宝石の国を見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月23日
かくして、宝石人の歩みは続く。
不変の一瞬と、移ろう永遠の間で清潔な情愛が渦を巻く。
蓄積され内包されるカルマが質量崩壊を起こし、全てを巻き込む予感を漂わせつつ、罪なき童子の国は今日も平穏に輝く。
胸の奥に秘めた宝石のナイフで、一体何を穿けばいいか解らぬまま。
素晴らしい最終回であり、素晴らしいアニメだった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月23日
展開としてはおもくそ『フォス達の戦いは続くっ!!』なのだが、ここまで描いてきた全てのものをしっかり振り返り、新しい展開も匂わせ、情は景に充ち満ち、変化の蓄積が確かにある。
過去に、未来につながっていく現在をフレッシュに切り取ってきた
最終話ということで、舞台を支えてくれた素晴らしい仲間たちにもしっかり目配せしつつ、軸はやはりフォスである。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月23日
彼が失ってしまった、瑞々しい青春。無キョン子に己と未来を信じ、しかし何者でもなく無用でしかなかった過去への、残酷なる郷愁。それを置き去りにしてでも掴みたい、冷たい未来。
そういうものをしっかり画面に塗り込める最終話であった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月23日
ノスタルジーより先に、未来が来るのが面白い。パパラチアとの対話は非常に短いが、シンシャとの(今は記憶から失せた)邂逅、あるいはアンタークチサイトとの蜜月と略奪にも匹敵する重たいインパクトを、フォスの人生に与えている。
初めて言葉をかわす、永遠の眠り姫。他人だからこそ、宝石の国の日常から切り離された無用なる死人だからこそ、『月人と話したい』『先生を疑っている』というタブーを、ココロの中から取り出してさらけ出せる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月23日
疑心を夜の側、学園の外に暮らすシンシャとなら共有できるのも、同じ倫理なのだろう。
アンタークチサイトのときもそうだが、仕草や目線、着こなしや語調といった『雰囲気』で視聴者の目を略奪するのが、このアニメは巧い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月23日
パッと見て『あ、いい人だな。でも尋常ではないな』という空気が、フッと頬に押し寄せる。作品の中に、印象の風が強く吹いているのだ。凄い表現力である。
パパラチアに一瞬で掴まれる心の動きは、フォス自身のものでもある。そうでなければ、宝石の国全体を揺るがす謀略を、無防備に切り出したりはしないだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月23日
僕らがヒリついた愛おしいヤバさを、フォスもパパラチアに感じたからこそ、彼は告解した。そしてパパラチアは期待通り、贖宥状を出した。
聞かれるなりノータイムで、待っていた時間と蘇生を試みた回数を応えられる、ルチルの純愛。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月23日
その重たさを褥代わりに、パパラチアは死の眠りを続けてきた。永遠の重たさ、忘れられない宝石人の宿命は、救いでもあり呪いでもある。そこでルチルの愛を慮える器量も、パパラチアにはある。
一瞬組成し、再び死ぬ運命を解っていればこそ、パパラチアは『パズルを止めさせたい』と本音を預ける。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月23日
でもそれは、無条件に正しいわけじゃない。自分の命を、自分の望みのままに使うことは、人と人の間で生きるしか無い存在にとって、時に凶器になりうる。その危うさと真実味を、彼は持て余している
心の中に剣呑な刃を秘め、それを表に出せないまま永遠を在り続ける。フォスの疑心と、パパラチアの希死念慮は同じ波長を持って共鳴する。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月23日
だから、あの一瞬の邂逅は、決定的にフォスの道を定めてしまう贖宥足りうるのだ。
『お前は間違ってない、望みのままに進め』
悪魔の囁きか、真実の導きか。
その先を見るには(あまりに無念なことだが)アニメーションに残された時間は少ないが、パパラチアの一言に背中を押され、フォスは静かに潜行していく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月23日
熟慮し、実現可能な手をつくし、共犯者を探す。信頼を弄び、信念を玩ずる。冷たい目をした『大人』になる歩みが、更に加速していく。
