このはな綺譚を見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月13日
深山に木枯らし吹いて、なお寂しき。紅葉の季節が行き過ぎ、冬の寂しさが気配を覗かせる頃合いに、神は来る。神無月過ぎて、なお地上に神無し。文明華やかなりし人の世にも、付喪神を愛する者もいる。
晩秋。枯淡の気配漂う中で、静かに滅びと再生を語っていく奇譚。
というわけでAB明瞭に別れつつ、寂しさで通じ合うエピソードであった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月13日
人の世に居場所の亡くなった神と人形。先週咲き誇っていた紅葉の錦も地に落ちはて、寒さを感じさせる季節に相応しい取り合わせだが、寂しさの中にも色があり、滅びの中にも満足がある。
艶やかなものだけを肯定しない姿勢が良い。
Aパートは人と神の境界線にある此花亭が、人の世で崇められなくなった神のハレの場になるお話。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月13日
芸能の神のどんちゃん騒ぎも、戦の神の静かな癒やしも、共に生き延びる活力を補充する意味合いでは同じだ。此花亭は一種の、神霊的ホスピタルなのだろう。
今週は櫻ちゃんの出番も多く、思う存分子供子供ふしぎ子供してもおり、大満足の仕上がりであった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月13日
1クールず~っと櫻ちゃんが遊ぶ映像だけが流れ続けても大丈夫な自分は、戦の神の気持ちがよーく分かる。思う存分野を駆け、楽しくはしゃいでいて欲しい。万事皆仲良くなって欲しい。
人の命を刈り取る刀剣で、子供の遊び道具を造る。本来の仕事が果たせなくなった戦神だが、その穏やかな暮らしを楽しんでいるようでもある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月13日
ドングリの腕輪は、戦神として刈り取った霊を弔うための数珠か。
なぜ戦神が、頑是ない児童に惹かれるのか。その内面を語らなかったのがとても良かった。
オカマの酒飲みもまた、地上で行われなくなったハレの日の代用品であり、それ自体を存分に楽しんでもいる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月13日
神様は存外にタフで、信仰が枯れ果ててもそれなりに生き、盛りを過ぎた神々の秋を楽しむ風流も知っている。そこに寄り添う此花亭もまた、盛りは過ぎた。
ケモ顔でなくなった女将はいわば『全盛期の姿』であり、一瞬だけ蘇った『晴れ姿』でもあろう。晴れ晴れとした陽の気は遠くに去り、宴席で騒がれているのはその偽物でしかない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月13日
それでも、寂しさを嘆くよりも楽しむ方に舵を切ったから、此花亭は未だ立ち、新しい狐たちもやってくる。
神が神として人に求められていた時代を、柚たちは知らない。寂れた秋こそが彼らの日常であり、遠い夏の日は他人事だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月13日
かつて熱い神世を当事者として生きた人々のノスタルジーと、枯淡を当然として生き延びている少女たちの想いが、すれ違いながら交錯する。なかなか風情のある、いい景色だ。
季節がめぐるように、神が地上で崇め奉られ、求められる時代も戻ってくるのだろうか。はたまた命が役目を終えて朽ちていくように、神も滅んでいくのだろうか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月13日
個としては寂滅しつつ、総体としては循環する。そんな大きなサイクルを思いつつ、個別の楽しみと喜びがある。此花亭はそれを全て受け止める
やっぱ、可愛い女の子ばっかが画面を埋め尽くすのではなく、オッサンやオカマやブサイクなブタがちゃんと喋って、存在してるこのアニメは良いな、と思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月13日
美醜性別は属性であって、価値を分ける絶対の基準ではない。色んな季節、色んな色、色んな思いが行き過ぎていくことで、人生の錦は色を持つ。
そこには滅んだり消えたり、枯れた晩秋の色彩も含まれている。全てを覆い隠す白い雪も。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月13日
巡る季節と人々神々の立場を上手く重ねて、物語と作品世界に奥行きを出せているのは、とても良いことだと思う。今回の話は、秋にやる話だ。
