イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

アイドルマスター SideM:第11話『風薫る日の決意』感想

運命に導かれ一処に集った綺羅星が、最高に輝く舞台も間近、SideMアニメ第11話であります。
じっくりと温めてきたSideMの蒼い弾丸、桜庭薫がついにその面倒くささ炸裂させる……話ではあるんですが、前職ありの大人らしさ、感情をちゃんと制御して相手の顔を見る物分りの良さという、SideMの武器は健在。
お互いがお互いの理想と夢を持ちつつ、それが時には衝突もしてしまう現実に、ソフトに丁寧に叙情的に切り込んでいくエピソードとなりました。
神戸守のセンシティブな映像感覚が、穏やかさの中に亀裂が走るDRAMATIC STARSの現状と、エゴイストなのに自分を大事にできない薫の危うさ、それを見守り手を差し伸べる仲間の歩みを、見事に活写していました。
ショッキングな離別で引いたものの、それを回復できるだろう想いの強さ、315プロというホームの暖かさも同時に切り取る横幅の広さが、より良い明日を連れてくる確信にも繋がるお話だったと思います。


というわけで、待ちに待った蒼い爆弾が破裂するエピソード。
桜庭は初登場時から、額に『こいつ、マジ面倒くさいですよ! 頭も人もいいやつなんすけど、マジ面倒くさいんでそのうち爆発しますよ! 色んな事情を隠してますよ!』と焼印されてるキャラだったわけで、来るべきものが来た、という感じですね。
感情の光も陰りも丁寧に追いかけつつ、キャパシティーオーバーしそうな激情、1話で解決しきれない重たいリアルからは丁寧に距離を取り、あるいは細かく分割して処理してきたSideM。
物語がそろそろエンドマークを迎えるに当たり、範囲ギリギリで反目を生み、下げ調子でタメにタメてクライマックスを盛り上げる桜庭の仕事が、計画通りに発動した印象です。

逆に言うと、ここでサゲを担当する桜庭を一方的な悪者にしないために、ここまでの描写があった、とも言えます。
なかなか手札を明かさない面倒なやつだけど、真面目で誠実で、輝達が掴まえきれない真実を見つける眼の良さがある。
かと言って冷酷なわけではなく、前歴を活かしてWをケア(第8話)したり、仲間が道に迷った時は熱量のある言葉をかけたり(第3話)も出来る。

315プロに共通する『理由(ワケ)』を、イルカのネックレスと物憂げな表情のリフレインで感じさせつつ、クライマックスまで事情と初期衝動を伏せる。
『この伏せ札が明らかになる時、何かが決定的に動き出す……動き出すッ!』というサスペンスを煽って、クライマックスへの導火線を創るためには、誰かが秘密を抱えなきゃならんわけです。
その特権を視聴者に受け入れさせ、『何か隠しているけど、見守ってやらなきゃな。カワイイやつだしな』という気持ちにさせる。(この感情と対応を、ド密着でラバに向かい合う輝の真芯に据えて、何度も言語化してるのが巧いですね)
そういう非常に慎重な運び方で守られてきたのが、桜庭の繊細なエゴイズムであります……アイドルサークルの姫かお前はッ!


今回のお話は冒頭五分の皆で賑やかパートから、一人で歩こうとする薫と、皆で歩こうと頑張る輝・翼・プロデューサの間にある亀裂、そこを何とか埋めようと伸ばされる手を、丁寧に追いかけていきます。
薫は個人主義の檻に自分を閉じ込め(あるいは守って)いるわけですが、『皆の笑顔』がアイドルやってる理由(ワケ)な輝はそこに踏み込んで、肩を組んで歩いていきたいと思う。
積極的に前に出る輝に対し、翼はあくまで控えめに、しかし確かに二人を見守り、ケアしようと寄り添う。
『青と赤、対照的な二色の間を取り持つ緑』という構図は、例えば第3話で鮮明に切り取られた色彩の延長線上にありますね。