そんなフォスの冷え込みに比して、今週はコメディの描写がとても多い。切れ味も良い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月23日
イエローとルチルの追いかけっこは、のどかで美しい、とても良い風景だった。ジルコンのネガティブ漫才、アレキ先生のコスプレ授業、どれも心から楽しい。朗らかな日常が、宝石の国には溢れている。
それは嘘ではない。だが、もう一つの重たい真実を抱え込んだまま、宝石人たちが活きていることも、今回のエピソードは丁寧に切り取る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月23日
それは永遠に欠けることのない感情であり、蓄積されていく倦怠であり、それに抗うべく己を定める宝石人の生き様である。童子の顔の奥に、彼らは膿んだ情愛を隠す。
パパラチアの隣に眠ることを、冗談っぽく仄めかすイエロー。最年長の奇策な兄貴をロールしつつも、その心には仲間を奪われた痛み。ジルコンが離れていく寂しさが匂う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月23日
感情を炸裂させない/出来ない賢さと寂しさが、宝石人には共通している。月人との対話を邪魔されても、礼を言える『大人』のフォス
あるいは、ここまでコメディの一部として描かれてきた、アレキサンドライトの月人マニア。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月23日
それは奪われた半身の痛みを忘れないため、己に化した苦行であった。新鮮な憎悪を摂取している間は、消えた亡霊を身近に感じられる。アンタークの喪に服し続ける、フォスと同じだ。
そんな重たさの中で、ボルツの無骨な優しさがスッと染みる。何も言わないのは、相手をよく見ているから。ジルコンにかけた言葉は、本人よりも弱さの理由を見抜いていた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月23日
そんなボルツの堅い強さ、脆い優しさをジルコンも受け取り、相棒として笑顔で対話する。ダイヤとイエローが見れなかった顔か。
愛おしさすら、身を焼く炎となる。真実求めるものからは、距離を取ったほうが良い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月23日
宝石人の情念は、その生き様と呼応して絶対に鈍麻しない。諦めることを略奪された生き方は、柔弱な忘却に逃げ込む特権を有するわれら人間とは、あまりにも違う。そして、とても似通っている。
そんな中、身体的/≒心理的(この二つを繋げられるインクルージョンの設定は、本当に白眉だと思う)変化をその特性とするフォスは、変わってしまった自分を思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月23日
未熟な幼年期に置き去りにされたジルコンとの対話が、非常に良い遠近法を産んでいる。ああ、あんなに立派になっちゃって。
無遠慮にDisってくるジルコンの言葉を、フォスは受け流し、自分が見つけたボルツの良さを虚心に伝える。それがジルコンの道を示し、彼を前に進ませる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月23日
大人に手を引かれて、子供は自分の道に歩いていく。かつてフォスが、アンタークにしてもらったように。その善因善果にしかし、危うさも匂う。
フォスは戦いの中で己の無力さを思い知らされ、冬の略奪で決定的に変わった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月23日
それは自然な成長(と言うものが不変の宝石にあるとして、だが)というよりも、痛みを伴う強制的変化だ。フォスは自分をアンタークの鋳型にはめ込むことで、一気に『大人』になった。なってしまった。
一見頼もしいあのやり取りは、沢山の喪失と無理に軋んでいる。その危うさに優しい宝石人は気づきつつも、フォスを決定的に求めてはくれない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月23日
抱きしめてくれそうなアンタークは月人に奪われたし、シンシャは社会の外にいるし、他の連中は皆亡霊との恋で手一杯だ。フォスと同じく。
重たい合金、縞々が混じり合わない瑪瑙の足。フォスの身体は、心理(あるいは社会的ポジション)を写して歪なまま、何かを取り込み変化し続ける。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月23日
それは宝石の国のイレギュラー、ミソッカスの末っ子だった昔と変わらないまま、『大人』を偽装する危うさを加速させていく。その行き着く先が見たい…
