Fate/Grand Order -MOONLIGHT/LOSTEOOM-を見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年1月1日
長き戦いが終わり、その始末もまた収束した一瞬の凪の季節。荒れ狂う嵐の前の静けさを預言するかのように、認識と時間が混濁する。
ソシャゲ本体の展開と複雑にシンクロし、伏線と謎と解答を織り交ぜた不可思議なアニメであった。面白いなぁ。
というわけで、ちょうど一年前の『Fate/Grand Order -First Order-』とは色んな意味で正反対の、FGOアニメ二作目である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年1月1日
僕はあのアニメ見て『おお、面白いやん』と思ってFGOを始め、一年でなんとか最先端の尻尾にとりすがり、このアニメを見る資格を掴めたプレイヤーだ。結構良い位置にいる感じだな
藤丸立花とマシュ・キリエライトが出会い、戦い、勝利する。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年1月1日
非常にシンプルなボーイ・ミーツ・ガールをどっしり描いた前作に比べ、今回は過去と現在、死者と生者、認識と預言が複雑に混ざり合う、ちょっとサイコ・スリラーっぽいお話になっていた。
これを楽しめたのは、今正に序章をポチポチと進め、二部への期待を高めて待っている、FGOプレイヤーとしての自分だからというのは、間違いなくある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年1月1日
一年前のアニメ(FOと呼ぼう)が『既に終わった導入』をアニメという新メディアで語り直すことで、新規勢をフックしに行ったのとは正逆のねじ込み。
ちょうどFOに、あそこで真っ直ぐに輝いていた立花とマシュに引っ掛けられてゲームを始められた(そして色んないらだちにも関わらず、ゲームを続けられた)身としては、今回のアニメ(ML/LRと呼ぼう)にも綺麗に乗れている。いわば『FGOの身内』である僕は、このアニメのメインターゲットに入っている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年1月1日
なので、専門用語の羅列も、動きの少ないベシャリの画面も、退屈に感じるどころか『そう! 今それが知りたいのホントマジ!』ってなる立場であり、あんま距離を置いた判断はできかねる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年1月1日
今、正に僕を通じて展開している、ゲーム的な物語への当事者性。それを最大加速するのが二部全体の仕掛けである
謎解きや推測、感想や苛立ちまでソーシャルメディアで共有し、トレンドの波の舳先に乗って、巨大なうねりを作り出す。莫大なメディア力を活かし、『FGOの身内』がマスになりうるほど巨大化する。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年1月1日
ML/LRもまた、明確にその戦術に組み込まれた、疑問が多い(つまりソーシャルで多重に語られる)アニメだ
CCCイベントやセイレム(そして1.5部全域)で実験された『スマートフォンの外に出たソーシャル・ゲーム』としての、巨大なムーブメント。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年1月1日
FGOを話題にする『身内』が、ガチャ結果を報告したりメンテに苛ついたりしながら共有している巨大な枠組みを、今FGOは意識して操作し、巨大な体験を作りつつある
ML/LRはそのための副読本として意識して配置されている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年1月1日
2部序章がゲーム上で公開され4時間後、アレを体験することで生まれる期待感と疑問がユーザーの脳内に発火した瞬間を狙いすまして投下される、捻くれた構造の回想、注意書き、あるいは暗号、そして預言。
これは、そういうアニメであろう。
一部序章(FOがアニメーションさせた物語そのものである)で消滅して以来、不自然なほどに触れられなかったオルガマリー所長が、今回主役と言っていいほど活躍するのも、布石の一つなのだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年1月1日
二部で『何か』を成し遂げる主要人物を、さぁ思い出してくださいね、という。
ロストルームで展開する、死者と死者、死から蘇ったもの、もしくは死すら消し去られてしまったものの対話は、カチカチとうねる時計の音で不安を加速され、薄暗い配色の中で展開する。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年1月1日
逆光で瞳を見せないマシュ。存在そのものを抹消されたが故に、画面に映らない男の指先。意味深に玉座に置かれた指輪