逃げる薫と追う輝が目立つ回ですが、一歩引いた位置で周囲を見ている翼のスタンスが、非常に静かに語られているのは面白かったです。
他ならぬ二人に支えられ、第3話で自分のクエストに決着を付けた翼は、ソロ活動にどう向き合うか問われた時、『ライブに集中したい』と明言して距離を取ります。
人間関係の視力が良い翼は、当然薫が一人突っ走って孤立しようとしている現状をよく見ているし、それをただ見るのではなく、どうにか接近しケアできるよう行動もしている。
ただそれは、輝の配慮ある行動主義とは別の形を取り、自分の出来ることを自分なりに果たすという、個人の尊厳に足場を置いた対応になります。
あそこで『みんな』に流されず、『ソロ活動はしない』とちゃんと宣言できる翼を描いたことは、彼の成長だけではなく、315プロという組織の健全さ、そこを宿り木にしているアイドル達の健やかさを、巧く切り取っていたのではないでしょうか。
温泉で夢を問われた時、『一番大きく輝く舞台で、みんなと最高のステージを果たす』と言葉に出来たことが、優しい彼の背骨に確かな『強さ』があることを、しっかり証明していました。

DRAMATIC STARSに深く切り込んでいく今回、輝も彼らしい決断を全面に出して、グイグイと進んでいきます。
熱血バカに見えて思いの外思慮深く、ヒトの痛みに配慮出来る人格があるということは、これまでの物語の中で幾度も描かれていました。
今回も積極的にリーダーシップ(センターシップ?)を取って、真ん中と先頭に立って状況を切り開いていくと同時に、非常に細かい配慮が切り取られている。
桜庭のソロ希望を『みんなを輝かせるためにやるんだよな!』とポジティブに捉えたり、なかなか札を明らかにしない薫の秘密主義・個人主義を『まぁ、そういうこともあるよな』と受け入れたり。
こういう『引く技術』の上手さをちゃんと入れ込んでいるので、過剰なストレスにクローズアップしない展開がむしろ『彼らしい』必然性を帯びて、納得できるものになっているわけです。

輝は『みんな』を凄く大事にする人で、今回も幾度も『みんな』を口にします。
弁護士という前歴がそうさせている部分もあるし、彼個人の美点でもあると思いますが、とにかく周囲の人を巻き込んで前に出て、『みんな』でより良い場所にたどり着きたい欲求が強い。
しかもそのエンジンはあくまで個人である、ということもしっかり理解していて、一人ひとりが自分なりの意思と個性を持っていること、それを尊重した上で『みんな』になろうとするバランスの良さも兼ね備えています。
ともすれば友情ファシズムにもなってしまう『みんな』推しですが、アイドルとしての個人技を磨き、実力を高めることを重視している描写があることで、その対極にある孤独な『自分』にも、一定以上の価値を置いているのが判るわけです。
このバランス感覚の良さは凄くSideMアニメ的だし、高度にバランスが取れた輝が物語を引っ張る立場にいることで、その公平性がアニメ全体に波及している部分もあるでしょう。


これに対し、薫は今回『自分』を押し出しつつ、『みんな』を完全に無視しているわけではありません。
元々医者という公益性・倫理性の高い職業についていたからか、ソロで突っ走っているように見えて、彼は思いの外周囲を気にかけています。
オーバーワークになった輝と、ピンピンしてる薫の対比は『その先』を予見する巧妙なシーンですが、そこで翼と同じように薫を気にかけているプロデューサーの視線に、薫はちゃんと気づいている。
それだけではなく、『大丈夫だ』とアンサーを返してもいるわけです。
この『頭のなかで受け取るだけではなく、実際の行動や言葉に乗せて応える』という行動力は、物語を停滞させずより良い方向に転がしていく原動力になっていて、SideMアニメでも非常に強い力だと思います。
判ってもらうのを待つわけではなく、判っていることを形にして伝えられる辺り、みんな人間力高いよね……。

とは言うものの、薫はあくまで『自分』に足場を起き、『みんな』には寄り添いません。
メシのシーンで一人だけ食う描写がなく、みんなで楽しいピンポンからも背中を向け、眼鏡も服も剥いで剥き出しで話し合うしか無いお風呂に追い込んでようやく、ちょっと地金が見えてくる。
そういう手間をかけても、薫がアイドルをやる『理由(ワケ)』は壁の奥にあって、『金のためだ』とかわされてしまいます。
一見答えになっているようで、『その金で何すんの?』という核心の部分からは逃げているわけで、ここは『大人』のズルさという感じですね。