そして、フォスはもう一人、過去と出会う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月23日
賢いシンシャ。物語の起因となり、フォスが『大人』になろうと決心した大事なオリジンのことを、フォスはすっかり忘れている。
あの時触れ合った柔らかさ、通わせた体温。もう、シンシャの毒はフォスを削らない。『大人』はそういう不器用な付き合いをしない
フォスが『変化』を根本とするのなら、学園の外で永遠の夜を繰り返すシンシャは『不変』を体現する。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月23日
フォスが加速する過程で置き去りにしたとても大事なものを、永遠に危うい青春の上に立つシンシャは、忘れず持ち続けている。
『”楽しい”がないじゃないか!』
確かに、確かにね。
フォスは不信感と責務、罪悪感と痛みに急き立てられて、前に進み続ける。でも、そう願う胸の冷たい炎は、どう点火したのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月23日
初期衝動は、インクルージョンと一緒に忘却された。今のフォスは、瑞々しい青春の亡霊が、記憶をなくして彷徨っているだけなのかもしれない。
アホバカで無能で何も出来ないフォスが持っていた、たったひとつの真心。それを胸に突き刺された過去から、シンシャは出れない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月23日
祝福でもあり呪いでもあるそんなスタイルは、宝石人のデフォルトだ。フォスやパパラチアが、過剰にリベラルなのだろう。一瞬で締結された共犯関係にも頷ける所だ。
過剰な正しさは、闇のように世界を覆って壊す。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月23日
パパラチアの予言が、シンシャが体現する『不変』のデフォルトに及んでいるのか、はたまたフォスが背負う『変化』に伸びているか。
その果ては見えないにしても、『正しさ』よりもうねる心に従っている点で、二人は同じだ。痛みと愛おしさの合金。
惹かれ合い離れていく二人が、共に流体金属という特性を共有しているのは、とても面白い。心は形なく流れ、動き続けるのだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月23日
加えて、水銀は金銀と混じり合いアマルガムになることも出来る。それが活力に満ちた愛なのか、死穢をまとい続ける亡霊の恋になるかは、読みきれないところだが。
今回の夜と昼の戦いは、シンシャがチョロ蔵力を大発揮して譲る形となった。相手忘れてて、自分覚えてんだからしょうがねぇよな、惚れたが負けだよな。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月23日
先生を暴くという、宝石の国最大の謀略。そこに参加することで、無用なる水銀が立ち位置を手に入れるというのは、非常に面白い。
身体的/=精神的変化を体現してきたフォスの活動は、積極的に他者に働きかけ、行動を変化させていく段階に来た。彼の中の感情流体はフォス個人を飛び出し、宝石の国に社会的変化をもたらしつつある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月23日
浴びせかけ、汚す。シンシャのものだった特性を、言語と政治によってフォスが体現しつつある形か。
彼の政治活動がどこまで拡大し、侵食された宝石の国(その構成員である宝石人の愛と憎悪)がどう変化していくか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月23日
今回の物語は、シンシャとジルコンという二人の『子供』への働きかけによって、その端緒を見せて終わったといえる。孤立した無用物から、世界を変容させうる活動家へ。大きな一歩だ。
彼の胸で渦を巻く、『世界を知りたい』という欲望。それが加速していった果てにどんな結末があるのか、アニメで死ぬほどみたい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月23日
が、情景を的確に切り取る真摯な筆でその一歩を描かれた今回、無念と同時に強い満足度がある。絵画並みの強度で切り取られる、レイアウトと色彩、テンポとフォルムが強い
元々コンセプトアートの『圧』が怪物的なアニメであったが、今回は特に尖った情景を幾重にもぶっ刺してきて、美的満腹感で死にそうになった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月23日