全ては不確かな世界の中で展開し、ゲーム本編で己を語る言葉を保たなかった少女は、過剰なまでに喋り続ける。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年1月1日
あたかも序章と序章の長い時間を埋めるように、オルガマリーは己を語り、カルデアを取り巻く設定を、その技術が玩弄する時間と運命を説明していく。
それは、彼女が語り、再配置する設定が過去にあるだけでなく、これから起こる未来…楽しいクリスマスを押し流して展開する、冷たく厳しい序章を超えた先において、非常に重要な意味を持つからだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年1月1日
その重要性は多分、オルガマリー自身にも及んでいる。
ロストルームから出た亡霊が、氷原を征く。
近い将来、『ああ、アニメでそういうこと言ってたね。そういう雰囲気だったね』と思い返すために、ML/LRは『今・ここ』に配置されている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年1月1日
だから、その真価が生きるのはゲーム内部において二部を『体験』した瞬間だろうし、それを体験できるのはゲームプレイヤーだけなのだろう。『FGOの身内』だ。
マニエリスム的な絵解きや考察を、あんまする気にはならない。コストも掛かるし、作者が仕込んだ仕掛けに素直に殴られたい気分もある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年1月1日
それは『ふっざけんな、ヌルいパンチ打ちやがってぶっ殺すぞ!』と激怒することも含む。そういう失望引っくるめで『スマートフォンの外に出たソーシャルゲーム』だ
ただ、今後活用されるだろう設定を並べ直し、暗喩と確認をぎっしり詰め込みつつ、このアニメが結構面白い不穏さと感情に満ちていたことは、ちゃんと書き残しておきたい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年1月1日
所長の焦りや後悔が内言され、FGOの主人公(つまり私)が知り得なかった過去が語られて、大きな仕掛け以上の驚きと喜びがあった。
あんま所長とは長く付き合えなかったから、彼女がどんなことを思って二年間頑張って、あっさり死んでしまったかが、正直よく解らなくて。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年1月1日
そこに至るまでの、そしてそこに至ってから永遠に死に続けた彼女の不安定な心が、いい具合に不安定な絵の中で語られたのは、僕にはとても良かった。
そんな彼女に手を下したレフが、生前あまり見せなかった穏やかさと感情の濃淡が、杉田智和の名演で伝わってきたのも良かった。(あんま聞かないタイプの演技だったが、とても素晴らしかった。こういう杉田、もうちょい供給されませんかね)
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年1月1日
裁定者としての尊大と、人間としての情、両方を感じた。
既に死んでしまっている彼らの、存在するはずのない会話。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年1月1日
その後に続く立花の独白は、プレイヤーと一体化することを前提とし、その顔がよく見えないゲーム主人公を、一キャラクターとして客観視する、アニメならではの氷原にもなっていた。
救世主の人間的限界と、凡俗への不安。それゆえの奮起。
それを『今・ここ』で描いたのは、これから先二部はそういう感情を幾度も試し、すり潰すような物語になるからなのだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年1月1日
ML/LR自体はそういう勘定が必要とされる苦しい戦いが終わった、犠牲の果ての時間にある。だからこそ、ここでしか吐けない藤丸六花の人間性を、『今・ここ』で描いておく。
そのための結節点として、クリスマスを祝う平和なカルデアがあり、偽りの終わりに飛び込む立花がいて、現実と夢想が交錯するロストルームがある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年1月1日
立花とオルガマリーの会話は、独言のすれ違いでしかない。死人と生者、可能性と現実はすれ違い、交わることのないまま存在し続けている。
オルガマリーが足場を置く死者の/過去の/不在の国と、立花(とプレイヤーたる僕)が存在している生者の/未来の/実在の国。ロストルームで交わる二つのモノローグ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年1月1日
それは多分、在り得たかもしれない可能性に塗り直された地球から、虚数領域を通して闘争を挑む第二部の、モデルケースなのだろう。
亡霊のように、守護天使のように、傷つきながら世界を救済した立花に苛立ち、祝福のみを与えた所長。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年1月1日