オーバーワークに関わる問答でも、『自分の体は自分ひとりのものだ』という孤立主義を振り回して、他者に共有され心配されている桜庭薫を見ない。
桜庭薫は自分勝手に振る舞える一個人であると同時に、DRAMATIC STARSの一員、315プロの仲間、ファンが待っているアイドルという、社会の成員でもあることは理解しているはずなのに、あくまで一個人であると叫んで、自分のパーソナルな過去を自室に(あるいはシャツの奥のネックレスに)隠してしまう。
孤独な『自分』という檻を特権化し、『みんな』の一員である自分を認めようとしない態度は、輝(が代表する315プロ)のバランスの良さと比べると、少し歪で無理があるように見えます。

しかし、桜庭が『自分』を一番前に置く態度は、当然完全に間違い、というわけではない。
みんなアイドルをやる『理由(ワケ)』を個別に持っていて、年齢も人格も望みも違う存在が315プロに集まっていることは、否定しようがない事実なわけです。
色も輝きも違う星だからこそ、美しい星座としてステージを輝かすことが出来る。
『色んなやつがいるから面白い』ってのは、ここまでバラエティ豊かに展開してきた物語の諸相を見ても、SideMの背骨にある哲学です。
ここで物分りが悪い(役をしっかり果たしてきた)桜庭が過剰な『自分』を振り回すことは、最終的に『みんな』でまとまる(だろう)物語に一旦ブレーキをかけ、『みんな』が持ってる危うさ、『みんな』と『自分』の距離感を再検査する、大事な行動だと思うわけです。
メインテーマへのカウンターをしっかり入れて、話を貫通するロジックを分厚くしていく操作をここで入れてきたこと。
それが乾いたト書きではなく、キャラクターの血肉が通ったドラマに重なり合っているところが、非常に上手いな、と思いました。

薫の背負う『理由(ワケ)』が、失われた年上の女性(姉かなぁ)に直結していることは、自室のシーンで巧みにフェティッシュを使いこなす演出からもわかります。
写真の中では堂々と公開されていたイルカのネックレスは、袖口や胸元に隠され、しかし廃棄はされていない。
一番肌に近い場所に置かなければならないほどの愛おしさと決意を、他人に暴けるほどの信頼感を、薫はDRAMATIC STARSと、315プロと造れていないわけです。
それを『自分の真実と弱さを、他人に見せられない弱さ』と切り捨ててしまうのは簡単だけど、ちょっと正しすぎる気がします。
人間そういう柔らかい部分を隠すことで、なんとか自分を支えている部分は少なからずあるだろうし、そういうものを見せることがとても難しいことは、例えば第3話で翼が(ほかならぬ桜庭の前で)証明しているわけで。
あのネックレスを人前に見せれるようになった瞬間が、薫が過剰な自分主義から離れ、『みんなのなかの自分』を肯定できる瞬間になるのでしょうね。
まぁ堪えてタメてタメてたやつほど、決壊するともぅすンゴイ勢いでドバーッってなるけん、僕は非常に楽しみですね、巨大感情桜庭ダム大決壊。


今回のお話は温泉や休養や食事、様々な形での『ケアー』にまつわるお話でした。
『自分の体のことは自分で分かっている』と言い切る元医師・桜庭薫が、実は一番自分の限界、それを超えてしまったときの取り返しのつかなさに、意識して目を瞑っている。
幾度もカット・インされる、輝と薫のぶつかり合いや独走を見守っている翼の、あるいは遠い場所からアイドルを見守るプロデューサーの目線は、非常に『医師』的だと言えます。