ジルコンと話すシーンの大胆な『横』の張り出し。シンシャが足場に置く切り立った青春。キャラを遠景に配置する絵画的センスが、お話を見事にまとめる。
3Dモデリングを活用した『動』の強さは、例えば”しろ”との驚異的な戦闘から容易に導けるが、それと対比になり相補う『静』の強さが、このアニメの土台を強く支えていたのだなと再確認させられる、美しい最終回だった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月23日
とにかく眼球にぶっ刺さる一枚絵が多い。強い。凄い。
さておき、フォスは置いてけぼりにした幼年期を懐かしく思いつつ、前に進む。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月23日
自分の無力も、それで失われる輝きも知り尽くした眼は、冷たく強い。疑心を胸に滾らせつつも、それを秘めて先生と向き合える。己を装う仮面を幾重にも張り巡らせ、ヒトは『大人』になりかける。
でもこの終わり、冷静なる怪物と化したフォスの『成長』は、真実なのだろうか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月23日
このアニメに僕を強く引き込んでくれた、優しく可愛く幼いフォス。バカでアホで無能で、でも優しくて色んな人を知らずに助けていたフォスは、冷たい過去に葬り去られるべきそんざいなのだろうか。
この作品(をアニメーションに落とし込む筆)が非常に冷静で、計画的に犯行してくることは、僕らはもう知っている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月23日
だから、フォスが切り離してしまったフォスの喪失に、釈然としない思いを抱くこの僕もまた、彼らの犯罪計画の犠牲者なのだろう。間違いなく、狙って間違えさせているのだ。
いつかフォスは、無用なる自分と若いし、融合できるのだろうか。ただ切り離すのではなく、瑞々しい緑の季節の良さを肯定し、自分らしく新しい自分にかわれるのだろうか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月23日
それとも、胸の中の衝動に導かれるまま、周囲を巻き込んでひた走っていくのだろうか。
どちらも在り得る豊かさが、この作品にある
お話がどこに進んでいくのか、アニメ視聴者である僕にはまだ見えない。その先を強く見たい気持ちがあり、ここまで丁寧に積み上げ、無限の景色を見せてくれたことに満足と感謝を覚えてもいる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月23日
素晴らしいアニメであり、素晴らしい最終回だった。宝石の国とフォスの変化は、これからも続くだろう。
原作の持つ独特のテイスト、仏教的思弁性、人間を離れたがゆえに人間を見せるSFの力を殺さず、最大限に発揮するアニメ化であった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月23日
動きがあり、色がつき、喋って動くアニメの強さを、これ以上無いほどに振り回すアニメであった。アニメ的な全てが心地よく、皮膚と心に刺さってくる造りだった。
3Dモデルでしか造れないアニメだったが、自分が選び取ったメディアの特性に甘えることなく、むしろその特性の新境地をこれでもか、これでもか! と叩きつけてくるような、野心的で誠実なアニメだった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月23日
このアニメでしか見れない景色が、山のように積み込まれた美しいアニメだった。
アバンギャルドでありながら、どっしりと青春と変化に狙いを定め、圧倒的にオーソドックスな『学園』の物語でもあった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月23日
フォスが無用なる幼年期から飛び出し、あるいは痛みを込めて切り離されて、どう歩きどう迷っていくのかを、共感と魅力満載でしっかり描いてくれた。
主役がかのように強いアニメでありながら、サブキャラクターの魅力が馥郁とか降り立ち、皆が好きになれるアニメだった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月23日
彼らが暮らす美しい世界も、邪悪なる敵たちすらも、眼を引き寄せて離さない魔力に満ちていた。油断がなく、熱量と技術が同居しているアニメだった。
つまりそれは、良いアニメで、好きなアニメで、素晴らしいアニメだった、ということだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月23日
素晴らしいものを作って、見せていただいて、本当にありがとうございました。『次』が死ぬほどみたいけど、今はとにかくお疲れ様、と。
『宝石の国』、良いアニメでした、ありがとう。