二部で立ちふさがる敵が、そんな優しい存在ではないことは、序章を終えただけでもしっかり判る。だが、その立脚点のあやふやさは、共通事項なのではないか。
剪定されたはずの枝葉が叛逆を起こし、正統なる歴史の幹を乗っ取る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年1月1日
敵が味方となり、味方が敵になっていた『オルガマリーのグランドオーダー』のような『ありえるはずのない可能性』が、ロストルームの不気味なあやふやさを乗り越え、物語を暴力的に書き換える。
そういう、観測と可能性のSFとしてFGOは始まっているし、1.5部でもそういう(ある意味PCゲーム的な)多元性は、大きな意味を占めてきた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年1月1日
選び、勝ち取ること。一部で立花が完遂し得た主人公的価値を、別の場所から撹拌し叛逆してくるような異議申し立てが、今眼前に迫っている。
そしてそこには断絶と同時に、このアニメでオルガマリーが見せたようなあやふやで不可思議な重なり合いと、認識されない祝福と祈りもまた、ありえるのかもしれない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年1月1日
そういう一筋の希望を込めて、今回の不穏で複雑な物語は配置された気が、僕にはしている。
常に薄暗く冷たい部屋の中で展開される今回の物語で、一瞬だけ文句なしの光明が差し込む時、その中心にはマシュがいる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年1月1日
そのヒロイン力の高さが、彼女のことが好きな僕としては嬉しかった。二部でも、彼女は健気に主人公に隣り合い、人間性を体現してくれるのだろう。良いヒロインでいてくれるだろう
そういう予感のあるカットを挟み込んで見せてくれたのは、なんか良かった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年1月1日
全体的に色々考えさせられ、しかも答えが出ない『出題編』ながらも『マシュマジ善いから。行けっから』というアンサーだけは、図太くねじ込まれたと思う。それがありがたい。
一方、ML/LRで大きくスポットライトを当てられたオルガマリーがどのように再登場し、再利用されるかは、小ノアに目の雰囲気のように定かではない。不穏でもあろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年1月1日
でも、ロストルームでのすれ違いの対話のように、決定的な断絶のなあkで何かが通じ合ってくれると良いな、と思う。
そしてそれが、死せる所長(に似た、その残滓を継承した別個体)以外にも残響し、対話と理解の可能性を残し、物語を面白くしてくれるといいなぁ、と願っている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年1月1日
不確かな未来の薄暗さと同じくらい、そういう予感は醸し出せたアニメだったのではないかと、僕は思っている。
約一時間の亜に目を『今・ここ』に配置して、ソーシャルゲームの副読本として豪勢に使ってくる語り口。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年1月1日
それをテコに使って、『スマートフォンの外に出たソーシャル・ゲーム』をドライブさせ、描こうとしている物語の総体。
かなり大掛かりな仕掛けが、今回動き出したんじゃないかと思った。
そういう大きな機構だけではなくて、時間と因果が混濁するスリラーとしての味わいと、生者と死者の感情と人間性が絡み合う複雑さと、予感と祈りに満ちた不穏さがしっかりアニメ本編に宿っていたことが、何より良かったと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年1月1日
ここから続く二部に『FGOの身内』として参加できるのは、嬉しいことだ。
ゲームシステムとか、シナリオの巧拙とか、色々苛立つこともある。素材集めのクソ周回とかマジ勘弁だし、宝具は飛ばせるようにして欲しい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年1月1日
ただまぁ、そういう不満を認めつつ、こんだけ色々仕掛けてくる物語の先に何が見えるか、今とてもワクワクしているのだ。面白い体験を造るなぁ、と。
そういう大仕掛けを可能にする、サブカルチャーの現代神話の一つに『Fate』がなってしまっていることに感慨も受けつつ、1ユーザー、1読者、1プレイヤーとして小ノアに目の先の風景を、とても楽しみにしている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年1月1日
そういう気持ちが強くなる、いいアニメだったと思います。