この構図が最も鮮明なのは、ラストのPちゃんとの個人面談です。
薫は聞き分けの悪い患者のように『俺のことは俺が一番良く分かっている』『大丈夫だから突っ走らせろ』と言い張り、アイドルをケアするプロ……いわばアイドル専門医であるPちゃんは『それは限界を超えます』『止めましょう』と忠言するわけです。
自分のことは案外自分では見切れないもので、本当の自分に出会うためには他人の冷静な目線、優しい言葉が必要だったりする。
これはEoJで鮮明に描かれた、『アイドルではない』存在だけが可能な仕事なわけです。

今回プロデューサーがアドバイザーとして、ケアー担当として……『患者自身より、患者のことを分かっているプロフェッショナル』としてストップを言い渡す仕草を、薫もかつて幾度も繰り返してきたはず。
前歴をポジティブに活かしてアイドルも頑張る姿(第5話の『教師』、第9話の『元961アイドル』)をこのアニメはずっと描いてきたのに、薫はその道から外れ、過去の自分を鏡に写したようなプロデュサーを『必要ではない』と言い切ってしまいます。
それは(あの!)優秀なプロデューサーが即座に動けないほどの痛みを与える『他者への攻撃』であると同時に、沢山の痛みをケアしてきた『過去の自分への攻撃』でもあるんじゃないかと思います。
こうやって、一見具象的な一対一の対話に見えて、テーマと象徴を的確に背負わすことで複層的な奥行きを出していく演出と話運びは、やっぱ巧いですね。

あのシーンはとにかくレイアウトが見事で、ホワイトボード・机・椅子と、縦方向に幾重にも拒絶が重なっています。
そういうバーティカルなレイアウトだけではなく、モノを多層的に配置することで奥行きが出て、二人が遠い場所にいる感覚が強く出ている。
そしてホリゾンタルな位置を見ると、冷静でそれなりに近く、でも完全に密着しているわけではない。
二人の心理的距離が的確に描かれ、かつ対話の始まりから終わりまでそれが変化しないことで、薫の心が逆行してしまっている現状、そこにプロデュサーが決定打を打ち込めなかった状況を、的確に描いてきます。

信玄餅の使い方も見事で、あの『閉じた部屋(おそらく、桜庭の心それ自体)』の外では、事務所の仲間がワイワイと、『運命共同体として、同じものを食う』儀式をやっているわけです。
そこにはは第10話で頑なさを少し解し、ユニットの、事務所の仲間との距離を縮めた旬もいる。
なのに桜庭は『みんな』のためのお土産も持たず、机に並べられた信玄餅に手も付けず、『自分の中の自分』だけを見て『みんな』に踏み込もうとはしないわけです。
それは過去(イルカのペンダント)を脱却も公開も出来ない薫のスケッチであり、『みんなの中の自分』を認識しつつも飛び込む勇気がない矛盾を照らしています。
そういうものをちゃんと描いていればこそ、それが解消される(だろう)クライマックスが感情を揺り動かし、物語へと引き込む腕力として機能するのでしょう。


旅館での食事シーンも、桜庭だけが箸に手を付けず、楽しく食べている(≒運命共同体として『みんなの中の自分、自分の中のみんな』を肯定している)輝と翼は衝立で隠されている。
二人と一人に切り分けられてしまっている構図を、『映さない』ことで強調してくるテクニックは非常に細やかなものですが、雄弁な説得力を持っています。
こういう細やかな『絵』を随所に仕込んで、全体的なムード、物語内部でのエピソードでのポジションを『喋るのではなく解らす』よう誘導していくのは、ほんと巧妙。
デレアニ(あるいは第10話)的な、随所に意味を仕込み圧倒的に『読ませる』演出技法とはまた違ったメソッドで、これらが同じアニメの中で使われるのって凄く豊かだなぁ、と思います。

