アニメガタリズを見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月18日
侵食される現実、吹き荒れるアニメファシズム、統合失調症のアリスの庭。ぶっちぎりにメタメタな現実改変SFに巻き込まれ、タイトルも画風もバリバリ上書きされていくオーバーライド・コンバットフィクション、アニメガタラズ。
AV売りさばいた金で創る怪作は、死ぬほど旨いな!
というわけで、凄い所にぶっ飛んでった…と言いたいところだが、わりと欲しい所にしっかり落とした最終話一個前である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月18日
学園祭終わってからのアニメ支配辺りから、オーバーライドSFの匂いはプンプンしていたわけで、今回表現にも凝り、みのあの悲哀も逃さず、ちゃんとやってくれてありがたい。
伏線としてはしゃべる猫とか、一話のオッサンとか、中野先輩周辺のアレソレとか色々埋まっているわけだが、実はここまでの物語全体が巨大な伏線…というか土台になってるちゃぶ台返しと言える。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月18日
そもそも愛着がモテない日常なら、ぶっ壊れても笑って終わり。でも、アニメガタラズで寂しい気分になった
それは濃口のダメオタクと。その熱量に当てられたアニメから遠い主人公が、お互いを尊重しながらアニメガタリしてた過去が懐かしいからだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月18日
青春のおバカを疾走させつつ、アニメに親しみ、またアニメの外側に親しんで仲良くなっていったアイツラが、やっぱ好きだからだ。
愛着あってこその哀しさである
みのあの強さはアニメが世界唯一の接点だと思っていない、いい意味での普通さ、風通しの良さだと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月18日
彼女を窓口にして、濃口のアニオタたちはアニメ内部で自閉するのを止め、しかしアニメが好きな自分も自分の好きなアニメも捨てないまま、半歩前に進んだ。友情とも社会とも巧くやれるようになった
アニメーションが世界唯一の価値として作品を侵食しだした第9話辺りから、みのあを中心に放散されていた『普通』の温かみが上書きされる、イヤーな感じがジワジワと積み重なってきた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月18日
今回の現実改変は作中でも、そして僕らにとっても計画的犯行であり、只派手にお話ぶっ飛ばしてお終い、ではない。
効果音、撮影、ストーリーのお約束、漫符に画面サイズ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月18日
現実がアニメになる違和感を笑いに包みつつ、強烈なホラーとしてちゃんと描いてきたのは良い。
それに巻き込まれ、大事なものが壊されてしまうみのあの苦しみが、ちゃんと伝わる不気味さだった。笑ってるが笑い事じゃない。良い罪悪感の煽り方。
現実改変の効果はもう一つあって、一種の社会批判としても今回の話機能する。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月18日
アニメと現実の二分法で世界を塗りつぶし、それを見ている/見ていないで迫害する。今回はマイノリティとマジョリティの境界が入れ替わったが、『アニメではない世界』ではどうだろうか。
無論このアニメは、『アニメを見ている』という単一項目を免罪符にはしない。『アニメを見ていない』みのあが、クソオタクたちとジワジワ相互理解を深めていった『日常』の描写を見ても、それは判る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月18日
アニメであっても良いし、そうでないものも良い。人間何かと偏りがちだが、理想は対話と中庸だ。
そういうバランス感覚は頑張って獲得するもので、天性のニンの良さを誇るみのあでも、例外ではない。彼女は彼女なりにいろいろ考えて、知らないオタクのことを学び、『アニメ』を自分の『現実』に取り込む努力をして、アニ研になったのだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月18日
そういう変化は、オタクたちに逆方向で刺さっていたはずだ。
だが、二次元的非現実に塗りつぶされたアニ研部員は瞬きせず、アニメファシズムに支配されたまま、みのあを迫害する。それは多分現実のネガであり、素直なポジでもあるのだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月18日
オタクだけが迫害されるわけじゃない。オタクだって何かを切断し、迫害もするだろう。全体主義は万人への誘惑なのだ。
『そういうのってやっぱあんま良くないよね!』という、むちゃくちゃ素朴なメッセージに貫かれて、このアニメは進んでいる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月18日
今回派手な形で吹き出した、アニメだけに世界が塗りつぶされてしまう悍ましさ。でもそれは、奇妙だけどありふれた青春の中で、オタクたちが片足突っ込んでいた自閉に似ている
主人公・みのあがアニメに出会い、アニメに染まることで。オタクたちがみのあに出会い、みのあに染まることで。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月18日
アニメガタリしミノアガタリすることで、見知らぬ何かを拒絶するより、受け入れて『好き』になる良さを、このアニメは色んな角度から語ってきた。僕も楽しんできた。もしかしたら貴方も。
今回変質した世界、略奪された日常は、大団円の前のタメというやつだ。みのあと楽しいアニ研…『アニメガタリズ(ガタラズではなく)』が戻ってくるのは、ある意味確定と言える。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月18日
それはメタ読みからのお約束…というわけではなく、そういう物語を一度、このアニメはちゃんとやっているからだ。
非オタのみのあと、濃口強火オタクのアニ研部員は最初、意思疎通すらままならなかった。『一般人とオタク』の間の断絶ではなく、『オタクとオタク』ですら切り離された状態から、このアニメは始まったのだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月18日
そこから皆で笑って語って、部室の外に出て、またアニメに帰ってきて、お互い分かりあった。
そういうすごーくベーシックな物語を、前半8話でしっかり積み上げてきたからこそ、ハチャメチャになったこのお話はおそらく落着するだろう。『ああ、いい最終回だったな』といえる終わりになるだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月18日
物語は結局出発点に返ってくるが、全ては出発とは別の装いだ。その変化こそが物語の意味とも言える
自分が紡いできた物語を、アニメらしい荒唐無稽で楽しく、あるいは恐ろしく描きなおし、もう一段階別の所にかっ飛ばそうという野心。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月18日
今回の『超展開』からは、そういうものを感じ取れた。だからコレだけぶっ飛んでも、『構えたミットに球が来た』と僕は思ったのだ。良いぞ、すごく良い。
アニメ(あるいはアニメオタクであるキャラクターと、そこに投影される自分)を特権化しない風通しの良さ、ルサンチマンのなさは、このお話の強みとして序盤から際立っていた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月18日
それをこういう表現で使い直すのは奇策だ。だが、ちゃんと刺さる奇策だと思う。古臭い表現を、怠けずやったのが良かった。
世界が狂ったのか、自分が狂ったのか。現実感覚を失って号泣するみのあが、ちゃんと痛ましいのが良い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月18日
こういうメタネタって、ほぼギャグで通さざるを得ない強い毒なんだけども、本筋に入れ込んでキッチリ調理するの凄いな。ちょっと高松信司とか今敏の作品っぽいね。”マイトガイン”とか”妄想代理人”
さておき、タメ回であり出題編でもある今回を受けて、来週どうネタバラシし、どうやってぶっ飛んでった世界を泥臭い現実に接続するか(あるいはしないか)はとても楽しみだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月18日
かなり手の込んだ手法で、違和感をしっかり形にしてくれたので、それを解体するだろう来週にも、期待が高まる。いやースゲェ