さてBパートは、お菊の大冒険と寂しいお別れのお話である。獏に又借り10センチの世界をウロウロするお菊の視点が、よく作画されており素晴らしかった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月13日
獏の足運びがちゃんと『動物』なの、凄く良かった。トロットを作画でやるのは、地味で手間かかるところだろうに。
此花亭の末っ子として、邪険に扱われつつ愛されているお菊。彼女は彼女なりの幸せを見つけ、その意味をツンケンしつつも噛み締めている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月13日
「ここの狐は、気のいい奴らばかりなんだから」という言い回しに、中居たちが彼女を普段どう扱っているかが透けて見えて、しみじみ良かった。
ああいう言葉は、エピソードとしては切り取れない日々の積み重ねが土台にあって初めて生まれるものだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月13日
逆にあの言葉を言わせたことで、描かれない日常生活まで視聴者の想像力が、スッと伸びていく。静かな秋の終わりが丁寧に書かれるお話のなかで、余韻がよく響く描写だった。
お菊は人のいい怨霊なので、同じ立場の西洋人形にも自分の幸せを分け与えようとする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月13日
しかし同じように見えても、幸せの在処は人それぞれ違う。西洋人形にとっては、ぼろぼろになるまで使い倒され、役目を終えて死んでいくことが器物の喜びそのものなのだ。
生前のお菊が背負えなかった、必要とされる喜び。それを此花亭と仲居たちは与えている。だからこの曖昧な場所こそが、お菊の第二の生の舞台であり、未練なく生き切るための足場なのだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月13日
西洋人形は現世で存念なく生ききったので、亡霊にはならない。成仏するのは、生物だけの特権ではないのだ。
お菊の現在進行系の幸せ。西洋人形の過去完了形の幸せ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月13日
その両方が本当のもので、だからこそお菊は自分の幸せに同輩を寄せようとした。デカ人間ばかりがウロウロする世界で一人、獏をお供に歩くのは、強がっていても寂しいのだろう。拾い上げたのは善意ばかりではなく、トモダチが欲しかったからだ。
そんな寂しさを理解していたから、西洋人形は別れる時に謝って、微笑んで去っていった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月13日
お菊の幸せは彼女の幸福ではなかったけども、それを分け与えようとする優しさ、分け与えて隣合おうと願った寂しさは、彼女に伝わったのだ。それはちょっと哀しくて、とても暖かいお話だと思う。
自分に似ていて、全く違う岸へと離れていった少女。その別れを悼むように慈しむように降る雪が、なかなかにロマンチックだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月13日
白雪に覆い隠そうとしたお菊の感情が、蓮の心遣いで決壊する。相変わらず、美少女に情け容赦なく鼻水流させるアニメで、信頼が置ける。
生きる喜び、それを果たすべき場所が全く違う二人が、一瞬行き合い、語り合い、去っていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月13日
この世とあの世、神と人のインターミッションである此花亭の、曖昧な優しさは人形にも有効なのだと教えてくれる、いいお話だった。ここで一話、お菊に使ってくれたのは非常に良い。
というわけで、奇譚としての切れ味鋭い短編二編でした。秋という季節を最大限活かし、去りゆく寂しさとそれだけではない逞しさ、優しさを両立させ、非常に奥行きと情感のあるエピソードになってました。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月13日
やっぱ『綺譚』の部分を疎かにせず、ちゃんと仕上げてくれる所がこのアニメ好きだな、ウン。
四季の移ろいと女と女の感情、不可思議で曖昧な世界の光を追いかけてきたアニメも、ついに冬本番。白く冷たい世界の中でどういう話をやって〆るのか、非常に楽しみです。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月13日
ラストは限界女の感情質量がロシュの限界を突破し、女と女がズブズブになって欲しい気持ちがある。やっぱそこが骨子よな!