それに先行する形で、輝と翼だけが食事を取るシーンが、第3話のリフレインを込めて描かれていました。
やっぱあの話数で、このアニメにおける食事の役割、『固めの盃』が持つ物神主義(フェティシズム)を明文化したことが、シリーズ全体に太い軸を与え、演出を分厚く支えている印象です。
あの二人は『自分』と『みんな』のバランスを既に整えていて、桜庭がこれから踏み出す領域に先んじている仲間として、食卓を同じくする。
今回面白かったのは、真ん中に存在している一線に踏み込んでくる描写が、輝ではなく翼に多かったことですね。
ここまでの赤と青のマッチアップ加減を見ても、薫の一番ナイーブな部分に踏み込むのは輝の仕事(彼氏彼女めいた寝室での電話のやり取りは、その予兆だと思う)でしょうし、真打ちが顔を出す前に翼が『俺だってアイツが引いてる一線、踏み越える気あるんだぜ!』と叫ぶターンなのでしょう。
何かと立ち上がって間仕切りを超える描写が多いのが、後ろに引いて見守る描写が多かった第3話からの変化を感じさせて、なかなか面白いです。

あのファミレスで『メシ食わんし……お友達と巧く馴染めてなくて……お母ちゃん心配やわ……大丈夫やろか輝はん!!』とか言い出した(言ってない)翼相手に、輝が『大丈夫だ』と即答しないところが、結構好きで。
大人の男一人が、何かを隠し守っている。
その重さを分からないほど無遠慮でもバカでもないし、そういう重たさを無責任に『背負う!』と即答できるほど、無鉄砲な男ではないわけです。
でも、そういう難しさを前に足を止めてしまう男でもないわけで、翼と二人で考えて、Pちゃんも巻き込んで『温泉地の騙し討ち』という解決策を持ってくるのが、凄く良いな、と。

そしてそれが人情の温もりを保ちつつ、状況を解決する万能の処方薬にならない所も。
薫が『裸の付き合い』でも全てをさらけ出さず立ち去った後、紅葉がハラハラと落ちてきます。
それがどこに行き着くか、行き先はカメラには捉えられないまま、ただ不安定な落下だけが切り取られる。
それはなかなか安住の地を見つけられないDRAMATIC STARSの距離感であり、過去と体重を仲間に預けて良いのか、頑なさの奥で揺れている桜庭薫の心そのものでもあると思います。
今はまだ行き先を知らない紅葉が、どこかに落ち着いた時、お話はクライマックスに辿り着くんだろうなぁ。

あと山梨という立地を活かした『富士山』の使い方も、土の匂いのするローカルな接地感と、『日の本一の山』がもつ象徴性を活かしていて良かったです。
桜庭が遠目に、『全てを掛けてもまだ遠いトップ』を語る時、カメラが男達の魅惑バディから横に流れて、富士山を切り取る。
旅館に来たときの青く美しい綾鷹とはまた違った、夜闇にそびえる孤高の富士は、彼が目指す『金』の先に凄く柔らかくて清廉なものが横たわっていること、それがとても遠いことを、巧く語っています。
暗くて冷たい場所に聳える山の高さは、薫と仲間たちが乗り越えなければいけない心理的障壁の高さを予感させ、またそれを乗り越えたときの充実感をも内包している。
やっぱ今回、さり気なく切り取る景色や表情が分厚い立体感を持っていて、神戸テイストの真骨頂って感じですね。


演出の強さとしては、今回は『色』も大事だと思います。
ソロ活動が始まってから、輝と薫を対比させながら展開するモンタージュ。
輝は徹底的に暖色で染め上げて、『みんな』のなかで賑やかに騒ぐ温かい質感を。
薫はニコリともしないクールな無愛想と孤独な『自分』を、寒色に統一して見せてきました。
あそこで色味の対比を作ることで、輝と薫、『みんな』と『自分』の対峙が今回の軸になることを、皮膚で解らせるのは凄いなぁ、と。

薫のシーンをパーソナルカラーのブルーで染める戦術は徹底してて、自室で寝っ転がってるシーンは本棚から写真立てまで徹底的に青く、冷たい印象を与えます。
その前のファミレスのシーンが、食べ物の描き方含めて暖かなムードに包まれ、輝と翼(だけではなく他のお客や店員さんもいる)と『みんな』のシーンであることで、桜庭の『個室=パーソナルな内面』が冷え冷えとして寂しいことを、うまく強調していました。
温かい色合いと冷たい色彩が交じり合うタイミングが、二人と薫が交流しつつ反発する旅館のシーンなのは、なかなかに面白いですね。
ピンポンという『ボールをやり取りする遊び』から背中を向けて、ピンポン玉を受けてもらえない/『みんな』になろうぜ! というメッセージを受け取ってもらえない描写は、第6話での『パス』の使い方にも似てたかな。

