺らぎ…笑いを基盤とする。あの部屋は、社会制度の外側にいるアウトサイダー以外感情を獲得できない帝国の戯画だ
※ こっちはリョダリでOK
死人であり敗残兵であり罪人であり殺戮者でもあるリョダリもまた、道化に堕ちることで生き残ろうとしている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月12日
主も自分も全てをあざ笑い、相対化するシニカルな知性を、あの凶獣が獲得できるのだろうか? まーた殺戮のヘイトアーツを稼いできそうで、なかなか頭が痛い。しばらくは無様に生きろ。
コカロが『マスコット』化して主役たちに自由と責任を与えるエピソードと、リョダリが『道化』になって罪から放免され、自由を奪われる話が重なっているのは、ひどく愉快だった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月12日
人も獣も、みな道化だ。勝者と敗者を隔てる幕は薄い。正気と狂気を隔てる幕も。時々このアニメ、凄い後ろ向きの絵描くな
ぐるぐると渦を巻く世界の中で、オルカは余裕綽々だ。道化が揶揄していた『物語る才覚』で乗り切るつもりなのだろうか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月12日
感情を奪われた世界で、自分の意志で世界を染め上げる行為。歪められた『物語』の威力で彼が己を救うのなら、それは愛おしさと慈しみで『歴史』を綴るチャクロとは正逆の立場だ。
帝国とファレナに別れた、二人の語り部。その対比構造を見る意味でも、『物語』がどの程度波紋を残すか確認する意味でも、来週あるだろうオルカの見せ場は気になる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月12日
オルカの『物語』は帝国の空疎な広大さを、エコーロケーションするためのピンガー足り得るかな。
そんな感じで、敵味方明暗、色んな色合いの『戦のあと』を描く回でした。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月12日
リョダリもオウニも、あの戦争で傷月生き残ったものが『部屋』にいるのは面白い。そこは風雪を凌ぐシェルターであり、『外』から隠す/出さないための檻でもある。
そして『外』は、望むと望まざると幾度でも訪れる。柔らかな揺りかごの中で微睡んでいられる贅沢は、漕ぎ出してしまった物語には遠い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月12日
どちらにしても人生が転がっていく。泳ぎきるか、砂に沈むか。その舵はもう、子供たちに委ねられた。日常が終わり、非日常が始まる。来週も楽しみです。