そしてアイマスアニメ恒例、立ち竦む下り階段。
かつて千早も本田も降りた拒絶への墜落を、今週桜庭も駆け下りていくわけですが、あのシーンも徹底的に冷たくて青い。
そこまで『みんな』がいるシーンは基本、輝的な暖色で染められてるんですが、薫の自分主義が分厚い壁になって『みんな』を縫い止めるあの場面は、綺麗に青みがかってるんですよね。
それは寂しくて澄んだ孤独の色で、それはそれで美しいものなんだが、人としてアイドルとして人に混じって支え合って生きている以上、青い水の底では生者は生き残れんのです。
薫の自室、あるいはあの階段は美しい海底で、薫の大事な人が眠る死の国なのだなぁ……そこが大事で居心地いいのは判るが、凍えて死んじゃうから出てこンとアカン!
ここら辺の『蒼』から滲む死の相は、第9話冒頭で北斗が背負っていた『蒼』とはまた別の色彩で、とても面白いですね。

あの階段で桜庭が言った(言ってしまった)、『僕には、君は必要ない』は、凄い重さのある言葉で。
ここまで積み上げてきたキャラクターの関係がすごくヤバい方向にねじ曲がっていく圧力もそうなんですが、メタ的に視聴者を刺しに来てる鋭さが個人的にヤバい。
『プレイヤーのアバターとして、『プロデューサー』がいるゲーム』という『アイドルマスター』の文法を考えると、『プロデューサーの否定』ってのは『プレイヤー=貴方の否定』にも繋がるじゃないですか。
特に315のプロデューサーは意識して出すぎず、キャラとしての成長物語も背負わず、投影しやすい白紙としての完成度が高いキャラクター。
無論三人称視点で動くキャラクターとしても、責務を果たし情に厚い優秀なキャラなんだけども、同時に自己投影先としてのプレーンな魅力もよく立ち上がっていて、比較的『自分』を起きやすいよう、考えて作られているキャラだと思うわけです。
ここら辺は物語への没入加減、そのための足場をどこにおいて、どういう距離感で物語を見るかっていう個人的スタイルにも、大きく依存するところではあるんですが。

キャラ造形と配置、『アイドルマスター』の文脈が生み出す引力で当事者性を引き付けておいて、SideM初の露骨な回跨ぎでのヒキとして、『お前はいらない』とアイドルに言わせる。
この残忍な一撃はとんでもなく深く刺さって、心に傷をつける。
それと同時に、前景にある暖かな情の風景が『大丈夫、ちゃんと治せるよ。薫も貴方も、傷ついた分分厚いカサブタができて、より良い自分に出会えるよ』という誘引になっているので、『傷ついたから離れよう』とは思わない。
むしろこの傷は、傷つけたのと同じ筆で撫でてもらわないと治療されない魔力に満ちているわけで、恐ろしく巧いヒキだなぁと、ちょっと戦慄してしまいました。
ここまでほぼ完璧なストレスコントロールを見せて、ソフトに傷つけすぎないように進めてきた分、今回剥き出しの魔剣で切り裂いてきたのが、最高のクライマックスへの呼び水になったと思います。


こんな感じで、徹底してDRAMATIC STARSと315プロ、プロデューサーとの間合いを切り取ってきた今回ですが、いつものように横への目配せも的確にキメてきました。
冒頭の告知は個別エピソードを経て、『アイドル』になってきた各員の頼もしさと未熟さ、溢れる個性とパッションを手際よく見せていて、相変わらずの巧さ。
冒頭『顔』を飾るのがドル箱のJupiterであったり、グダグダに終わりそうなところで翔太が全部持っていったり、『先に行くもの』としてのJupiterの特別性も、継続して描かれていました。
翔太が身勝手に見せ場取ったようにも見えるけど、俺は彼を凄く賢い人だと受け取っているので、『チャラい直感系』っていう自分のパブリックイメージまで引っくるめて『掻っ攫ってまとめる』選択を意識してやったんじゃないか、と思ってます。

あとHigh×Joker写真撮影のシーンは、前回一つにまとまった『その先』の光景を積極的に切り取っていて、抜け目がなかったですね。
先週『悩み役』をやってた旬と四季の間を、頼りないリーダーである隼人が(文字通り)ケツ持ちして繋いでいるところとか、『ああ、バンドになったんだなぁ』って感じがして素晴らしかったです。
あのちょっとしたシーンがあることで、High×Jokerが自分のテリトリーを離れても、安定感のある立ち方と関係性を獲得できたことが判るし、それぞれの物語が連続性を持って前進していくダイナミズムを、しっかり感じることも出来ます。
自分のターンが終わっても続いていく、『コマの外側の人生』の匂いを嗅げるのは、奥行きがあってとても好きです。

継続性と言えば、第9話で冬馬から継承した『ここから先の景色』を輝がしっかり背負って、周囲に拡散していたのも面白かったです。
年下だけど先輩な熱血漢のアツさ、それを見せてくれる尊さをしっかり把握して、『良いもんだから、みんなで共有しよう!』と積極的に働きかけられる辺り、あの人超意識的にポジティブであり続けてるんだな。
それは第1話で一回折れかけて、ヒロイックな道を諦めかけたからこそ、意識して継続している前向きさなのかもしれない。

一方桜庭は『次を保証できるのか!』とPちゃんに詰め寄り、未来を信じきれない自分を叩きつけていました。
やっぱイルカの女神が(おそらく)死んじゃったことが、薫の青い世界全てを規定していて、『どれだけ強く望んでも、世の中には乗り越えられないものがある』『永遠に続くモノなんて、世界のどこにもない』という諦観が、根深く刺さっているのだろう。
死の宿命に傷つけられ、無限に続く未来ではなく永遠に後退していく過去を見てしまっている桜庭は、輝さんが見据える『何度でも、ここに来られる』っていう明るい未来を、自分のものとして受け止められない。
しかしそこを乗り越えなければ、真実の意味で薫は315の仲間……『みんな』になれないし、それは素直になれない優しさを感じ取って『みんなの中の桜庭薫』を愛し信じている仲間にとっても、嘘の交じる結末でしょう。


というわけで、この作品がじっくり温めてきた桜庭薫という爆弾が、ドカンと激しく、非常に繊細に炸裂するエピソードでした。
感情とドラマの火力がしっかりあり、その上でお互いを思いやり顔を見る描写が随所に見られ、お互いの譲れない一線が衝突した結果としての離別を、しっかり導く展開でした。
途中ハートウォーミングな描写を入れてストレスをコーティングしつつも、それを万能の処方箋にせず、かといって完全に無力にもせず、薫が自分を見つけて戻ってくる『答え』としても描いていたのは、非常に繊細でした。
この暖かさをひっくり返した別離のシーンも、『患者』としての桜庭薫と『ドクター』としてのプロデューサーを的確に対比され、自分の過去に嘘をついている歪んだ構図を鮮明に描いていました。

このアニメのOP"Reason"では、"過去が未来を輝かせてく"と歌っています。
自分だけが自分を知っているという、エゴイスティックな思い込みを乗り越え、誰よりも他者を知るプロフェッショナル……『医者』だったはずの薫が陥っている歪みは、この理想的な関係から大きく離れている。
となれば、薫が前職の理念に立ち返って、アイドルドクターたるプロデューサーが『承諾しかねます』と下した診断を飲み込む展開こそが”選んだ道の先”へと薫と『みんな』を連れて行くのではないか。
そういう希望に満ちた予言は、OPに、今回のエピソードに、これまで積み上げてきた物語に、しっかり埋め込まれているのではないか。
僕はそう思うのです。
桜庭薫のことが好きなんで、期待してる、と言ったほうが良いかな。

今回は追いかけられなかった背中を、熱く強く優しい男たちがどう捕まえるのか。
固めの盃を飲み干し、共感を遮るレイアウトを乗り越えて、『みんな』になっていく過程を、どう描くのか。
次回の放送が、非常に楽しみですね。